アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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8.Labor

「ふっ……く、ほっ!」

 

 ざくり、と突き入れた(スコップ)に泥を乗せ、気合いを入れて持ち上げる。

 それを横に移動させ、先に作った土砂の山に積み重ねると、再び鋤を足元の溝の中に突っ込み、泥を掬い上げて移動させる。それを何十、何百回と繰り返し、積もりに積もった泥を片付けていく。

 

 衣服の裾を捲り、両手足は何もつけず素肌を晒し、作業に没頭する半森人の少女。

 既に全身に汚れをつけ、鼻に突き刺さる悪臭に苦しめられながら、街からの依頼だという溝の……排水溝の清掃業務をこなしていく。

 

「溝掃除、って…! 結、構……重、たい、ん、です、ね…!」

「黙ッテ働ケ。俺が手伝ってやってるんだ、文句など言わせん」

「わかっ、て、ます……よ!」

 

 どさどさと、掬い上げた泥を襤褸布の上に移し、一箇所に纏める。

 ある程度の量が溜まると、巨大な黒い竜が顔だけを影の上に浮かばせ、襤褸布ごと泥水を頭に乗せて何処かへと運んでいく。黒竜は黙々と影の中を泳ぎ、別の場所に移動して頭の上に乗せた泥を放り上げ、積み重ねる。

 

 周りに人目がない事を確りと確認した上での共同作業を、アサルティとエイダは一体と一人だけでかれこれ数時間は続けていた。

 

「はぁ……はぁっ……! 綺麗な街だと、最初に来た時には感心していましたけど、見えない所ではこういう大変な仕事が必要だったんですね…」

「当タリ前ダ、何モセズニ綺麗ナママ保テルワケガナイダロウ……マァ、ソレデモヤリタガル者ハ少ナイヨウダガナ」

 

 どさっ、と運んだ泥を放り上げ、山をさらに高くしながらアサルティは呆れた声を発する。

 街中に残された、数少ない土がある場所。雑草が端に生い茂るその場に泥を運び、再びエイダのいる所へ戻る。

 

 雨風によって運ばれてくる砂や石粒が建物の隅や溝に溜まり、定期的に掃除をしなければあっという間に大きな塊になってしまうのだという、水に恵まれた町の悩みの種。

 街の景観だけでなく、衛生管理も兼ねた重要な仕事のはずだが、誰もが汚れるのを嫌がっている所為か、依頼は溜まるばかりで中々消費されていないようであった。

 

 故にこそ、エイダのような余所者がすぐさま仕事にありつけているのだが、それを素直に喜べるほど楽な仕事ではなかった。

 

「…はぁ! …あの、アサルティさんはいいんですか? その、おなかの具合は……」

「サッキ、適当ナ獲物ヲ口ニシテキタ。如何デモイイカラ動ケ」

「……僕の仕事なのに、手伝って貰って申し訳ないです。というか、そもそも手伝って貰えるなんて思ってませんでしたけど」

 

 鋤を一旦下ろし、腰に走る痛みに悶えながら、エイダは泥を運ぶアサルティに申し訳なさそうに肩を竦める。

 対するアサルティは、口では厳しい事を言いながら分担された仕事を手伝っている。精神と肉体とで、全く異なる行動が起きているかのようなちぐはぐさがあり、エイダは思わず訝し気にアサルティを見つめる。

 

「……何故カハワカランガ、最近ハ何モセズニ漂ッテイルト居心地ガ悪ク感ジルヨウニナッタ。以前デアレバオ前ノ事ナドホッタラカシニシテイタ筈ナノニ……」

「流れるように酷い事を言いますね…でもまぁ、それがアサルティさんの本当の優しさなのかもしれませんね」

「……優シイ、ナ。俺ガソンナ偽善的ナ存在ダトハ思エンガ……」

 

 にへら、と肩を大きく上下させたまま呑気に笑うエイダに、アサルティはじろりと胡乱気な目を向ける。

 

 己が他者に対して優しく接した記憶はない。自身の根本にあるのは食欲で、腹が減っていれば相手が何であろうと取り敢えず捕食を試みる。言葉を介する者であれば一旦は考えるが、気に入らない、自分の気分を損ねる者であれば躊躇いなく喰ってきた。

 エイダが自分にくっついてきて、それを拒む事も排除する事もしないのは、単純に彼女の図太さに呆れ、手をかける気にならなかった、ただそれだけの理由であった。

 

「……何デモイイ。俺ハオ前ガヤタラト気ニシテイルカラ、オ前ガ随分ト推スアノ肉ヲ喰ッテミルダケダ。オ前ガアレダケ騒グ所為デ、気ニナッテ仕方ガナクナッテシマッタダロウガ」

「あ、あはは……じゃ、じゃあこのお仕事が終わったら早速買いに行きましょうか!」

 

