アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
「何だ、あの化け物は……見たことがないぞ」
「それに、何だ? 影に沈んでいるのか…!?」
弓矢を構え、高い木の上から見下ろしてくる同族達。
自分も攻撃の対象になっている事に愕然とし、エイダはごくりと息を呑む。
こうなる前に、集落を大きく迂回する形で自分の家に向かうつもりだったのに、それが間に合わなかったことに激しい後悔と絶望を抱く。
如何なる言い訳を用意したところで、誰一人誤魔化せないであろうこの状況に、目の前が真っ暗になるようだった。
「エイダ……私は言った筈だな。お前は本来は存在することを許されぬ命なのだと……森に貢献したお前の母の存在があってこそ、お前に生きる事を許しているのだと」
麗しい顔に嫌悪と憎悪をあらわにし、エルフの集落の次期長を約束された青年・レイアンが告げる。
真っ青な顔で、カタカタと全身を震わせる少女にも容赦なく、数名の同胞達と共に、謎の怪物と共に戻ってきたエイダを見下ろす。
弓につがえた矢は、迂闊に動けば躊躇いなく命を奪う事を示していた。
「なのにこの様……どこで手懐けてきた、その化け物は。それを使って、我らに復讐でもするつもりだったのか」
「ちっ、違…」
「口を開くな、汚らわしい人間の混じり物め」
怯えながら、どうにか否定の言葉を絞り出そうとするエイダを、レイアンは冷たい言葉で押さえつける。
端から少女の言葉を聞き入れるつもりはないようで、声を聞くことも嫌がっているように見える。
うっすらと浮かぶ笑みは、予てから嫌悪していた、集落に混じった異物を排除する機会を得たことを喜ぶかのようだ。
「見れば見るほど、不気味な化け物だ……まるでお前の中に流れる血が生み出したようじゃないか」
「っ……」
ぐさぐさと、レイアンの言葉が無慈悲にエイダの心を傷つける。
悲痛に歪んでいたエイダの表情はより一層ひどくなり、まるで実際に刃を体に受けたかのような、痛々しい様子を見せる。
しかし、彼女の顔に浮かぶのは苦痛よりも、諦めが大きい。
残酷な言葉をぶつけられる事よりも、そう言われてしまう自分自身に対して、深い嘆きと悲しみを抱いているような、そんな姿だった。
「父上に言われて目を瞑っていたが、こうなればもう決定的だな……お前は裏切り者だ。皆に危害を加える前に見つけてよかった……その化け物もろとも、ここで始末してくれよう」
そう言い、自身も矢をつがえるレイアン。集落に伝わる、先祖代々受け継いできた特別製の弓矢は、例え得体の知れない怪物であろうと易々と仕留められるだろう。
視界に入った鏃の輝きにより、エイダはハッと我に返る。
慌てて彼女は黒竜の背から降り、膝をつくと、レイアン達に向かって勢い良く頭を下げた。
「ち……違うんです、本当に違うんです! こ、この方は敵じゃないんです! む、むしろ私を助けてくれて…」
「黙れと言った筈だ…! お前が喋るだけで、森が穢れる!」
先ほどとは打って変わって、エイダは必死の思いでレイアンに懇願する。変わらず、冷たく拒絶され、一層殺気が襲い掛かるも、深々と頭を下げ続ける。
恥を捨て、次期長の青年に対する畏れも抱いたまま、エイダは額を地面に擦り付け続ける。
縮こまり、背中を震わせる少女の背中を、黒竜は不思議そうに見下ろしていた。
「お前を助けただと…? お前が呼び出した化け物なのだから当たり前だろうが」
「呼び出してなんていません! いきなり目の前に現れただけで…」
「ええい、黙れ! お前の言葉に信用性などない!」
ぎゅんっ!と、ついにレイアンの弓から矢が放たれ、伏せるエイダに向かって飛んでいく。
無抵抗の少女に、強烈な殺気を乗せた鏃が向かう様はさすがに良心が咎めたか、他のエルフ達が焦ったように息を呑むが、放たれた矢を止める手段は彼らにはない。
