アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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9.Revenge

「さてさて……大通りの近くまで来たはいいですが、こうも美味しそうな匂いをかいでしまうと他のお料理も気になってきますね。僕、そんなに食べられませんし……どれにしましょうか迷います」

 

 懐の貨幣入れを確かめながら、光の方へ向かうエイダ。

 口の中は涎で溢れていて、時折呑み込まなければだらだらと垂れ出てしまいそうなほどだ。乙女としてそんな醜態は晒したくはないが、空腹の所為で段々気にならなくなってくる。

 

 女としての尊厳を失う前に、どうにか購入するものを決めてしまわなければならない。

 

「よし、最初にあの串焼き肉を手に入れ、その他は目に入ったものを一つずつ買いましょう。……あのお店はどこにありましたっけ」

 

 一歩一歩が随分と小さく感じられる。待ちに待った瞬間、

 ついぞ口にする事ができなかったあの料理を今度こそ蝕するという欲望が、エイダの感覚を狂わせているのだろうか。串焼き肉までの距離が異様に遠く感じられ、エイダはますます唾液を溜め込む。

 

 そんな彼女の背後に、小さな影が音もたてずに近付きつつあった。

 影に身を潜め、息を殺し、前だけを見つめて歩を進める半森人の背後にぴったりと張り付き、徐々に距離を詰めていく。

 

 やがて歩く速度を速め、ぼろぼろの外套の中から手を伸ばした、その瞬間。

 

 

「―――二度も同じ獲物を狙えると思いましたか?」

 

 

 がばっ、と勢いよく振り向いたエイダが、自身の胸元に伸ばされた手を掴み、その場に留めさせた。

 小さな盗人は外套の下で目を見開き、慌ててエイダから離れようと藻掻く。だがエイダは盗人の腕を引き、捻り上げながら小さな体をその場に押し倒し、押さえ込んでみせた。

 

「……⁉」

「待っていましたよ…! こうして出て来てくれるのを! さぁ、前に盗んだ分も含めて仕返しをしてあげましょう!」

 

 エイダはにやりと口角を上げ、獰猛な獣のように恐ろしい形相で小さな盗人に凄む。

 

 真昼間、それも多くの人がごった返す目立つ場所で、堂々と自分を襲ったこの小さな盗人とその仲間達。

 手慣れた様子で街中を逃げ、仲間と連携して自分を翻弄し、まんまと姿を消してみせた彼ら……腹立たしいが、見事だという外になかった。

 

 だから、今度は絶対に思い通りにはさせない、と心に決めていた。

 安易に奪える恰好の獲物だと思われて堪るかと、半日近く使って、同行者に態々手伝って貰って手に入れた報酬を奪われてなるものかと、決意を目に灯して周囲を警戒し続けていたのだ。

 

 道端に寝転がる薄汚い格好の男達や、座り込む老婆、屯する中年の男女達。

 擦れ違うあらゆる者達に注意し、自身に近づこうとする者はいないか、態とらしく金銭を入れている懐に手をあてながら、待ち続けた……そして遂に努力は実り、自らの手で捕える事に成功したのだ。

 

「他にもいるんでしょう…⁉ 出て来て下さい……この子は人質にさせてもらいます」

 

 じたばたと自分の舌で暴れる盗人を押さえつけたまま、エイダは暗闇の中に告げる。

 しばらくの間、何者も応える事なく沈黙が流れたが、やがてぞろぞろと小さな影が幾つも進み出て来て、エイダに姿を現し出した。

 

 一人、二人、三人……エイダの真下にいる者も含め、十数人の同じ格好をした盗人達が悔し気にエイダを睨みつけてくる。

 何より目立ったのは、全員エイダの胸下ほどの背丈しか持っていなかった事である。大きくても自分の肩ほどしかなく、人種の違いを考えると、二桁かそれ以下の年齢に間違いなかった。

 

「やっぱり、子供…ですよね。貴方達、どうしてこんな事をしているんですか?」

「……その子を離せ」

「だったらまず、僕に教えてください。どうして盗みなんてしたんですか。貴方達……親がいるでしょう?」

 

 自分を取り囲んでいる者達は、人間の年齢ではまだ親に甘えている頃の筈。自分はそんな経験など殆どなかったし、家庭によって其々だろうが、こんな場所で盗みを行うような年齢ではない。

 

 そこまで考えて、エイダははっと息を呑み、盗人達を順々に凝視する。

 同時に、エイダの問いの声を聞いた盗人達から、怒気が目に見えそうなほどの量と濃度で漂い始めた。

 

「こんな事をして……いえ、もしかしてさせられているんですか? 親か他の大人に―――」

 

 普通ではない自分自身、混ざった血を理由に蔑まれ、罵倒され、危険な役目を押し付けられていた事から、目の前にいる彼らも同じ目に遭わされているのかと勘ぐる。

 もしそうならばと、痛い程気持ちがわかる彼らを只の悪人として見る事はできなくなり、エイダの手からほんの少し力が抜ける。

 

 その一瞬の隙を突き、盗人達の中の一人、最も背の高い者が懐から刃を抜き、エイダに猛然と飛び掛かった。

 

「…死ね!」

「え、わ、うわっ⁉」

 

 すぱっ、と空気を切り裂くような勢いで、盗人が殺意を以てエイダに斬りかかる。

 エイダはすぐさま足元の一人から手を離し、その場から跳び退って刺突を躱す。ほんの一瞬反応が後れ、衣服の胸元に刃が掠り、エイダは冷や汗を垂らしながら盗人の一人と相対する。

