アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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16.Deaparate

 ぞわぞわと、背筋に寒気が走る。

 周囲のいたるところから、かさかさと気味の悪い音が、そして女の嬌声と悲鳴が聞こえてきて、己の聴覚を狂わせてくる。

 

「……ん」

 

 今すぐに起きなければ、酷く後悔する羽目になる。

 そんな声が聞こえた気がして、エイダはゆっくりと、重く閉ざされていた瞼を開き始める。

 

 そして、すぐに後悔した。

 

「ヒギィイイイ!! やべて…やべてやめでぇぇ!!」

「じぬっ! しんじゃうっ! もうしんじゃうぅぅ!!」

「ごろじでぇ……もうころじでよぉ!!」

 

 意識を取り戻したエイダの目の前にあったのは、白目を剥いて泣き叫び、涎と涙を撒き散らして悶え苦しむエルフの女達の顔。

 つい先ほどまで、真下から見上げていた女達の悲惨な姿が、目と鼻の先にまで近づいていたのだ。

 

「ヒィッ!?」

 

 正気を失くした女達の姿を目撃し、エイダは小さく悲鳴をあげる。

 

 そこでエイダは、自分の両手足にも蜘蛛の糸が巻き付き、空中に吊り下げられている事に気付く。

 思わず藻掻き、拘束を抜け出そうとするも、糸は凄まじい粘着性と強靭性を見せ、全く引き千切る事ができない。まさしく、蜘蛛の巣の罠にかかった憐れな獲物そのものの様だ。

 

「あ……あぁ…! ぼ、僕……どうして、こんな、所に…!?」

 

 凍り付いた思考を無理矢理回らせ、エイダは自分に何が起こったのかを必死に思い出そうとする。

 そしてやがて、ハッと目を見開いた彼女は、自分の真下に顔を向け、目を凝らす。

 

 自分が吊られている、森の木とほぼ同じ程度の高さから見下ろした先に、真っ赤な水溜まりがある。

 無数の肉の欠片が転がるそこに、何体もの蜘蛛達が集り、ぐちぐちと音を鳴らして肉片にかじりついている。

 

 少しずつ、転がる肉のかけらが小さくなっている様子を見て、エイダの中に凄まじい嘔吐感がせり上がった。

 

「うっ……うぶぇっ…!!」

 

 堪える事ができず、エイダは空中にぶら下がったまま、盛大に胃の中のものを吐き出してしまう。びちゃびちゃと吐しゃ物が落下し、血に混じって凄まじい色になる。

 酸っぱい匂いが自分の口から溢れ、エイダは思わず涙目になった。

 

「な、何人……いったい何人、ここで犠牲になったのですか…!?」

 

 大きく肩を上下させ、戦慄の声をこぼす。

 攫われたエルフの女達が全員、ここで怪物達に卵を産みつけられ、苗床にされていたという事実に、恐怖が沸いて止まらなくなる。

 

 しかしそこで、エイダはより恐ろしい想像をしてしまい、ひゅっと息を呑んで固まった。

 

「……一体、彼女達は何体……あの怪物達を産んだのですか……!?」

 

 目に見える範囲でも、女達は十数人はいる。聞いていた行方不明者の数は、前回起こった襲撃を含めてももっといるはずだ。という事は、女達が囚われている場所は他にもあるという事になる。

 

 その全員が怪物達の子を産み落とさせられたのだとすれば、どれだけの数まで増えたのだろう。

 一人で何十体も生み落としてみせた彼女のように、一度に多く生み出せるのだとすれば、この巣に潜む怪物の数は、恐ろしい数になるはずである。

 

「に…逃げなきゃ……逃げなきゃ…! ここにいたら、僕もあの人達みたいに、殺される…!」

 

 ガタガタと身を震わせ、エイダは必死に暴れ、糸の拘束を抜け出そうとする。

 延々と続く苦難に飽き飽きし、自ら死にに来たことも忘れ、必死に抵抗を続ける。

 

 見るも無残な死に方をしたエルフの女の最期が何度も脳裏に蘇り、エイダから真面な思考力を根こそぎ奪い去っていた。

 

「どうして…どうして取れないの…!? 早く、早く逃げないと…逃げないと…!」

「……あは…あははははぁ、無駄よ、無駄無駄……」

 

 ボロボロと涙をこぼし、もがくエイダにそう告げるものがいた。

 ハッと我に返り、エイダが振り向くと、そこにも体を大きく膨らまされた女が一人いた。

 

