獄炎爺がシバいてくる 作:矢マン元
「…ふぅ……こんな所か」
どうにか山を越えて、寛治は額に流れた汗を拭って息を吐き出した。
濡れた服から黒いジャージへと着替えた彼の前では、居間に敷かれた布団に寝かされるイリナの姿があった。
聖剣()よりも人の命を取った雨の時間。小脇に抱えた祐斗に関しては、探知能力で探したリアスの元へと送り届け、彼女らからの追及が始まる前に逃げ出していたりする。
その足で自宅へと戻り、びしょ濡れの体もそのままにまず最初に始めたのがイリナの治療。
幸い、体を欠損するような大怪我を負っていなかった為、彼の回道でもなんとか治療が可能であった事は救いだろうか。
ただ、問題は彼女の格好。
教会の戦士として鍛えられた肢体に加えて、女性でも羨むプロポーション。更に、身に纏うのはボディスーツのような戦闘服。破れたソレは、非常に目に毒だった。
とはいえ、その辺りの興味が薄い寛治としては、困ったのはこの戦闘服の脱がせ方。
四苦八苦して、傷を癒し、しかし完治できなかった場所には、薬と傷に張り付かないガーゼ、それから包帯を巻き、布団に寝かせて漸く一息。
後で謝ろう、何て考えながら寛治が思い出すのは、件の黒い羽根の男。
勝てるか勝てないか、で答えるなら十中八九勝てる。強い事には強いのだが、何というか中途半端な強さであったから。
一定のレベルには快勝。そして、格上には決して届かない。そんな、ある意味では頭打ちしてしまっているのであろう実力。
問題があるとすれば、その頭打ちした実力だろうとも彼の現状の知り合いでは敵わないであろう事が明らかな点。
つまり、寛治が相手をしなければならない、のだが、
「俺が斬っても良いもんかね」
眠るイリナの傍らで胡坐をかいて座り、頬杖をついて呟く寛治。
物事には、道理というものがある。
今回の場合、かの堕天使を討伐、ないしは撃退すべきは教会の勢力だろう。彼らが喧嘩を売られた訳でもあるし。
なにより、
「目的が分からねぇよ」
何のために聖剣を狙ったのか。そもそも、寛治には情報が無さすぎる。
彼にとってみれば、分裂したエクスカリバーは二流品だ。しかし、教会などにとっては象徴として申し分なく、だからこそ奪われた故に聖剣使いの教会の戦士二人を送り込んだ。焼け石に水も良いところだが。
では、なぜ堕天使が聖剣を奪ったのか。
聖剣に興味があったから。傲慢な堕天使が誰かに頭を下げる事を良しとする筈も無い為、強奪が選択肢の頭に来るのはおかしくない。
聖剣を使いたかったから。しかし、聖剣は剣そのものが担い手を選ぶ。そして担い手でなければ扱えない。
そも、何故この駒王町に来たのかも謎。
この町に関していえば、悪魔が管理()している土地。そして一応の管理者はリアスという事になっている。
「……あー……喧嘩売ってる、とかか。いやいや、無理だろ」
自分で答えを出して、それをまた否定する。
何故なら、かの堕天使は
もしも仮に、聖剣を振るえる堕天使になったとしても、恐らくこの結果は変わらないと寛治は考える。精々がグレイフィアに勝って、そして魔王に瞬殺されるのが関の山。
しかし、だ。自分の答えを否定し、ついでに下がってきた瞼と格闘しながら、頭の隅で寛治は考える。
力の差だとか、組織の立場だとか、それら一切合切をかなぐり捨てても為したいことがあったとすればどうだろうか。
ぼんやりとした頭はそれ以上の思考を許してくれず、寛治の意識は闇に飲まれる。
*
――――弛んでおるな
*
「ッ!?」
沈んでいた意識が一気に覚醒してくる。ついでに、浮かび上がった意識に引っ張られるようにして体が大きく跳ねた。
荒れる息と、時計の秒針が刻む一定のリズムが部屋に響く。
「……くっそ爺が……!」
悪態を吐いて、額を拭えばじっとりとした脂汗が変えたばかりの包帯に染みを作った。時計を見れば、最後に見た時から三十分と経っていない。
その短時間で、胡蝶の夢と思える程度にぶっ飛ばされ、斬り飛ばされ、焼き尽され、そしてこうして夢から叩きだされての強制覚醒。
罵りたくもなるが、しかし割とザルな感知能力に反応があればその言葉も喉の奥にしまわなければならない。