 

「お、落ち着いてください! 僕、何か気に障るような事を言いましたか⁉」

「うるさい! 死ね!」

「酷い!」

 

 再び振りかぶられる刃、随分と手の込んだ装飾が施された、どう見ても安物には見えない短刀を前にし、エイダは慌てふためきながら相手に呼びかける。

 

 相手が子供なら、乱暴に殴り飛ばすわけにもいかない。そう考えて説き伏せようと思っていたのだが、盗人の一人は何故かエイダに怒りを抱いた様子で、本気で刺し殺しそうな勢いを見せてくる。

 自分の発言が琴線に触れたのだろうか、とエイダは記憶を探るも、次々に振るわれる刃を躱す事に必死でうまく頭が纏まらなくなっていた。

 

「くっ…! だから! 落ち着いてくださいってば!」

 

 危うく頬を斬り裂かれそうになりながら、エイダはどうにか相手の腕を掴み、動きを止めさせる。

 盗人の一人は藻掻くも、体格差がある相手はすぐには振り払えず、外套の下で歯を食い縛りながら唸り声を漏らすばかりになっていた。

 

「離せ! お前……絶対殺してやる!」

「殺すって言ってる人を離せるわけがないでしょう⁉ いいから落ち着いてくださいってば!」

「うるさいって言ってんだろ! 死ね! 死んじまえ、くそっ!」

「この…! 言わせておけば…!」

 

 押さえつけられた腕を無理矢理上げ、刃をエイダの胸に突き立てようとして来る盗人の一人。

 エイダも意味が分からないまま殺されてたまるものかと抵抗し、両者はぎしぎしと骨が軋む音を響かせながら睨み合う。

 

「あ、貴方達の狙いはお金でしょう⁉︎ 僕を殺して何の意味があるんですか⁉︎」

「黙れって言ってんだ!」

「あぁ、もう…! ちょっとは聞く耳を持ってくださいよ!」

 

 苛立ったエイダは、いい加減にしろとばかりに力を込め、盗人の一人を引き摺り倒そうとする。

 しかし相手もただでは倒れず、地面を転がりながらエイダを引っ張り、二人で大きさも分厚さも不揃いな石畳の上を転げ回る。

 

 石畳の突起が腰や肩に押し付けられ、痛みに悶えるエイダを余所に、盗人の一人は立ち上がって再度刃を振り下ろす。

 

 エイダは顔面を狙うそれを転がって躱し、急いで起き上がるともう一度盗人の一人の腕を掴んで止める。

 こうも敵意を向けられる理由が微塵も理解できず、困惑したままとにかく凶器を手放させようとするのだが、相手は獣のような唸り声をあげて抵抗し続け、一向に大人しくならない。

 

「くっ…お前ら! おれの事は構うな! おれごとこいつを殺せ!」

「え⁉ あ、いや、ちょっ……それは狡いんじゃないですか⁉」

 

 いつの間にか、押さえつけていた筈のエイダの手を盗人の一人の手が掴み、反対にその場に留められてしまう。

 そして、周囲を囲んでいた他の小さな盗人達が、少しだけ迷う素振りを見せながらそれぞれで刃を抜き出し、じりじりと距離を詰めてくる様に慌てふためく。

 

 逃れようとするも、盗人はエイダの手をきつく掴み、一歩たりとも動けない。外套の下から覗く目に見据えられ、エイダの背筋にぞっと寒気が走る。

 

「まっ……待っ‼︎」

 

 迷っていた他の小さな盗人達が、雄叫びを上げて駆け込んでくる。

 エイダを押さえ込む仲間に言われた通り、仲間を傷つけてでも獲物を仕留めるつもりか、外套の奥から覗く視線を鋭く尖らせて向かってくる。

 

 逃げられない、避ける事ももう間に合わないそう察したエイダが絶句し、思わず目を瞑った時だった。

 

 

 夜闇を貫くように、何処かの誰かがあげた絶叫が、長く尾を引いて響き渡った。

 

 

「……あ、あれ? 痛くない……刺さってない? というか、さっきの悲鳴は一体…?」

 

 痛みに身構え、ぎゅっと瞼をきつく閉じていたエイダは、いつまで経ってもそれがやってこない事を訝しみ、きょとんと呆けた顔で辺りを見渡す。

 

 そして目の前の凶器を持った盗人達を見やり……彼らが全員、刃を振りかぶったまま固まり、あらぬ方向を向いて立ち尽くしている事に気付いた。

 

「あ、あ……!」

「まずい…あいつだ……!」

 

 盗人達は、先ほどの絶叫が響いてきた方をーーー暗く音もない、遠く続く道の先を見やっていた。

 人気のない、いや、先ほどまでは確かに存在した生物の気配がぷっつりと途切れてしまった闇の世界を凝視し、呆然と立ち尽くしたままがたがたと震えている。

 

 エイダが何事かと首を傾げたその時、彼女を押さえつける盗人の一人が、突如弾かれたように叫び始めた。

 

 

「―――奴だ! 奴が現れたぞ‼〝貪食者(スナッフ)〟だ‼︎」

 

 

 彼がそう叫んだ直後。

 暗く静かな闇の中から、どぱっ!と凄まじい勢いで極彩色の何かが広がりながら飛び出してきた。

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