アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
エルフ達の里はその朝、ざわめきに包まれていた。
平和だった森で起こったある事件、数百年に渡って維持してきた平穏の中で立て続けに起こる悲劇に、エルフ達は恐怖と不安で落ち着かなくなっていた。
「おい聞いたか、今度はファルマのとこの娘のルイゼがいなくなったらしいぞ」
「ああ、何でもいつの間にか部屋から居なくなったらしいな……まさか、誰かに連れ攫われたのか?」
「だが、争った形跡はないらしい。一体どうなってるんだ…?」
事件が起きたのは昨晩の事。
ベテランの戦士ファルマの一人娘であるルイゼが、夜中にどこかへ消えてしまったという話だ。
若者の間で極稀に起こる家出の類かと思われたが、ファルマの家庭は良好で仲違いをする理由はない。
時々、出かける事が多い自由奔放な娘を心配してファルマが注意をすることはあるが、ルイゼは反発することもなく、注意されてからは外出を控えるようになったぐらいだ。
だからこそ、娘想いな父親を残して彼女が失踪することなど、考えられなかった。
「どこかで事故に?」
「けど、あの子が行きそうな場所を探しても、全然見つからなかったそうよ。痕跡も何もなかったって…」
「そんな事ってあるのか……?」
もともと気立てもよく、美人で評判だった彼女がいなくなった事は、多くのエルフの男達に悲しみをもたらし、身を案じる声がそこかしこから上がる。
同年代の女達との仲もそれなりに良かったため、村全体に緊迫した雰囲気が漂っていた。
「やっぱり、最近起こってる神隠しと同じなのかしら…?」
「そうかも知れないわ。いなくなってるのは女の子ばかりだし、同じ犯人の仕業なのかも」
「犯人って……誰よ」
「さぁ…」
普段ならばもっと人出があるはずの里が、やや静まり返っている。
里で評判の美女の行方不明事件は、エルフ達の心に影を落としていた。心配なのは確かだが、皆、自分も巻き込まれたくないという気持ちで、自宅に引っ込んでいるのだ。
強張った表情で、知り合いと噂を語り合う何処か足元が覚束ない様子の住民達。
その様を、日課の見張りの為に自宅を出るところだったエイダが、何事かと訝しげに眺めていた。
「…? 何かあったんですかね…?」
思わず呟き、首を傾げるエイダ。
するとその呟きが聞こえたのか、身を寄せて囁き合っていた女子達が振り向き、即座に目に嫌悪感を宿して、少女を睨みつける。
他にも数人、エイダが見つめてきている事に気付き、中には唾を吐く者も出始める。
「いやだわ…ただでさえ嫌な空気なのに、もっと気分が悪くなった」
「ほんと、なんでわざわざこっちを通っていくのかしら。見ているだけで気持ち悪いわ……混じり者のくせに生意気ね」
「ほんと気分悪いぜ…さっさと死んでくれねぇかな。鬱陶しい」
「あいつこそ、どっかに消えちまえばいいのに」
エルフ達の話題は、美女の行方不明事件から人間の血が混じった少女への敵意に挿げ替えられる。
四方八方から向けられる嫌悪の視線に、エイダはキュッと身を縮こまらせ、視線は悲し気に伏せられる。長年受け続ける目だが、一向に慣れる気がしない。
さっさと通り過ぎてしまおうと、純潔のエルフ達と目を合わせないように目を伏せたまま、速足で歩き出そうとした時だった。
「待て! 貴様!!」
空気を切り裂くように轟く、男の声。
エイダがよく知る、一人の男の聞きなれた声が鼓膜に届くと、エイダはびくっと身体を震わせ、その場で硬直する。
恐る恐る振り向いたエイダは、長の邸からずんずんと荒い足取りで向かってくるレイアンと、その取り巻き達の姿を目にした。
目尻を吊り上げ、剣呑な視線を突き刺してくる彼に、エイダは思わず一歩二歩後退る。
しかし、少女が逃げる暇さえ許さないように、素早く近づいた取り巻き達が彼女を取り囲み、逃げ場を完全に奪ってみせた。
「……な、何の用ですか…?」
「はっ…予想はできてるんじゃないのか、この悪魔め…!」
肩を震わせ、怯えた上目遣いで尋ねるエイダに対し、レイアンは以前よりもずっと厳しい表情で吐き捨てる。 取り巻き達も同じような眼で、エイダを今にも殺しそうな様子で睨みつけてくる。
会って早々、凄まじく重い殺気に晒されるエイダは、何が何だかまるでわからない。
長の息子の機嫌を損ねる何かをしてしまったのだろうか、ここまでの敵意を持たれる何かをやらかしただろうか、と自分の行いを顧みる。
しかし、昨日は長の一声で返されてから一度も会っていない。心当たりなどまるでなかった。
