アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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20.Conclusion

「ああ……ああああああ…!」

「やめて……許して、許して…!」

「もう、もういやぁ…いやぁぁあ」

 

 そこら中から上がる、微かに艶を含んだ女達の呻き声。皆、身体の中に卵を産みつけられ、腹部などが異様に膨張させられている。

 そのすぐ傍には、身体の一部を欠損して倒れ伏す、事切れた男達の姿がある。横たわる彼らは皆例外なく、囚われた女達―――それぞれの妻や恋人に手を伸ばし、沈黙していた。

 

 そんな惨状の中心に、パラモアとレイアンはいた。

 蜘蛛の頭の上にエルフの青年は立ち、にやにやと不気味に笑い、辺りを満足げに見渡す。同胞の雄のみを尽く葬り、女達を生き地獄に陥れた男は、何の罪悪感も抱かずそれを眺める。

 

 彼の目は、パラモアと全く同じ血のような赤色に光っていた。

 

「キひ、きヒ……でキた、でキタ、俺の巣ガまタデキた」

「アの化け物ヲ殺す罠ガやっトデキた……こレデモウ誰も俺を殺セナい」

「「キひ、きヒヒ……準備はデキた、アの化ケ物ヲ食い殺ス用意はでキタ。何処から来ようと、いツ来よウト、俺ノ巣に入ッた得物ハタだジャスまナい……俺の邪魔ヲスる奴ハ、みンナ殺す! 殺ス!」」

 

 数分前までは、豊かな森に囲まれていたはずのエルフの集落。

 しかし今、その面影は微塵も残っていない。

 

 太く立派だった樹々は半ばから圧し折られ、真っ白な糸がそこら中に張り巡らされ、樹々はその支柱に利用された。家屋もすべて粉砕され、糸の壁に呑み込まれている。

 

 住んでいた住人達は皆引きずり出され、パラモアの餌か、新たな眷属を生み出す苗床にされた。

 この地でありのままの姿を保っているのは、レイアンを除けばもう、囚われたままの彼の父や老エルフ達だけであった。

 

「「あノ化け物ヲ殺シタら、次ハ外だ……モットモっと女を手ニ入レテ、もットモッと孕まセル! そうシタラモッと外を目指シて、モっともット女を孕マせる! ソウだ……全テの女ヲ俺の物に! 他ノ雄は皆殺シて、俺がコノ世の王になッテヤる!!」」

 

 さらなる色欲に心を震わせ、涎を垂らし、パラモアはその時をじっと待つ。

 自身の眷属を全て食い殺し、少しずつ築き上げた自身が支配する王国を崩壊させた元凶、決して許すことのできない邪魔者。

 

 不遜にも自身に牙を剥いた愚か者を、惨たらしく始末しなければ気が済まなかった。

 

「「早く……早ク来イ。早クこコニキて俺に食わレロ、殺サレろ! オ前を殺シて、俺ハサラなる女ヲ手に入レに行クンだ…!」」

 

 そこに、突如襲われ牙を剥かれ、脇目もふらず逃げ出す事を選んだ臆病者はいなかった。

 餌や女の調達も、全てを眷属にやらせていた引き籠りとは思えない強気な姿勢で、憎しみの対象である黒竜の登場を待ち続ける。

 

 見た目は同じなのに似ても似つかない、まるで別人のような豹変である。

 

「「サッサと来イよ! 俺を待タせルナよ!! 俺ニ殺されルタメに、サッさと出テコイよ塵屑ガァ!!」」

 

 パラモアの頭の上に立つレイアンと、彼を乗せて微動だにしないパラモア。

 両者の口から洩れるのは、全く同じ声。示し合わせたように同じ言葉を発し、捕えた獲物や屠った邪魔者を見下ろし、悍ましく目を光らせる。

 

 彼らの姿を一言で言い表すのならば、同じといったところか。

 姿形はまるで異なるのに、全く同じ存在が並んで立っているように―――いや、混じり合った一つの個体のように見えた。

 

「レイアン…!」

 

 そこに、パラモアにとっては初めて聞く、レイアンにとっては聞き馴染みのある声が届く。

 ぎろりと、パラモアと共に、苛立ちを前面に表した目で見下ろしてみれば、いつの間に抜け出して来たのか、自分の父が下から見上げてきている事に気付く。

 

 彼の後方には、家屋の破片に身を隠すほかの老エルフ達の姿も見える。息子の元に向かうレヴィオを止めようと、必死に声を上げていた。

 

「「ア? 何の用ダよ、糞爺……ドコカら出テ来やガッた」」

「お前…! 一体どうしてしまったというのだ!? 何故、何故その化け物と共にいる!? 里をこんな目に遭わせて、一体何をしようというのだ!?」

「「うルセぇ爺だな……黙ッテろよ屑ガ!!」」

 

