アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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2.Encounter

「ギチッ…ナンダコイツ!?」

 

 エルフの少女と同じく驚愕し、動揺の声を上げる怪物達。

 彼らの警戒の目を一身に受け、地面から―――そこに広がる影の中から現れた巨大な黒竜が、咥えた蜘蛛の怪物を噛み潰し、呑み込む。

 

 バキバキと破片が飛び散り、体液と肉片が四散し、辺り一面が青紫色に染まる。

 口の周りをべたべたに汚しながら、黒竜は血の色をした目を動かし、怪物達を睥睨した。

 

「ゴルルルル…!」

「なんダコノばけもの…!?」「ヤバイころサレル!」「にゲロ!!」

 

 べろりと口周りを舐め取る黒竜を前にし、怪物達はエイダを放置して一目散に逃げだす。

 巨体に見合わぬ俊敏さで、木々が並ぶ森の奥に逃げ込むその様は、何故だか見苦しさが目立つ。己よりも弱い存在を甚振っていた人間が、より強い立場の者を前に恐れをなした姿にも見えた。

 

「ゴルルルル……」

 

 黒竜はそれに、苛立たしげな唸り声をあげる。

 ぎろりと鋭い目を向け、牙を剥き出しにすると、背を向けて疾走する蜘蛛達に向かって動き出す。

 

 ズッ、と影を泳ぎ、一気に加速した黒竜が最も近くに居た蜘蛛の腹部に食らいつく。

 抵抗する間もなく、バキバキと蜘蛛の腹は噛み潰され、足と頭だけがぽろぽろと地面に散らばる。それを放置し、黒竜は先に逃げる他の蜘蛛達を追いかける。

 

 黒竜は一度、自らの影の中に潜り込み、さらなる加速と共に空中に飛び上がる。

 ガシャガシャと必死に逃げる蜘蛛の二体を後ろから両手で掴み、地面に叩きつけ仕留める。地面に手をついた勢いでもう一度加速し、前にいたもう一体にも食らいつく。

 

 四体を瞬く間に潰し、散らばった数体を狙い首を伸ばす。

 しかし、黒竜が口を開け、再びの跳躍を行おうとした時には、残りの蜘蛛達は糸を木々の枝に射出し、するすると頭上に登っていた。

 黒竜はしぶとくそれを追おうと影の中からの跳躍を行うが、奮闘虚しく、蜘蛛達の姿は生い茂る葉の向こう側に見えなくなってしまった。

 

「ゴルルルル…グルァァァア!!」

 

 目と鼻の先から消え去ってしまった複数の獲物。

 捕らえ、胃袋に収める事ができなかった悔しさに、黒竜はギリギリと牙を噛みしめ、怒りの咆哮を上げ続ける。

 

 その恐るべき姿に、エイダは呆然としたまま、新たに現れた怪物の巨体を凝視する他になかった。

 

          △▼△▼△▼△▼△

 

(チッ……半分以上逃がしたか。あいつらの肉、ぷりぷりしてて美味かったのに)

 

 口の中に残った蜘蛛の肉を咀嚼し、〝それ〟は忌々し気に唸る。

 今までにないほどの食い応え、そして旨味を有した獲物と出会えた事で多少上機嫌になったが、やはり己の肉体は物足りなさを訴えている。

 

 食に関して節操のない自らに呆れ、〝それ〟はフンと鼻を鳴らす。

 そしてやがて、怪物は眉間に深いしわを刻み始めた。

 

(うむ……しかし、非常に困ったことになった)

 

〝それ〟はじろりと、周りに生い茂る木々を見渡す。

 たいして詳しくはないのだが、視界に映る樹木の葉は、以前に見た森のものとは異なる種類のものに見える。葉の形状や厚さ、幹の表皮も異なっていて、雰囲気からして違いが判る。

 

 そこから察するに、この地は眠りに就く前にいた場所とは異なる、全く見知らぬ地であることがわかった。

 

(迷ったな、これ)

 

 ただ一つ分かっている事実に、〝それ〟は嘆くように天を見上げ、目を細める。

 なぜ自分がここにいるのか、どういう経緯でこんな所に彷徨い出ることになったのか、あらゆる疑問が〝それ〟の中に生じ、天を仰いだまま動かなくなる。

 

(ぷっつりと記憶が途切れた後、何があった? ずいぶん長い間影の中を彷徨って……というか漂っていたようだが、ここはどこだ?)