 ぐるる、と唸るアサルティに睨まれ、エイダは引きつった顔で笑いながら掃除を再開する。

 ただし、依頼されていた箇所はまだ半分以上もある。半日清掃を続けてまだ半分にも達していない事実に軽く絶望しながら、黙々と手と足を動かし続ける。

 

 何度も休憩を挟み、残り一割二割に差し掛かった頃には、最初に確認した時には天高く昇っていたはずの陽は、建物の間に沈みかけていた。

 

「はぁ……くっ、はぁ…! お、終わりますかね、これ…」

「真ッ暗闇ノ中デ続ケタクナケレバ、最後マデ気合イヲ入レロ。デナケレバ金ハ手ニ入ランゾ」

「はーい…」

 

 丸一日掃除を続け、エイダの胃は激しく空腹を訴え続け、身体はもうとっくに限界だったが、それでも懸命に鋤と泥を動かす。

 アサルティがいなければ、作業量はこの倍以上になっていた事だろう。その事実を鑑みて、助けてくれる者がいるだけずっとましだと自分に言い聞かせ、これまでで一番力を込めて泥を掬い上げる。

 

 そうして、陽の光が山々の向こうに完全に隠れ、空にちらほらと星が瞬き始めた頃になって、ようやくエイダ達は目標の排水溝の範囲を掃除し終えたのだった。

 

「……ぉ、終わり、ました、ね」

「バテテイナイデ、サッサト組合ニ戻ルゾ。報酬ヲ貰ワナケレバ何ノ為ニココマデ手伝ッタノカワカラン……ト、ソノ前ニ依頼シタ奴ノ所ニ行カナケレバナラナインダッタカ」

「…ちょ、ちょっとぐらい休ませてくれても…」

「モウジキ組合モ閉マル、早ク立テ。オ前ガヤラネバナラン役目ダ」

「……はぃ」

 

 ぐったりと、さらに泥にまみれる事も厭わずその場に倒れ込もうとしたエイダだったが、アサルティに無慈悲に促され、渋々といった様子で立ち上がる。

 全身を拾う噛んで苛まれながら、半泣きの半森人の少女と憮然とした表情の黒竜は、とぼとぼと覚束ない足取りで歩き出したのだった。

 

 

 

 じゃら、と掌の上で音を立てる数枚の貨幣。

 数日前に失われたものに比べて、輝きの劣る銅褐色のそれらを見下ろし、エイダは無言で立ち尽くしていた。

 

「はいよ、これが報酬だ。……悲しむのも無理はないけどね、所詮あたしらの価値なんてそんなもんなのさ。冒険者ってのは、この国じゃ最底辺の存在なんだよ」

 

 貨幣をを見下ろしたまま動かないエイダに気の毒そうに目を細め、リリスが告げる。

 依頼者に報告をし、暗い中で確認作業を行い、ようやく依頼を達成できていると承認され、そのまま組合に戻ってきた。

 そして報酬として小さな袋を一つだけリリスから渡され、エイダの表情はピタリと固まったのだった。

 

 数日跨ぐような仕事を、半日と少しでこなしてきた結果は見事であったが、そもそもの成功報酬が恐ろしく乏しかった。

 一日に成人男性が必要とする食料の半分程度しか買えないような、あまりにも少なすぎる金銭。枝のように細く華奢な少女に対する惨い仕打ちに、リリスも思わず顔を歪める。

 

「これが、あれだけ働いた分の報酬……」

「……今回の仕事は肉体労働だけど、他にも色々種類があるから、続けられそうな奴を今度からは自分で選びなよ。じゃあ、また明日頑張りな」

 

 ため息をついたリリスは、そう言ってまた器を磨く作業を始める。無言のまま立ち尽くしているエイダに振り向く事なく、自分の手元だけを見つめる。

 エイダはしばらくの間黙り込んでいたが、やがてリリスに小さく頭を下げると、この場へ来た時と同じ覚束ない足取りで歩き出す。好き勝手に騒ぐ男達を横目にしながら、戸を開けて外へ出て行く。

 

 暗く、街の光が点いて辛うじて見える道を、エイダはやや俯きながら歩き、やがて虚ろな目でぼんやりと天を仰いだ。

 

「……やっと、おわりました」

「想像以上ニ安カッタナ、オ前ノ仕事ノ見返リハ」

 

 人の気配がほとんど感じられない、入り組んだ道のど真ん中。酒盛りでわいわいと騒ぐ声が、はるか遠くから微かに届くその場所で、ずるりと顔を覗かせたアサルティが呟く。

 

「コノ街ハ、俺ノ思ッテイタ以上ニ余所者ニトッテ生キ辛イ場所ダッタヨウダ……悪イ事ハ言ワン。留マル事ナド考エズ、別ノ場所ニ……ソウダナ、何処カ他所ノ森ニデモ移リ住ムガイイダロウ」

 

 天を仰いだまま、いつまで経っても全く動かない同行者に、アサルティは内心で苛立ちを募らせながら告げる。

 金を盗む者はいる、真面な賃金で働かせてくれる場所はない。森で孤独に過ごしてきたエイダには全く合わなそうな人間の世界を目の当たりにし、黒竜は酷く落胆を覚えていた。

 

