アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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16.Escape

 走る、走る、走る。

 無駄に長い廊下を、随分と遠くに感じる出口に向かってひた走る。

 

 ガーランド領に到着した時と全く同じ格好で、アイシアとセリアは脇目もふらずに走り抜ける。

 見張りや巡回を気にしている暇はない。もし遭遇したとしても、相手を弑してでも押し通る覚悟を決め、前だけを見て足を動かす。

 焦りの為か、一分一秒が異様に長く感じられが、余計な思考を全て削いでただ急ぐ。

 

 既に少し、セリアの息が上がりつつあるが、それに見ない振りをしつつアイシアは主の手を引く。

 なんとしてでも、彼女と自分の手にある確固たる証拠を持って、領地に戻るのだと心に決めて。

 

 そしてようやく、屋敷の出口に繋がる螺旋階段のある空間に辿り着いた、その時だった。

 

「どちらへ行かれるのですかな…?」

 

 唐突に響いた、ねっとりとした悪意がふんだんに込められた声が、アイシアとセリアにかけられる。

 

 ハッと目を見開き、足を止めるアイシア達。

 振り向けば、螺旋階段の上からレギンがニヤニヤと身を称えながら見下ろしている姿がある。

 

「もしや、もうお帰りになられるのですかな? まだ薬の融通についてのお話は終わっておりませんのに……せっかちな事だ。焦りは禁物とお伝えしたはずですが…?」

 

 まるでアイシア達を嘲笑うかのような、そして態と甚振るような口調で語りかけ、レギンは口角をより一層歪に上げる。

 セリアはその笑みに、悍ましいほどの嫌悪と嫌な予感を覚え、ぶるりと体を震わせる。

 青い顔で立ち尽くす主を背に庇い、アイシアがレギンに向き合う。途端に集中する視線に怖気を覚えながら、どうにか女騎士は笑みを取り繕った。

 

「…誠に勝手ながら、薬よりも優先せねばならない用事を思い出してしまいまして。願わくば、このまま失礼させていただきたく」

「困りましたなぁ……できればもう少し我が屋敷でゆっくりしていただきたかったのに」

「申し訳ない……ですが急を要する事態ゆえ、そのご厚意は受け取れそうにありません」

「…そうですか、そうですか」

 

 しらじらしい、と自分でも思いながら、アイシアはじりじりとセリアと共に後退る。

 いまだ困惑した様子で、アイシアとレギンを交互に凝視するセリアを後ろに促し、女騎士は腰に佩いた剣の柄を握り、一筋の冷や汗を流していた。

 

 すると突然、屋敷の出入り口の大扉が大きく開き、武装した衛兵達がなだれ込み、アイシア達を包囲し槍を突き付けてくる。

 その数、おおよそ30は下らない。屋敷の守護を任されていた男達全員が、この場に集結しているようだ。そしてその全員が、邪な視線を兜の中から覗かせていた。

 

「ヒヒ、ヒヒヒ……やっとかよ」

「俺ぁもう待ちくたびれちまったよ」

「あの女、乳も尻もでけぇな。街の女よりも愉しめそうだ」

「……これは、どういうおつもりか」

 

 チャキ、と握った剣を鳴らし、セリアをすっと自分の近くに寄せながら、アイシアは鋭い目で自分達を包囲する衛兵達を睨みつける。

 兜の中でもわかるほど、欲望が滲み出た醜悪な笑みを見せる衛兵たち一人一人を睥睨し、背にしたレギンに問いかける。理由を問う必要がなくとも、言葉にしておかなければ、胸中の怒りで精神が歪みそうであった。

 

 螺旋階段の上から見下ろしたまま、レギンはくつくつと笑い声をあげ、肩を揺らす。

 

「どうもこうも…貴様らが大人しくしようとしないから、多少躾けてやろうと思ったまでだ」

「ガーランド伯爵……!?」

 

