アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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10.Confrontation

 ザザザザザザッ…!と素早く動く八本の足が、草地を走り音を立てる。

 それが何十も重なる事で、寒気を走らせ気持ち悪さを齎す音が、大量に鼓膜に突き刺さってくる。さらには青々とした緑が真っ黒に染められていき、見た者に吐き気を催させた。

 

「ギチギチギチギチギチ…!!」

「な、何だこいつらは!?」

「巨大な……蜘蛛!?」

 

 爛々と輝く真っ赤な眼が、突然の事態に慄くエルフ達を、特に驚愕と恐怖で固まる女達を凝視する。

 長く森に棲む彼らでも初めて見る蜘蛛の怪物、それが夥しい数の群れを成し、真っ直ぐに向かってくる光景に、エルフ達は同様で即座に動けなくなっていた。

 

「オンナハサラエ! オトコハイラン!」「オレ、アノオンナガイイ!」「ジャアオレハアッチノチイサイコ!」「ババアガイルケドソッチハ?」「コノミジャナイカライラネェ!」

 

 その隙を見逃さず、蜘蛛達ははっきりと人語を口にしながら、エルフ達に襲い掛かる。

 巨体からは想像もつかないような俊敏さで動き、見上げるほどの高さまで跳躍すると、棒立ちになる一人の男に覆いかぶさる。

 凄まじい重量を受け止めた彼の身体から、ボキボキと嫌な音が響いた。

 

「ぐああああああ!!」

 

 巨体に押し潰され、押し倒された男は苦悶の声を上げ、白目を剥いて血を吐く。

 彼にのしかかった蜘蛛の怪物は、悶え苦しむ男の様を見下ろし、心地よさそうに泣き声をあげる。そしてばたばたと暴れる彼に向け、がパッと開いた口から鋭い牙を伸ばし、男の額に突き立てる。

 

「オトコハイラネェッテイタダロウガ! ジャマダバカガ!」

「げぎゅっ―――」

 

 牙は男の額を貫き、脳にまで届く。直後、男の頭の中からじゅるるるっと中身を啜る音が響き渡る。

 男はビクンッと体を痙攣させると、やがてピクリとも動かなくなる。

 

 中身を全て吸い上げた蜘蛛の怪物は、ずぷっと血肉に濡れた牙を抜き、満足げにまた大きな声で鳴く。

 同胞が瞬く間に、物言わぬ骸となり果てるその光景に、目撃してしまったエルフ達は絶句し、立ち尽くしてしまった。

 

「うっ…うわあああ!!」

「ギチチチチチチ! ジャマスルオマエラガワルインダ! エサニデモナッテロ!」

 

 我に返った何人かが、背を向けて走り出そうとするも、その時には既に蜘蛛の怪物達が襲い掛かり、最初の被害者と同じように体液を啜り葬る。

 数秒も絶たないうちに、どさどさと次々に、からからに乾いたエルフの男達が草地に倒れていき、積み重なっていった。

 

「いっ…いやあああ!!」

「ジェダ! 嘘でしょ、ジェダ!? 嘘だと言ってぇ!」

 

 倒れた男達の中に、自分の夫や恋人の姿を見た女達が、顔を真っ青にして悲鳴をあげる。

 変わり果てた愛する男を前に、彼女達の思考は完全に冷静さを失い、足が勝手に犠牲者達の元へ向かっていく。

 

 周りの者がそれを見て正気に戻り、止めようと手を伸ばすも、すでに彼女達は手の届かない距離まで離れてしまっていた。

 

「ジェダ―――」

 

 横たわる夫、恋人の傍に駆け寄ったその女性達。その手が骸に触れようとした瞬間、女達の姿が掻き消えた。

 

 夫達の元に手を伸ばしたまま、女達は腰に白い糸が巻きつけられ、宙に持ち上げられていく。

 頭上に広がる大樹の枝、そこにぶら下がった蜘蛛達が、腹部の紡績器官から放った糸により、あっと言う間に何人も連れ攫われていた。

 