「……コノ際ダ、オ前ガ望ムノナラバ、オ前ガ住ムノニ十分ソウナ場所マデ送リ届ケテヤッテモイイ。コンナ町ニ留マル理由ナド―――」

「終わりましたよ、アサルティさん…」

 

 まったく動こうとしないエイダに促そうと、そしてあまりに哀れ過ぎる彼女を気遣って、自身の気分を害する人間の世界から離れることを提唱する。

 だが、アサルティが話し終える直前、エイダはぱっと目を見開き、同行者を眩しい笑顔で見下ろした。

 

「終わりました! 僕、ちゃんと働いてお金を手に入れましたよ! やった…! 生まれて初めて、僕の行動が正当な評価を受けました!!」

 

 満開の花が咲いたかのような笑顔で、衝動のままにぴょんぴょんとその場を飛び跳ねるエイダ。

 堪えてきた感情が、一つの経験を切っ掛けに洪水のように溢れ出し、半森人の少女は喜びの感情をこれでもかと表に表していた。

 

「オ前……金ガ少ナクテ落チ込ンデイタノデハナイノカ?」

「え? どうして落ち込む必要があるんですか?」

「……ドウ考エテモ、仕事ノ量ト報酬ノ量ガ釣リ合ッテイナイダロウ……少シクライ、不満ヲ抱クノガ当タリ前ジャナイノカ」

 

 理不尽な扱いを受けた筈なのに、悲壮感など一切感じさせない歓喜を見せるエイダに、アサルティは呆れ以上に、かつてないほどの困惑と恐怖を抱く。

 引いた目で見つめられ、エイダは訝しげに首を傾げながら、やがて苦笑を浮かべて口を開いた。

 

「……あの人は、良い人ですよ。本当に意地悪なら、お金なんて一つも渡してくれなかったでしょうし」

「ソレガ義務ダ。仕事ヲシタ分代価ヲ払ウ……当タリ前ノ事ダロウ」

「あはは、僕の故郷ではそれ、当たり前じゃなかったんで……むしろ僕、今物凄く嬉しいんですよ」

 

 頭を掻き、向けられる疑問の視線に困り顔になる。

 その脳裏には、かつての生活が―――恐るべき黒竜と出会う前、日常であった同胞達からの冷たい視線と厳しい言葉の数々が蘇っていた。

 

 行動を疎まれるどころか、存在そのものを否定される日々。

 それに比べれば、代価が釣り合っていなくとも、扱き使われようとも、一人の存在として相対して貰えている事が、うれしくて仕方がなかった。

 

「…なので僕、もうちょっとこの街で頑張ってみようと思います。まだあのお店の串焼き肉、食べられてませんし」

「食イ意地ノ張ッタ奴……ソノ上、恐ロシク物好キダナ、オ前ハ」

 

 呑気に笑うエイダに、アサルティは目を細めると、ずぶずぶと影の中に沈み始める。

 

 この調子では、どれだけ忠告しようと無駄になりそうだ。多少の困難や理不尽ではへこたれず、前よりましだと何となく乗り越えていくかもしれない。

 自ら望んで苦労を味わおうとしているようにしか見えない彼女に、アサルティはもうかける言葉が見つからなかった。

 

「ダッタラ好キニシロ……ドウセ俺モ目的ナド無イ、コノ辺リデ適当ニ過ゴス事ニスル」

「あ、あははは……きょ、今日もどうもありがとうございました」

「……フン」

 

 沈んでいく旅の同行者に礼を言い、エイダはまた苦笑する。それは呆れられている自分自身に対してのものだが、なんだかんだ言いつつ助けてくれたお人好しの怪物に対するものでもあった。

 そして、黒竜の姿が完全に見えなくなってから、エイダは軽い足取りで、街の中で最も明るくにぎやかな場所を目指して歩き出した。

 

「今度こそ……今度こそ、あの時食べられなかったあれを…! あぁ、もう! 待ちきれない!」

 

 逸る気持ちに急かされ、浮足立ちながら、エイダはずっと自分を魅了してやまない串焼き肉の店を目指して道を進む。

 飛び跳ねるような歩き方で、何となく覚えている道を逆走していた彼女は、ふとある事を―――今朝味わったばかりの苦い経験を思い出し、自分の懐を今一度確かめた。

 

「今度こそ、盗られてなるものですか……!」

 

 重い金属の感触が手から離れた事を思い出し、気合いを入れ直す。

 道中、二度とあのような輩に後れを取るものか、と鼻息荒く懐を押さえ、光と音を頼りに前を目指す。

 

 

 

 そんな彼女の背中を、見覚えのある黒い小さな影が幾つも息を潜め、じっと観察していた。

 闇の中に同化した彼らは、辺りを見渡す半森人の少女の視界に入らないよう細心の注意を払いつつ、標的の元へと徐々に近づいていくのだった。

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