 途端に口調だけでなく、苛立たしげな視線に変わったレギンに、セリアがぎょっと目を見張る。

 顔を合わせた当初から、敬う気などさらさらない傲慢な性格の持ち主であることはわかっていたが、爵位の差から言葉そのものに無礼は表していなかった。

 

 だが、今の彼にはその最低限の礼儀もない。

 セリアとアイシアを、ただの小娘達と見下し、どうにでもできる存在として扱う気でいるのがまるわかりな態度に変わっていた。

 

「大人しくここで囚われていれば、痛い目に遭わずに済んだものを。女の分際で、お綺麗な正義感を振りかざしおって……黙って股を開いて玩具になっていればいいんだ、お前達なぞ。遊び道具になるくらいしか能がない女に仕事を邪魔されるなど、癪に障って仕方がないわ」

「何を……言って」

「口を開くな、小娘。いいから黙ってそこに跪け……俺を誰だと思っている? ここの主、支配者だぞ。そしてここにいる以上、お前達も俺の所有物になってんだ。わかれ、玩具共が」

 

 チッ、と舌打ちし、心底鬱陶しそうにセリアを睨むレギンに、セリアはただ茫然と目を見開くばかり。

 アイシアはそんな彼にますます嫌悪で顔を歪め、ギリギリと剣を握る手に力を込めた。

 

「支配者…か。帝国の力を借りねば何も出来ぬ支配者とは、果たしていかほどの恐ろしさがあるだろうな」

「帝国…!? アイシア、それはどういう…」

「…まったく、まさか高潔な騎士様が人の部屋を荒らすような低俗な輩だったとはな。それともなんだ、正義を振りかざせば何をしても許されるのか、あ?」

 

 アイシアの挑発に簡単に乗り、レギンは額に血管を浮き立たせ、頬を痙攣させる。

 しかし、激情のままに殴りかかりに降りるような軽率な行為は働かない程度には冷静さがあり、そして何より度胸はないようだ。

 ぶるぶると拳を震わせていても、その場から動く素振りはない。

 

 アイシアはレギンの小心ぶりに嘆息しながら、一度も彼の方を向くことなく、衛兵達を見据える。

 彼らを見ながら気づいたある事実に冷や汗を流し、アイシアはレギンに背を向けたまま口を開く。

 

「貴殿に何を言われたところで、痛くも痒くもないな。王に爵位を戴いておきながら、己の欲望に負けて帝国に魂を売り渡し、非力と罵る女を大勢で囲み甚振ろうとする……絵に描いたような下種だ、貴様は」

「フン……こんな辺境に追いやられて何を感謝するというのだ。私の価値を真に理解している帝国に従って何が可笑しい! 所詮は恵まれた暮らしを享受している苦労知らずの馬鹿女だな!」

「憎い相手の治める土地に毒を流し込むような男に、どれだけ価値があるというのだ。自己評価が高すぎるぞ、屑め」

 

 アイシアの辛辣な言葉で、後ろにいたセリアがハッと息を呑む。

 レギンを凝視し、彼が浮かべている醜悪な表情の意味を、そして今ここで、そして愛する領民達のいる領地で起こっているすべての悲劇の真相を知る。

 あっという間に真っ青になっていく主の精神を案じながら、アイシアは辺りを見やる。

 

 正面の扉からなだれ込んできた衛兵達、近くに見当たらない他の出口。

 偶然というにはあまりにできすぎた流れ。そして、全く驚く様子もなく現れ、あらかじめ用意されていたような悪意に満ちた台詞。

 それらが示すある事実に、アイシアはさらに冷や汗を流した。

 

「…この状況、貴殿の思惑通りなのではないのか? いくらなんでも、用意が周到過ぎるぞ」

「はっ……賢しい女はやはり嫌いだな。もっと絶望しないのか、もっと愕然として、真っ青な顔で膝をつくくらいの姿は見せてほしかったんだがな。期待にも応えられんとは、使えん女だ」

「……やはり、あの会話は態と聞かせていたのか」

「あ? 会話?」

 