「ギチチ…! ヒトヅマトイウノモマタイイモノデスナ!」「ネトラレハイイブンカ!」「コノハイトクカンガタマラネェ!」「ザイアクカンナンテナイクセニ!」

「このっ……おのれぇ!」

「化け物め!!」

 

 増えていく犠牲者を前に、ようやく戦士達の目が覚める。

 意味の分からない言葉を吐き、女達を攫おうとする頭上の蜘蛛に向け、数人で一斉に矢を放つ。

 

 しかし、鋭い勢いで放たれた矢は、全て蜘蛛達の体表に刺さることなく弾かれ、虚しく残骸が飛び散る。蜘蛛にも、矢が当たって痛がる素振りは全く見受けられなかった。

 

「そんな―――ぎゃっ!?」

「は、速い―――ぐはっ!」

「ダカラ、ジャマスンナッツッテンダロウガゴミクズドモ!」

 

 攻撃が全く聞いていない事に、愕然と目を見開くエルフの戦士達。

 棒立ちになる彼らに、今度は蜘蛛達から凶刃が放たれる。

 

 女達に糸を巻き付けたまま、顔を向けた蜘蛛達の口が大きく開かれ、その奥から鋭く尖った糸の槍が放たれ、戦士達を串刺しにしていく。

 矢よりも速く、力強く放たれたそれは、容赦なくエルフ達を次々に貫き、骸に変えていった。

 

「こ……これは、一体何だというのだ…!?」

 

 同胞達が次々に斃れていくその光景に、レイアンは後退りながら絶句する。

 屈強な、優れた力を自他ともに認める戦士達が、得体の知れない怪物達の魔の手によって、為す術なく屠られていく。その間に、美しい女達が片っ端から攫われていく。

 まるで、エルフという種が滅ぼされていくかのような光景に、レイアンは開いた口が塞がらない。

 

 不意に、レイアンの視線が背後に向く。

 彼と、彼の取り巻き達が囲んでいた、忌まわしき人間の血が混じる少女。今まさに処刑しようしていた汚らわしき存在エイダに、レイアンは憎悪に満ちた目を向けた。

 

「貴様…貴様だな! 貴様があの化け物を呼び出したんだな!」

「やめんか、そんな場合では……」

「黙れ老害が! お前にはもううんざりしてるんだよ!!」

 

 表向きには従順に首を垂れていたレヴィオに向け、我慢の限界に達したレイアンは、溜め込んでいた苛立ちの全てをぶちまける。

 吊り上げた目で父親を睨み、彼の忠告を一切の躊躇いなく振り払う。

 

 焦燥と怒り、そして訳の分からない存在によって、自分の世界が壊されていく事への恐れで、これまで辛うじて保たれていた楔を破壊してみせた。

 

「こいつさえ……こいつさえ殺せば! あの化け物共はどこかに消える! そうに違いない!!」

「そ…そうだ! こいつが悪いんだ!」

「殺せばすべて解決するんだ!! 早く、早くやってくれ!」

 

 目を血走らせ、腰に佩いた剣を抜くレイアン。切先をエイダに向け、焦りで震える刃を首に当てる。

 取り巻き達もそれに全面的に同意し、エイダを決して逃がさないように、レヴィオ達の妨害が入らないように包囲をより固める。

 

「何の根拠があってそんな戯言を……や、やめろ! 話を聞け!」

「落ちつけ、お前達!」

「うるせぇ! 邪魔するんじゃねぇ!!」

 

 まるで正気ではない彼らに、レヴィオを始めとする老エルフ達が止めようとするが、頭に血が昇った若いエルフ達は止まらない。むしろより一層激昂し、老エルフ達を払い除ける。

 

