獄炎爺がシバいてくる 作:矢マン元
違うニオイがする。鼻を鳴らした小猫は首を傾げた。
ここ暫くは、祐斗がピリピリしているからか部活の空気が悪いのだが、だからこそ別の事が気になった。
寛治はいつも通りなのだ。いや、祐斗に関する関心が無い訳では無い、のだがその事を表に出すようなことは無い。
オカルト研究部の面々が大なり小なり気にする中で、その様子は浮く。
そして、小猫が気が付いたのは彼に仄かに感じられたニオイ。
包帯と軟膏のニオイに紛れるように。料理のニオイに紛れるように。それこそ、隣に座るぐらいしなければ気付けないほど微かなニオイ。
一度気付けば気になってしまうのが人の性。
さりげなく部室でも隣に座って鼻を研ぎ澄ませる。
(料理……お醤油?そういえば、山本さんは一人暮らしで、煮物系はあんまり作らないって言ってたような……?)
前にそんな話になり、寛治も料理レパートリーが足りないと嘆いていた筈なのだ。
気になって更に近づけば、ふと彼の肩の辺りに一本の髪の毛が。
寛治の髪色は典型的な、黒。色彩豊かなオカルト研究部の面々の髪色の中では比較的普通で、その上手入れが悪いのか少しばかりごわついている。
だがしかし、今小猫が見つけたのは、
「……山本さん」
「ん?何だよ、塔城。というか、近――――」
「この髪の毛、誰のですか?」
指でつまんだ髪の毛を片手に迫ってくる小猫。後に寛治は、夢の中以外で一つの選択ミスで死ぬんじゃないかと思ったのはこの時が初めて、と語る。
そんな圧のある小猫に引きながらも、寛治は彼女の突き出してきたモノを見た。
「……髪の毛?」
「そう言ってます。それで?これは誰のモノですか?」
「誰のって……客?」
いや、違うか?と心の中で続けながらも、寛治はそれを口には出さない。
小猫の見つけた髪の毛は、十中八九ゼノヴィアのもの。しかし、それが分かったからといってポロリと零せば確実に面倒な事になるだろう。
寛治としても、藪蛇は避けたい。故に、適当に言葉を濁す他なかった。
もっとも、
「そのお客さまに、料理を振舞うんですか?」
今回は相手が悪い。
ジッと見上げてくる黄金の瞳が居心地の悪さを助長してくる。心なしか、瞳に宿ったハイライトが消えて、澄んだ濁りと言える暗さを宿しているようにも見えた。
寛治には、この手の女性をいなす経験値も、技能も無い。そもそも、対人能力は人並みの域を出ておらず、落ち着いて見えるのは長年の鍛錬の結果心に波紋が起きにくくなっているから。
そんな彼だからこそ、どうしてここまで小猫が食いついてくるのかが分からない。
「まあ、そういう客だったしな。俺としても、煮物とかを久しぶりに食えて得もあったし」
「むぅ……女性ですか?」
「ああ」
「むぅ」
頷けば、更に若干むくれる小猫。
少女の機微を、しかし彼は汲めない。首を傾げるばかりだ。
「そんなに良いもんか?高々家庭料理レベルの腕だぞ?俺自身、料理が特別得手って訳でもない」
「……」
「なんだよ。それでも食いたいのか?」
「はい」
半ば食い気味に返事をする小猫に、寛治は片方の眉を上げて変な表情を浮かべた。
しかし、突っ込まない。料理程度ならば別に苦ではないし、一人分も二人分も料理によってはそう変わらない。
強いて挙げれば、ゼノヴィア達との接触を起こさないように調整する必要がある点か。
「んじゃ、都合のいい時に連絡すればいいか?」
「いえ、こちらのチラシを使いましょう」
「あ?悪魔家業の奴じゃねぇか」
「私はいつでも、バッチこいです」
鼻息荒く目を輝かせる小猫は、若干キャラを迷走させながら、強引に寛治へとチラシを握らせた。
変な奴。内心で首を傾げながら、寛治は献立を考える。
このとき彼は、この穏やかな日常の一幕が直ぐにでも遠退く事になるなど、考えもしなかった。
*
日もとっぷりと暮れた夜陰の時。
「……今日は来ないもんだと思ってたがな?」
「すまん……」
夢の中でシバかれていた寛治は、喉の渇きと共にいったん鍛錬を中止してもらい、水を飲みに起きていた。
