アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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1.Reboot

 いつも通りの朝が始まるはずだった。

 嬉しくもなんともない、何の変り映えもない、億劫さが最初に来る、詰まらない朝が。

 

「……んぅ、もう今日が来たのか」

 

 眩しさに顔をしかめ、少女は思わず呟く。

 朝陽を顔に受けて目を覚まし、瞼を擦りながら寝具から抜け出し、麻で作った服を身に纏う。

 

 集落の外れに自分で建てた家を出ると、水を汲むために川へ向かう。

 その途中、集落の住人達……自分の同族達から冷たい視線を受けながら、なるべく顔を見ないように俯いたまま通り過ぎる。

 何度か舌打ちが聞こえるものの、どうにか無視して川へ急ぐ。

 

 気づいたら受けていた、理不尽な敵意の視線にどうしても胸が痛むが、気持ちを無理矢理押さえつけ、桶を持って家まで往復する。

 

「…いただきます」

 

 水で顔を洗い、ある程度すっきりさせてから、先日採集した分の果実を朝食に使う。

 

 この世に生を受けて数十年、共に暮らす者はここ十年近くおらず、いっそ寂しさも薄れてきた。

 日に日に心が麻痺していくことを自覚しながら、もそもそと林檎を腹に収める。

 

 そうして朝の習慣を終えてから、自分に課せられた役目の為に準備を始める。

 弓の具合を確かめ、矢の数を数え、狩りの装いに着替えて道具を背負う。最後に前髪をまとめるバンダナを巻いてから、ふぅ、と小さくため息をついた。

 

「……大事な仕事なら、ボクだけに押し付けなきゃいいのに」

 

 母親が亡くなり、みなしごとなった自分に集落の長が与えたある役目。

 はみ出し者の自分がこの地で暮らすための、毎日こなさなければならない役目。他の誰もやりたがらない、押し付けられた汚れ仕事。

『集落に害をなす侵入者の排除』という、望んでやる者のいない行為である。

 

「……獣は殺すな、人間は殺せ。無茶ばかり言うんだから、全く」

 

 500年に渡って森を守ってきたと、集落の全員から敬意を集める長の命令を思い出し、エイダはため息をつく。

 押し付けられた役割に、うんざりした気持ちを隠せずにいた。

 

 自分の両肩が酷く重くなってくるのを自覚しつつ、少女―――ハーフエルフのエイダはわが家を出て、集落の外へと向かった。

 

 

 

 エルフは余所者の存在を許容しない。

 森に生まれ、森に育まれ、森に生き、いずれは森に還る。そんな大きな輪の中に存在しているという教えを幼い頃から受けているため、そこに割り込む存在を認められないのである。

 

 故に、生まれ育った森に紛れ込む存在があらば、武力を持って排除しようとする。

 女子供であっても容赦はなく、何より悪意を持って入り込む輩には、死よりも恐ろしい末路を与える。そう決められている。

 

 しかし、エルフは総じて草食主義であり、命を奪う行為も忌避している。

 そのため侵入者の排除、つまりは命を奪う役目は汚れ役として扱われるため、普段は担う者がほとんどいない。よほどの事情があれば全員が武器を取るが、日頃の見張り程度であれば誰もやりたがらない。

 

 そして、その嫌われる役目に選ばれたのが、人間に産まされた子(ハーフエルフ)という望まれない産まれ方をしたエイダであった。

 

 

 

 しかしこの日、ある違和感を覚えたエイダは、訝しげな表情で森の中を見渡していた。

 豊富な植物、清らかな風、探せばすぐ近くに水源がある、命を育むのに十分すぎる環境が整った、広大な森。

 なのに今現在、エイダは獣一匹たりとも、影も形も見つけられずにいた。

 

「どうなってるの…? 気配があまりに少なすぎる……獣達はどこに消えちゃったの?」

 

 今は季節は春の最中、冬の眠りからはとうに醒め、生物は皆活発に動く時期。

 なのに、どこを見渡してもエイダ以外の気配が感じられない。巣に潜んでいるのかと探してみるも、全くのもぬけの殻となっている。

 

 次第にエイダの背筋に、嫌な汗が吹き出し始めた。

 

「……これ、間違いなくおかしいよ。長に知らせなきゃ……でも、聞いてくれるかな」

 

