アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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1.Along the way

「ほー? 故郷の村が魔物に襲われて、一族は散り散りになって、んで、ここまで流れて来たと……なるほどなぁ」

 

 じろじろと不躾な目を向け、使い古された鎧を身に纏う禿頭の男が呟く。

 視線の先にいる、小柄な少女。人より長く、森人(エルフ)よりも短い耳を持つハーフエルフの語る事情を、事実か否かを判断しているようだ。

 

 少女は緊張した面持ちで、国境を守る熟年の衛兵の判断を待つ。

 身分を示す物は何も無い、賄賂となる金銭も持ち合わせていない。言葉と態度だけで、隣国との交路を守る彼の信用を得なくてはならないのだ。

 

「い、行くところがないんです。隣のレ…レーヴェン共和国なら、亜人でも雇ってくれるお店もちゃんとあるって、旅の途中で教えてもらったので……」

「まぁ、確かにそう聞いてんな。ふーむ…」

 

 じっと真剣な面持ちで見つめて来る少女の前で、顎をさすって考え込む衛兵。

 しばらくの間黙り込んでいた彼は、やがて傍に置かれた棚に歩み寄り、中にしまっていた一枚の紙を取り出す。

 

『是を所持する者の通行を許可する』と記されたその書類に、衛兵は懐から取り出したハンコにインクをつけ、ぺたりと押し付けた。

 

「おらよ、国に着くまではずっとこれを持ってな。失くしたら向こうでまた審査せにゃならんから、気ぃつけろよ」

「!あ…ありがとうございます!」

 

 認可を得た事を示す書類を受け取り、少女ーーーエイダはパッと顔を明るくする。

 とりあえずの第一関門を突破できた事に、ほっと安堵の息をつく。話した事情も()は一切口にしていないため、当たり前といえば当たり前なのだが。

 

「……しっかし最近は本当に魔物絡みの事件が多いよな。この間も山向こうの国で化け物が暴れて、とんでもねぇ被害が出たって話だぜ」

「へ、へー…大変ですね」

 

 親し気に話しかけてくる衛兵に、エイダはびくっと肩を揺らし、冷や汗をかきながら相槌を打つ。

 衛兵はやや不振な彼女の様子も、亜人ゆえの遠慮や怯えからくるものと感じてか、然して気にすることなく手続きを進める。

 

 その時、エイダの足元にできた影が、不意にゆらりと揺れた。

 

「…モウ、イイノカ?」

「…まだです。まだ絶対に出てきちゃダメですよ」

「暇ダ、ソレニ腹モ減ッタ」

「我慢してください…!この場でだけは出てこないでください、お願いしますよ…!」

 

 ふと、小さく聴こえて来る異形の声に、エイダは顔を引きつらせながら懇願する。

 エイダの影に潜む巨大な異形は、渋々といった様子で沈黙し、影の世界の奥底へと引っ込んで行く。

 

 ほっ、と安堵の息をつくエイダ。

 そこへ、全ての手続きを終えた衛兵が手招きをし、関所の扉を開け放った。

 

「そいじゃ、お気をつけて。良い旅を! またいつか機会があったら会おうや」

「あ…は、はい! ありがとうございます!」

 

 強面の顔をにっと笑顔にし、快く迎え入れてくれる衛兵。

 エイダはおっかなびっくりといった様子で、彼の隣を通り抜け、関所の扉を潜る。

 

 その向こうにずっと続く、多くの商人達が通ってできた広い道。地平線の彼方まで続いて見えるそれを見つめ、エイダはほぉっと感嘆の声をこぼした。

 故郷の森ではまず見た事がない景色に、遠く大きく広がる世界に、胸の中に期待が膨らんでいく。

 

 背後で関所の扉が閉じられ、ゴゴンッと重い音が響き渡ってから、エイダはようやく安堵の息をついた。

 

「……もう、大丈夫ですかね? 出てきてもいいんじゃないでしょうか?」

 

 自分の影に向かってそう呼びかけ、返事を待つ。

 しかし、いつまで待ってもなかなか声が返ってこない。

 

 エイダが訝しげに首を傾げ、「おーい」「もしもし~?」と何度も声をかけ、影の部分をつんつんと突いてみるも、一向に返事がこない。

 だんだんとエイダの背筋に震えが走り、頭の中が嫌な予感で一杯になり始めた。

 

「…まさか、まさか…!」

 

 バッ、と先程の衛兵がいた方を振り向き、異変がないか音を探る。

 腹が減った、という彼の言葉をもっと考えていれば、とエイダが深い後悔に苛まれたその時だった。

 

「ギ―――!」

「グルゥアアアアアアアアア!!」

 

 背後で、進むはずの方角から響き渡る、何かの生物の断末魔の声。それとほぼ同時に聞こえてくる、巨大な肉食生物の咆哮。

 緊迫していた表情からどっと力を抜き、半目で振り向くエイダは、思い切り肩を竦めてそれを見やる。

 

 天空を舞っていた、死肉を狙う鳥の群れと、そこに飛び掛かる巨大な黒い竜。

 見上げるほどの高さなのに、易々と跳躍して数羽を纏めて喰らっている怪物を睨み、エイダは思わず顔を覆って天を仰いでいた。

 

