アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
大通りから随分と離れた、寂れた小汚い道の途中にその組合所はあった。
溝鼠や
一件、酒場のような汚らしい店のようであり、壁にずらっと並んだ酒瓶や汚れた机と椅子が目立ち、どうしても組合所などと言う真面目そうな場所には思えない。
そこに集る男達も、それなりに鍛えられた逞しい体をしているものの、皆似たような汚れた装いをしていて、荒くれ者という印象がすぐさま脳裏に浮かぶ有様であった。
「おい、酒が足りねぇぞ! さっさと持って来い!」
「飲み過ぎだぞ、お前……いくら女に振られたからって店に迷惑かけんじゃねぇよ。いい加減にしねぇとリリスちゃんに出入禁止にされるぞ」
「知るかぁ! 飲まなきゃやってられねぇだろうが! 畜生…あの女」
とある席を見やれば、大量の空の酒瓶を転がした髭面の男が突っ伏しており、友人らしき中年男性が肩を叩いている姿が目に入る。相当酔っているのか、髭面の男は座っていても体幹がぐらぐらと揺れていた。
「てめぇ! その仕事は俺の物だ! 横取りしてんじゃねぇ!」
「うるせぇんだよ! 早い者勝ちだ、鈍間が! それ以前にお前じゃ力不足なんだよ、雑魚が!」
「言いやがったな、糞野郎! 表出ろや!」
「誰が出るかよ馬鹿が!」
店の奥で、大量の紙が張り出された場所では、二人の男が鬼の形相で罵り合っている様が見つかる。
どちらも屈強な身体に幾つもの傷を刻み、凄まじい威圧感を放つ巨漢であり、口を開けば空気がびりびりと震動し腹の奥底まで伝わってくるほどの大きさの声が放たれる。
そんな二人はやがて取っ組み合いを始め、ばたばたと辺りに埃と震動を撒き散らし出した。
「リリス姐さ~ん、今夜は俺と一緒に飲まない~? 旨い所教えてやるよぉ~……いっでぇ!」
「てめぇ! 俺のリリスを口説いてんじゃねぇ! お呼びじゃねぇんだよ屑が!」
「あぁ!? うるせぇよ、引っ込んでろ! お前なんかがリリス姐さんに相応しいとでも思ってんのか!? 身の程弁えろや!」
また別の場所、大量の酒瓶を並べた棚の前の大近くでは、黙々と杯を磨く妙齢の女性に話しかける男達が騒がしく喧嘩を始めている。
炎のような鮮やかな髪を一つに纏め、肩から胸の前に垂らした豊満な身体つきをした美女が一切反応していない事にも気づかず、男達はその場で胸ぐらを掴んで罵声を浴びせ合う。
店の中のあちこちで怒号が沸き、骨と肉がぶつかる鈍い音が響いてくる。情けも遠慮もまるでなく、全力で相手を組み伏せようと殴打する音が店の外にまで届く。
その様に、入り口からこっそりと様子を窺っていたエイダは、ひくひくと頬を痙攣させていた。
「…あの、本当にここじゃないとお金を手に入れる事は出来ないんですか…?」
「知ラン。探セバアルカモシレンガ、余所者ヲスグニ受ケ入レルヨウナ場所ハ多クハアルマイ。多少騒ガシイガ、今スグ働ケソウナノハ此処グライナモノダロウ」
「多少……」
がしゃん、ぱりん、ばきっ。
喧嘩に巻き込まれた、或いは武器として握られた酒瓶や皿が割れ、椅子や机がばらばらに破壊される様を今一度目にして、エイダは小さく呟く。
「ぼ、冒険者って……何なんですか? 一体どんな事をする仕事なんですか?」
「詳シクハ知ラン。ダガ、依頼ダノ報酬ダノト言ッテイルノヲ聞イタ。オソラクハ、何処カカラ齎サレタ頼ミ事ヲ引キ受ケテ、終ワッタラ金ヲ貰エルノダロウ」
影の中からこっそり聞き耳を立て、集めた情報を語るアサルティ。
きちんと当たっているかどうかまではわからない。怒号と罵声が轟く中で何とか聞き分けた単語を並べただけで、誰かが最初から最後まで説明してくれたわけでもないのだ。
「……そんな立派な仕事をする場所には思えませんよ。ここに居るのって、誰も彼もが真昼間から酔っ払った駄目な大人の人にしか―――ひっ!?」
がしゃん、と近くで起こった破砕音に、エイダはまたびくっと肩を震わせる。
