アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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4.Suddenly

「へい、いらっしゃい! 肉屋ボビーの出張串肉屋台、ただいま営業中だよ! 赤字覚悟の大安売り! なくなったら即閉店だ! 買わなきゃ損だよ~!」

 

 大きな通りを進むと、左右に鮮やかな屋台が多く続く様が目に映る。

 道行く人々を呼び止め、店先に並べた色とりどりの品物を見せつけ、巧みな言葉で興味関心を惹く。

 

 特に、香ばしい匂いを漂わせる料理を出す店の前には人集りができていて、我先にと貨幣を手に握りしめ、火に炙られる串に刺さった肉の塊を求める。

 赤いたれに彩られた串肉が売れる度、屋台の主はほくほくと満足げな笑みを浮かべてみせていた。

 

 そして、そんな巧妙な手口に乗せられ、半森人の少女もふらふらと屋台に吸い寄せられていた。

 

「はぁ……美味しそうです。でもあれを求めてしまったら今後の旅に影響が……でも、本当に美味しそうで……でも……やっぱり……」

 

 視線はしっかり串肉に釘付けに、口の端から涎を垂らしながら、エイダは自分の中で理性と本能が激しく鬩ぎ合っている事を自覚する。

 

 本来、森人は獣や魚の肉を食べられないのだが、半分人間の血が混じったエイダは話が別である。

 肉も魚も普通に食し、他にもエルフが好まない食物……例えば作物や発酵食品に対しても忌避する事はない。比較的、生物として雑食性と分類される人間に近い趣味嗜好をしているのだ。

 

 そんな彼女が迷っているのは、目の前で香ばしく炙られる串肉を求めるか否か。

 手持ちの貨幣の量と自分の食欲を天秤にかけ、本能に打ち負かされそうになっている自分を必死に奮い立たせようとしていた。

 

「だ、駄目…! あんな誘惑に乗ったりなんかしちゃ、絶対に駄目なんです…! これは僕の未来を左右しかねないもの……こんな所で安易に使ったりなんかしちゃ駄目なんです…!」

 

 誰に言い訳をしているのか、伸びそうになる片手をもう片方の手で抑え、一歩を踏み出しそうになる片足の甲をもう片方の足で踏みつけ止める。

 

 串焼きの店を前に息を荒くし、目を潤ませる長耳の少女。

 傍から見ればそれは不審人物でしかなく、店に集まる客達は然して気にしていないものの、通りを歩く者達はそんな彼女からそそくさと離れていく。予期しない所で、エイダは無駄な注目を集めてしまっていた。

 

「く……はっ! あ、アサルティさん…!? ま、まさかとは思いますが、あれを食べたいなんて思ってませんよね…!? あなたのお腹が膨れるほどあれを買ったら、お金なんてすぐなくなっちゃいますから……だから、その、出来るだけ我慢を…!」

 

 足元の影に潜んでいる黒竜に向けて、咄嗟に気付いたエイダが必死に懇願する。

 ただでさえ恐ろしい程の量を喰い、然したる間隔を空ける事なく食欲をあらわにする怪物だ。釘を刺しておかなければ何処までも喰い続ける事だろう。

 

 そんな不安に苛まれるエイダであったが、予想に反してアサルティはその場に顔を見せる事はなかった。

 

「……あれ? あの、アサルティさん?」

「何ダ?」

「あの……欲しがったりしないんですか? 僕、てっきり欲しがるものかと……」

 

 香ばしい匂いを漂わせる串肉に対して、全くといっていいほど興味を示していないアサルティの様子に戸惑うエイダ。

 アサルティは影の中に潜ったまま、唖然としているエイダを見上げ、ふんっと荒く鼻息を吹く。エイダを小馬鹿にしているような態度であった。

 

「何故カハ知ランガ、アンナモノニ興味ハ微塵モ抱ケヌ……俺ハ生ノ肉ガ、特ニ自分デ狩ッタ獲物デナケレバ喰ウ気ガシナイヨウダ」

「あ、そうなんですか……へー」

 

 同行者の妙な拘りを知ったエイダは、ちらりと視線を上げて再度串肉を凝視する。

 同行人にあれを食する気がないのであれば、懐事情を気にする必要もなくなったという事だ。自分一人であれば大した量にはならないだろうから、暫く貨幣の扱いを気にする事もないだろう。

 

「……喰イタケレバ喰エバイイダロウ、オ前ノ金ダ」

 

 徐々に笑みを浮かべていくエイダに、アサルティが呆れた声で告げる。

 考えを見透かされたエイダはびくっと肩を震わせ、貨幣の入った袋を握り締めたまま、困り顔で串肉とアサルティを交互に見やる。

 