 レイアンとパラモアが同時に吠え、巨大な蜘蛛の足がズシンと地面を貫く。

 怪物と青年の怒号、そして巨体の動作により、エルフの森はグラグラと揺れ、レヴィオもそれにつられて体勢を崩す。

 

 しかし彼はどうにか倒れず、体勢を整えて息子に向き直った。

 

「レイアン…! もうやめろ、これ以上同胞の命を奪って何になる!? 女達を見境なく襲ってどうなる!? 本当に化け物になってしまう前に、やめるのだ!!」

 

 レヴィオはそう、暴走する息子に向けて叫ぶ。

 愚かな行為を繰り返そうと、自分に対して敵意を向けてこようと、異形に変じていようと、彼にとっては大切な血の繋がった息子。どんな目に遭わされても、手放したくはない。

 

 自分の命を懸けてでも、元通りとはいかなくても、これ以上自分の手の届かない何かに変貌してほしくなどなかった。

 

「レイアン、頼む! 姿形が変わっても……心だけは、エルフのままであって―――」

「「うるッセぇッツってンダヨぉ、ゴみ虫ガァァァァ!!!」」

 

 どっ!と、レイアンの手首から蜘蛛の糸が放たれる。

 幾本も束ねられた、粘着性ではなく強靭性に優れたそれは、真っ直ぐにレヴィオに向かい宙を裂く。

 

 そして瞬く間に、レヴィオの胸の中心に糸は突き刺さり、背中側まで貫通する。

 肺に大きな穴を空けられ、目を見開いたレヴィオはごばっと大量に血を吐き出す。糸が引き抜かれると、レヴィオは驚愕の表情のまま崩れ落ち、その場に倒れ込む。

 声もなく沈黙する彼の真下には、夥しい量の鮮血が溢れ出し、大きな池を作りだす。

 

「お……長ぁ!!」

「レイアン貴様ぁ! 長に……実の父に何という非道な真似をぉ!!」

 

 隠れていた老エルフ達も、レイアンの暴虐には黙っていられず、身を乗り出して叫び始める。

 数十年に渡り愛情を注がれ、次なる長となるためにあらゆるものを与えられてきた若者。長が目に入れてもいたくないほどに可愛がっていた青年が、本気で鬱陶しそうに顔を歪めたまま、父の命を奪った。

 

 その光景が、ひたすらに信じられない。

 大恩ある親に一切の敬意を抱くことなく、まるで目障りな塵を処分するかのように屠った。それにより、老エルフ達の我慢は限界に達した―――しかし。

 

「「ダカら……ウるせェッツってンダろ!!」」

 

 彼らもまた、放たれた蜘蛛の糸に貫かれ、その場に次々に倒れ込んでいく。

 咄嗟に逃げようとした彼らだが、気付いた時には糸は目前にまで迫っており、躱す事もできず急所を貫かれ、数人がそのまま命を落とす。

 

 瞬時に静かになった彼らに、レイアンとパラモアは、ひたすら楽しそうに嗤い声を上げた。

 

「「俺トオ前らガ同胞だ? ふざケタコと言っテんジャネぇ……オ前ラみタイな下等生物と、俺ヲ同列に語るンジャねぇヨ! 馬鹿か!!」」

 

 げたげたと肩を揺らし、唾を吐き散らし、レイアンとパラモアが天を仰ぐ。

 自分がまるで、全ての生物を統べる王となったような爽快な気分で、二人の怪物は己以外の全てを見下す。

 

「「俺ガ唯一ッて言っテンダろ! 俺だケのたメニ、全テは存在シてルンだよ! ふひヒヒ…ふヒャハははハハは!!!」」

 

 嗤う姿は、もうエルフでも人でもない。

 大蜘蛛と同じ醜く悍ましい何かを、無理矢理エルフの形に収めたような、見た者の背筋を震わせる嫌悪の権化である。

 

 彼を見上げる、まだ息のある老エルフ達は、恐怖で震えて息もできない。

 一体、自分達の目の前にいるあの男は何なのだろうか。一体、どんな経緯があってあのような怪物が生まれてしまったのだろうか、と記憶を必死に探り、元凶を探す。

 

 レイアンは彼らを見下ろし、目障りな邪魔者を全て排除しようと、最後の一矢を放とうとした―――その刹那のことだ。

 

 

 ずるるるる…!と、レイアンとパラモアの足元に、巨大な黒い影が広がっていく。

 二人の怪物がそれに気づき、まさかといった表情で目を見開き、即座にその場から飛び退いた、だが。

 

 