店の中のあちこちで起こった喧嘩はそれぞれ、徐々に決着がつき始めている。どちらも血塗れの痛々しい姿になり、片方は何とか立って鼻息荒くその場を離れていくが、負けた方はぴくりとも動かずその場に横たわっている。
店の中のあらゆるものが巻き込まれているというのに、従業員らしき美女は我関せずといった様子のまま、器を磨き続けるだけ。
まさに荒くれ者共の集う場所。
喧嘩を止めるどころか囃し立て、中には自ら混ざろうとする混沌とした有様であり、エイダはすぐさま入り口から離れると、アサルティの方を向いてぶんぶんと首を横に振った。
「……無理です。やっぱり無理です。あんな中に入ってったら僕、絶対に身包み剥されて何処かに売られてしまいます。怖すぎます」
「偏見ガ過ギルダロウ。奴等モ好キデアンナ顔ヲシテイルワケデハ……」
「見た目の問題じゃないんですよ! あのやらかし振りを見て言ってるんですよ!」
ずれた感想を述べるアサルティに、エイダは思わず声を荒げて足元の影の中に吠える。
直後、はっと我に返って店の方を見やり、姿を見せていないのに向けられている視線の数々にぶるりと背筋を震わせる。無用な注目を集めてしまったと、ばくばくと暴れる自らの鼓動を落ち着けようとする。
「……あの人達の会話、一部でしたけど聞こえてたでしょう? 酒浸りだわ、喧嘩っ早いわ、女を口説くわ。僕なんて餌食でしかないですよ」
「オ前ミタイナ鶏ガラガ女トシテ狙ワレルノカ?」
「……
狼狽えるエイダを前に、暢気に中々酷い言葉を口にするアサルティに、少女はほんの一瞬であるが不安を忘れて同行人を睨みつける。
だが、すぐに店に視線を戻して中の様子を伺い、頭を抱えてしまう。
顔中青痣だらけで、ぼこぼこにされた男性が横たわる様に唾を吐き捨てる禿頭の大男。壮絶な殴り合いに没頭する髭面の男達。美女を巡って激しく罵り合う傷だらけの男達。
アサルティがどんなに気楽にものを言おうとも、受け入れがたい雰囲気が店の中一杯に漂っていた。
「違う所を探しましょう。大丈夫ですよ、こんなに大きな街なら他にも僕を受け入れてくれる所がある筈です。さぁ、さっさとこんな所から離れて―――」
「イイカラ行ケ、マダルッコシイ」
誰にともなく呟き、踵を返そうとしたエイダの足をアサルティががしりと掴み、無理矢理向きを変えさせる。そしてその尻に尻尾を軽く叩きつけ、前のめりに蹈鞴を踏ませる。
エイダはあわあわと慌てながらどうにか体勢を保ち、転ばずに済むとほっと安堵の息を吐く。
しかし、すっと顔を上げたエイダの視界に幾つもの視線、突然の来訪者に訝し気な目を向ける男達の目が入り込み、エイダはひゅっと息を呑み固まってしまう。
凍り付いたように動けなくなる少女だが、入ってしまった以上仕方がないと、ぎこちなく歩き出し、店の中で最も話しかけやすそうな相手―――器を磨く手を止めた赤毛の美女の方へ近づき、口を開いた。
「ぼ、冒険者…というのになるには、どうしたらいいでしょうか!?」
「……あんた、見慣れない子ね。他所から来た子?」
「は、はい! 今日初めて、この街に入りました!」
ふん、と鼻を鳴らした赤毛の女性―――リリスと呼ばれていた彼女は、微かに擦れてはいるものの耳に心地よい声を少女に返し、眉を顰める。
じろじろと自身の全身を見つめられ、エイダは相手が同姓であるにもかかわらず落ち着かない気持ちになる。普段から罵倒される事が当たり前で、相手と目を合わせて話す事が無かった彼女は、目を逸らしそうになる事をどうにか堪えてその場に佇む。
やがてリリスは肩を竦め、緊張した面持ちで棒立ちになっているエイダを見下ろし、目を細めた。
「……まぁ、仕事の紹介ぐらい幾らでもしてやるよ。あんたみたいな細っこい餓鬼が、それも世間知らずの
「そうだそうだ! 冷やかしならさっさと帰れ、ちび!」
「お前みたいな餓鬼が来る所じゃねぇんだよ!」
「もっとでかくなって、乳も尻もばいんばいんになったら俺が買ってやってもいいぜぇ!」
