アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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10.Morning

「ん……」

 

 チュンチュンと、どこからか聞こえてくる小鳥の鳴き声で、セリアの意識はゆっくりと浮上し始める。

 寝ぼけ眼のまま体を起こすと、体中に鈍い痛みが走り、少し顔が険しくなってしまった。

 

「……地面で寝ると、あとでこんなに辛いのね。初めて知ったわ」

「お目覚めですか、セリア様」

 

 目を擦り、呟いたセリアに、すぐ近くで胡坐をかいていたアイシアが声をかけてくる。

 寝ずの火の番をしてくれていたのだろう、手には剣が握られ、何時でも抜けるよう備えている。しかし一晩中起きていたわりには、然して疲れた様子を見せていなかった。

 

「…あなた一人に役割を押し付けて、ごめんなさいね」

「いいえ…騎士の訓練で、三日三晩行進し続ける事もありましたし、この程度苦痛というほどでもありません」

「そう……逞しいのね、騎士とは」

「皆が皆、そうというわけではありませんがね」

 

 アイシアはそう呟き、自分の訓練時代の風景を思い出す。

 ツーベルク公爵家からもたらされた、公爵家の守護を担う騎士の募集がかかった時のことだ。

 

 女だてらに騎士になろうとするアイシアに、同期や先輩達の中にはあからさまに見下す者もいた。

 騎士の決まりに男女の区別はない。しかし女は男よりも非力で、戦いや守護においては役に立たないという意識は常識であり、男の職場という認識が強かった。

 そんな職場に足を踏み入れようとするアイシアの姿は、言っては悪いが、冷やかしのように当時の先輩や同期達には見えていたようである。

 

 陰口を叩かれたり、嫌がらせをされた経験も少なくはない。

 しかしそんな逆境の中でも、アイシアは挫けることなく訓練に望み続けた。幼い頃からの夢を、そして騎士である父兄に対する憧れを実現するため、どんな苦難にも立ち向かった。

 

 騎士の訓練は苛烈で、意志の弱い者は次々に脱落し去っていった。その中には、アイシアに対して否定的な目を向けていた者達もおり、長くなるにつれて彼女に対する悪意もなくなっていった。

 嫌がらせや、他人に構う暇などなくなっていたからだ。

 アイシアは精神的な負担から解放され、過酷な訓練によってめきめきと実力をつけていき、やがて正規の騎士の地位を手に入れた。

 そしていくつかの任務を経て、公爵からの信頼を得たのち、セリアの専属護衛騎士の座に就いたのである。

 

 正規の騎士となった者が逞しいという表現は確かに正しい。そういわれるに足る、過酷な試練を耐え抜いた実績があるのだから。

 しかし、騎士を志す者全員が清く正しい、そして諦めない根性のある人柄かと問われれば、首を傾げる他にない。

 

(……何より、ツーベルク領内ならともかく、ガーランド領の騎士にはあまり期待はできんからな)

 

 よく知った仲間達の場合は、胸を張って誇るに足る人物なのは間違いない。

 だが、領主の人柄を信用できないときは、その配下達にもあまり期待はできない。有能であるが評判の悪い領主、その元に集う気のある者の性格に、問題がないとはあまり思えない。

 見ず知らずの他人を扱き下ろすのは気分が悪いが、そうしてしまうほどの嫌悪が、アイシアの中のガーランド伯爵の印象にはあった。

 

「…さぁ、そろそろ出発しましょう。長居は無用です」

 

 胸中にある、そんな暗い考えを誤魔化すように、アイシアは笑みを湛え、セリアに手を差し伸べる。

 これからその嫌悪している相手の元に、大切な主を送り出そうとしている自分自身にも、激しい吐き気を覚えながら。

 

「そうね……あ、待って。あの方がまだ戻っていないわ」

「…そういえば、どこに」

 

 きょろきょろと辺りを見渡し、黒竜の巨体を探すセリア。

 そもそも影に潜れる時点で探しても意味はないのだが、それをこの場で指摘しても意味がないと、アイシアも辺りに目をやる。

 

「……いえ、この場で彼とは別れてもいいのではないでしょうか」

「え? でも…」

「彼は竜です。それも普通の生物ではない……彼の意向で付いて来てもらいましたが、もともと彼は人とは関わらぬ存在です。甘え続けるのもいかがでしょうか」

 

 見た目の凶悪さに反する、お人好しさと紳士振りを見せるかの怪物に、本心を言えばアイシアはついて来てほしいと思う。

 しかし、それは義務ではない。黒竜の生き方を捻じ曲げさせてまで同行し続けてもらうのは、アイシアの正義感が苦言を挟んでいた。

 

 何より、人の世界に怪物が足を踏み入れるのは、非常に危険である。

 アイシアとセリアは、黒竜が人に対してむやみやたらと危害を加える生物ではない事を知っている。しかしそれは、面と向かって行動を観察する余裕があったからである。

 アイシアのように戦う術のない領民が相対してしまえば、まず間違いなく黒竜を恐れ、排除しようとするだろう。

 黒竜はそれに反抗し、さらに人々に恐怖を齎すに違いない。

 

