アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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11.Negotiation

「……何という、力だ」

 

 圧し折られた樹々の奥から近づいてくる、体中を紫色の体液で汚した黒竜。

 それを目にし、呆然と立ち尽くしていたエルフ達の誰かが、ぼそりとそんなことを呟く。

 

 謎しかない、それでいて圧倒的な力を持ち、同じだけ巨大で手の出しようがなかった怪物の群れを相手に、理不尽なまでの蹂躙をやってのけた怪物。

 その光景を目の当たりにしたレヴィオや他の老エルフ達は、開いた口が塞がらなかった。

 

「我等の手が何も通じなかったあの怪物共を、たった一体で……」

「一体……一体何者なのだ。ただの獣ではまずありえんぞ」

 

 目を大きく見開き、冷や汗を垂らす老エルフ達。

 無論、慄いているのは彼らだけではなく、蜘蛛の怪物達の襲撃をどうにか生き延びた、若いエルフの戦士達も同じように驚愕の視線を送っていた。

 

「ば、化け物だ…!」

「化け物を食い殺す……もっと危険な化け物だ…!」

 

 命の危機を抜け出した彼らだが、全く心を休める事ができず、がたがたと身を震わせる。

 優れた身体能力を誇り、高い知能をも有する特別な種族。先祖代々住処である森を守り続け、何者にも侵させたことがないという自負を、生まれた時から持ち続けていた。

 

 なのに、突如現れた得体の知れない化け物達に森を破壊され、抵抗が全く何の役にも立たなかった。

 エルフの戦士達は皆、矜持がズタズタにされ、凄まじい無力感に苛まれていた。

 

 そんな中、いち早く我に返ると、キッと横に振り向く者がいた。

 ギリッ、と歯を食い縛り、目を吊り上げたレイアンは、他の者達と同じく呆然となり、草地にへたり込んでいるエイダを睨みつけた。

 

「見ろ! お前が連れてきたあの化け物のせいで、数百年に渡って我らが守り続けた森は、こんなにも無残な姿になり果てた!! お前のせいだぞ、汚らわしい屑が!!」

「……」

 

 自分の中の恐怖心をどうにか抑え込み、唾を吐き散らし、暴言をぶつけるレイアン。

 だが、エイダの表情は微塵も変化がない。近づいて来る黒竜に対し、どこか責めるような、落胆したような冷めた目を向けるだけで、返事もない。

 ついには黒竜の顔に付着する紫色の体液に、羨望のような眼差しを送り始めていた。

 

 虚ろな目で怪物を見つめていたエイダは、不意にぐいっと襟首を掴まれ持ち上げられる。その間も何も反応を示さない彼女に、レイアンが再び吠える。

 

「聞いているのか、貴様ぁ! 全部お前の所為だぞ! 森がこんなふうになったのも、あれが我らに牙を剥くのも、我らが殺されるのも! 全部全部貴様の所為だぞ!!」

「レイアン! やめろというに…」

「うるせぇ爺! 邪魔すんじゃねぇ、黙ってろ!」

 

 身動ぎ一つしないエイダを締めあげるレイアンに、レヴィオが肩を引いて宥めようとするが、息子は全く耳を貸さず、むしろ敵意を持って拒絶する。

 この場で首を絞め、命を奪う気にも見える気迫に、エイダはもう何もかもを投げ出す気になり、虚空を見上げる。

 

 レイアンはむしろそれが気に入らないようで、襟首を掴んだままがくがくと前後に揺さぶり始めた。

 

「おい、何を黙ってるんだ貴様! もっと泣けよ、嘆けよ! お前のせいでこんな事になってるんだぞ!? 何の反省もないまま終わらせるつもりか!? ふざけるな糞餓鬼が!!」

「っ……」

「お前が泣いて謝らなきゃ、私が満足できないだろうが! 詫びろよ! 全部自分の所為ですと! 生まれてきてごめんなさいと! 今ここで全部を懺悔しろよ!!」

 

 エイダの顔中が、飛んできたレイアンの唾液でべたべたになるが、エイダはやはり何の反応も返さない。聞こえてくる声にうんざりしながら、ぐらぐらとされるがままになっている。

 

 レイアンはますます顔を赤黒く染め、精悍な顔立ちを醜く歪め、額に血管を浮き立たせる。

 思わず、握りしめた拳を振り上げたレイアン。手っ取り早く少女を痛めつけ、泣きながら謝罪の言葉を吐かせるようにしようと考え、汚れ一つない自分の剣を構えた。

 

