アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
美しかった森は、もうほとんど跡形もなくなっていた。
雄々しく聳え立っていた大樹は軒並み圧し折られ、無残な残骸となって横たわる。その根元で生い茂っていた草木も、下敷きとなってすり潰され、哀れな姿を晒す。
誰にも知られることなく、ひっそりと存在していたエルフの里もまた、むごい様を晒していた。
人が住んでいたとは思えないほどに荒れ果てた、廃墟と言い表すほかにない瓦礫の山―――たった二体の怪物達により破壊しつくされたその地が、そこにあった。
「……ありがとう、ございます。手伝って貰って」
荒れ果てたエルフの里の中心、瓦礫を退かした空間で、エイダがそう呟く。
後ろに立つアサルティは、掠れた声で感謝を告げるエイダに目を細め、ため息交じりに応える。
「……気ニスルナ。穴ヲ掘ッタダケダ」
「それでも……助かりました。僕一人では、いつまでたってもみんなを眠らせてあげられなかったと思いますから」
膝をつき、背筋を伸ばした彼女の目の前にあるのは、枝を十字に組んで地面に突き立てた、簡素な墓。
辛うじて見つけられた里の住人達、彼らの亡骸を地面に埋め、せめてそこに眠っているのだとわかるように目印を立てた。
決して仲が良かったとは言えない、しかし血の繋がった彼らの弔いを終え、エイダは深くため息をつく。
自分以外の全員が、目の前の地面の下で眠っているのだという事実に、胸にぽっかりと穴が開いたような、酷く虚しい気分に陥っていた。
「オ前モ物好キダナ……自分ヲ疎ンデイタ連中ニ、ココマデシテヤルトハ」
「ほったらかしにしたら、それこそ後悔が残りそうだったので……嫌われていても、酷い事をされても、血の繋がりは確かにあった筈なんです」
ぐいっ、と涙が滲んだ目を拭い、立ち上がるエイダ。
それ以上に泣くことを堪える少女に、黒竜はただ無言で目を細めるだけで、何もしない。
一人と一体はしばらくの間、じっと墓を見つめ、佇み続けていた。
「オ前、コレカラドウスルツモリダ?」
「…どう、とは?」
「今後ノ暮ラシダ。家モナイ、親族モイナイ、今ノオ前ニハ何モ無クナッタワケダガ……当テハアルノカ?」
ふと、アサルティが抱いた疑問を口にしてみると、エイダは困ったように笑い、目を逸らす。
あまりに唐突に起きてしまった惨事で、自分が生き残るとさえ思っていなかった騒動である。乗り切った後をどう過ごすかなど、全く考えていなかったようだ。
「そうですね……とにかく、進みながら考えてみます。あなたの言う通り、何にもなくなってしまいましたけど……生き残ったからには、やれることがないか探してみたいなって思います」
「……ソウカ」
少女の覚悟は、状況に流されて仕方なく受け入れざるを得なかったものだ。
目的も見えない、どこに行けばいいかもまるでわからない状況で、たった一人で生きていかなければならない。
人生のあまりの厳しさに、アサルティも流石に同情せざるを得なかった。
「……俺ノ役目ハ終ワッタナ。ナラ、ココデオ別レトイウ事ニ―――」
ふん、と鼻を鳴らし、アサルティはその場を後にしようと踵を返す。
少女がそこまで決めているのなら、自分が口を挟む必要はない。勝手に好きにやればいい、と少女の前からさっさと去ろうとする。
が、ふとアサルティは、自分の背に何かがひょいっと飛び乗る感覚を覚え、思わずぎろりと自分の背を返った。
「……何ヲシテイル」
「え? 背中に乗るのはだめですか? 今までずっと乗せてもらってたから、いいかなって思ったんですけど……」
黒竜の鋭い視線を前に、無断で怪物の背に跨った少女はきょとんと首を傾げる。
その目は、本気で何を気にしているのかと訝しんでおり、アサルティは思わずひくりと頬の筋肉を痙攣させる。
「イヤ、ソウデハナイ……オ前、俺ニツイテクル気ナノカ、ト聞イテイルダケダ」