 すぐ近くから上がる怒号と、遠くから聞こえてくる悲鳴と断末魔。

 自分には縁がなくとも、平和だった森に突如訪れた惨劇。怒涛の流れに取り残されたエイダは、尻餅をついたままその様を見ている事しかできない。

 自分の命を狩ろうとしている刃を、凝視する事しかできなかった。

 

「さぁ、死ね! 汚らわしい悪魔の娘よ!!」

 

 エイダにそう叫び、刃を振り上げるレイアン。

 耳まで裂けて見える口や、血走った焦点の合っていない目は、彼こそが悪魔のように醜悪で悍ましい。

 

 取り巻き達に止められる長以外、誰も凶行を止めてくれる者はいない。

 首を断とうと迫り来る刃を前に、エイダはきつく唇を噛み、自分の身体を抱きしめ固まる。

 

(どうして……!? どうして僕は……僕が、こんな目に遭わなきゃいけないんだ…!!)

 

 生まれた時からずっと続く理不尽、覚えのない悪意。

 望んで生まれて来たわけでもないのに、生かしてくれと頼んだわけでもないのに、罪だと言われて詰られる。

 そんな自分の生が、経験してきた全てが、彼女から気力を奪っていく。

 

 まるで化け物のように見えるレイアンの手で剣が振り下ろされ、刃が自分の首に触れたその瞬間。

 エイダはスッと瞼を閉じ、強張らせていた体から力を抜いた。

 

(こんな事なら……あの時、助けてもらわなきゃよかった―――)

 

 一度、自分で口にした感謝の言葉を否定し、諦める。

 つい先日、里を侵す怪物達と最初に遭遇した時に、今この状況のように襲われ、死んでいればよかったと、生き残ったことそのものを後悔する。

 

 瞼を閉じ、視界から光を拒んだ彼女は。

 誰より自分を憎み、死を望む青年の手で屠られる事を、無抵抗のまま受け入れようとしていた。

 

 だが、その未来はまたしても訪れなかった。

 

 

「―――グオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 ドッ、と。

 地中から巨大な影が飛び出し、辺りに大きな影を作る。同時に凄まじい咆哮が辺りに響き渡り、大気と大地を揺らす。

 

 体の芯にまで伝わってくる震動に、思わずレイアンは手を止めて振り向く。

 彼の取り巻きも、レヴィオも、そしてエイダも、大きく目を見開き、突如乱入した存在を―――襲撃者(アサルティ)を凝視し、また言葉を失くした。

 

               △▼△▼△▼△▼△

 

「ゴルルルルルル!!」

「ナンダコイツ!?」「キノウノヤツダ!」「セッカクノロリノシュウカクヲジャマシタヤツ!」「フザッケンナヨコイツ!」「オタノシミノトチュウニワッテハイルトカ、マジナエルワー…」

 

 凄まじい唸り声をあげ、宙に跳び上がったアサルティは再び影に潜り、再度顔を出して凄まじい勢いで泳ぐ。

 

 牙を剥き出しにし、敵意を向けて来る黒竜に、蜘蛛の怪物達は途端に退いていく。

 驚愕と不満を口にしながら、雷のように轟く咆哮を上げる、自分達とはまた異なる姿の怪物から逃げ出していった。

 

(こいつら、デカいくせに俺よりも速い……普通に追いかけていては、一匹も捕まえられん! ならば…!)

「グルルッ!!」

 

 ぎり、と牙を鳴らしたアサルティは、手近に生えた大樹を片手で掴む。

 自分の泳ぐ勢いを利用し、自分の腕よりずっと太い幹をバキバキと圧し折ると、大きく振り上げる。大きく体をのけぞらせたアサルティは、掴んだ大樹を槍のように投げ飛ばした。

 

 投げ飛ばされ、ぐるぐると回転する大樹は勢い良く森の中を進み、並び立つほかの樹々を半ばからへし折っていく。

 そしてやがて、放たれた追撃は大蜘蛛達の元にまで届き、素早く動く足に圧し折られた多くの大樹が絡まり、逃走の足を止めてみせた。

 