 レイアンの秘密の恋人であり、何度も肉体関係を持っていた彼女―――ルイゼは、半笑いで虚ろな目をしながら、嘲笑うようにエイダを見下ろしていた。

 

「あの方から逃れるなんて……誰にもできないわぁ。あの方はねぇ……最強なのぉ、どんな生物だってぇ、あの方に傷をつける事もできないのォ……そういうお方なのぉ…」

「あ、の、お方…? まさか、あの蜘蛛の……」

「新入りの分際で……気安く喋ってんじゃないわよ小娘がぁ!!」

 

 びくびくと怯えながら、恍惚とした笑顔と全裸で吊り下げられているルイゼにエイダが問うと、ルイゼは突如豹変して怒鳴り返す。

 エイダが悲鳴と共に身を縮こまらせると、ルイゼはまたうっとりと顔を蕩けさせ、虚空を見つめて笑みを浮かべる。半開きになった口からは、だらだらと唾液が垂れ落ちていた。

 

「ここに来てぇ……あの方に愛されてぇ、わかったのぉ。あの方はぁ……世界中の全ての雌を手に入れるぅ、王になるべきお方なのぉ……あんな奴目じゃないぃ、最高に魅力的なお方なのよぉ……?」

「な、何を…言って……」

「あの方のモノはおっきくてぇ……胤を植えてもらうとぉ、もう全部がどうでもよくなるくらい幸せになるのぉ。それでわかるのよぉ……あの方こそがぁ、この世界の全てを手に入れるに相応しいお方なんだってぇ…!」

 

 頬を赤く染め、当然と語るルイゼの表情は、まるで恋する乙女のよう。

 しかし、両の目には何も映しておらず、見えているかどうかさえ分からない。ぽっかりとあいた深い穴の奥を想わせるそれで、自分の中の『あの方』を見つめているらしい。

 

 彼女は一体、捕らわれてどれだけの時間が経ち、何をされてきたのだろうか。女をここまで壊し、悍ましく変貌させる蜘蛛の怪物に、エイダはもう脳の処理が追い付かない。

 逃げようともがいていた体も、震えるだけで少しも動いてくれなくなっていた。

 

「他の男なんていらないぃ……あの方さえいればぁ、私達は幸せなのぉ。あのお方の子を産んでぇ……この森をぉ、この世界をぉ、全部全部あの人で埋め尽くすのぉ! 素敵な事でしょぉぉ…!?」

「いや……いやぁぁ!」

「そんなの嫌よぉ…! 誰か……助けてぇ…!」

 

 ケタケタと歪に笑い、そう語るルイゼ。

 周りにいる女達は、まだそこまで壊れていないのか必死に首を横に振り、涙を流して拒絶する。

 

 しかし、そんな彼女達体は生みつけられた卵によってぶくぶくと膨らみ、中にはボコボコと波打っている者もいる。

 手遅れ、という言葉が、彼女達を凝視していたエイダの脳裏に過った。

 

「あは、あはははははぁ! あんた達もいずれそうなるのぉ……あの方に愛され続けていればぁ、いずれ嫌でもわかるわぁ! 私達は全員ん……あの方のものになるのぉ!」

 

 唾液を吐き散らし、語っていたルイゼ。

 彼女の身体が、不意にボコボコと激しく波打ち始める。

 

 はち切れそうなほどに膨らんだ胸や腹の中に入った無数の化け物が暴れ、飛び出そうともがき揺れ動く。

 ガタガタと震え続けるエイダの耳に、再びミチミチと肉が裂ける音が届き始めた。

 

「あぁぁ……あぁあああ!! これよぉ、これを待ってたのよぉ!! 生まれるわぁ……またぁ、私の赤ちゃん達がぁ、生まれるわぁぁぁぁぁ!!」

 

 歓喜の咆哮を上げ、身体の内側に潜む怪物の誕生を望むルイゼ。

 ミチミチバキバキッ、と肉だけでなく骨も折れる音が響き始めたその瞬間。

 

 どぱぁんっ!!と、ルイゼの身体が風船のように弾け、無数の蜘蛛の怪物の子達と共に、肉片が辺り一面に撒き散らされた。

 

「あ、あ、あぁぁ…!」

 

 生まれ落ちた蜘蛛達は、器用に地面に足から着地すると、降り注ぐ肉片の雨を全身に浴びて歩き出す。

 そして近くに転がる肉片のもとに向かうと、ガパリと口を大きく開き、自分達の母でもあったそれらを貪り始めた。

 

(悪夢だ……これは悪夢だ…!)