「―――グオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!」

 

 

 どばぁっ!と、広がった影よりズレた個所、パラモアが飛び退いた丁度の真下から、黒竜が大きく咢を開いて飛び掛かる。

 黒竜の牙は深々と大蜘蛛の表皮に突き刺さり、バキバキと鎧を容易く砕く。

 

 二体の怪物はそのままもつれ合って倒れ込み、糸の張り巡らされた森の中に突っ込む。

 同時に、二体の激突の衝撃により、パラモアの頭の上からレイアンが放りだされた。

 

「ぐぬぁっ!?」

「ギギギギギギ!?」

 

 ドサッ、と地面に倒れ込むレイアンは、同じくひっくり返されるパラモアを見やり、そしてそこに飛び掛かるアサルティを見て、忌々し気に舌打ちする。

 黒竜の体表を見るに、傷らしい傷は全く見当たらない。先ほどの登場から考えるに、ここに来るまでに仕掛けた罠には一切引っ掛からず、あの影を泳ぐ力ですべて無視してここに辿り着いたのだろう。

 

「「このッ…化け物メ!! 何故罠にカカラない!? 態々俺が用意シてヤッたとイウノに、何故殺されナイ!? ふザけるナヨコの塵屑が!!」」

 

 自分の策を何もかも無視する怪物に、レイアンもパラモアもひたすらに怒りを抱く。

 自分の思い通りにならない存在が、憎くて鬱陶しくて腹立たしくて、自分の手で殺してやりたくて仕方がなかった。

 

 ガチン、ガチンと迫る牙を足でどうにか抑えながら、パラモアがレイアンと共に吠える。

 自らに死が迫っている事よりも、自分の策が無駄になったこと、自分の思い通りにならない存在がある事に、異常な怒りを抱いていた。

 

「ガルルルル!! グルルルル!!」

「「だっタライい! 今こコデ殺しテヤる!! たカガ噛みツククらイシか能ノナい雑魚ガ! コの手デぐチャグちゃニブッ殺シテヤって―――!!」」

 

 そう叫び、パラモアは鋭く尖った足と牙を、レイアンは自分の弓矢を構える。

 大蜘蛛の足が黒竜を抑え込み、容易に影に潜れなくさせる。そうするまでもなく、アサルティはパラモアの胴体に食らいつき、離れようとしていないが、それでもぎっちりと黒竜の身体に足を絡ませる。

 

 そこを、レイアンが狙う。数十年に渡って鍛え上げてきた弓を以て黒竜を、大きく開かれた目を貫こうと狙う。

 弓の弦を押さえつける指が離され、備えられた矢が勢いよく、黒竜の顔面に向かって放たれようとした。

 

 だが、その一撃が黒竜の目を貫くことはなかった。

 

「―――ぁぁぁぁぁぁああああああああ!?」

 

 ひゅるる…と、レイアンの頭上から何かが落下する音が届く。

 女の悲鳴とともに近付いてくるその声に、何事か、とレイアンが意識を割いたその直後、ゴッ!と凄まじい衝撃がレイアンの頭頂部に炸裂する。

 

「……がっ、あっ…!?」

 

 レイアンの視界に大量の火花が散る、衝撃が脳を揺らし、元から無かった真面な思考を奪い取る。

 ぎょろっと白目を剥いたレイアンは、ゆっくりと身体を傾がせ、地面に頭から倒れ込む。頭頂部から勢いよく鮮血を噴き出させ、俯せに倒れていく。

 

 レイアンが沈黙した後、彼の頭の上に乗っていた少女―――エイダが涙目で頭を押さえ、へろへろとしゃがみ込んだ。

 

「ふっ……くっ、ひぐっ…! あ、あの人…! いきなり真っ暗闇に引きずり込んだと思ったら、途中でいきなり空中に放り出すなんて…! 私が死んだらどうするつもりだったんですか…!?」

 

 明らかに腫れている頭をおさえ、恨み言を口にするエイダ。

 出血もなく、ただ痛いだけで済んでいるという異常に気付くことなく、大蜘蛛に襲い掛かっている黒竜を睨みつける。

 

 地響きと怪物達の咆哮を耳にし、痛みが去るのを待っていたエイダ。

 しばらくしてようやくましになり、のろのろと立ち上がった彼女は、自分のすぐ近くに倒れ伏すレイアンと、遠くに臥せっている血塗れに老エルフ達に気付き、大きく目を見開いた。

 

「…! お、長! それに……レイアン様!? ま、まさか、みんな、死んで…!?」

 