「大きな戦闘、か?……いや、虐殺か」
布団の中に手を突っ込んでイリナの手首に触れ脈を測った寛治は、その手を下すと徐に立ち上がる。
この町で大規模に行われる可能性がある戦闘など、現状一つしか思い浮かばないからだ。
最悪の可能性を頭から排しながら、寛治は玄関から出て空へと一足に飛び出していく。
戦場となっているのは、駒王学園。いや、その言葉は既に正しくないかもしれない。
「質は申し分ない……が、所詮は子供か。どれだけ得物が優れていようとも、使い手が未熟では話にならんな」
自身の前に倒れ伏した者たちを睥睨し、堕天使幹部コカビエルは嘲う。
彼は、同族にすらも引かれる戦闘狂、或いは戦争狂だった。当人も堕天使の中では武闘派であり、十の黒い翼を持つ聖書にも記された存在。
その目的は、闘争の火種に油を注ぐ事。
現状、三大勢力と称される悪魔、天界、堕天使だが、過去に大きな戦争を経験している。その結果として、悪魔勢力は転生アイテムである悪魔の駒を造り、その駒がまた別の問題を呼び込んでいたりもするのだが、それは今は割愛。
コカビエルは、戦争狂だ。戦いたくて戦いたくて、仕方がない。
そして、現在の裏でバッチバチであろうとも表立って争う事の出来ない平和な時間(仮)は受け入れられなかった。
だから、一計を案じた。
過去の大戦から、教会勢力における聖剣の存在価値を知っていた彼は、甘言で引き入れた部下を用いてそれらを強奪した。
当然、教会側は取り返そうと刺客を送り込むであろう事も想定済み。
それらとの戦闘も娯楽の一つではあったが、この町に来たのはもっと別の事。
「現魔王の妹。お前に恨みはない、がコレも俺の目的のためだ」
コカビエルの狙いは、リアス、或いは蒼那のどちらかであった。
発言の通り、彼女らに恨みはない。無いが、しかし計画の為の歯車の一つとして見るならば、これ以上ないほどに
悪魔陣営に彼が自ら攻撃を仕掛けようとも、ソレは戦争の引鉄にはなりにくい。精々が、小競り合い程度で抑え込まれる可能性が高い。
だがしかし、悪魔側の現トップ。つまりは、魔王の大切な物を彼が手に掛けたならばどうだろうか。
コカビエルだけを滅するだろうか?否、人だろうと悪魔だろうと、恨み辛みというのはその矛先を大きく向ける。
それが、深い身内愛を持つグレモリー家出身の者ならば猶の事。怒りと憎しみで裏返った愛情が、堕天使という種族に対する殺意として向けられる可能性も低くはない。
そして、種族単位の絶滅に瀕するのならば、如何に戦争に消極的な者でも、応戦する。
その先に待つのは、最悪の戦争だ。憎しみの火はそう簡単に消えない為に、今度こそ種族毎の絶滅戦争になりかねない。
自身の計画が実を結び、
血沸き肉踊り、血と泥のニオイのが嗅覚を侵す戦場がもうじき訪れる。
考えるだけでも、コカビエルの口角は醜悪に歪んだ。
「さあ、幕引きと行こう。そして、大戦の口火としようか」
そう言って、コカビエルの右手が肩の高さまで持ち上げられ、空中を掴む様に動いた。直後、鈍い光と共に光によって構成された槍がその手に現れる。
天使の基本能力であると同時に、その天使より堕ちた存在である堕天使もまた扱える能力。
下級であろうとも、その光を扱う能力は悪魔にとって致命的だ。
それが堕天使幹部、それも戦闘に特化した物であるのなら、その破壊力は推して知るべし。
右腕が引き絞られ、破滅の一投が今まさに解き放たれ――――
「ッ!?」
突然の地鳴りのような重圧と、肌が泡立つ感覚にコカビエルは襲われていた。
反射的に槍の投擲をキャンセル。手元へと引き戻して構え、その頬には滲む様に冷や汗が流れていく。
果たして、コカビエルの目の前、倒れた者達との間に誰かが下りてくる。
夜陰に紛れる黒いジャージ。前が開けられた上着の下には何も着ておらず、鍛え上げられた腹筋が陰影を刻んでいた。
「っと……まあ、セーフか?いや、アウトでも誰も死んでないのなら、まあ、うん」
緊迫していた筈の場に相応しくない、どこか抜けた様な声。
それでも、その背中を見た者たちの中で、彼の実力を知る者は自然と安堵の息を吐いていた。