 逸る気持ちを抑え、エイダは表情を曇らせる。

 自分に与えられた役目は、侵入者の排除。相手が何であろうと、姿を見せず命を狩る事のみを任されていて、異変の報告はそうではない。

 もしこれを伝えに戻ったとしても、臆病風に吹かれて駄々をこねていると捉えられる可能性もあった。

 

 エイダは歯噛みし、引き返しかけた足先を戻す。

 存在を認められない、混じり物の自分が集落に残るには、異変の正体―――つまりは敵を狩るしかない。相手が何であろうともだ。

 

「…行くしか、ないか」

 

 覚悟を決め、エイダはさらに先へ足を踏み入れる。

 エルフの血が叫ぶ命の危機、それが最も強く感じられる方向へ、ごくりと息を呑みながら生い茂る木々の向こう側に進む。

 

 そして進めば進むほど、エイダの違和感は大きくなっていく。

 昨日は聞こえていた鳥の鳴き声どころか、虫の鳴き声も聞こえない。風に枝が揺れる音しか聞こえない、異様なほどに静かな森に変貌している。

 

 そして何より漂うのは、濃密な死の気配。

 血の匂いと腐臭、自分の役目が生む結果生じるそれよりもっと濃い、強烈な臭いが襲ってくる。

 

「ここまで濃い死の臭いなのに……獣の死骸が一つもない。病か何かじゃないのなら……何かに襲われて食われた? …何に?」

 

 エイダは鼻を押さえながら、引き攣った顔で森の中を見渡す。

 

 彼女が生きてきて、このような状況に遭遇したことは一度もない。

 この森において、捕食者と非捕食者の均衡は保たれており、一方が急にいなくなることはまずありえない。それも、捕食者も一緒にというのは考えられない。

 

 そうする事ができる獣に、心当たりがない。

 ならばこれをやってのけたのは、他所から来た何かという事になる。

 

「やっぱり無理だ…! ボクだけじゃこんなのどうしようもない…! 一度戻って……」

 

 いまだ姿の見えない謎の捕食者に、エイダは湧きあがる恐怖を抑えられず、ぶるりと肩を震わせて踵を返すエイダ。

 何を言われようと、どんな目を向けられようと、命が惜しいエイダは同族達に危険を知らせるために、集落に引き返すことを決める。

 

 だが、駆け出そうとしたエイダの肩に、不意に何かが落下し付着する。

 気持ちの悪い感触がした、と思った直後、しゅうしゅうと音を立ててエイダの衣服が溶け始めた。

 

「っ!? うわっ、うわっ! 何、何!?」

 

 慌ててエイダは、煙を上げる衣服を脱ぎ、足元に投げ捨てる。

 雨粒とも、花の蜜とも違う、半透明の気持ちの悪い感触の液体が、あっと言う間にエイダの上着を溶かしきってしまう。

 その様に、エイダは真っ青な顔で顔中から冷や汗を噴き出させる。

 

「何…これ!? 毒……酸…!?」

 

 エイダは思わず後退り、後ろにあった大樹に背中をぶつけながら、煙から漂ってくる刺激臭に顔をしかめる。

 急いで脱ぎ捨てていなければ、自分もこうなっていたかもしれないと、背筋にゾッと寒気が走る。

 

 そこでふと、エイダは気づく。

 衣服を溶かした謎の液体は、一体どこから来たのかと。

 

 さっと顔から血の気を引かせたエイダは、ガバッと顔を上げると、その先に見つけた光景に途端に顔を強張らせる。

 

「ギチギチギチ…!」「キチチ…!」「ギチチチ…!」

 

 顔面を蒼白にし、立ち尽くすエイダを見下ろす、無数の目。

 だらだらと口から液体をこぼし、ゆっくりと降りてくる、いくつもの大きな影。

 

 爛々と八つの目を輝かせる、エイダよりも巨大な体を持つ蜘蛛の怪物が、顎を鳴らして近づいてきていたのだ。

 一体だけではない、十数体の大群である。

 

「なっ……あ…!?」

「ギチチ…えるふ、ろりえるふ…!」

「アタラシイエモノ…アタラシイオモチャ…!!」

 