 ぼそりと呟いたアイシアに、レギンは急に訝し気に表情を変える。

 様子の変わったレギンに、アイシアはまさかと思い、一度だけ自分達を罠にはめた男を振り向く。

 

 眉を寄せ、女騎士の発言の意味を考えている様子のレギン。

 間抜けな姿を晒すその男に、アイシアは猛烈に呆れが湧きあがり、自分でも気づかぬうちにハッと鼻で笑ってしまっていた。

 

「何だ、私があの部屋に潜んでいたのに気づかなかったのか。あの会話で、私達が慌てて出てくる所を取り抑えに来た……ぐらいに思っていたんだが、買いかぶり過ぎたようだな」

「ぐっ…この女!」

「ただ、堪えきれず動いた私達を捕らえるために、事前に罠を張っていただけか…身構えて損をした」

 

 図星だったようで、レギンは先程とは打って変わって苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。

 

 小物感を増した男にアイシアはさらに呆れ、そして彼に警戒していた自分自身に呆れる。

 雰囲気に圧され、抱かなくてもいい警戒で余計に神経を摩耗させた徒労感があり、もやもやとした感情が沸く。厄介な敵が一人、要注意対象から外れただけだが、僅かにだが気分が軽くなった。

 

 しかし、後ろに控えていた主は、それどころではなかったらしい。

 

「…あなたの所為、なんですね。ガーランド伯爵…」

 

 ドレスの裾をきつく握りしめ、俯いたセリアがぼそりと呟く。

 忌々し気に歯を食い縛っていたレギンは、肩を震わせるセリアに気付き、途端に嗜虐心に溢れた笑みを復活させた。

 

「はっ…ようやく理解されたか、ずいぶん時間がかかりましたなぁ。そうですよ、私こそが……あなたの大好きな平民と貴方の御父上を苦しめている犯人です。答えはこれでいいですか?」

「なぜっ……なぜそのような! そのような下劣で卑劣な…貴族としての誇りを忘れましたか!?」

「何を言っておられる……そんなもん、最初からねぇよ」

 

 目に涙を溜め、キッと怒りに満ちた目でレギンを見上げるセリア。

 そんな義憤に狩られるセリアに、レギンは冷めた目を返し、荒い口調で吐き捨てる。

 

「っ…!」

「上に立つ者の責任だとか、高貴な家に生まれた責務とか、そんなもんどうでも良いんだよ。だがそのへん、表向きには弁えた振りでもしとかなきゃ周りがうるせぇし、取り上げられちゃこっちが困るからなぁ……窮屈で仕方なかったっつの」

 

 ぺっ、と唾を吐き、パタパタと靴を鳴らして苛立ちを示すレギン。

 もはや最低限取り繕っていた貴族らしさも消え、破落戸のような荒々しい態度の彼に、セリアはもう開いた口が塞がらない。

 

 今目の前にいるのは、自分と同じ人間なのか。

 数多の人々の期待を受け、導く者としての役目を背負って生まれ、そう在るように学び続けてきたセリアとは根本的な部分が異なる、あまりに独善的な在り方。

 怒りよりも先に、化け物でも見ているかのような恐怖に襲われ、セリアはそれ以上何も言えなくなっていた。

 

 ガタガタと震えるセリアと、彼女を庇い険しい顔を見せるアイシア。

 レギンは散々悪感情を吐き出して満足したのか、また醜悪な笑みを浮かべて二人を見下ろす。

 

「さて…もう知りたい事はわかっただろ。怪我したくなきゃ大人しく捕まれ。暴れるようなら……腕の一本や二本は保証できねぇがな」

「世迷言を……このような事実を知り、それでもなお大人しくしていられるはずがないだろうが!」

「馬鹿が! 取っ捕まんのは確定してんだよ肉人形が!」

「旦那ぁ、もういい加減やっちまいましょうよ! もう十分この女共には華持たせてやったでしょう!?」

 