そんな折に、鳴り響いたインターホン。出向いてみれば、何処か雰囲気の違うゼノヴィアと、それからイリナの二人が居た。
遅い時間の急な来訪。ともすれば、相手によっては激怒されるかもしれないが、しかし寛治は頭を掻くと玄関の引き戸より僅かに横に避けた。
「まあ、上がれよ。茶ぐらいなら出してやる」
「……良いの?その……来てなんだけど、怒鳴って追い返されても仕方がないと思ってたんだけど」
「確かに、常識的な時間じゃねぇわな。でも、俺は別に寝るのが好きな質でもねぇし。ちょうど起きてもいたんでな」
そうして三人は、ここ最近よく囲んでいるちゃぶ台のある居間へとやって来る。
それぞれの前に麦茶の入ったコップが置かれた。
「で?正直なところ、俺は別に話し上手でも聞き上手でもないからな。単刀直入に言ってもらって良いか」
「そう、だな……」
「……」
胡坐をかいて、左肘を太ももの上について頬杖をついた寛治が促すが、しかしどうにも二人の歯切れは悪い。
彼としては、腹芸などしたくない。相手の考えを推し量って、言葉を引き出すなど土台無理な話。
「……ねえ、寛治君」
「あ?」
「もしも、貴方が聞いていた話と、本人が違っていたら、どうする?」
「…………つまり、なんだ。周りからの噂話に踊らされたって事か?」
「そう、なるのだろうか」
「まあ、どうあれ謝るほかねぇだろ。勘違いの結果、相手を責めたんなら、な」
「……」
「なんだよ」
「……魔女だと、聞いていたんだ」
ポツリと、ゼノヴィアは呟く。
「教会を裏切った元聖女。悪魔へと堕ちた魔女。悪魔を癒した裏切者。そう、聞いていたんだ……」
「実物は違った、と?何で急にそんな、懺悔するほど追い込まれてるんだ?」
「目を、見たからだ」
「目?」
「泣きそうな、それでいて深く傷つきながらも誰にも当たらない、そんな目だ」
ゼノヴィアは、お世辞にも頭が良いとは言えない。どちらかと言うと脳筋であるし、直情傾向でもある。
だからこそ、直感的に読み取る面では優れているともいえるだろう。
とはいえ、彼女もその目を見て最初から罪悪感を覚えた訳では無い。ただ胸の内に靄が浮かんでしまった位で。
しかしそれも、時間経過で膨らんでいった。元々考える質ではない為に、溜まった胸の内を解消する方法もろくに知らず。様子がおかしかったことに突っ込まれ、イリナへと愚痴のように零せば彼女にも悩みの種を植えるような形となった。
頼れる者はいない。しかし、胸の内に靄が溜まる。だから二人は、ここに来た。
その一方で寛治もまた、ある程度察する。
二人の言う魔女と言うのは、アーシアの事で。彼女の悪魔に成った経緯もある程度は聞き及んでいたから。
ただ、二人が教会でアーシアに関する悪感情ともいえる情報を植え付けられていたのは、無理も無いかと欠伸を噛み殺しながら思っていたりもする。
寛治自身に組織運営のノウハウは無いが、しかし学校の授業などを受けていれば自然と分かるものもある。
その一つが、共通の敵をもって団結を強めるというもの。敵の敵が居れば、自然と仲が悪くともその敵を潰すまでは結託できる。
つまりは、ある種の目的意識の共有。眼前に、明確にぶつける対象があると、人は自然と集まって叩くのだ。
寛治は頭を掻く。彼女らのモヤモヤに関しては簡単だ。罪悪感が淀んでいるのだから。その解消となれば、それはもう相手に謝るしかない。許してもらう、貰わない関係なく。
だがしかし、彼女らは年若くとも立場ある人間でもある。そんな人間がおいそれと表面上は停戦状態でも、裏ではバッチバチにやり合っている悪魔に頭を下げたと成れば、戻った後にどういう処遇を受けるかも分からない。
立場があると上で書いたが、ぶっちゃけ二人は鉄砲玉のような扱いであるので。
とにかく、
「……まあ、まずは任務を終わらせろよ。ンで、身軽になった所で改めて話し合えばいいんじゃねぇの?」
結構投槍ではあるが、しかし現状それしかない。ついでに、眠るのはそれほど好きではないと言いながらも、生理的欲求の眠気が再度襲ってきても居た。
そして、この日を境に運命はさらに加速する。