乱入者、山本寛治は改めて、コカビエルと向かい合う。
「……貴様、人間か」
「ああ、人間だよ」
問い、答える。しかし、コカビエルはその言葉を到底受け入れる事は出来なかった。
先に感じた威圧感。それは、気のせいと捨て置くには余りにも濃密で、そして鮮明に刻み込まれていた。
しかし、その威圧感の主が人間。堕天使としての高いプライドを持つコカビエルにとって、そんな人間に冷や汗を掻かされたなど恥もいいところだ。
時にプライドは恐怖を踏み潰す。震えを怒りのせいであると無理矢理にでも自分を納得させ、その手の槍を回転。逆手に穂先が小指の方に来るように握り、思いっきり振り被る。
投て――――
「――――んな危ないもの、塔城たちの方に投げようとするんじゃねぇよ」
「なぁっ……!?馬鹿な、素手で……!?」
振り被った腕が、槍を投擲する前に、寛治はコカビエルの眼前に居た。
そして、今この瞬間にも投げられそうだった光の槍、その穂先を真正面から左手一本で掴んで止めているではないか。
無理矢理に押し留められた光が、ガラスをひっかくような甲高い音と、鈍く金属が軋み合う様な不協和音を立てて震える。
その光景にコカビエルは目を見開き、同時に光を操る精度が若干鈍った。
瞬間、光の槍は握り潰される。同時に、握られた左拳が空を切り裂きコカビエルの右の頬をフックの軌道で強かに捉え、その体を勢いよく殴り飛ばす。
グラウンドを数度跳ねて、体を汚しながら転がるコカビエルを尻目に寛治はというと、槍を握り潰した左手を見ていた。
「ありゃ、さっき変えたんだけど……ちっと焦げたな。勿体ない」
彼の言葉通り、その掌は黒ずんでいる。それでも、包帯が焼け焦げて外れる様子も無く、その下の皮膚にまで光の破壊力が届いていない事を示していた。
この間に、コカビエルは膝をつくところまで姿勢を立て直している。
その顔にはくっきりと殴打の痕が残っており、口の中が切れたのか口角の辺りから血も流れていた。
(何が、起きた……)
口の端から流れる血を拭って、コカビエルの頭は混乱の中にある。
堕天使幹部である己を震え上がらせるような威圧に加えて、真正面から光の槍を素手で受け止め、尚且つ握り潰し、そして殴り飛ばされた。
「……ありえるものか……ッ!」
地の底から響くような低い声が、コカビエルの口から零れ落ちる。
人、でなくともプライドの高い者というのは、周りを受け入れる素地が無い場合がある。
これは、彼らの心が狭いとか、頭の柔軟性が足りないとかだけではなく、無意識の内の自己防衛反応が働いているから、という場合がある。
受け入れたら壊れてしまうから。どれだけ肉体が傷ついても立ち上がれる者であっても、心がへし折れれば簡単に再起不能になったりする。
今のコカビエルの精神状態は、レーティングゲーム時のライザー・フェニックスに近いかもしれない。
尤も、後者の場合は、相手の力を受け入れ、自分の未熟さを受け入れ、それでも立ち向かうという結果を齎したが。因みに、ライザーが受け入れられたのは、彼の心の奥底に上二人の兄に対する劣等感のような物を無意識の内に抱えていた為だろう。
現実逃避をするコカビエルを前にして、寛治は頭を掻いた。
というのも、寛治が先程の光の槍を態々接近して迄握り潰したのは、彼の後ろに小猫含めた知り合いたちが地に臥せっていたからだ。
回避は却下。迎撃しか選択肢が無かったのだが、不用意に弾いて別の場所を傷つけるのもNG。
という訳で一気に距離を詰めて握り潰した。仮に爆発しても、被害が出るのは自分と相手だけとするために。
なにより、この場が不味い。
駒王学園なのだ。大きく破壊する訳にもいかず、かといって今この場所を覆っている結界は、お世辞にも魔王クラスの力は無い。なんせ、寛治が上からすり抜けても特別反応しなかったのだから。
そんな場所で斬魄刀は使えない。封印状態でも不用意に傷を作りたいとも思わない。
という訳で、
「俺が、人間ごときに後れを取るも――――」
「隙だらけだ――――『一骨』」
アッパー気味のボディブローがコカビエルの胴へとめり込み、その体を軋ませる。