 自分達の雇い主と客人たちの話が終わるのをじっと待っていた衛兵達が、アイシアが徹底抗戦の構えを取ると、我慢の限界が来たように叫び出す。

 その様はまるで、餌を前に長時間〝待て〟を強要された猛犬のように見える。

 

「ああ…その女を最初に捕らえた奴に、最初に犯す権利をくれてやる。だがそっちの小娘はだめだ、帝国への手土産にするからな。どうせなら、初物のまま送ってやった方が喜ぶだろ」

「ヒュー…旦那は鬼畜だねぇ、どっちにせよ性玩具にされるってのにな!」

「遅いか早いかの話だろ、ヒャハハハハ!」

 

〝待て〟から解放された衛兵達が、下卑た笑みと声を上げてじりじりと近づいてくる。今にも涎を垂らして殺到してきそうなほど、獣欲に満ちた眼差しでアイシア達を凝視し、槍を向ける。

 

 アイシアは無言で、剣を鞘から抜いて切先を突き付ける。

 しがみついてくるセリアの肩を叩き、宥めながら、迫り来る衛兵全員に意識を集中させる。刃の如き鋭い目で睨みながら、冷たい声で告げる。

 

「…ただでやられるだけとは思うなよ。不用意に近付けば、貴様らのその粗末な得物、全て切り落としてくれる」

「この状況で、まだまだ威勢がいいな……やれ」

「おおおおおおおお!!」

 

 雇い主からの許しを得て、衛兵達は歓喜の咆哮を上げながら、魅力あふれる女体を誇る得物に殺到していく。

 あの胸は自分が先に、あの小生意気な顔は自分の手で穢す、最初に味を堪能するのは自分だ、と。

 それぞれが自身で持て余す欲望を燃料に、四方から槍を構えて押し寄せる。その結果美女に多少の傷がつこうと、一切構わないほどの熱量だ。

 

 アイシアはひゅんっと剣を振り鳴らし、一瞬だけ自嘲気味に笑う。

 これではまるで、道中の森で帝国兵に襲われた時と全く同じ光景ではないかと、運命の悪戯というものに思わず呆れる。

 

「……せっかく救ってくれたのに、すまないな」

 

 この場にいない、大恩ある異形の事を思い浮かべ、アイシアはキッと表情を引き締める。

 せめて彼の行いが無駄にならないように、ここにいる敵の何人かを道連れに、そして憎いあの男の首を獲ってみせようと、決死の覚悟を決めて剣を振りかぶる。

 衛兵達はその姿に、無駄な抗いと皆で嘲笑いながら、まずは邪魔な両腕を潰してやろうと、周囲から一斉に槍を突き出した。

 

 しかし、彼らは知らなかった。

〝待て〟を強要されていたのは、自分達だけではなかったということを。

 

 

 

「グオルルルルルル!!!」

 

 

 

 突如、一人の衛兵の影が広がり、その中から謎の唸り声と共に巨大な咢が出現する。

 開かれたそれは瞬く間に衛兵を挟み込み、一瞬で閉じてバキバキと肉と骨を粉砕していく。溢れ出た鮮血が、となりにいた衛兵に浴びせられ、辺りが真っ赤に染められた。

 

「……え」

 

 突然の事態に、衛兵達は足を止め、槍を突き出した体勢のまま硬直する。真っ赤に汚れた衛兵は、同僚の一人が消えていることにようやく気付き、しかし何が起こったのか全くわからず瞠目する。

 

 セリアとアイシアも驚愕で目を見開き、同時になぜと疑問符で脳内を一杯にする。

 凍り付く衛兵達とレギン、絶句するアイシア達の前に、ずるずると広がった影の中からそれが―――黒竜が、凄まじき威圧感を放ちながら姿を現していく。

 見ただけでわかる、強烈な怒りと苛立ちに呑まれた黒竜が、固まる男達に向けて、ギラリと目を輝かせ、強烈な咆哮を上げた。

 

「ゴアアアアアアアアア!!!」

 

 そして、逃れようのない悪夢が、彼らに襲い掛かった。

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