アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
豊かな森に守られ、数百年の時を経てきたエルフの集落。
そこは今、凄まじい惨状を晒していた。
集落の住人全員が、夥しい量の蜘蛛の糸に囚われ、身動きの取れない状態で磔にされている。
家屋の殆どは跡形もなく破壊され、巨大な蜘蛛の巣の材料にされる。視界の全てが真っ白に染まっているその様は、いっそ壮観だと言えた。
「いやぁ…いやぁぁ!!」
「やめて…もうこれ以上はやめてぇ!!」
「許して! もう許して!!」
そして、囚われた女にいたっては、着ていた衣服を全て剥がされ、一糸纏わぬあられもない姿にされていた。
老人を除いて、年齢を問わず多くの女達が、真っ白な肌を晒され、宙吊りにされている。
その様を、女達の夫、恋人、親、住民の半数を占める男達が、必死の形相で見上げ、力の限り叫んでいた。
「やめろ……やめろぉ!!」
「もうやめてくれ!」
「妻に…妻にそれ以上触るな! 血迷ったかレイアン!!」
男達は涙を流し、磔にされた女達の中心で一人佇む青年を睨む。
不気味に笑い、捕えた女達を満足げに眺めるレイアンは、男達の怒号などまるで気にも留めない。むしろ、そうして怒り狂う様を、実に楽しそうに見やるだけだ。
さらに、吠える男達の中には、彼に付き従っていた取り巻き達の姿もあった。
「レイアン! おい、レイアン! 何をするんだ!」
「離せ! この糸を早く外せよ!!」
「どいうつもりだ、レイアン! 説明しろ!!」
ぎしぎしと、糸の拘束から逃れようと藻掻く取り巻き達だが、粘つく糸は固まってまるで微動だにしない。
芋虫の様にうねうねと身をよじらせるだけの彼らに、レイアンはフンと鼻を鳴らしてみせた。
「うるさいな……もうお前達は用済みになったから、処分するためにそうしたに決まってるだろ。いちいちわかりきったことを説明させるんじゃねぇよ」
「な…何だとぉ!?」
「用済みってどういうことだ!? 処分って……殺すって事か!?」
「…本当に鬱陶しいな」
訳がわからないと、目を吊り上げて叫ぶ取り巻き達と、他の男達。
レイアンは忌々し気に舌打ちをこぼし、ガツガツと地面を蹴って苛立ちを見せる。
その様は、癇癪を起す直前の子供そのもので、青年の異様さをさらに示していた。
「俺以外の雄は邪魔だ……俺一人いれば、血筋なんざいくらでも増やせる。女さえいれば数なんかいくらでも増やせるんだよ。だから……お前らは死ね。ただ餌として食われればそれでいい」
「何だそれは…!? お前は何を言ってるん―――」
反論を口にした取り巻きの一人が、途端に黙る。
いや、一本の糸を持ち、無造作に手を引いたレイアンによって、首から上がぽんっと空中に撥ね飛ばされる。
斬り飛ばされた首は、女達の前まで転がり、顔を上に停止する。
何が起こったのかまるでわかっていない、無の表情で固まっていたそれに、女達が悲鳴をあげる直前、レイアンの足が振り落とされた。
「うるせぇ……うるせぇ、うるせぇうるせぇ! ごみが口きいてんじゃねぇ! くそが!!」
「きゃああああああ!!」
「お前らもうるせぇんだよ!! 雌は黙って啼いてりゃいいんだよ!!」
ぐちゃぐちゃと、男の首を踏み潰し、なおも足を止めないレイアン。
真っ赤に汚れる青年と、飛び散る血潮と脳漿に悲鳴をあげる女達に、レイアンは目を血走らせて吠える。
「俺だけいればいいんだよ…! 俺だけがこの世で唯一の雄であればいいんだよ! 他の低俗で低能な雄は、生きてる資格なんてありゃしないんだよ!! そんなこともわからねぇから、お前らは塵なんだよ!!」
唾を吐き散らし、口角を耳まで裂けて見えるほど吊り上げ、焦点を失いながら、身勝手で意味不明な言葉を吐き散らすレイアン。