下から上への軌道で放たれた拳だ。当然ながら、食らった相手は上へと吹き飛ばされる事になるだろう。
例に漏れず、胃液を吐き出しながら斜め上の空中に吹き飛ばされるコカビエル。そこに、寛治は左手を彼へと向けた。
「――――『縛道の三十七 吊星』」
掲げられた左手より走った編まれた霊力は、地面や結界の内側を支点として五つの線が伸びた蜘蛛の巣のような物へとその姿を変える。
そこに、吹き飛んでいたコカビエルはぶつかった。ハンモックのように揺れるソレは、衝撃という観点では欠片もダメージは無い事だろう。
半ば大の字で張り付けられるようにして、吊星に収まったコカビエル。とはいえ、拘束されている訳では無い為、直ぐにでも反撃しようと目を開け、
「――――『縛道の三十 嘴突三閃』」
両肩、そして胴。そこを嘴に留められ、コカビエルは、吊星に本当に磔にされる形となっていた。
だが、まだ終わりではない。左手で組んだ刀印を寛治は目標へと向けているのだから。
「――――『縛道の六十三 鎖条鎖縛』」
人差し指と中指から飛び出すのは、霊力で編まれた鎖。それが磔のコカビエルへと伸びてその体をがんじがらめに縛りあげる。
「ぐっ、おぉ……!こ、んなもの……!!!」
「ああ、無理だ無理。一つでもたぶん抜けられないのに、二つ重ねてんだ。アンタじゃ無理だ」
「ふざけるな……!俺は、堕天使幹部だぞ!?高々、人間ごときの術で、この俺を留められるものか!!!」
「……まあ、それでも良いさ。残念ながら解けないのが、現実で。アンタは抜け出せない」
空中を
血走った目が、激情に駆られた顔が、茹った頭が、冷静になる事を許さない。明らかに冷静ではないのだから。
当然だ。今のコカビエルは、精神がへし折れる瀬戸際にあった。そして、折れたくないからこそ、怒りによって無理やりにでも自分を鼓舞して啖呵を切るのだ。
しかしそれは、決して高尚なものではない。
言うなれば、逃げ。怯えによる恐怖と怒りの、錯誤。
ここまでくると、言葉による説得は不可能だ。それも、追い込んでいる側ならば猶の事。
ため息を吐き、寛治は数歩距離を取った。
「殺しはしないさ。アンタは活かして、ゼノヴィア達に引き渡さなきゃならないからな。でも、グレモリー先輩に手を出したんだ。その庇護下の人間として、半殺し位なら許されるだろ」
掲げられるのは右手で組んだ刀印。
「“滲み出す混濁の紋章 不遜なる狂気の器 湧きあがり・否定し 痺れ・瞬き 眠りを妨げる――――」
いつぞやの時にも行った詠唱。しかし、今回はその長さが違う。
「――――爬行する鉄の王女 絶えず自壊する泥の人形 結合せよ 反発せよ 地に満ち己の無力を知れ”」
それは、練り上げられた力の余波か。まるで周囲の空間そのものが揺らいでいるような圧倒的なまでの圧力の奔流。
「まあ、何だ。威力はキッチリ調整してある。詠唱ってのは、威力を増すだけじゃなくて術の精度にも影響してるんでな――――半殺し程度でおさめてやるよ」
ジロリと自分を見る黒い瞳に、ここで漸くコカビエルは現実を目の当たりにした。正確には、頭に上っていた血が、あまりの命の危機に血の気が引くのに合わせて下がったお陰で、確りと目の前の状況を見せつけられた、という所か。
しかし、もう遅い。そもそも、コカビエルの半殺しは、決定事項。
「――――『破道の九十 黒棺』」
そして、術は起動する。
磔のコカビエルを中心として黒い直方体状の塊が、何処からともなく幾つも現れ更に大きな箱を形成していく。
それは縦八メートル、横三メートル程の漆黒の棺桶のようにも見えた。
この棺桶の中では、出鱈目な超重力が渦巻いている。覆われればあらゆる全てが圧壊されてしまう、そんな代物。
とはいえ、先も言ったように寛治にコカビエルを殺すつもりはない。
術の範囲も威力も、完全詠唱でありながら最小限。ぶっちゃけ、本気でぶっ放せば学園諸共飲み込む範囲で黒棺に沈められるかもしれない。
十秒とかからず術の効力は消滅。同時に、ボロ雑巾のようになったコカビエルが重力の奔流で破壊された縛道の残骸と共に落ちていく。
