アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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「……これは一体、どういうことだ」

 

 エイベルン王国の将軍、アルガンは思わずそう呟き、目前に広がっている光景に呆然自失となる。

 彼の部下達も同じで、まるで自分が今見ているものがこの世のものとも思えない様子で、硬直し立ち尽くしていた。

 

 帝国の侵略者から領地を守るため、派遣された王国の軍が辿り着いた、国境近くの山地。

 本来であれば視界に映るのは、青々とした草木で彩られた、幼い頃から見慣れた景色。そして今は、それを汚す黒い侵略者達の姿が映るはず。

 だが、いま彼らが見ている世界と、記憶の中の景色は全く重ならない。

 

 彼らの目に入り込むのは、山道に突き立てられたまま放置されている武器の数々。

 そして、鋭利な刃物で切り裂いた後のような、草木の一本も残っていない土の道。そこにはたった一匹も生物の気配を感じ取れない、死の山のような景色だった。

 

 同時にぷんと漂ってくる、鉄分を含んだきつい臭い。

 強烈な臭気にえずき、中には蹲って胃の中の物を全て吐き出す者もいる。そうなるほどに、侵略者達の消失した現場は、凄まじい状態を見せていた。

 

「せ、生存者は……いや、帝国兵は確認できるか?」

「……いません」

「一人もか!? たったの一人も確かめられないのか!?」

「いません…! 誰一人、生きている帝国兵はいません!!」

 

 アルガン将軍の問いに、望遠鏡を覗いていた部下の一人が、今にも泣き出しそうな声で告げる。

 山々のどこを覗いても、確認できるのは持ち主を失った武器の数々。そして飛び散る鎧や武具の破片らしき金属片。肉片の一つも見当たらず、動くものは何一つ見つからない。

 

 5千もの大群が、知らせを受けた王国軍がこの地に辿り着くまでの間に、影の形も何も残さないまま、姿を消してしまったのだ。

 

「何が起こったのだ…!? あれは…何の痕だ!? ここで奴らに…何が起こったのだ!?」

「わかりません…ただこれは、人間業ではありません!」

 

 わかりきったことを報告してしまうほど、将軍も兵士達も狼狽していた。

 帝国の侵略という脅威が消えた事を喜ぶよりも、出陣が無駄に終わった徒労感よりも強く、この惨状を生み出した何かに対する恐怖感が芽生え、あっと言う間に膨れ上がっていく。

 帝国軍がいた痕跡をわずかにしか残さない何かに、アルガン将軍は戦慄を抱いていた。

 

「…とにかく、調査だ。まさかとは思うが、これが帝国軍の策という可能性もないわけではない。我々を混乱させ、不意を打つという種類のな…!」

 

 バクバクと激しく脈打つ自分の心臓をどうにか抑え込み、アルガン将軍は自分の部下に告げる。引き攣った表情は必死に隠し、泰然とした態度を見せつける。

 将たる自分が冷静さを欠けば、それは部下にも伝わり失態の要因となる。それを防ぐために、自分こそが支柱とならねば、と自分を奮い立たせる。

 

 そんな彼は、顔を上げた部下達が〝それ〟を目にし、驚愕と絶望で顔面を蒼白にしていた事に、気付かずにいた。

 

「そうさせないために、付近一帯に探索を行い、詳しい調査を―――」

「…しょ、将軍…!」

 

 兵士達に振り向いたアルガン将軍は、真っ青な顔で自分に指を差す彼らに訝しげに首を傾げる。

 そして返ってきた彼らの声が、凍えるように震えていることに気付き、彼はますます困惑を強くする。

 

 何を見ているのか、と眉を寄せたアルガン将軍は、次の瞬間ハッと目を見開き、勢いよく背後に向かって振り向く。

 そして彼もまた、自分を見下ろす巨大な黒い竜の貌を目前にし、その場に凍り付いた。

 

「…グルルルル」

「なっ―――」

 

 真っ赤な血に濡れた口を舐めながら、同じ色をした目で見下ろしてくる、一体の黒竜。

 影の中に半身を沈めているという、生物の範疇から完全に逸脱した在り方をした怪物を前に、アルガン将軍は言葉も出ない。

 

 凍り付いたように立ち尽くしたまま、見つめ合うこと数十秒。

 不意に黒竜が首を伸ばし、アルガン将軍の前で口を開いた。

 

 身構える将軍や兵士達の前に、黒竜の口の中からこぼれた何かが、ガランッと金属音と共に落ちる。

 それはアルガン将軍の足元にまで転がり、顔を見せる。自分を見上げる、恐怖で引き攣った形で固まった顔を目の当たりにして、アルガン将軍はハッと我に返った。

 

「…! これは、帝国の将…!」

 