 ひゅっと息を呑み、すぐさま長達の元へ走り出すエイダ。

 レイアンの元に向かわなかったのは、日頃の恨みが原因であろうか。それともレヴィオに対する印象の方が、他よりもましだったからであろうか。

 とにかく大急ぎで長の元に駆け寄り、しかし彼に刻まれた傷の大きさに、顔から血の気を引かせる。

 

「……そんな、これじゃ…もう…!」

 

 手の施しようがない、あまりにむごい傷。

 何も出来ないと気付き、絶句するエイダは、横たわるレイアンが震えながら手を伸ばそうとしている事に気付いた。

 

「! お、長! しっかりいしてください!」

「エ……エイダ…気を、つけろ…! そ、そこに……」

「う、動いちゃだめです! 動いたら、余計に出血が…!」

 

 目を血走らせ、必死に体を起こそうとするレヴィオ。エイダはそれをし留めようと、レヴィオの身体に覆いかぶさる。

 何も出来なくても、せめてこれ以上苦しまないようにという想いで、レヴィオが動くのを阻止しようとする。

 

「ぬぅあああ!!」

 

 だが、突如レヴィオがエイダを突き飛ばし、逆に彼女に覆いかぶさる。

 重傷を負った体のどこにそんな力があるのか、とエイダが驚愕で目を見開いた瞬間。

 

「き、ヒッ―――!」

 

 ずぶっ!と、レヴィオの背中に短剣が突き立てられる。

 苦悶の声を上げ、歯を食い縛るレヴィオの下で、エイダは何が起こっているのかまるでわからず、困惑で硬直し息を呑む。

 

 短剣を突き立てた男―――レイアンは、狙った相手・エイダを刺す事ができず、忌々し気に舌打ちをし、父親の背中から短剣を引き抜く。

 遠慮なく刃が引き抜かれると、傷口からさらに血が噴き出し、背後のレイアンに降りかかる。しかしそれでも、レイアンは表情一つ変えず、レヴィオに庇われるエイダを睨みつけていた。

 

「糞が……糞ガ糞ガ糞が!! 邪魔スルなっツッテんダロうが糞爺!!」

「…これ以上は…! やらせん…!」

 

 目を吊り上げ、真っ赤に光る目で見下ろすレイアンに、レヴィオは血反吐を吐きながらそう告げる。

 

 二人の男達のやり取りに、エイダはもうついていけず困惑しっぱなしである。

 何故、元から仲が良くはなかったものの、命を狙われる謂れのないはずのレヴィオが、実の息子に殺されかけているのか。

 それを理解する前に、レヴィオがエイダの上から、フッと笑みを浮かべて話しかけた。

 

「……案ずるな、エイダ、我が孫娘よ……この命を懸けてでも、お前をあ奴にやらせはしない…!」

「えっ……」

 

 ぶるぶると身体を震わせ、語り掛けてくるレヴィオに、エイダの思考が停止する。

 

 眉間により深いしわを刻んだレイアンは、まずは邪魔な父親から処分しようと思ったのか、短剣を握り直すと真上から飛び掛かる。

 落下の勢いを加えた一撃が、今度はレヴィオの脳天を一息に貫こうと迫る。

 

「! このっ…!」

 

 しかし、落ちて来るレイアンを前に、怒涛の展開で呆然としていたエイダが我に返り、自分の腰に提げた短剣に手を伸ばす。

 自分が思っていた以上の速さで刃を抜いたエイダは、迷うことなくそれをレイアンに向けて投げつける。

 

 甲高い風切り音と共に、短剣はレイアンの顔面に吸い込まれるように突き刺さり、彼の脳を貫いて反対側にまで届く。

 直後、レイアンの顔面から大量の鮮血が噴き出し、彼はぎょろりと白目を剥いて、身動ぎ一つせずに地面に落下する。

 

 気が狂ったとしか思えない青年が、地面に倒れてピクリとも動かなくなっても、エイダは緊張で息もできない。

 彼女に覆いかぶさるレヴィオが崩れ落ちてようやく、彼女はハッと我に返った。

 

「お、長! しっかりしてください! 長!」

「……馬鹿者め……なぜ、そうなるまで止まれなかったのだ、馬鹿息子め……!」

 

 レヴィオは横たわる息子の亡骸を見つめ、ほろりと涙を流す。

 困惑で目を泳がせ、必死に呼びかけてくるエイダに応える事もできず、レヴィオは次第に瞼を閉じていき、次第に静かになる。

 彼の下から抜け出そうと藻掻くエイダは、反応一つ返してこない彼に、さらに焦燥に駆られ出した。

 

「長…!? 長ぁ!!」

 

 死屍累々。多くのエルフの男達の亡骸が転がる、エルフの集落があった場所で、エイダの泣き叫ぶような悲鳴が、どこまでも甲高く響き続けた。


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