端正な顔立ちは、暴論を吐くたびに醜く歪み、元の姿とはかけ離れたものになっていく。それこそ、集落に現れた怪物にどこか似通った姿に見える。
そこに、ドドドド…と重い轟音が響いてくる。
バキバキと樹々をへし折り、糸の壁を乗り越え、パラモア―――レイアンが名付けた巨大な蜘蛛の怪物がその姿を見せる。
かつては失禁するほどに恐怖をあらわにし、怯えていた化け物がそこに現れたというのに、レイアンは一切恐れる姿を見せない。
それどころか、そこに何もいないかのように振る舞っていた。
「ギチチチ…アタラシイオンナガ、コンナニフエタ。アトハアノバケモノガクルマデニ、ジュンビヲオワラセナイトナ…」
「くひひ……化け物め、俺の玩具をみんなコワシやがって、目にものミセてくれるわ…!」
「そウダ……オレハバけもノダ、あンナ噛み付ク事しカデキナい奴に負けルワケガねぇ。おレの方が強インダ……!」
ズシンズシンと地面を踏み鳴らし、集落の真ん中へと、レイアンの元へと向かうパラモア。
巨体が影を作り、レイアンを覆い隠しても尚、レイアンは顔色一つ変えない。狂気に満ちた笑みで、くつくつと肩を揺らして佇むばかり。
そして、蜘蛛の怪物と青年は、示し合わせたように続く言葉を口にする。
まるでエルフと怪物が、全く同じ存在に変貌していくような、異常な様を見せていた。
「「コノ世ノ雌ハ、全テ俺ノ物!! 俺以外ノ雄ハ全テ食イ殺ス!!」」
怯える女達と、慄く男達の前で。
さらなる異形に変貌していく蜘蛛と青年は、悍ましく高らかに嗤い続けていた。
△▼△▼△▼△▼△
邪魔な木々を潜り、押しのけ、黒竜が影を泳ぎ、先を急ぐ。
バサバサと葉や枝が顔に当たるのも構わず、ひたすら前だけを見つめ、前進する。
その背に乗るエイダは、必死にアサルティの背にしがみつき、吹き飛ばされないように耐え抜く。
背中や髪に枝が当たって非常に苦痛だったが、一言も文句を垂れることなく、黒竜の鱗にへばりつき続ける。
アサルティは前を向いたまま、目だけをぎょろりと動かし、背中のエイダに視線を向けた。
「…
「……え? え!? 知らずに泳いでいたんですか!?」
予想だにしない一言に、エイダはギョッと目を見開き、固まる。
自分を背に乗せて進みだすや否や、迷う素振りもなく動き出したものだから、きちんと方向をわかって出発したものだと思っていた。
なのに、実際は全く場所を理解していなかったという事実に、開いた口が塞がらない。
「
「そんな…困りますよ! もうあの怪物が集落に行っているかもしれないのに!」
「
抗議の声を上げるエイダに、アサルティは不満げにぼやく。
影を泳ぐという特異な能力を持つ黒竜。真っ暗な闇の世界では、目印など見つかるはずもない。
気配だけを頼りに進み出したはいいが、気配を発しているのはエルフ達だけではなく、虫や獣もいるのだ。
「
「何ですかそれ!? 私の所為だとでも!?」
「
「私だって行ったことない場所ぐらいありますよ!!」
ギロッ、と咎めるような視線を向けるアサルティに、エイダはがーっと目を吊り上げて叫ぶ。
あまりにも理不尽な物言いに、大人しい少女もさすがに我慢できなかったらしい。
「ああもう…! こんな事してるあいだに、里のみんなが食い殺されてたらどうするんですか!」
「
「もう! 勝手な事ばかり!」
枝や葉に顔を当てないよう、辺りを見渡して位置を確認しようとするエイダ。
来たことがない場所でも、太陽の位置や風の向き、森の中でも目立つ目印になるものを頼りにし、集落の位置を特定しようとする。
しかし、見慣れない場所で右を見ても左を見ても、似たような光景が広がるだけだ。
「くっ……アサルティさん! ちょっと止まって、首を伸ばしてもらえませんか!?」