「わ、私が何か、レイアン様の癪に障る事をしましたでしょうか…? わ、詫びろとおっしゃるのであれば、そうします……け、けど、せめて理由をお聞かせいただければ…」
「しらばっくれるのもいい加減にしろ、糞餓鬼めが!!」
しどろもどろになりながら、レイアンや取り巻き達の憎悪から逃れようと、声を絞り出すエイダ。
そこに突如、取り巻き達の包囲を押し退けて一人の男性が割り込んでくる。目を血走らせ、髪をぼさぼさにした彼は、息を呑んだエイダの襟首を掴み上げた。
「お前だろう!? お前が私の大事なルイゼを連れ去ったんだろう!?」
「ひぐっ…!? な、何を、言って…!?」
「どこへやった!? 私の宝を!! どこの人間に売り飛ばした!? どこに殺して捨ててきた!? 言え! 言わないとここで殺してやる!!」
襟を掴まれ、持ち上げられ、気道を締められたエイダが苦しげな声を上げるが、男は気づいていないのか、それともまるで気にしていないのか、自分の問いばかりをぶつけてくる。
涙目でもがき、呻くエイダの意識がフッと遠くなりかけた時、男の肩にポンッと手が置かれた。
「落ちつけ、ファルマ。ここでこいつを殺せば、お前の大事な娘の居場所は永遠に分からなくなってしまう……そうだろう?」
「うっ…ぐぅうう…!」
レイアンに宥められた男、行方不明になったルイゼの父ファルマは、ギリギリと歯を食い縛り呻く。
顔をくしゃくしゃにし、獣のように唸ると、やがて手から力を抜いた。
襟を離され、解放されたエイダは地面に背中から落下し、ゲホゲホと咳き込み涙と唾液をこぼす。
危うく理由も何も知らぬまま殺されかけた少女は、より一層がたがたと震え、涙で濡れた目でレイアン達を見上げる。
「けほっ……ぼ、くが……何をしたと…?」
「こいつまだ言うか…!」
「だから落ち着け……それはそうだ、そう簡単に口を割るはずもない。それでは消えた彼女達が報われない」
地面に倒れ込むエイダの顔の傍に、レイアンはしゃがみ込み顔を寄せる。
そして困惑するエイダの首元に、懐から取り出したナイフを突きつけ、刃を肌に触れさせる。急所に食い込む鋼の感触に、エイダはピタリと動きを止め、顔からサーっと血の気を引かせた。
「犯人に間違いないお前には、限界まで苦しんでから罪を認めて貰わなければなぁ……覚悟しておけ、泣いて縋りついても、私達がお前を許すとは思うな」
「だ、だから……何を…!?」
狂気で脅され、身動きの取れない状態のまま震える声を上げるエイダ。
突然命の危機に晒され、真面に考える事もできない様子の彼女に、レイアンは冷酷な眼差しを向けたまま鼻を鳴らした。
「わざわざ言わなければならないのか……お前は容疑者なんだよ―――同胞の女子達を攫い闇に隠した、最低最悪の凶悪犯としてな」
「なっ…!? そんなこと、していません!」
「黙れ、お前の言葉には何の信用性もない……否定したいならすればいい。どうせ何をしようとも、お前が罪を認め裁かれる事は決定しているんだからな」
レイアンの冷め切った、しかし確かな愉悦を孕んだ言葉に、エイダはごくりと息を呑む。
エルフの女性達の何人かが、ここ最近行方不明になったままであることは、少しではあるが耳に入っていた。
跡形もなく消えるため、最初からいなかったかのような錯覚に陥るとも。本当に何の前触れもなくいなくなるため、いなくなった女性達の家族は、未だ現実味がない様子で戸惑っているとも。
だが、その犯人として疑われる……というよりも、即座にそうだと断定されるとは夢にも思わなかった。自分を囲む全員がそう考えているのだと気付き、エイダは冷静ではいられなくなった。
「し……してません! 僕はそんな事してません! 本当なんです!」
「ふざけるな! お前しかいないんだよ汚い人間の混ざり者が! 娘を返せごみ屑が!!」
「本当なんです! 私は……私は何も!!」
他の一切を疑うことなく、激しい憎悪をぶつけてくるファルマに、エイダは必死に否定の言葉を返す。
しかしファルマの思考は完全に疑惑で固まっているようで、動けない彼女を甚振ろうと拳を振り上げている。レイアンの取り巻き達が止めなければ、この場で殴りつけている筈だ。
「まさか、あいつなのか…?」
「やっぱりな…何かやらかすとは思ってたんだ。汚らわしい半端者め」
「でも、混ざり者って言っても餓鬼だぞ?」
「方法なんていくらでもあるだろ……あいつなら納得だ」
レイアン達の詰問を見ていた他のエルフ達も、エイダに疑惑の視線を向け始める。