ぶるぶると震える少女の背を、無慈悲な矢が貫こうとしたその時。
ずるるるっ、とエイダの前に影が広がり、その中から現れた巨大な腕が盾となり、矢を弾いた。
「なっ…私の矢が、効かない!?」
「オイ、
カンッ、と甲高い音を立てて弾かれ、くるくると回転しながら木々の中に飛んでいった矢に、レイアンはまさか、といった表情で立ち尽くす。
人間が纏う鉄の鎧であっても、容易に貫く事ができる一矢が全く歯が立たないなど信じられず、大きく目を見開き、しかしすぐに忌々し気に歪んだ顔に戻る。
青年の殺気を向ける標的が変更され、同時に他の戦士達からの警戒心が膨れ上がる中、黒竜アサルティはぎろりと彼らを睨みつけ、声を発した。
「
「言葉を…!? ますます不気味な化け物め…!」
「
鬱陶しそうに告げられたアサルティの言葉に、レイアンの顔が真っ赤に染まる。ギリギリと歯を食い縛り、目を吊り上げ、額に血管を浮き立たせた顔で、怪物を睨み返す。
その顔はアサルティの言う通り、美しさが損なわれた、悪鬼のように悍ましいものであった。
「こっ…この私を不細工だと……!? い、いや…そんなことはどうでもいい! 貴様は何者だ! どこから現れた!」
「
「そんな事は聞いていない! 貴様、私を虚仮にしているのか!?」
「レイアン様、落ち着いてください!」
「冷静さを失えば、忌子とあの化け物の思うツボですよ!」
鼻をほじり、冷めた目で見上げて来るアサルティの物言いに、レイアンはすっかり頭に血を昇らせ、武器を構える事も忘れて喚き散らすばかり。
今にも殴りかかりそうになるのを、配下達が必死に宥め、止めようとしていた。
「
ビキッ、と嫌な音が、レイアンの身体のどこかから響く。アサルティを睨むレイアンに、何かの糸が切れた、というような雰囲気が見える。
衝動のまま、再び弓に矢をつがえるレイアン。アサルティもそれに合わせ、唸り声をあげて牙を剥き出しにする。
一触即発、エルフと怪物の殺気がぶつかり、空気がピンと張りつめていく。
その様に圧倒されたエイダとエルフ達が、ハッと我に返って表情を引きつらせる。
「き…貴様ぁ……!」
「グルルルル…!!」
「だっ…だめです、アサルティさん!」
「いけません、レイアン様!」
すぐ傍からかけられる制止の声も聞かず、レイアンの矢が、先ほどよりも鋭い勢いで放たれようとし、アサルティが影から飛び出す体勢に入る。
もはや、誰も両者の激突を止められない、とそう思われた。
「やめんか、お前達!」
だが、鋭く響き渡る声が割って入り、殺気が一瞬にして霧散する。
レイアンはびくりと肩を震わせ、アサルティは何事かと困惑の表情になる。
ピタリと動きを止め、声がした方へ振り向いた彼らは、エイダや他のエルフ達と共に、樹々の奥からゆっくりとやってくる集団に気付く。
深くしわの刻まれた顔に、薄く長い金髪の髪を持つ、老いたエルフ達だ。
「ち……父上」
「この地で安易に血を流すなと、何度言えばわかるのだ貴様は…! そのように容易く頭に血を昇らせおって、恥を知れ馬鹿息子め!」
途端に勢いを失くし、気圧された様子で手を下ろすレイアンに、老いたエルフ―――集落の長であるレヴィオは、鬼のような形相できつく叱責する。続いて、レイアンとともにいる戦士達にも鋭い視線を向ける。
「貴様らもだ! まだ長でもない若僧をなぜ止めぬ! 暴君に粛々と従うしか能がないのか、貴様らは!!」
「もっ…申し訳ありません!」
「私の血を継いでいようといまいと、そ奴に全てを決める権限はない! 見知らぬ相手に迂闊に手を出すような者に、好き勝手させるな馬鹿者共が!!」
烈火の如き勢いで怒鳴る長に、若いエルフの戦士達はすぐさま枝の上から飛び降り、その場に跪き首を垂れる。レイアンも渋々と言った様子で降り、しかし不貞腐れたように目を逸らす。
叫び過ぎたのか荒い息をつき、隣にいた別の老エルフに肩を支えられるレヴィオ。