「彼の力は大きく、そして危険です。領内の民が知れば、きっと彼を恐れるでしょう……恩義ある彼がそのように見られるのは、私は我慢がなりません」

「アイシア…」

 

 アイシアの悲痛な表情に、セリアはくすっと微笑みを浮かべる。

 人に近い思考と態度を見せるとはいえ、間違いなく野生の獣の一体。普通なら平気で利用することを考えよう者だが、この忠臣はあまりに義理堅いというか、生真面目というか。

 所詮は獣と割り切る事の出来ないややこしい性分の彼女に、セリアもまた同じ気持ちを抱いていた。

 

「…そうね、何時までも助けてもらってばかりでは駄目ね」

「彼がいつ戻って来るかはわかりませんが、もうここを発ちましょう。我々が姿を消しているのに気づけば、さすがに驚くかもしれませんが……きっといずれは、元居た場所に戻るでしょう」

「ええ…ちゃんとしたお礼ができないのは、心苦しいですけど」

「…私もですよ」

 

 何故か、胸の奥にちくりと棘が刺さるような心地で、アイシアは姿の見えない黒竜の事を想う。

 せめて一言かけていきたかったが、元より言葉の通じない間。別れを告げたところで、それに頷いてくれる確証はない。もういいといっても、領内の街中までついてきてしまうかもしれない。

 

 下手に人の目に触れるよりは、ここで何も告げずに去った方がいいだろう、そう考えていた。

 

「では、そろそろ行きましょう……うぷ」

 

 踵を返し、歩き出そうとしたアイシア。

 しかしその直後、彼女の顔面に大きな壁がぶつかり、端を強く打ち付けたアイシアが呻き声をあげる。

 

「グルルルル…?」

「…! あら、噂をすればだわ」

「しまった…何と時機の悪い。もっと早く出ればよかったか」

 

 いつの間にか、アイシアとセリアの傍に姿を現し、じっと見下ろしていた黒竜。

 驚きの声を上げるセリアの横で、アイシアは自分の失態を嘆き、困り顔で黒竜を見上げた。

 

「…竜よ、聞いてくれ。お前とはここでお別れだ。もう私達の守護は必要ない…お前は元の暮らしに戻ってくれていい」

「……」

「お前がガーランド領内に入り、街中に姿を表せば、きっと大勢の民がお前を恐れるだろう。中にはお前を傷つけようとする者もいるかもしれない。捕えて言うことを聞かせようとする不埒な輩もいるかもしれない。私は、大恩あるお前にそんな目に遭ってほしくないんだ」

 

 真剣な表情で語りかけるアイシア。

 黒竜はそれに耳を傾けているのか、唸り声も上げることなくアイシアを見つめる。しかし反応もないため、アイシアもやや焦りながら説得を続ける。

 頼むから、ここで引いてほしい。これ以上介入しないでほしいと。

 

 だが黒竜は、アイシアの言葉に頷くことなく、彼女の言葉の途中で体を影に沈め、彼女の真下から浮上し彼女を一方的に跨らせた。

 

「だから―――うわっ!」

 

 了承もないまま女騎士を乗せ、影を泳ぎ始めた黒竜。そのまま怪物はセリアの元に向かい、さっさとしろと言わんばかりに片腕を出し、くいっと指を曲げて少女を呼んだ。

 

「…説得は失敗したようね」

「ハァ……わかってはいましたがね。以前のような事があって、素直に応じるはずがないだろうと」

「そうかも知れないけど…私が言いたいのは、言葉が通じるかどうか、なんだけど」

「うっ…」

 

 嬉々として黒竜の背に跨る主に、根本的な問題を突き付けられ、アイシアは苦虫を噛み潰したような顔でうめく。

『風に向かって説教をする』とでもいうべきか、伝えたい思いがあっても相手がそれを理解していないため、そもそも女騎士のこの気遣いは意味を成していなかった。

 

 アイシアは己の浅慮に恥じ、セリアは怪物を人扱いしているという意味で苦笑をこぼした。

 

「仕方がないわ…このまま行けるところまでお世話になっちゃいましょう。問題が起きたら……その時は、その時よ」

「セリア様…それでは」

「少なくとも、こんなに近くに居てただの獣とは思われないでしょう? 説明する時間くらいはあるはずよ」

 

 いささか楽観視しすぎではないか、と案じるアイシアに、セリアはくすくすと笑いかける。

 暢気に笑う主に、アイシアはそれ以上反論する気にもなれず、大きなため息をついて黙り込む。

 

(……セリア様も、ご自分の事で手いっぱいだろうに。私は何と、無力なのか……)

 

 黒竜が泳ぎだし、勢いよく動いていく周りの景色にまたはしゃいだ様子を見せる、幼い頃から仕え続ける主。

 その笑顔の裏にある悲痛な思いを案じながら、アイシアは縋るような目を、自分が跨る奇妙な怪物に向けていた。

 

(……なぁ、貴殿であれば、どうにかできるか? 不思議な力を持つ貴殿なら、我が主を救うことはできるか…?)

 

 そんな身勝手な願いを抱く自分自身に呆れ、しかしそれでも、そんな淡い想いを抱かずにはいられなかった。

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