アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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14.Strict Order

「喜べ、混ざり者……お前に最後の役目を与えてやろう。それを達成したならば、お前の存在を許してやる。お前がどこで何をしようが文句は言わん……好きな場所で生きて死ね」

 

 左右を取り巻き達に囲まれ、連れて来られたエイダにレイアンは言った。対するエイダは、虚ろな目で顔を上げ、彼を訝しげに見つめる。

 

 長が座るべき椅子に腰を下ろし、数々の装飾品で身を飾り、ふんぞり返るレイアンは、にやにやと不気味に嗤う。他の老エルフ達の場所まで空いているため、長の邸は酷く寂しく見えた。

 

「言っておくが、長はもう引退なされた……耄碌した爺では一族を守る事はできんからな」

 

 嗜虐的な目で見下ろされ、告げられても、エイダはただ納得するだけだった。

 ついにやってしまったのか、とぼんやりと考えるだけだった。

 

 血の繋がった父親を座から蹴り出し、後釜に入るこの男の悪辣さも、それに何もおかしさを感じない取り巻き達も、もう嫌悪感さえ湧いてこない。

 自分がものとして扱われようとしている事にも、全てに対してどうでもいいと思ってしまっていた。

 

「不安か? お前を唯一擁護してくれた者がいなくなって……だがそう案ずるな、私も少し、考えを改めたのだ。せっかくある道具を、ただ処分するなどもったいないのだと」

「……」

「私も、もっと早くこうしておけばよかったと思っているよ。短慮だったと、反省しているのだ」

 

 大仰な手振りで語るレイアンに、エイダは無言のまま、頷き一つ返さない。

 聞いているかどうかも定かではない彼女の態度に、レイアンは然して気にした様子も見せず、にたりと目を細めて語る。

 

「わかっていると思うが、逃げようとなど考えるなよ? 役目を果たすまで、お前に自由はない……まぁ、どうせお前には、ここ以外に居場所などないだろうがな。余計な言葉だったな、ははは!」

「……」

「エルフでも人間でもないお前は、どこへいっても異物だ……受け入れてくれるのはもう、私だけなんだ。感謝してくれよ?」

 

 ペラペラとしゃべり続けるレイアンに、エイダはやはり何も答えない。

 さすがに気に障ったのか、レイアンの眉間にしわが寄る。それに気づいたエイダの左右に控えた取り巻き達が、鋭い目で睨みつけ、左右から迫り吠え出す。

 

「おい、いつまで黙っているつもりだ! いつまでもお前などにかまけている時間はないんだ、頷くぐらいしてみせろ!」

「……」

「こいつ…俺達を馬鹿にしているのか!?」

 

 ついには、取り巻きの一人がガッ、と拳を繰り出す。

 頬に痛い一撃を受けたエイダは、そのまま床に倒れ込み、口の端から血を流す。

 

 その様に溜飲が下がったのか、レイアンはまた笑みを浮かべ、不意に立ち上がるとエイダの前まで歩み寄り、しゃがみ込む。

 彼は少女の前髪を掴み、焦点の合っていない目を覗き込み、また語りかけた。

 

「なぁ、これは好機なんだぞ? 誰からも存在を認めてもらえないお前が……唯一存在を許される最後の機会だ。他の者には私が言い聞かせておいてやる。だからお前は……素直にうんと頷けばいいんだ。そうだろう?」

 

 どろどろとした悪意を目の奥に宿すレイアンと、黒々とした虚無を目の奥に宿すエイダが、じっと見つめ合う。

 まるで命のない人形のように、レイアン達にされるがままになっていたエイダは、長い時間をかけてようやく反応を返した。

 

「……はい、わかりました」

「…ふ、ははは。よく言ったぞ、()()()

 

 変わらず、目から一切の光を失った少女の頬を、逆賊の長がするりと撫でる。

 嫌悪も憎悪も、何も感じず無の状態を貫くエイダの前で、レイアンはケタケタと肩を揺らし、告げた。

 

「あの蜘蛛の化け物―――〝略奪者(パラモア)〟に挑み、その命を使ってくれ、哀れな混じり子よ」

 

               △▼△▼△▼△▼△

 

 獣の鳴き声一つ聞こえない森の中を、エイダは一人歩く。

 背に弓と矢筒を、腰に短刀を、最低限の装備だけで、不気味な風が吹き抜ける、怪物の縄張りとなった森を孤独に進む。

 