 異形の口から漏れ出る不気味な〝声〟、地の底から響くような歪な音。

 悍ましい悪意と欲望が滲み出たそれを耳にし、エイダは大きく目を見開き、ずるずるとその場にへたり込んでしまう。

 

 蜘蛛の怪物たちは、腹部の先端から伸ばした糸を切り、一斉に地面に降り立ってくる。

 槍の穂先のように鋭く尖った足を地面に突き立て、地面を震わせながら、怪物達はエイダを取り囲む。不気味に輝く八つずつの目が、エルフの少女を凝視する。

 

 エイダが腰を抜かしている間に、怪物達は彼女の退路を完全に閉ざしてしまった。

 

「オッパイチイサイナ……アナモキツソウダ」「ダガソレガイイ!!」「オオキサナンテイクラデモカエラレル…」「ムネナンテカザリデスヨ!」「デカイニコシタコトハナイケドナ」

 

 エイダには全く意味の分からない、怪物達が口にする〝声〟の数々。

 怪物達はまるで、同じ存在同士で話しているように一糸乱れぬ動きでエイダに詰め寄ってくる。その姿はエイダにはなぜか、肥えた醜い人間の男が喋っているように見えた。

 

「いや……やめて、来ないで…!」

「ギチギチギチ! ソノカオソソル!」「ヨウジョノナキガオマジサイコー!」「コノキチクメ!」「ぶーめらんオツカレサマデス」「ミンナオナジアナノムジナダロ」

 

 逃げる事も叶わない、ゆっくりと近づいてくる怪物達に、エイダはボロボロと涙を流して懇願する。

 弱々しく、痛々しいその姿に、怪物達はますます興奮した様子で嗤い、顎を鳴らして近づいてくる。

 

「アジミシチャウ?」「ホンタイガオコルダロ」「ホンタイハキョニュウハダカラベツニダイジョウブダロ」「ジャアナイショニシチマウカ」「イギナシイギナシ」

 

 やがて、怪物達はぼたぼたと酸の涎を垂らし、詰め寄ってくる。

 

 垂れ落ちた酸の涎がエイダの頭にかけられ、肌着までもを溶かしてくる。

 しかし、あられもない姿にされていくことよりも、得体の知れない怪物達に悪意を向けられることにより強い恐怖を抱き、エイダはガタガタと震えるばかりだった。

 

「誰か……誰か…!」

 

 助けを求めるも、辺りにエイダ以外に人の姿はない。

 そして何より、助けを求めたところで応じてくれる者はいないのだと気付き、エイダの目から光が消えていく。

 

 突如、怪物達がぐわっと前足を上げ、腹部を近づけてくる。

 気色の悪い虫の裏側を目の当たりにしながら、エイダは一筋の涙を流し、強張っていた全身から力を抜いた。

 

(……ああ、ボク、これで終わりなんだ)

 

 唐突に脳裏に浮かぶ、これまでの記憶の数々。

 母と共に過ごした日々、亡くなった後の苦労、集落での同族達からの蔑みの目、長の冷たい言葉。

 

 そんなどうしようもない思い出ばかりが、エイダの中に蘇っていた。

 

(別にいいか……僕なんて、死んだところで誰も困らない。ああでも……役目を別の誰かがやらなくちゃだから、そこだけはいい気味かもなぁ)

 

 鼻先にまで近づいてくる、怪物達の腹から生えた謎の器官。鼻に刺さる臭いに、徐々に思考にもやがかかってくる。

 あまりにも運のない自分の生を嘆き、自嘲気味に嘆息したエイダは、ゆっくりと瞼を閉じた。

 

 が、彼女を覆っていた影が、次の瞬間消え去った。

 

「ギ―――!!」

 

 甲高い断末魔の声が響いたと思った直後、バキバキバキッと何かが割れる音が響く。

 続いて柔らかい肉が潰される嫌な音が響き、断末魔の声が途切れる。

 

 我に返ったエイダはハッと目を見開き、目の前の光景に呆然となる。

 自分の一番近くに迫っていた怪物の一体、それも最も大きな個体が真下から生えた何かに突き上げられ―――いや、食らいつかれていた。

 

 ざざっと後退る怪物達とエイダの視線を受けながら、その何か……黒竜は、赤く目を輝かせた。

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