酷い有様だ。仰向けで地面に倒れるコカビエル。その両手足は原形を留めないレベルで圧壊されており、背負っていた翼も見るも無残な物。
呼吸にも血が混じり、一息吸うだけでも笛のような甲高いかすれた音がする。
それでも、コカビエルは確かに生きていた。
そこに歩み寄る寛治が、頭の方から覗き込む。
「気分はどうだ?堕天使幹部さん?」
「ヒュー……なぜ、貴様のような存在が居る……コレも、世界のバランスが……崩れた、からか……」
「あ?何の話だよ」
「ありえんのだ……ただの人間が、神器も無しに……この俺を、圧倒する、など…………」
「またその話かよ。どうしてこうも、人外ってのは人間を甘く見るんだか。現にこうやって負けてんだろ。世界のバランス云々の話じゃなくて、アンタが弱い。それだけさ」
「……俺が弱い、か………っふ……ふはははははッ!ゲホッ!ッ、はぁ……笑わせてくれるな……だが、バランスが崩壊しているのは、事実だ……だからこそ、聖魔剣などというふざけたものが出来上がった」
「だから――――」
「貴様は、神を信じるか……?」
「……新手の宗教勧誘なら、間に合ってるが?つーか、何でいきなりそんな話を俺に聞かせんだよ」
「ふん……俺を打倒した奴が、そう簡単に潰れては詰まらないからな……それで、どうなんだ?」
「ああ?まあ、信じてはいねぇよ。居ないとは思わねぇけど」
「くくくっ……ああ、そうだ。神はこの世に実在する。だが、
「……あ?聖書って……教会の話か?」
「ああ、そうだ……過去の大戦で、既に死んでいるからだ。初代魔王と同じく、な」
「……で?」
「分からないか?……初代魔王も聖書の神も、それぞれが聖と魔を司る……所謂、均衡の象徴であったわけだ。その両者が消えると、どうなると思う……」
「だから、バランスが崩れたって?でも、それが俺に何の関係がある」
「先程、自分で言っただろう?魔王の妹の庇護下、だと。お前にその意思が無くとも、三大勢力の一角に組み込まれた訳だ……ゴホッ……ハァ……神と魔王を失い、力の衰えた三大勢力。外から狙われないと、本気で思うか……?」
血を吐きながら、コカビエルは嘲う。
彼が戦争を望んだように、世界には平穏無事を否とする者が存在する。
更に、三大勢力、ひいては聖書の神というのは存外他勢力からも少なくない恨みを買っている部分もあり、その辺りから攻め滅ぼされる可能性も少なくない。
そして、戦争となれば力のある者は自然と戦場へと向かう、或いはその者自身が戦場の中心になりかねない。
「精々……踊れ……」
それだけを言い残し、コカビエルは沈黙する。
元々半死半生のような状態で、寧ろここまでペラペラと話せたことの方が最早奇跡なのだ。
言うだけ言って黙った堕天使に、寛治は頭を掻く。
彼だって分かってる。遅かれ早かれ戦いの場に放り込まれるであろう事位。それを見越してなのか、老人が過激になっている事も無関係ではないかもしれない。
もう一つ息を吐き出して、寛治はその場で体ごと振り返る。
「で?アンタは、見てるだけか?」
「気付いていたか」
寛治が声を掛ければ、返ってきた声と、そして目の前に落ちてきた何か。
粉塵が流れて視界が晴れたそこに居たのは、白銀の鎧をまとった誰か。その鎧の見た目は、何処か一誠の疑似的禁手に似ているようにも見える。
「そこまでジロジロ見られてたら、な。何の用だ?」
「そこに転がる男の回収さ……もっとも、今は君と戦いたい、と俺は考えているが」
「パス。アンタと戦う理由は俺には無い。こいつ連れて行くのなら、さっさとしろよ」
殺気すら乗っているのか錯覚する視線を、しかし寛治は受け取らない。
明らかに、コカビエルより強いのだ。そんな相手と、こんな薄紙のような結界の中で戦えば、まず間違いなく学園が倒壊する。それは彼の望むところではない。教会側への受け渡しの為に死守する事も思いついたが、以上の点を考慮して引き下がっていた。
鎧の男も、言いはしても戦える場ではない事を理解しているのか、それ以上の追及は無い。淡々と、気絶したコカビエルを肩に担ぎ上げている。
かくして、騒動は幕を下ろす。
だが、既に争乱への歯車は回り始めていた。
水面下で事は着々と進んでいる。