 彼女の目的は、女達を攫った犯人である大蜘蛛の巣を見つけ出し、女達を救出すること。そして出来る限り、大蜘蛛を殺し数を減らしておくこと。

 それが、新たな長レイアンに提示された条件だった。

 

 それは間違いなく、死地に向かう役目だ。

 いまだ得体の知れない、何体いるかもわからない大蜘蛛の怪物の巣に単身向かい、生きているかもわからない同胞達を救出しろなど、正気の沙汰ではない。

 どれだけ優しい言葉で隠そうと、レイアンの真意は隠せない。

 

『役立たずは役立たずなりに、一族の礎となって死ね』

 そう内心で考えている事は、明らかだった。それでも、拒むことはできなかった。

 

(……でも、これで不安材料が一つ消えました)

 

 とぼとぼと、力ない歩みで森の奥を目指しながら、エイダはフッと自嘲気味に笑う。

 命じられる前、自ら命を絶つ方法を考えていた彼女にとっては、死ねと言われる事は願ったりかなったりの指示だからだ。

 

(怪物さんは、私をどうするでしょうか……頭からばりばり食べてくれますかね。お腹に針を刺して、体液を吸ったりするんでしょうか…わからないなぁ…)

 

 エイダは虚ろな目で虚空を見つめ、くすくすと笑う。

 苦しむことは間違いないが、それでも十数年も続いた生が、終わりを迎えられるかもしれないという事が、嬉しくて仕方がなかった。

 

 結局、自らを殺すことなどできそうもなかった。

 刃を体に突き立てようと、縄で首をくくろうと、高所から身を投げ出そうとも、実行する直前に怖気付き、やめてしまった筈なのだ。

 そんな臆病者だからこそ、逃げる事もできず、ずるずると今日まで生き永らえてしまったのだ。

 

(でも、考えてみたらそうだな。蜘蛛じゃなくて、竜の……アサルティさんに食べて貰った方がよかったかな。あの人の方が、長く苦しまなくていいかもしれないな)

 

 今になって、エイダの脳裏に過る、巨大な黒竜との初めての会話。

 前触れなく訪れた命の危機の直後、突如現れた全く別の怪物。巨大で危険な存在を目の当たりにした彼女は、思わず叫んでいた。

 

(食べないで下さい……今と逆だな。どうせなら、あの時に食べて貰えばよかった、馬鹿だなぁ、僕は……)

 

 過去の過ちを嘆いても、もう後には戻らない。

 今食べて下さいと願っても、彼はそうしてはくれないだろう。顔も見たくなくなった獲物を、わざわざ腹に入れたいと思うはずもない。

 

 そもそも、きっともう二度と顔を合わせる事はないだろう。

 自分が癇癪を起した事で、怒りを露わにし遠ざかってしまったことに、エイダは激しく後悔を抱く。

 

 その所為で、自分が苦しむ時間が伸びたのだと、自分の浅はかさに呆れるばかりであった。

 

(でも…きっと蜘蛛さんはそうしてくれますよね。アサルティさんと一緒で、喋る変わった怪物さんですし……お願いしたら、喜んで食べてくれますよね)

 

 生きる事に疲れた少女にとって、もう死は救いとなっていた。

 一刻も早く、今生での苦しみから解放される事を願って、ひたすらに足を前へと進める。暗く、ぽっかりと開いた闇の世界を目指し、歩き続ける。

 

 そして彼女は辿り着いた。

 大樹の枝や幹、あらゆる場所にこびりつく真っ白な糸が張り巡らされた、静かな場所に。

 

 まるで織物のように絡まるそれらの間を通り抜けると、大きな大きな、エイダが豆粒ほどに思えるほどに広く開けた穴が見つかった。

 まるで地の底にまで通じていそうなほど、広く深い大穴である。

 

「……間違いないですね。ここがあの蜘蛛さんの住処です」

 

 小さく呟いたエイダは、迷うことなく穴の淵に足を踏み入れる。

 大蜘蛛が自ら空けたのか、それとも自然にあったものなのかは分からないが、確信を持ったエイダは躊躇いなく奥を目指した。

 

 

 

 穴の奥へと入ってみると、エイダは思わず感嘆の声をこぼす。

 地面の下ゆえ、冷たい空気になっていると思いきや、そこまで肌に冷気が刺さることはなく、むしろ過ごしやすそうな適温になっている。

 