もともとハーフエルフのエイダを嫌悪し、存在そのものを疎んでいた彼らだ。この騒ぎで目障りだった相手が消える事を望んでいるらしく、レイアン達に期待の視線を向けている。
誰一人、自分の無実を考えてくれる者がいない。理不尽な疑いなのに、誰一人おかしいと思うことなく、長の息子の暴言を肯定しようとしている。
普段とは比べ物にならないほど孤立した最悪の状況に、エイダの中に絶望が広がり始めた。
「さぁ、お前はこれからじっくりと痛めつけ、真実を口にさせてや―――」
「何をやっているのだ、お前は!?」
口を三日月のように妖しく歪め、嗜虐心に満ちた表情でエイダを連行しようとしたレイアン。
取り巻き達も、野次馬のエルフ達も皆似たような醜悪な笑みを浮かべ、大嫌いな少女を見送ろうとした時。
数人の老エルフ達を引き連れたレヴィオが、険しい表情でレイアンの方を睨みつけ、厳しい声で怒鳴りつけてくる。
横槍を入れられたレイアンは、今度は全く隠すことなく、心底鬱陶しそうに鋭い目を返した。
「父上……邪魔をしないでください。私は今、同胞を貶める悪魔の娘を裁くところなのです」
「何が悪魔の娘か。聞いていれば言いがかりに等しい、一方的な決めつけで連れて行くところだったではないか。仮にも私の息子が何たる様だ!」
唾を吐き散らし、息子を叱る長。凄まじい剣幕に、レイアンの取り巻き達は勢いを削がれ、居心地悪そうに目を逸らす。野次馬達も似たような反応だ。
しかしレイアンだけは目を逸らすことなく、ちっと舌打ちを上げてレヴィオを睨み返していた。
「父上……言いがかりとは言いますが、犯人はこの混じり者以外にいないでしょう。お忘れですか? こいつが連れてきた巨大な化け物の事を」
「っ……」
「こいつが跨り、我らの里に入り込もうとした得体の知れぬ化け物……影に潜り、人語を解する悍ましい黒い竜。あれを呼び出したこいつなら、同胞をいくらでも攫えましょうぞ?」
芝居でもしているかのように、大仰な手ぶりと声で語るレイアン。
その内容が初耳だった野次馬達は、思わずエイダを見つめてどよめきの声を上げる。
レヴィオは自分が語らずにいた情報を躊躇いなく口にしたレイアンに、より強く厳しい視線を向ける。
様子を見て、確かな情報を手にして公表しようとしていた事実。迂闊に語って混乱を招かないようにという配慮をまるで考えない息子に、強い苛立ちを抱く。
「…そうしたという確かな証拠はない。その推理は、今はまだお前の妄想でしかない。そもそも、化け物ならば―――」
「妄想も何も、それが真実……そうに決まっているんですよ、父上」
父親の言葉を遮り、レイアンは小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、笑みを浮かべる。
それは我儘の激しくなった老害に対し、敬意も何もなくしたような、相手の一切に対して呆れ果て、落胆しきったような、そんな態度であった。
「馬鹿者! それだけで罪ありきと決めつけ、他者を裁くなどお前は何様のつもりだ!!」
「何を気にしているのですか……こいつは人間の血が混ざった半端者、処分して感謝されこそすれ、何故批難されなければならないのですか?」
「お前…!」
心底納得できないといった様子で首を傾げるレイアンに、エイダはひたすらに恐怖を抱く。
彼の、そして彼の取り巻き達の人間に対する偏見と敵意は、異常と言えるほどに強烈である。まるでそうある様に決められて生まれてきたかのような、そんな途方もない想像さえ浮かんでくる。
一向に自分の制止を受け入れようとしない息子に、怒りを募らせたレヴィオがさらなる叱責を発そうと、拳を握りしめる。
「うぎゃああああああああ!!」
しかし、その声が外に出る事はなかった。
里の端から響き渡った、恐怖と絶望に溢れた悲鳴。そしてズンッと大気を震わせた轟音が、向かい合い火花を散らせていたエルフ達の意識を、強制的に引き寄せたのだ。
ギョッと目を見開き、振り向いたレイアン達とレヴィオ達は、音と悲鳴が聞こえた方向を見据える。
エイダも同じく、のろのろと体を起こし、何が起こっているのかと目を凝らし始める。
そして、それは現れた。
「ギチギチギチギチギチ!!」
「ギギギギギ!!」
「ギチチチチ、ギチチ!!」
里を守り続けた樹々を粉砕し、家屋を踏み潰し、気味の悪い鳴き声と足音を響かせながら。
人の背丈を優に超える巨体を見せつける無数の蜘蛛の化け物達が、まるで黒い波のようにエルフ達の元へ襲い掛かってきたのだ。