「いい加減にしろよ糞餓鬼…! 私が泣けと言っているんだからさっさと―――」

「オマエガイイカゲンニシロ」

 

 だが、彼の剣が少女の首を裂くより先に、彼に衝撃が襲い掛かる。

 真横から叩きつけられた黒く太く硬い何かによって、レイアンは空中に吹っ飛ばされる。そのお陰でエイダはレイアンの手から逃れ、真下から生えてきた巨大な竜の腕に抱き留められた。

 

「あぅっ…」

「サッキカラギャーギャーギャーギャー……ウルセェクチヲサッサトトジヤガレ、クソヤロウ」

 

 エルフ達の元から引き離し、真下から顔を出した黒竜アサルティが、鋭く吐き捨てるような声で告げる。

 巨体を見上げるエルフ達は、ぎろりと向けられる鋭い眼光に息を呑み、思わず数歩後退る。

 

 アサルティはエイダを掴んだまま自分の傍に下ろし、誰も近づかぬように周りの全員を睨みつける。

 迂闊に動けば、先程の蜘蛛の怪物達と同じような末路を辿ると察したエルフ達は、一歩も動けずただ立ち尽くす事しかできなくなる。

 だが一人だけその空気を読めず、起き上がるや否や声を荒げる者がいた。

 

「きっ……貴様! この私に手を出すとは愚かな事を! やはりその糞餓鬼の手先だな! ここで処分してくれ……」

「デキルモノナラ、ヤッテミロクソヤロウ。オマエハクウキニモナラナイ」

 

 取り落とした剣を慌てて拾い、構え直すレイアンに、アサルティは牙を剥き出しにして唸る。

 エイダを抱える方とは逆の腕を影から持ち上げ、ゴキゴキと骨を鳴らす。その気になれば、軽く握りつぶせるだけの膂力を有するそれに、レイアンは途端に勢いを失くし、冷や汗を流す。

 

 しかし、ここで引くことは彼の自尊心が許さないらしい。

 引き攣った顔のまま、がたがたと全身を震わせながら、震える切っ先を突き付けた。

 

「ヒッ…こ、この私を誰だと…!」

「やめんか、レイアン! いい加減にしろ!」

 

 情けない姿を晒し、それでも上から見下す態度を止めないレイアン。力の差をわかっていても、膨れ上がった自尊心が彼に退く事を許さないようだ。

 

 そんな息子の姿を見ていられなかったのか、レヴィオがきつい口調で吠え、制する。思わぬところからぶつけられた怒声に、レイアンはびくっと肩を震わせて口を閉ざす。

 ようやく黙ったレイアンの前に割り込み、息子を背中に庇うようにして、レヴィオがアサルティに向き合った。

 

「……不肖の息子が、失礼をした。どうか、気を悪くしないでいただきたい」

 

 深々と頭を下げるレヴィオに、若いエルフ達がざわざわと動揺の声を漏らす。

 他の種族、それも異形に対し首を垂れるなど、自意識の高いエルフにとってはあり得ない事で、レヴィオに対する視線が明らかに変わる。

 

「我が同胞達の窮地を救ってくれたこと、感謝する。この礼は、後程いかようにも……」

「爺! こんな奴に頭など下げるな! 恥を知れ!」

「お前は黙っていろ…! 状況をどれだけ理解できていないのだ……お前のその浅慮な行動で、一族全てを危険に晒すつもりか…!」

 

 父親が他者にへりくだる様に、レイアンが声を荒げるも、レヴィオはそれにきつい目を向けて叱る。

 小声で、黒竜に聞こえないように忠告するも、頭に血が昇ったレイアンは微塵も察する事ができないようで、なおも鋭く黒竜を睨むばかり。

 それも、父親の背に隠れたままという情けない姿を晒している事に、気付いていなかった。

 

 アサルティはそんな彼らに、呆れたように鼻を鳴らし目を細めてみせた。

 

「ベツニレイナドヒツヨウナイ……タスケヨウトナド、オモッテイナカッタカラナ」

「そうか…なら、其方は何を望む? 何のためにあの蜘蛛の怪物を喰らった?」

「ハラガヘッテイタカラ、タダソレダケノコトダ」

 