 加えて言えば、糸は壁に沿って張られているだけではなく、仕切りのように分厚い幕を作っている。

 あるいは小部屋のように、あるいは台のように、ただの巣とは思えない複雑な構造に、エイダは徐々に困惑を抱き始める。まるで一軒の家を覗いているようだ。

 

「……本当に、ただの蜘蛛さんではないみたいですね」

 

 いつしかエイダは、冷や汗をかいていた。

 自分が喰われに行こうとしている怪物が、自分が思っている以上に恐ろしく、危険な存在であると、今になって気付き始めた。

 

 しかし、それでもエイダの歩みは止まらない。

 迷うことなく、躊躇うことなく、自分を救ってくれるものを探して、広い糸の迷路の中を歩き回る。

 

「―――……!」

 

 ふと、エイダの耳が何かを捉える。あまりにも遠く、微かな声ゆえに聞き逃しそうになったが、自分以外の何も聞こえないために、比較的はっきりと届く。

 ハッと目を見開いたエイダは、音を感じた方向にすぐさまその場から走り出す。

 

 穴の中で、足音がどこまでも響き渡るが、一切構わない。元々見つけてもらい、食い殺してもらうために来たのだ。

 音のした方向を目指し、そして見つけてもらう事を望み、できるだけ派手に走り抜ける。

 

「ハァッ……ハァッ…こ、ここに……何かが……!?」

 

 やっと見つけた、やっとたどり着いたと。

 エイダは息を弾ませ、知らないうちに笑みを浮かべ、次第に近付いてくる音の元へと急ぐ。

 

 そしてついに、その空間へと足を踏み入れ、闇の中に目を凝らす。

 

「……え?」

 

 しかし、そこで目にした光景に、エイダは勢いを全て削がれ、呆然と立ち尽くす。

 大きく見開いた眼にそれらを映し、さーっと顔中から血の気を引かせていく。思考が停止し、徐々に荒くなる息と共に、身体に震えが走り出す。

 

 目の当たりにしたものは、まるで地獄そのものだった。

 

「あっ……あーあーあー!!」「ぎぼぢいい…ぎぼちいいよぉ!!」「いや……いやいやいやいやぁぁ!!」「たすけて…だれかたすげでよぉ!!」

 

 天井からぶら下がる、無数の裸の女体。

 糸に四肢を絡められた数十人ものエルフの女達が、全身を体液でぐちゃぐちゃにしながらあえぎ、悲鳴をあげ、悶えている。

 

 一糸まとわぬ身体は、腹部や胸部が異様に膨らみ、あり得ない形を見せる。普通の妊婦でもそうはならないであろう程、乳房や腹が肥大している。

 

 しかしもっとも異様なのは、女達全員が苦痛だけではない、快楽の表情を見せている事だ。

 痛々しく泣き叫ぶ者もいれば、涎と鼻水と涙を流し笑っている者もいる。そして皆、時折ビクビクと全身を痙攣させているのだ。

 その場にいるすべての女達が、異様な姿と表情を晒し、悶え悦んでいた。

 

「な……んです、か、これ…!?」

 

 エイダの目に宿っていた虚無が、皮肉な事にこれで引っ込む。しかし代わりに湧き出した恐怖が、彼女の身体を凍り付かせる。

 

 大蜘蛛が女達を攫う理由を、彼女はまるで理解していなかった。

 捕食のためか、体内に卵を植え付ける為か、その程度の考えしか抱いていなかった。

 

 だが、目の前にあるこの光景はまるで違う。

 美しかったはずの女達が、まるで別の生き物にでも変容してしまったかのように、醜く悍ましい姿を晒す。まるで眠らないまま、悪夢の中に迷い込んでしまったようだ。

 

「こ、これ…攫われた人たちですか…!? 食べられたんじゃなくて、みんなここで、囚われていて……!?」

「―――あ、ぎ、ぎぃいい!!」

 

 不意に、エイダのちょうど真上にいた女が、白目を剥いて叫ぶ。

 見上げれば、女達の中でも特に大きく膨らんだ体をしていて、よくよく見ると皮膚がボコボコと波打っているのがわかる。

 

 エイダは思わず、上がりそうになった声を手で抑え込む。ずるずると後退り、壁に背中をぶつけ、そのまま地面にへたり込む。

 その間にも、真上の女に起きた変化は続いていた。

 

「あぁぁ……ぎ、ぎぎぎぎぃぃぃ!!」

 