「ア? ナンデ?」
「上から方角を確かめるんですよ! 早く!」
大声で促すエイダに、アサルティは渋々泳ぐのをやめる。
エイダが停止したアサルティの頭の上によじ登り、彼女が角を掴んで体を固定するのを確認してから、アサルティはぐいっと体を起こす。
影の中で縦泳ぎになり、半身を地上に伸ばし、エイダの視線をできるだけ高くする。
「
「んん……もう、少し! もうちょっと首を伸ばしてください!」
「
頭の上に立ち、必死に目を凝らすエイダの注文に、アサルティはうんざりした様子で呟く。
よろけて落ちてはたまらないと、彼女の下で必死に動かないよう、体勢を維持する。
あの巨体と集落の人数なのだから、さっさと見つけてくれないものか、と黒竜が無言で待っていた時だった。
「……ン?」
ふと、アサルティの視界に何かが入り、目を細めて目を凝らす。
高い位置から見下ろしたおかげで、陽光に反射した何かが目に入る。細く、樹々の間から覗いて見える、金属のような何かだ。
「オイ、
「え?」
アサルティの指摘に、集落の位置を探していたエイダが首を傾げる。
アサルティはずぶずぶと影に戻り、ゆっくりと輝く何かがあった場所へと近づいていく。
しかし上からは見えた何かが、真横から探すと全く見つからなくなり、アサルティは訝し気に眉間にしわを寄せる。
「
不思議に思いながらも、さらに前へ進んでいくアサルティ。
低木を掻き分け、樹々の間を覗き込もうとした時、頭の上に乗るエイダがぐいっと角を引っ張った。
「ダメです、アサルティさん!」
角を引かれ、無理矢理止められたアサルティは、苛立った様子でエイダを睨む。
しかしエイダは気にせず、何やら緊迫した様子でアサルティの頭の上から身を乗り出し、樹々の間を指差した。
「
「あ、あれを見てください…!」
「アレ?」
エイダに促され、彼女が指さす何かに目を凝らすアサルティ。
鬱蒼と茂る木々の間、数えきれない枝や葉の間の、何も無い空間に何事かと集中する。
そこで、アサルティはようやく理解する。
木々の間には、よくよく目を凝らさなければ見えないほどに細い糸が、幾本も張り巡らされていたのだ。
「……
「あ、危なかったですね!」
「アイツ、
張られた糸に爪を引っ掻け、バチンと弾いてみるアサルティ。
すると、思った以上の抵抗が爪にかかり、僅かであるが爪の先が欠けているのに気付く。
知らずに通れば、行動を阻害される。あるいは勢いよく飛び込めば、身体を切断されていたかもしれない、細く強靭な糸。
残酷な罠に、アサルティの上でエイダがサーッと血の気を引かせた。
ふと、背筋に嫌な予感が走ったエイダは、辺りをぐるりと見渡してみる。
じっと視線を巡らせると、微かではあるが光る何かが目に入る。目の前にあるものと同じ糸が、そこら中に幾本も張られている事に気がついた。
「ど、どうしましょう……これじゃ前に進めませんよ!?」
「フン……」
ぎしぎしと支柱となっている樹々を鳴らす糸を見つめ、考え込むアサルティ。エイダが頭の上で慌てているのをよそに、ぎろりと糸を見据える。
一見、無造作に張られているように見える糸の罠の数々。
しかし遠目から見てみると、ある方向に集中して張られているようにも思える。
少し移動して見渡してみれば、ある一点を中心に張られている。まるで、そこに何か巨大な何かが隠れ、誰も近づかないようにしているようだ。
それを見たアサルティは、にやりと口角を上げて目を光らせた。
「ジャア、
「え?」
急に話しかけられ、呆けた声で答えるエイダ。
彼女の許しを待つことなく、アサルティはぐいっと影の中から空中に飛び上がり、頭から影の中へと潜り込む。
頭部からエイダの悲鳴が木霊したが、一切気にすることはなかった。