「むしろ他に選択肢がありますか? 森がこんな事になっちゃ、もう一人では生きていけそうにないですし、それに身寄りもなくなっちゃいましたし……だったら、唯一知った仲のあなたについていくのが一番かなって思いまして」
「誰モソンナ話ヲシテイナイ!」
くわっ!と大きく咢を開き、アサルティがエイダに向かって吠える。
剥き出しにした牙を目前にまで近づけるが、エイダはまるで気にした様子もなく、平然としたままアサルティを見つめるだけ。
それがますます気に入らず、アサルティは唸り声をあげてエイダを睨みつける。
「俺ガイツ、オ前ガツイテクルコトヲ許シタ! 勝手ナ事ヲスルナ!」
「……ですが、まだ責任を取ってもらっていません」
「責任ダト?」
「はい、責任です……私を生かした責任です」
何のことだ、と目を吊り上げて問うアサルティに、エイダは至極真面目な態度を見せ、むんと胸を張ってきっぱりと答える。
その視線に、どこか責めるような圧迫感を感じたアサルティは、思わず唸るのをやめて相手を見つめ返す。
「私は一度、死ぬつもりでした。それをあなたが辞めさせました……だから、そうした責任を取ってもらいます」
「ア…? 何ヲ言ッテイルンダ、オ前ハ」
「私が決めたことを途中で邪魔したんですから、最後までちゃんと邪魔してください」
アサルティは目を細め、ぐるるる…と苛立たし気に唸り、天を仰ぐ。
どうやらこの少女は、本気で自分についてくるつもりらしい。
当てもない、理由もない、ただ食欲に促されるままに彷徨い続ける自分に、意味の分からない理由で同行を求めている。
黒竜は頭の痛みを覚え、エイダを鋭く睨みつけた。
「知ルカ、降リロ、行クナラ一人デ行ケ」
「いやです! 絶対ついていきます! あなたの意見は全部無視します!」
「拒否スル! 離レロ!」
「いーやーでーすー!」
ぶるんぶるんと体を揺らし、エイダを弾き飛ばそうとするアサルティだが、エイダは全身で鱗にへばりつき、必死に堪え続けている。
何を言っているのか、本気で訳がわからないが、鱗にしがみつくエイダの手が離れる様子はない。
ついには、アサルティの方が先に疲れ果て、背中を揺さぶるのをやめて心底呆れた視線を背中に向けた。
「オ前、イイ加減ニシロヨ……俺ノ責任ダロウガ何ダロウガ知ッタ事カ。勝手ニヤレバイイダロウガ」
「そうです! 勝手にやります! だからこうしてついていこうとしてるんです!」
「ダカラ何故ソウナル…!」
「あなたが言ったんですよ! 勝手にしろって! だから僕は勝手にするんです! 言われるまま、反抗しない奴は見てて苛々するんでしょう!?」
エイダが口にしたとんでもない返答に、アサルティは思わず口を閉ざし、色々と思い返してみる。
確かに、自ら死地に向かう彼女の前に何度も現れ、危機を回避させたのは確かだ。
ただの偶然や、自分の苛立ちを解消させるための行為でしかなかったそれらに、礼を言われる謂れは確かにない。だが、それらに文句を言われる謂れもないはずだ。
なのに、吹っ切れた様子のエイダに圧されてか、どうにも反論する気にはなれなかった。
「…ッタク、邪魔ニナッタラ容赦ナク捨テテイクカラナ」
「上等ですよ! 意地でもしがみついていってやりますからね!」
大きく肩を落とし、ずぶずぶと影を泳ぎ始める黒竜。
その背でエイダはふんと荒く鼻息を噴き、アサルティが向かう先を見据える。
もはや、これ以上何を言っても諦めはしまい。
いっそのこと無理矢理振り払って、あるいは叩き潰して去ってしまおうかとも思ったが、何故かそうする気にはなれない。
いまだにぎゃーぎゃーと喧しいエイダに横目を向け、アサルティはまた鼻を鳴らす。
(何故だろうなぁ……こいつを見て、鬱陶しいからと食う気にもならんのは。俺は此奴に……何を想っているんだろうか)
自分でもよくわからない心境の変化に、アサルティは悶々としたものを抱える。
それを解消できないまま、黒竜は背中に無理矢理できた同行者を乗せ、己の勘の赴くままに進み始める。
ただ何故か、一人ではなくなったこの旅が、嫌とは思えずにいた。