 情報として知っている、悪逆非道の帝国軍を率いて残虐な行為を働いてきた男の顔。

 それが物言わぬ骸の一部となって自分の前にあるという事実に、将軍はごくりと息を呑み、続いて恐る恐る黒竜を見上げ、口を開いた。

 

「……お前が、やったのか」

「ゴルルルル…」

 

 アルガン将軍の問いに答えるように、黒竜は低い唸り声をあげ、目を細める。

 畏怖や恐怖、正体の知れない恐るべき怪物を前に、言葉も出ない彼らの視線を一身に浴びながら。

 

 黒竜は、苛立たしげに彼らを見下ろし、くいっと顎で方角を―――ツーベルクの地を示した。

 

 

 

 町民達の前に現われたその怪物は、じっと静かに人々を見下ろしていた。

 病に苦しめられ、大半が外に出る事もままならなくなり、さらには帝国軍の侵略という凶事を耳にし、最早ゆっくりと滅びの時を待つばかりだったツーベルクの民。

 そんな彼らの前に現われた、影に半身を沈めた黒竜は、大勢の注目を浴びて鎮座していた。

 

 だが、彼らが最も目を奪われていたのは黒竜自身ではなく、黒竜の真下に置かれた瓶の山。

 青緑色の液体が入ったそれらに、街の住民達はみな困惑の視線を送る。

 

「何だ、あのでかい竜は…」

「あの瓶は……まさか、飲めって言ってるのか? ど、毒か?」

「何が目的なんだ…!?」

 

 得体の知れない黒竜の意図を読めず、どよめく町民達を黒竜は黙ったまま赤い目で睥睨する。

 

 すると、不意に黒竜が一人の町民に―――真っ白な格好をした、治療師の男に顔を向け、足元に置いた瓶を一つ摘まみ上げ、差し出してみせた。

 いきなり瓶を近づけられた治療師はギョッと目を剥き、しかし退く事もできず、恐る恐る瓶を受け取り、蓋を開けて臭いをかいでみる。

 

 その瞬間、治療師の男はハッと目を見開き、謎の瓶を凝視する。

 

「これは……まさか、例の病の!?」

 

 自分が今立ち向かっている、ツーベルクの民を苦しめる由来不明の病魔。

 その治療に必要不可欠な素材の匂いを感じ取った彼は、バッと興奮気味に顔を上げ、瓶を運んできた黒竜を凝視し、また驚愕で目を見開く。

 

 黒竜は、どこから取り出したのか大きな布を―――帝国の紋章が縫い込まれた大きな旗を片手に持ち、住民達に見せつけていた。

 ところどころに血がつき、ボロボロになったそれに町民達の目が集中すると、黒竜はそれを両手で持ち、左右に引っ張り始める。そして。

 

「ゴルルルルルル!!」

 

 ビリビリビリィッ!と旗は左右に引き裂かれ、破片が風に乗って周囲に四散する。

 その行為が示す帝国軍の末路、そして黒竜がやってのけた偉業を悟ったツーベルクの民は。

 

 大気を震わせるほどの喝采を上げ、黒竜を強く崇めたのだった。

 

          △▼△▼△▼△▼△

 

 ―――その日、ツーベルクの地に一体の神獣が降臨した。

 

 豊かな地を毒で穢し、卑劣な手段で蹂躙し全てを奪い去ろうとした、悪逆非道の帝国。

 王国軍はこれを退けるため、知らせが入った直後に軍を派遣するが、相手は5千もの大軍。準備も時間も足りず、ツーベルクの地は為す術なく侵され、悲劇に包まれる―――そのはずであった。

 

 そこに現われたのは、人を想い義の心を有する優しき神獣。

 夜空よりも暗く濃い鱗を有し、暁の輝きを放つ眼を持った巨大な竜。

 

 彼は悍ましき欲望に満ちた帝国軍にたった一体で立ち向かい、見事それを打ち破ってみせた。

 ツーベルクの民に、そして王国軍にたった一人の犠牲を出すことなく、5千の大軍の全てを屠り、王国を救ってみせたのだ。

 

 しかしそれだけではない。

 彼の神獣は帝国軍が放った毒で斃れたツーベルクの民に、どこからともなく持ってきた薬を差し出し、無事に全員帰還した王国軍と共に、病に苦しむ人々をも救ったのだ。

 

 姿は人にあらず、しかしその心は誰よりも貴く美しい、心優しき神獣。

 人々はその在り方に、帝国という悪魔を撃ち滅ぼすために使わされた、真なる神の遣いの姿を見た。

 

 そんな噂話が、王都のいたるところで広まり、大勢の民の耳に届けられる。

 そしてそれは王都だけではなく、ツーベルクを除くエイベルンに属する全ての領地にも届き、真実として伝えられていくこととなる。

 瞬く間に、神獣たる竜の噂が、まるで英雄譚の様に国中に浸透していくこととなったのだった。

 

 

 

「……全て、消えた。いや……食われたのか。5千もの軍勢が……たった一体の化け物に」

 