 ビキビキと、女の皮膚に血管が浮かぶ。限界まで膨らんだ風船のように、うっすらと体の中まで透けて見える。

 ぼたぼたと涎を垂らし、目を見開き、苦悶の声を上げ続けていた女が、びくびくと大きく身を震わせる。

 ミチミチぎしぎしと、肉と骨が軋む嫌な音が鳴り出した、その直後だった。

 

 どばっ!と、彼女の皮膚が裂け、エイダの元へ大量の肉片が降り注いだ。

 

「ひっ…ひぃやぁぁぁ!!!」

 

 ぼたぼたぼたっ!と、真っ赤な肉が雨のように落ちてきて、エイダの全身を真っ赤に染める。

 頭上には、身体の肉の殆どが削げ落ちた女が、恍惚の笑みを浮かべたままぶら下がり、痙攣を続けている姿がある。目に光はなく、既に事切れている事を教える。

 

 恐ろしい一部始終に、エイダはガタガタと身を震わせ、ぱくぱくと何度も声ならぬ声を漏らす。

 怪物に食って貰い、楽になろうという考えは、もうとっくに失くしていた。こんな凄惨な最期を迎えるなど、望む筈がなかった。

 

 しかしすでに、彼女が逃げる道はどこにも残されていないという事に、彼女は気づいていなかった。

 

「に、逃げなきゃ……逃げなきゃ…!」

 

 力の入らない両足に叱咤し、立ち上がろうともがくエイダだが、怯え切った自分の身体は別の誰かのように、全く動いてくれない。

 両腕はぬるぬると、血に濡れた地面を滑るだけで、這って動く事さえできない。

 

「…キィイ」

 

 一歩も動けない彼女の耳に、また別の声が聞こえる。

 ビクッと肩を振るわせたエイダは、恐る恐る、ぎこちない動きで目を動かし、自分の真下を見る。

 

「キィ……オンナ?」「オンナダ、ギィギィ」「アタラシイママカ!」「ロリナママトハマニアックデスナ」「イイゾイイゾォ!」「マズハハラゴシラエダナ」

 

 辺りに飛び散る肉片に混じり、白い球体の何かが転がっている。

 真っ赤に汚れたまま、コロコロと転がっていたそれらに突如ピキッとひびが入り、次々に割れ始める。

 

 その中から現れる、掌サイズの蜘蛛の幼生。

 殻を割った瞬間から、明確な言葉を発し這い出してくる、小さくも危険な怪物の子供達。それが何十何百と、産声を上げて近づいてくる。

 

 それを目にしてしまったエイダは、もう堪える事ができなかった。

 

「うっ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「エサニスル?」「オカス?」「マズハホンタイガアジミスルダロ」「ドッチニシロツカマエトコウゼ」「ソレモソウカ」「アー、オレモハヤククイテェ」「ガマンノトキダヨ、キョウダイ」

 

 悲鳴をあげたエイダが踵を返すも、その時には既に蜘蛛の子供達が体に張り付き、エイダの動きを阻害していた。

 足に、腕に、胸に、背中に張り付き、その数を利用して全身に組み付く。そして互いに放った糸を使い、少女の全身を縛り始めた。

 

「いやだ…いやだぁぁ! 離して…離してぇ! 僕は…僕はいやだ! こんなふうに死にたくない! 死にたくないよぉ!!」

「アーアーナイチャッタヨ」「ダレダヨナカセタヤツ」「オマエダロウガ!」「ミンナドウザイダッテノ」

 

 必死にもがくエイダだが、すでに彼女の身体は自由を奪われ、地面に転がるばかり。

 次から次へと涙が溢れ、恐怖が少女の心を苛む。そして、抵抗する力を根こそぎ奪い去っていく。

 

 絶望で目の前が真っ暗になっていく。

 するとやがて、暗く闇に呑まれていく視界の中に、赤く輝く八つの光が見え始める。

 

 ズシン、ズシンと音を立て、ゆっくりと近づいてくるその光の持ち主は、比較する事も馬鹿らしくなるような巨体を揺らし、エイダの前に訪れた。

 

「―――オォ、コンドノエモノハコレカ。マァマァカオハイイガ、ドレダケナガモチスルダロウナ」

 

 その声は、周囲から聞こえてくる蜘蛛達の声と全く同じもの。

 視界に映る八つの光は、また別の方向にも見え始め、少女の視界全体が赤い光に占められる。

 

 もう、反応さえできなくなったエイダは、一切の悲鳴も出せず。

 

 そのままことん、と。

 自ら意識を手放すのだった。

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