 

 微塵も動かない身体で、エイダはそれを凝視する他にない。

 他の女達も同様で、叫ぶ気力もなくなったのか、顔中涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、声ならぬ声を漏らし嘆くばかり。

 誰もが、自分はもう助からないと、完全なあきらめの境地に至っていた。

 

「―――ギチギチ、キョウキタエモノハコイツダケカ…」

 

 不意に、エイダのすぐ後ろから、不気味な声が聞こえる。

 ビクッと身体を振るわせたエイダは、ゆっくりと、ぎこちない動きで振り向き、声が聞こえた方を見る。

 

「ロリハイイケド、コイツダケジャタノシメソウニナイナ……コンドハソトニサガシニイカセルカ。イエカラデルノ、マジデメンドクセェ」

「ひっ……あっ…!」

 

 天井に張り付き、ぎょろりと悍ましい目で見下ろしてくる、集落に現れた蜘蛛達の数倍巨大な蜘蛛。

 子供達と全く同じ声で、しかしさらに醜悪さと嫌悪感を与える視線を向けてくる、間違いなく親玉である化け物―――〝略奪者《パラモア》〟の姿がそこにあった。

 

 不意に、パラモアの八つの目が輝く。

 すると、張り巡らされた糸がひとりでに動き、吊り下げられた女達が移動させられる。無論エイダも同じで、捕らわれの女達の中でひときわ小柄な彼女は、大蜘蛛の親玉の目の前に移動させられていた。

 

「ロリハシマリガイイケド、スグニシヌカラナ……アンマリナガモチサセテアソベナイカラ、アツカイガメンドクサインダヨナ」

「デモオカスクセニ」「イイワケケッコウ」「オワッタラカワレヨ、ホンタイ」「アソベルオンナモスクナクナッテキタシナ」「ネーパパ、アタラシイオモチャガホシイヨゥ」「ガマンシナサイ!」

 

 両手足を広げられ、空中に固定されるエイダの元に、パラモアがゆっくりと近づいてくる。彼の子であり、眷属である無数の蜘蛛達に囃し立てられながら、獲物の最初の味見を行おうと、両足をこじ開けていく。

 

「あ……あガ、あ……あ」

 

 エイダが痛みに悶絶しても、怪物の動きは止まらなかった。

 その様にさらに嗜虐心を煽られたように、ぎちぎちと顎を鳴らし、腹部の管からだらだらと、白濁した液体を垂れ流した。

 

 巨体が徐々に迫り来る様を見上げ、エイダはぱくぱくと意味もなく口を開き、涙を流す。

 自分の中に入りそうもない、大人の男の腕ほどもある太さの管を凝視し、大の字になったまま凍りつく。

 

(いやだ、いやだいやだいやだ……こんなのはいやだ、こんなふうに死ぬのはいやだ…!)

 

 度重なる残酷な光景を見せつけられ、楽に終わらないのだと絶望を突き付けられたことで、壊れていた少女は、強引に正気に引き戻される。

 迫りくる絶望に恐怖したエイダは今、明確に。

 

 死にたくない、と、そう思っていた。

 

「……助けて」

 

 そんな呟きが、誰かに届く筈もなく。

 大蜘蛛の怪物の親玉が備えた管が、一切の容赦なく、少女の身体に付き立てられようとした。

 

 

 

「―――グルルルルァァァァァァアアア!!!」

 

 

 

 その咆哮が、エイダの中にあった絶望を、瞬く間に払い除ける。

 同時にパラモアの動きも止まり、何が起こったのかと八つの目があらゆる方向を見渡す。

 

 しかしその時には既に、パラモアの真下にできた巨大な影の中から飛び出した黒竜が、パラモアの腹部に食らいつき、地面に引きずり落としていた。

 

「ギチギチギチギチィ!!」

「グルァァァァァァァ!!」

 

 地面に叩きつけられたパラモアはすぐさま起き上がると、お楽しみの邪魔をした謎の竜に敵意の目を向け、威嚇で牙を噛み鳴らす。

 それを受けた黒竜アサルティは、自身の中で渦巻く怒りを表すかのように、大気をふるわせるすさまじい咆哮を上げてみせる。

 

 黒竜と大蜘蛛。

 この世に在るべきではない危険な怪物達が今、真正面から睨み合い、互いを完全な敵とみなし、対峙した。

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