彼は息を整えてから、無言で様子を伺っている黒竜と、その前で怯えたような視線を向けるエイダを見やり、眉間にしわを寄せた。
「…『忌み子がついに恨みを晴らしに来た』などと騒ぐ声が聞こえてきたと思えば、やはりお前か、エイダよ」
「お、長…その、申し訳……」
「よい、何も喋るな……お前にその気がないのはわかっている」
再びその場に伏せ、震える声で謝罪を口にするエイダに、レヴィオは無言で首を振る。
レヴィオと老エルフ達は、青ざめた表情で見つめてくるエイダになぜか痛ましげな視線を向け、重いため息をつく。
続いて彼らは、彼女の傍で佇む黒竜に視線を移した。
「そこの……恐るべき異能の力を持つ、異形の者よ。我らは古くよりこの森に住まう一族。何ゆえこの地を訪ねたのか」
「……
「貴様! 下手に出ていれば付け上がりおって!」
「黙れ馬鹿息子! 貴様は今は口を挟むな! 下がっていろ!」
レヴィオの問いに、レイアンとは全く異なる穏やかな口調で答えるアサルティ。
レイアンはそれが気に入らなかったのか、険しい顔で喚くも、レヴィオに釘を刺され、苛立たしげな顔で引き下がる。
「
「それを……いかに証明できるか」
「
アサルティの答えに、レヴィオはじっと黙り込み、考え込む。視線を怪物から離さないまま、そして怪物も同じくエルフの長を見つめ、互いを探り合う。
まるで時間が止まっているかのように沈黙する両者。
エイダや若いエルフの戦士達、老エルフ達は息を潜めてその様子を伺い、レイアンだけは苛立たし気に地面を爪先で叩く。
数分か数十分か経ってから、ようやく彼らの腹の探り合いが終わった。
「…あいわかった。そなたに我等を害する意図がない事はわかった。里に近づかぬのであれば、このまま見逃そう」
「
互いに頷き合い、視線を逸らすアサルティとレヴィオ。
エイダ達はホッと安堵の息をつくものの、やはりレイアンはその決定に噛みついた。
「父上! こんな化け物に好き勝手させるつもりですか!? 今すぐに殺すべきで……」
「黙れ! お前の決定で何十人犠牲にするつもりだ、頭を冷やせ! ……この馬鹿の事は気にしなさるな、手を出さぬよう、言い聞かせておく」
「父上!」
「エイダ! お前が連れてきた客人だ、お前が最後まで面倒を見ろ。…何かあった時は、お前が責任を取るのだぞ」
「は…はい」
エルフの長はそれだけ告げると、老エルフ達を伴って森の奥に引っ込んでいく。
レイアンがそれに待ったをかけるが、誰一人一切耳を貸すことなく、黙々と樹々の奥に向かう。若いエルフの戦士達も同じく、ちらちらとレイアンを見やりながら、アサルティに背を向けて去っていく。
エイダは半ばぼんやりとしたまま、彼らの背中を見送っていたが、やがてハッと我に返り声を張り上げた。
「あっ…あ、あの! 長! ほ……報告しなければならない事が!」
「黙れ混じり物が! これ以上我らの手を煩わせると―――」
「…聞こう。その者を案内した後で、私の家に来なさい」
エイダの声に、やはりレイアンが噛みつくも、それを制した長が平坦な声で返答する。
絶句するレイアンを引き連れ、長達は木々の奥に歩き去っていき、やがてその姿が完全に見えなくなる。
しんと静かになった森のど真ん中で、エイダはようやく息をついた。
「…
「そう……見えますか? 参ったな…こうなる前に、あなたを連れて行きたかったんですけど……いやな目に遭わせちゃいましたね。…ごめんなさい」
困ったような顔で、力なく笑うエイダ。どう見ても虚勢であり、無理をしているのがまるわかりな姿は、痛々しいを通り越して見た者に心に痛みを齎す。
深いため息をつき、悲し気な表情で俯くエイダ。
その体が、不意にひょいと持ち上げられ、すとんと黒竜の背に乗せられた。
「え……」
キョトンと目を丸くし、エイダはアサルティを見上げる。
呆ける彼女に、黒竜はぎょろりと視線を向け、待ちくたびれたように鼻を鳴らしてみせた。
「