「ギギギギ!?」「ナニヤッテンダテメェ!」「オレノセイジャナイデショウガ!」「オイ、オスナヨ!?」

 

 蜘蛛達は体勢を大きく崩し、顔面から地面に倒れ込む。背後から来た大樹の一撃をどうにか躱した個体も、前を走っていた個体に巻き込まれ足を止められてしまう。

 巻き込まれた個体が他の個体に対し文句を垂れ、その声にも抗議の声が上がる。

 

 すぐさま立ち上がろうと、投げ出された足全てを立て直そうと、わずか数秒もたつく。

 それが、彼らの運命を決定づけてしまった。

 

「ゴルルルル!!」

「ギッ―――」

 

 走り出そうとした蜘蛛の怪物の一体が、僅かな悲鳴と共に真っ二つに切り裂かれる。

 バキバキバキッ、と硬い殻に覆われた巨体が、真下から噛みついたアサルティの牙によって、あっと言う間にバラバラにされる。

 夥しい量の、毒々しい紫色の体液がぶちまけられ、辺りに鼻に刺さる悪臭が漂う。

 

 森の中を、目に居たい極彩色に染め上げながら、黒竜は次なる獲物を見定め、今度は上から飛び掛かった。

 

「グルルルルルァ!!」

「ヤメェヨコイツ!」「オイハヤクイケヨ!」「アシヲフムナ!」「ニゲロ、ニゲロッテ!」「コンナヤツヲアイテニシテラレルカ!」「オレハカエラセテモラウゾ!」

 

 鋭く尖った牙を剥き出しにし、もう一体の腹部を食い千切るアサルティ。

 瞬く間に竜の顔面は紫色に染まり、貪欲な食欲に燃える目が爛々と輝きを放つ。それに射抜かれた怪物は、何の抵抗もできないままに貪り食われていった。

 

(今はただでさえ腹が立っているのだ…! この苛立ちを少しでも抑えられるように、お前達全員、俺の胃に収まってもらうぞ!!)

「ゴアアアアアアアア!!」

 

 アサルティは、今この時までずっと怒りを堪えていた。

 長い耳の少女と出会い、その同胞と遭遇した時からずっと、理由のわからない苛立ちを抱え続けていた。

 年上らしき集団が、小さな少女を一方的に罵り見下す様に。それに何も言い返そうとしない少女の弱々しい姿に、何故だか堪えきれない怒りを抱いていたのだ。

 

 それをどう解消すればいいのか、何故そんなものを抱いたのか、わからない事にも苛立ちを募らせ、空腹も相まってどんどん我慢ができなくなっていく。

 地上に感じた無数の気配によって、黒竜は今この時を以て、感情を爆発させたのだった。

 

「ヤベェッテ、コノママジャゼンメツスルゾ!」「ハヤクホンタイニホウコクニイケ!」「ホンタイデテクルカナァ…?」「イイカラハヤクイケッテンダヨ!!」

 

 次々に仲間を屠っていくアサルティに、蜘蛛達は口々に叫びながら右往左往する。

 諦めず逃げようとする怪物達だが、すぐさまアサルティに追いつかれバラバラに食い千切られ、血の跡だけを残して消される。

 

 するとただ一体、蜘蛛達の中でも特に小さい個体が、他よりも遥かに素早い速さで逃げ去っていく。

 粗方の獲物を喰い終わったアサルティは、ぎろりとそれを見つけ後を追おうとしたが、その時には既に小型の個体は、樹々の奥の見えない場所にまで逃げ去ってしまう。

 

(チッ…! 一匹逃がしたか……!)

 

 逃げた個体が見えなくなると、アサルティは即座に追うのをやめ、その場に留まる。

 やがて、フンと満足げに鼻を鳴らすと、口周りに付着した大量の体液を舐め取り、ゆっくりと踵を返すのだった。

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