苦い表情でリリスが告げると、周りの男達から野次と揶揄いの声が飛んでくる。
特に、リリスを口説こうとしていた男達からは厳しい視線が向けられ、しっしっ、と野良犬化野良猫を追い払うような仕草までされる。
リリスは喧しい男達にため息をこぼし、腰に手をあてて俯いてしまったエイダの顔を覗き込んだ。
「……あいつらに同意するわけじゃないけどね、態々人間の街にまで来て、こんな汚くてきつい仕事に就こうとしなくても、元居た家で楽に暮らしてれば―――」
「―――お金が、欲しいんです!!」
見るからに人里、それもこの国のような大きな場所で暮らした経験のなさそうな少女。
痛い目を見る前に夢を見る事を諦めさせようと、リリスが説き伏せようとした寸前……エイダはかっと目を見開き、叫んでいた。
「故郷の森はとんでもない災害に遭って住めなくなるし、家族なんて生まれた時から居なかったし、長の所から持ち出した人間のお金も半分盗まれるし、余所者の僕を受け入れてくれる所なんて無いなんて言われるし……働かなきゃいけないんです! 誰に何と言われようと!」
「……あぁ、うん」
「危なくたって、貰えるお金が少なくたって、そんな事どうでもいいんです! ごはんさえ手に入ればどこでもいいんです、僕は!!」
怒涛の勢いで吐き出される少女の想いに、気だるげに佇んでいたリリスは思わず背筋をぴんと伸ばして黙り込む。
それまで煩く騒いでいた男達も、突如始まった少女の独白に思う所があったのか、ばつが悪そうに目を逸らし出す。中には、森人の少女に同情的な視線を送るものまで現れた。
「だからお願いします! 僕に仕事を下さい! お金が欲しいんです!」
店中の男達から、先程とは打って変わって生温かい眼差しを集めながら、エイダはがばっとリリスに頭を下げる。腰は直角に、これ以上ないほどの礼を尽くして懇願する。
それを無言で見下ろしていたリリスは、やがて肩を落としながら大きくため息をこぼした。
「……初心者は簡単な依頼しか渡せないよ。その後の働きぶりでその難しくて報酬の高い依頼を渡してやれるようになるから、精々それまで頑張りな」
「! じゃ、じゃあ…」
「……この街にはあんたみたいに路頭に迷いかけている奴もいりゃ、寝床を確保するのにも難儀している奴らもいる。そいつらの一部は、一度は冒険者として一獲千金を目指して、失敗して心が折れた連中さ。あんたはそう……ならないか。金が欲しいってだけだもんね」
近くの路地裏、表の大通りから離れた場所に屯している者達の事を思い浮かべたリリスだが、先程のエイダの慟哭を思い出して首を横に振る。
少なくともこの少女であれば、態々危ない橋を渡る気など起こしはしないだろう、と。そこまでの欲を持っていないのだから、橋を渡る以前に近づきもしまい。
リリスはそう独り言ちると、自分の前に置かれら台に備えられた引き出しから、鎖に繋がれた札を取り出し、エイダに手渡した。
「……はいよ、これが冒険者の証だ。失くしたら面倒な手続きをしなくちゃいけないから気をつけな。そんで、受けられる依頼はそこの右端の壁に張り出してある。好きに選びな」
「は、はい! ありがとうございます!」
エイダはぱっ、と目を輝かせ、再びリリスに頭を下げて走り出す。
教えられた壁は何処かと辺りを見渡し、近くにいた男に案内される少女の背中を見つめて、リリスは台の上で頬杖をつく。
「……悪い子じゃなさそうなんだが、色々不安になる子だねぇ」
「……大イニ同意スル」
思わず呟いたリリスの耳に、どこからともなく聞きなれない謎の声が届き、赤毛の美女は目を見開いて辺りを見渡す。
しかし、どこにも声の主の姿が見当たらないため、空耳か何かだと自分を納得させ、中断していた器を磨く作業を再開する。壁の前を陣取る少女を横目にしながら、やれやれと億劫そうに。
そんな美女を影の中から見上げ、アサルティもまた、壁に張り出された紙の一枚を取って何やら騒いでいる同行人に、目を細めて呆れを示すのだった。