獄炎爺がシバいてくる 作:矢マン元
果てしない。何度目かのため息を、山本寛治は抑える事が出来なかった。
今日も今日とて学校へ。朝の変わる事のない通学路を進む足も自然と重くなるというもの。
「はぁ……」
眉間を揉んで右肩を回せば、バキバキと嫌な音が鳴った。
原因は言わずもがな、夢の中の老人だ。
寛治が“己の技”を一つ確立したあの日から、鍛錬の領域は二段も三段も一気に跳ね上がった。
斬魄刀の解放を用いた斬術の鍛錬。加えて体術のみならず鬼道も交えた戦闘となり、更に更に空中戦や
加速度的に、強くなっている実感はある。事実、彼の内包している霊力の総量は格段に増えている。今はまだ抑えが利いているが、早晩更なる訓練を積んで抑えるようにしなければ溢れる事になりかねない。
そして、当然ながらそこまで激しい夢の中ではフィードバックのように気疲れが発生していた。具体的には、欠伸と溜息の二重奏。
そんな何度目かの欠伸を零して、滲んだ涙を拭って前を見れば見覚えのある綺麗な紅の髪が視界に飛び込んでくる。
「おはようございます、グレモリー先輩」
「あら、おはよう山本君。随分と眠そうね」
「まあ、色々あったんで」
肩を竦める寛治に、リアスはその綺麗な青い瞳を少し細める。
監視という名目で入部させた新入生。しかし、その後に入ってきた新しい眷属がかなり手が掛かるためにどうしても目を掛ける事が出来ていない相手。
「手の怪我は、もう良いのかしら?」
「え?ああ、これっすか?大丈夫っスよ」
ひらひらと振られる右手には、真新しい包帯が隙間なく巻かれている。そしてそれは、左手も同じくだ。
小猫が気が付いていたように、リアスも、いやオカルト研究部の面々も寛治が突然包帯を巻き始めた事には気が付いていた。
気が付いていたが、しかしその当人が何も言わない上に、彼らには別の問題が眼前にあった。当然ながら意識や精力を割くのは眼前の問題対処だろう。
「あんまり酷い様なら、アーシアに治してもらう事も出来るわよ?」
「その時は、俺の方から頼みますよ。つっても、本当にそこまで酷くないんですって。いや、心配してもらえるのは有り難いんすけどね?」
「……貴方がそう言うなら、もう言わないわ。けど、眷属じゃなくても貴方は私の後輩だもの。困った時は力になるわ」
「ま、その時はお願いします」
情愛のグレモリー。リアスの家は、家系その物が身内愛に溢れており、逆にその身内に手を出した者には烈火のごとく報復を行う、そんな特性がある。
しかし、その深い愛は、同時に周囲に弱さを見せられない柵にもなる。
「……何かあったんですかね」
「ッ、急にどうしたの?」
「いや……あー、まあ、言いたくないっつーか、言い難い事なら無理には聞きませんよ」
前を見たまま若干猫背になりながらそんな事を言う寛治だが、その一方でリアスと言えば内心がほんの少しだけ激しく鼓動していた。
確かに、悩みはある。しかし、その中身を誰かに語ったことは無かったのだ。
踏ん切りがつかなかったというのもある、が個人的に言いたくなかった事でもあるからこそ、その口は重かった。
しかし、寛治は気が付いた。まだまだ相互理解が足りなくても、いや互いに盲目となるほど
「…………はぁ……そう、ね。確かに、悩んではいるかしら」
「無理には聞かないっすよ?」
「いえ……貴方、口は堅い方?」
「言うなって事なら、誰にも言いませんよ。何なら、壁にでも話してる感覚でいてもらっても良いっす」
「ふふっ……私が、悪魔の貴族って事は知ってるわよね?」
「ンな話も聞きましたね」
「貴族には、貴族の柵があるのよ……私、婚約者が居るの」
「婚約者………つまり、先輩はその家が決めた婚約者が気に入らない、と?」
「纏めれば、そうね。悪魔は長寿ではあるけど、その一方で子供が出来難いわ。兄妹であっても数十、百年以上も歳が離れる場合もあるもの。だから――――」
「早い内から、
「寿命が長い分、人間社会とは圧倒的に中身の入れ替わりが遅いから、かしらね」
寿命というのは、組織や社会に新風を通す一種のカンフル剤。
この手の組織腐敗話というのは、人間であろうと人外であろうと、何処にだってついて回る問題だ。
寛治自身は、そういう話とは無縁の立場ではある。とはいえ、その手の知識が無い訳ではない。
「……で、先輩はその婚約者と別れたいって事ですかね?」
「…………そう、なのかしらね。でも、少なくとも学生の間は自由でありたいと思うわ」
カバンを手に空を見上げるリアス。思いの外、この後輩は聞き上手だ、何て頭の隅で考えながら同時に自分の現状にも思い至る。
悪魔の貴族の子女として、その手の政治に巻き込まれる事は取り分け珍しいことではない。彼女の友人も同じく婚約者が居ると耳に挟んでいたから。
これからの悪魔社会を担っていく一人として、先の事を見据える事も必要だとは理解している。しかし、それをまた納得できることかと問われれば、心情的にソレは否だった。
彼女だって、まだまだ華の女子高生。やりたいことだって山ほどあるし、恋愛だって自分の自由でしてみたい。
我儘だと揶揄されるかもしれないが、
「にしても、先輩。そんなに婚約者が嫌なら、先輩自身の好みとかはどうなんです?」
「私の?」
「別に、婚約者だから嫌、なんて理由じゃないんだ。決められたから嫌なんじゃないんですか」
「…………確かに、最初の反発心は勝手に決められたから、かもしれないわね。でも、私が彼を嫌いなのは良い噂を聞かない事と、その態度よ。私はもっと、可愛げのある子が良いの」
「先輩なら、“犬”になりたがるような奴も多いんじゃないですか」
「私は、ペットが欲しい訳じゃないんだけど?」
ジト目で隣を見るリアスだが、しかし当の後輩はどこ吹く風とニヒルに片方の口角を緩く上げて肩を竦めるばかり。余談だが、彼は一度としてリアスを
男子垂涎もののプロポーションが、効果なし。
「どうかしら、山本君。私と踊ってみる?」
「悪魔の相手は悪魔にお願いします」
「あら、そう?その割には、小猫を気に掛けてると思うけど?」
「塔城は……まあ、友達なんで」
種族を理由にノーセンキューかと思えば思わぬ返事に、リアスは改めて隣の後輩を見た。
どこかバツが悪そうにうなじを右手で撫でる寛治は、自分でも何で間が開いたのか分かっていないらしく少しばかり眉根を寄せて首を傾げている所。
その時リアスに電流走る。これは、中々面白いことになるかもしれない、と。
そこから、自分の悩みそっちのけで根掘り葉掘り。
他人のゴシップほど面白いものはない、という典型かもしれない。
因みに、
「朝、部長と何を話していたんですか?」
「あ?あー……世間話だ。別に大したことは話してねぇよ」
「世間話で、あそこまで近づく必要がありますか?」
「いや、俺から近付いてねぇし。先輩がぐいぐい来てただけだっての」
「…………私だって頑張ればあれぐらい……」
少々むくれた小猫に詰め寄られる寛治の姿があったとか。ついでに、週末に甘味巡りを約束するのは、本当に余談である。