 そう言って、アサルティはぺろりと自分の口の周りを舐める。

 エルフ達は、付着した怪物の体液を見て、いずれ自分達も同じ運命を辿るのかと息を呑み、また後退る。手にした弓に力が籠もるが、アサルティは微塵も気にしていない。

 

 さらに張り詰めた雰囲気が漂い始める中、レヴィオはアサルティを見上げたまま、再度問いかける。

 

「…ならば、其方には我等を食するつもりはないと申されるのか?」

「オマエタチガナニモシナケレバ……アトハ、オレノハラガ、キョクゲンマデヘッテイナケレバナ」

「それを、保証できるか…?」

「スルイミガアルノカ? ソコノオトコハ、ハナカラオレヲコロスキデイタガ…」

 

 アサルティは再び、レイアンを睨み牙を剥く。

 敵意に晒されたレイアンは、無意識のうちに父の背中に縋りつき、自分のみを隠そうとする。表情こそ見下したままだが、身体は正直に恐怖感を示している。

 

 レヴィオは肩を引っ張られながら、片手を広げて息子を隠そうとする。そして、再度恐ろしき黒竜に向けて語り掛けた。

 

「…あいわかった。誰も其方に手出しをせぬよう、厳命しておく。其方も、我らに手出しをせんでくれるか…?」

「スルイミガナイ。オマエラヲクッタラ、ハラヲクダシソウダ」

「なっ…! 貴様!」

「やめよ…! 今私が言ったばかりであろうが…!」

 

 またも声を荒げ、罵ろうとしたレイアンを必死に止める。

 レヴィオの額には大量の汗が噴き出し、血の気が引いて酷い顔色になっている。今にも倒れそうなほど、精神的負荷に苦しんでいることが明らかだ。

 

 流石のアサルティも、それを見て何も思わないわけではなかった。

 

「……ココニハモウコナイ。テダシモシナイ。コレデイイカ?」

「感謝する…! それと……其方の助けにも、もう一度礼を言う」

「イイ…ソコマデイワレルト、ムズガユイ」

 

 アサルティはそう言い、居心地悪そうに目を逸らす。

 自分の欲のままに行動した結果、褒められ称賛されるという状況が、違和感があまりに大きいようだ。

 

「…イクゾ」

「あっ―――」

 

 不意に踵を返すと、黒竜は片腕で掴んでいたエイダを持ち上げ、自分の背中にひょいと乗せる。そしてそのままエルフ達を背にし、ずぶずぶと影を泳ぎ、その場を離れていった。

 

 謎ばかりを持つ、恐るべき力を持つ怪物が里を離れていく姿を、エルフ達は武器から手を離さないまま、一言も発することなく見送る。

 夜の空より黒く、巨大なその背中を見つめていた彼らの目は、アサルティに対する畏れの他にも、怪物が連れていくエイダに対する蔑視もあった。

 

「…最後に一つ、良いだろうか?」

「…ナンダ?」

 

 樹々の向こう側に消えようとしていたアサルティを、レヴィオが不意に呼び止める。

 黒竜だけでなく、周りのエルフ達から向けられる訝しげな視線に対し、レヴィオは微塵も気にした様子を見せず、真っ直ぐな目で黒竜を見つめ、問いかけた。

 

「もし、我らが其方に頼んだとしたら……あの蜘蛛の怪物共を、我らの代わりに退治してくれるか?」

「長!? 何を…!?」

 

 周囲からぎょっと、エイダからも驚愕と非難の視線が突き刺さるが、レヴィオはいたって真面目な顔でアサルティを見つめたままだ。

 本気で異形の力を頼ろうとしている台詞に、若いエルフ達からは疑うような目も向けられ始める。

 

 アサルティはそんな、どんな相手であろうと誠意を備える長の態度に、息子とは大違いだと呆れた様子を見せる。

 しばらくの間、真意を探ろうとするような鋭い目を向けていたが、やがて面倒くさそうに鼻を鳴らし、吐き捨てるように答えた。

 

「ソノキニナッタラ、クイニイク。ダガ……オレハオマエラニタノミゴトヲサレテウナズクホド、オンモギリモモッテイナイ」

「…左様か」

「ジャアナ……」

 

 若干の落胆を見せる長を、そして唖然としたまま立ち尽くすエルフ達を残し、アサルティはなぜかぼんやりとしているエイダを背に乗せ、森の先へと姿を消す。

 後に残されたエルフ達は、長への不信感で一杯になった眼差しを向け続けていたのだった。

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