「迷ウ必要ナドアルマイ……腹ガ減ッタノナラ食エバイイダロウ。ソレヲキニ入ッタノナラバ」

「い、いやー、その……あんまり考えなしに使っちゃっても、あとで困っちゃうんじゃないかなー……と、考えちゃいまして」

「金ナド、使ウ為ニ在ルノダ。イツカ無クナル事ヲ危惧シテ、何カノ事故デ次ノ瞬間ニ全テ失クシテミロ……目モ当テラレンワ」

「ぐぅ……アサルティさん、竜なのにどうしてそんな含蓄に富んだ言葉を私にぶつけてくるんですか」

 

 怪物に諭されるという、非常に貴重で有難い経験のはずなのに、エイダは喜びなど一切感じず気恥ずかしさで一杯になる。

 

 しかし、それでエイダの気持ちは固まり始める。相場も正確な量もわかっていない貨幣、どれがどれだけ価値があるかもわからないそれらだが、確かに手元にあるうちに使っておかなければ危険だ。

 自分の足の甲に置いていた足をどけ、一歩踏み出しながら、エイダは足元のアサルティに再度視線を向ける。

 

「いいんですか、一杯買っちゃってもいいですか。実は僕もお腹空いてるんで、後先考えずにたらふく食べちゃってもいいですか」

「イイカラサッサト買エ。俺ハ腹ガ減ッタ……サッサトドコカニ食事ニ行キタイ」

「……人間は食べないでくださいよ?」

「善処スル」

 

 今一つ信用し辛い返答を貰い、エイダは改めて屋台に向き直る。

 香ばしい匂いは話している間も彼女の胃袋を刺激し、我慢の限界へと誘っていた。

 

「あの! そのお肉、一本……いえ、二本ほどいただけませんか!?」

 

 意を決し、袋の中から貨幣を一枚取り出したエイダが、客達の間から手を伸ばして屋台の店主に手渡そうとする。

 キラキラと金色に輝くそれでどのくらい買えるのかはわからない。しかし今はたった一本でもいいから口にしてみたくて堪らなくなっている。

 

 しかし、店主は何故か驚いた顔でエイダを見て、次いで彼女が抓んだ金色の貨幣を見下ろしていた。

 

「あー、嬢ちゃん、ほんとにこれで買う気かい? こっちとしちゃあ、もうちっと細かい金があると助かるんだがな……釣りが足りねぇよ」

「つり…? よくわかりませんけど、いらないのでこれで買えるだけ下さい!」

「お、おう……ほんとにいいのかな」

 

 店主は頭を掻きながら、再度エイダに間違いはないのかと確認をする。

 周りの他の客達からも困惑の視線を向けられている事にも気づかず、エイダはわくわくと店主を、彼が約串肉を見つめて目を輝かせる。

 

 しばらくの間悩んでいた店主は、やがて諦めたようにため息をつき、半森人の少女から貨幣を受け取ろうと手を伸ばした。

 

「ったく……お嬢ちゃん金使うのも初めてみたいだから、今回だけおまけしてや―――うおっ!?」

「ひゃっ!?」

 

 しかし、店主が貨幣を抓もうとしたその時。

 店主とエイダの間を、一つの黒く小さな影が走り抜け、二人の腕を弾き飛ばした。

 

 店主は驚いて仰け反り、エイダは目を見開いて後退ると、そのまま尻餅をついてしまう。

 周りの客達も思わず距離を取る中、小さな何者かは速度を緩める事なく、颯爽と人の間を走り去っていった。

 

「な、何なんですかあれは!? こんな人混みの中をあんなに走って……なんて失礼な!」

 

 大した痛みではないが、人前で転ばされたエイダが憤然とした声を上げる。

 目を吊り上げ、何者かが逃げた方向を睨みつけたまま、億劫そうに立ち上がって尻を叩く。せっかく気分が軽くなっていたのに、地面に思いきり叩き落とされた気分だ。

 

 ふん、と鼻息を荒くし苛立ちを露わにするエイダ。そこに、屋台の店主が恐る恐るといった様子で声をかけてくる。

 

「おい、お嬢ちゃん……さっき持ってた財布はどこやったんだ?」

「え?」

 

 言われてエイダは、自分の両手を見下ろしよく見る。

 一枚だけを取り出して、確かに握り締めていたはずの、多くはない、しかし決して少なくはない量の貨幣が詰まった袋。

 

 それが―――自分の手元から、忽然と姿を消していたのだ。

 

「あ、え、あぁ!? ど、どうして!? 何で……どこに行っちゃったんですか!?」

 

 ぎょっ、と目を見開いたエイダはすぐさま辺りを見渡し、暫くしてから先ほど走り去っていった謎の人影の事を思い出す。

 

「ど、泥棒! 泥棒~!!」

 

 意味のない叫び声を響かせてから、エイダは慌てて自分の生命線を奪った盗の後を追いかけに向かう。

 奇声を上げ、うろ覚えな恰好しか手掛かりのない小さな影を探しに、エイダは一目散に大勢の人でごった返す街の中を駆けていった。

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