 玉座にへたり込みながら、ガイウス王はアルガン将軍からの報告に冷や汗を流す。

 跪いた将軍も同じく全身から汗を噴き出させ、引き攣った顔を伏せて首肯を見せる。うまく言葉も出てこなくなるほどに、その場にいる誰もが恐怖感に苛まれていた。

 

「…我が国の、損害は」

「0です……一人たりとも討たれることなく、進軍した兵士全員が帰還しております」

「つ、ツーベルクは」

「同じく、0です……領地に、人里に入るよりも前に、黒竜は帝国軍全員を食い殺し……ツーベルク領を、救ってしまいました」

 

 もたらされたそれらの情報に、玉座の間に控えていた他の将軍達は呆然と立ち尽くし、ガイウス王は顔を手で覆う。聞き間違いか、妄言であってほしかったと願うが、もうそれは何の意味もなさない。

 

 敵軍の一人も退けることなく、国とは全く関係のない怪物の殺戮により、国の窮地が救われた。

 それが屈辱以外の何物であるか、ただ軍を率いて出てくるだけで何も出来なかったアルガン将軍は、伏せた顔をぐしゃぐしゃに歪めて呻いていた。

 

「この…薬というのは」

「ガーランド伯爵が用意していた、万が一の為の解毒剤のようです。僅かながら、倉庫に残っていました。……これらが持ち込まれたことで、病の治療が始まったツーベルク領では、かの竜をまるで神獣のように崇める者まで現れているという話です」

「…我が軍は、薬を運ばされただけという事か」

 

 屈辱に耐えかねたガイウス王は、ドンッと玉座のひじ掛けに拳を打ち付け、ギリギリと歯を食い縛る。

 眉間に深くしわを寄せ、鬼のような形相で、自分を差し置いて神聖視され、崇められるたった一体の怪物に憎悪の炎を燃やした。

 

「…得体の知れぬ、化け物の分際で…!」

 

 自分ではどうしようもなくなった怒りを持て余し、ガイウス王は血が滲むほどに拳を握りしめる。

 

 戦において、王国軍が何もできずに終わってしまったことで、民の国への信頼は著しく下がったに違いない。

 最終的に犠牲がないまま終わったことは僥倖だが、かの黒竜の助けがなければ、一切の抵抗も無意味のまま蹂躙され、大きな被害を被っていたに違いないのだから。

 

 民が頼り、指針にするのは王という役職ではない。

 自分達の生活の安全を保障し、豊かな暮らしを約束してくれる相手である。それが破られた時、民は容赦なく王を見限り、牙を剥くことも有り得るのだ。

 

 故に、凄まじき力を持った黒竜という、何を考えているか全くわからない怪物に信仰が集まる事は、国として非常に望ましくない状況であった。

 

(これでは、あの化け物を始末できないではないか…! もし排除など試みようものなら、今度こそ民の信頼は消失し、反逆の意志が芽生えかねん……まさか、奴はこの結末を予想して!?)

 

 自分の命が脅かされている事を察し、そうさせないための道筋を考え出したのならば、一軍師にも劣らない恐るべき知略の持ち主である。

 ガイウス王は、自分が如何に愚かな選択を取りかけたのかを痛感し、臣下達に見えないようにぶるりと肩を震わせた。

 

「……ツーベルク嬢は、騎士アイシアは今どこにいる」

「客室にいるはずです。…お呼びしますか」

「頼む……奴の処遇のために、彼女達からもっと詳しい話を聞いておかねばならん」

 

 兵士の一人にそう伝え、彼が退出すると、ガイウス王は重く深いため息をついて天井を仰ぐ。

 それは見るからに王らしくない、心身ともに疲れ切った中間管理職のような、痛々しい姿だった。

 

「陛下、如何されるおつもりか」

「…方法は何でもいい。奴を懐柔する術を考える。こうなった以上、奴には本当に我が国の守護獣になってもらうよりほかにない……腹立たしい事だがな」

 

 ぼそりと呟き、苦渋の決断を伝えるガイウス王に、将軍達は一斉に同意するように首を垂れる。

 危険因子として摘み取れないのなら、利益を示し味方として引き込むしかない。王よりも信頼の厚くなる何かがある事は認めたくないが、そうしなければ今、民が敵に回りかねない。

 

 今後の課題の重さに頭を抱え、王が唸り髪を掻き上げる。

 その時、先ほどセリア達を呼びに向かった兵士が、大慌てで玉座の間に飛び込んできた。

 

「た…大変です! 陛下! ツーベルク嬢が…! 客室から消えました!!」

「なっ―――」

 

 顔面を蒼白にした兵士の報告に、将軍たちが一斉に振り向き、兵士と同じく顔を真っ青にしていく。

 思わぬ事態に、ガイウス王は一瞬、意識が遠くなるのを感じた。

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