「もう…! 余計な心配をかけさせないでくださいよ、アサルティさん!」

「ガフッ…ガフッ! ン? 何ガダ?」

 

 仕留めた獲物にかぶりつき、満足げに呑み込む黒竜が、訝し気に振り向き尋ねてくる。

 悩みなどまるでなさそうな、そしてこちらの悩みを一切考えていなさそうな怪物の態度に、エイダはもう、げんなりとした気持ちで肩を落とすほかにない。

 

「勝手にどこかに行かないでくださいって言ってるんです! こっちはもう、あなたがとんでもない事しちゃったんじゃないかって心配になったんですからね!?」

「知ルカ、ソンナモノオ前ノ勝手ナ妄想ダロウニ」

「そりゃあ、そうですけど……!」

 

 エイダの心配などまるで気にせず、黒竜アサルティは次なる獲物を探し、そして見つけ次第即座に影の中に潜り、音もなく襲い掛かりに行く。

 自由気儘、いや、自分勝手な同行人の気性に、エイダは深く重いため息をこぼすばかり。

 

 衛兵がいつ気付くか、とエイダは審査の間ずっと戦々恐々としていた。

 魔物に故郷が襲われたのは確かだが、その魔物の一体が、今まさに自分の影の中に潜んでいるなど、絶対に誰にも言えるはずがない。

 

「ギャア! ギャァア!」

「待テ! 獲物共! 大人シク俺ノ糧ニナルガイイ! グルルルル!」

 

 そしてこの同行人といったら、急にふらっといなくなっては獲物を探しに行ってしまう。

 一応、共に旅をしてはくれるのだが、気付けば姿が見えなくなり、エイダに最悪の想像をさせる。

 

 彼女の最近の悩みはもっぱら、この恐るべき怪物とどのように過ごしていくのか、という事ばかりだった。

 

 

 

「ですから! ご飯を食べに行く時は一声かけていってください! 僕も今だいぶお腹空いてるんですから!」

 

 ズブズブと影の海を高速で進む黒竜とハーフエルフの少女。

 巨大な背の上で頬を膨らませ、抗議の声を上げる少女に対し、黒竜は目を細め、やれやれと言わんばかりに鼻を鳴らす。

 

 一人、いや一体で始まった宛てのない旅。

 目覚めてから然程経っておらず、自らの存在そのものを把握しきれていない黒竜は、自分の懐に無遠慮に入り込もうとしている耳長の少女に対し、呆れと困惑の感情を抱いていた。

 

「……勝手ニ食イニ行ケバイイダロウガ」

「前にそうしようとしたら置き去りにされかけたからですよ!」

 

 ぷんぷんと怒りをあらわにし、エイダがアサルティの背中をぱしぱしと叩く。

 エイダとしては本気で叩いているのだが、硬い鱗に覆われたアサルティにしてみればそよ風のようなもの。ただし、鬱陶しいものであることは間違いなかった。

 

「……ソモソモ、オ前ガ勝手ニツイテ来タダケノ話ダ。俺ハオ前ト別レテモ一向ニ構ワン」

「あー! あーあー、そういう事言っちゃうんですね! いーですよいーですよ、是が非でもしがみついてやりますからね!」

「ダカラナゼソウイウ話ニナル……」

 

 冷たく突き放す言い方をするも、エイダはますます黒竜の身体に捕まる力を強めるだけ。

 元は単独での旅を望んでいたアサルティは、ぐるぐると唸りながら首を竦める。

 

(何だってこんな事になったのやら……共に旅をするのなら、彼女の方が遥かにましだったな。少なくとも此奴よりは確実に礼儀正しかった。今頃どこにいるのやら……)

 

 脳裏に浮かぶ、自分に名前を付けてくれた女騎士の顔。

 突然現れて同種を喰い殺した自分に、意思疎通の意思があると見ればすぐに話しかけてきた。

 

 なかなかに稀有な人物であり、この場にいればおそらくはしっかりと話をしてから、双方納得して旅をしていたであろう女性。

 今やもう懐かしいという想いさえ抱く彼女を、黒竜は内心で欲していた。

 

(住む場所をなくしたからついて行くと言ったのだ。此奴の言う国、適当な人里の元に置いて行けばいいか…)

「アサルティさん! 聞いてるんですか⁉」

「……聞イテイル、煩イ奴メ」

 

 自分の目を覗き込み、無視されていないかと確かめてくるエイダに、アサルティはふんと鼻を鳴らす。

 いつまでこんな耳障りな相棒と旅をしなければならないのか。そんな悩みを抱えつつ、黒竜は果てしなく続く道を、影に浸り泳ぎ続ける。

 

 ひょんなことから始まった、凶悪な姿と能力を持った怪物との旅。

 帰るべき場所を失った少女と、帰るべき場所を知らない黒竜による、宛てのないどこか遠くを目指す道。

 

 始まってまだ数週間しか経っていないというのに、エイダはこの同行人との付き合い方に大いに悩み、そして早速胃が痛むのを感じるのだった。

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