 

 自分でも全くわかっていない、影の世界。

 海や川のように流れがあるわけではなく、深さに底があるのかも、広さに限度があるのかもよくわかっていない、謎多き真空の空間。

〝それ〟に触れてさえいれば入れるが、〝それ〟以外の生物には呼吸もままならない、無の世界。

 

 ずいぶん長い間、〝それ〟は闇の世界で眠り続け、そして不意に目を覚ました。

 そして〝それ〟が動いた理由はただ一つ、〝腹が減った〟という変わらない底なしの欲求に突き動かされたからだ。

 

(知らぬ間に、随分深い所まで沈んでいたから少し不安になったが、地上に上がれてよかった……やたら旨そうな臭いがしていた奴らに感謝せねばならんな)

 

 深い深い影の世界で、右も左も、それどころか上も下も曖昧だった世界で真っ直ぐに上がって来られたのは、群がる幾つもの獲物の気配を感じ取れたからだった。

 空腹の身体を動かし、影の中から浮上して獲物を視界に捉えてからは、もう夢中だった。

 

 気づけば、やたらと大きな蜘蛛の集団を標的にし、襲い掛かっていた。

 なにか喋っているようにも思えたが、空腹に苛まれた〝それ〟の耳には届かず、牙を剥いて蜘蛛達に踊りかかっていた。

 

 そうして、暴走した食欲を鎮静した〝それ〟は、一息ついてその場に佇み、現状の整理を始める。

 まず始めたのは、意識を失う以前に何をしていたのか、何が起こったのかを思い出す事だった。

 

(彼女が話しかけてからの記憶が非常に曖昧だ……確か、彼女が俺に何かを話しかけて、俺に名を……そうだ、名をつけたのだ。何だったか……そうだ、アサルティだ。そう名付けたのだ……ん?)

 

 寝起きの為か、はっきりとしない記憶を辿り〝それ〟―――襲撃者(アサルティ)と呼ばれた怪物は首を傾げ、しばらくしてようやく答えを引っ張り出す。

 

 しかし、すぐに一つの疑問に思い至り、虚空に目を向けたまま逆方向に首を傾げた。

 

(…なぜ、そう思った? 彼女の言葉は、あの時も全く分からなかったはずなのだが……なぜだ? 何故そう名付けられたとわかった? 言語もわからんというのに)

 

 差し出された果物に夢中になっていたアサルティに、女性が仕切りに話しかけていたことは覚えている。しかし、彼女の言語に通じていない〝それ〟にとっては、意味のない音の羅列でしかなかった。

 ただひとつ、襲撃者(アサルティ)という言葉の意味を、そしてその名をつけられた事を〝それ〟は理解できていた。

 それがひたすらに、不可思議でしかたがない。

 

 首を左右に傾け、唸りながら、長い時間考え続けるアサルティ。

 険しい顔で悩み続けていた怪物は、やがてふっと鼻を鳴らして、思考を止めた。

 

(まぁ、いいか―――それより、やはりあれっぽっちでは全く足りんな)

 

 唐突にやる気をなくしたアサルティは、眉間のしわを消して肩から力を抜く。

 気になったのは僅かな間で、その事に関して考える行為に面倒臭さを抱いた瞬間、あっさりと興味が失せる。

 

 そんなことよりもアサルティは、取り逃がした巨大蜘蛛の事が気になってくる。

 これまで口にしてきた獲物の中でも、特別に美味だった分、逃がしたことが非常に惜しく、その事ばかりが気になっていた。

 

「あ……ぁ…」

 

 ふと、背後からか細い声が聞こえて、アサルティは我に返る。

 振り向くと、小柄な金髪の少女が幹に背中を預け、へたり込んでいる姿が映った。

 

 ガタガタと震え、アサルティを凝視する少女。青ざめた彼女の顔の横からは尖った長い耳が伸びていて、身体に合わせてぷるぷると震えている。

 アサルティは訝しげに、やや変わった容姿をした彼女を見つめ、首を傾げた。

 

(ん…? 何だ、こいつは。妙な形の耳をしているが……この間の糞不味い獲物の同類か?)

 

 脳裏に過るのは、自身に名を与えた女性と共に旅をしていた時、遭遇した妙な集団の事。

 緑色の小さな体に、不細工な顔をした妙に味の悪い連中で、吐き気を堪えながら集落ごと食い尽くしたことを覚えている。

 

 しかし、記憶にあるその集団とは明らかに見た目が異なっている。長く尖った耳は似ているが、その他の特徴は全く異なる。

 体もそう小さくはなく、肌も普通の人間と同じく白い。顔立ちにいたっても、鼻もやたらと大きくなく、目も気持ち悪くない。旅をした女性達と見た目は耳以外にあまり変わりはない。

 

 であれば何者なのか、とアサルティは訝しみながら、詳しく観察しようと少女の元に近づいてみる。

 

「た……た…!」

 

 すると、少女は向かってくる怪物の貌に恐怖し、目を潤ませて震える声を漏らす。

 何事か、とさらに顔を近づけるアサルティの前で、少女はボロボロと涙を流し、ひゅっと息を吸い込み、甲高い声で叫んでいた。

 

「食べないでくださいぃ~!!」

「くワネェヨ」

 

 目の前で悲鳴をあげる少女に、アサルティは呆れた目を向け、吐き捨てるように告げる。

 青褪め、引き攣った顔で見上げてくる少女を鋭く睨みつけ、怪物は苛立たし気に鼻を鳴らす。

 

 そして、自分が見せたある異常に気付き、アサルティはん?と首を傾げた。

 

(…あれ? 今、俺……喋った?)

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