アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
ずる、ずる、と。
重い何かが引き摺られるような音が、真夜中の廃墟街に響く。
建物の影から、割れた窓の奥から、砕けた床の隙間から、様々な隙間から半透明な
それぞれで異なる、毒々しい色をしたそれらは一つになると、ずるずると歪に形を変え、みるみるその体を縮めていき。
―――やがて一人の、細く華奢な身体つきをした人間の女の姿に変わった。
「……あ~あ、せっかく鬱陶しいごみを片付けようと思ったのに、邪魔されちゃったわ」
それは、どこか人外染みた美貌を持った女であった。
人であって人ではない。得体の知れない
一糸纏わぬ白い肌、染み一つない白磁のような身体を月光に照らさせ、独り言ちるその女。
大き過ぎず小さ過ぎず、見事な流線型を誇る各所を見せつける全身。同性であっても見惚れそうな完璧に均整がとれた自らの姿を夜闇の中で晒し、肩を竦めてみせる。
「全く、しぶといのよね。大分前に追い出したからとっくに野垂れ死んでいるもんだと思ってたのに……さっさと殺しておけばよかったわ。邪魔くさいったらありゃしない」
すると、女の足元からまたもや不定形の何かが溢れ出し、女の身体に纏わりついていく。
すらりとした脛に、むっちりとした腿に、豊かな臀部に、細く引き締まった腰に、適度に豊かな胸に。極上の色気を持った女の身体が極彩色の
やがて女は、流麗な
「何だか知らないけど一箇所に集まってたし、ついでに掃除してやろうと思ったのに、よくわからない変なのに邪魔されるし……うざったいわぁ」
誰に聞かせるわけでもなく、ぶつぶつと呟く女。宝石のように輝く目を細め、眉間にしわを寄せながら、不満を口にし続ける。
人の気配がほとんど感じられない街を独り歩く女は、異様な存在感を放っていた。
女以外の全ての人間が全て消え失せ、ただ一人の世界になってしまったかのような。そんな世界を、女は自らが主役の舞台にいるように優越感に浸った様子で、靴音を鳴らして歩いていた。
しかし、女の顔には確かな苛立ちが浮かんでいた。
己一人がいるべき舞台に、不快な邪魔者が紛れ込んでいるような、そんな苛立ちを抱いている様子が窺えた。
「潰しても潰しても逃げ延びて、汚らしい醜態を晒して居座るなんて……せっかく全部手に入れたのに、ごみが目障りな所為で全然満足できないわ。
乳房の下で腕を組み、小首を傾げる女の姿は蠱惑的で可愛らしくも見えたが、口から漏れだす言葉は残酷な悪意に満ちていて、見る者の恐怖感を煽る。
そしてそんな言葉を吐きながら、女の表情は困り顔のまま全く変わっていない。例えて言うのならば、自宅に湧く害虫の駆除を如何にするべきか、平凡な悩みを抱えているだけのようだった。
「何も持っていない、何の役にも立たないごみの分際で、私の世界に紛れ込んで―――ほんと、子供って邪魔くさくて嫌いだわ」
冷めた目で吐き捨てる女の礼装が、一瞬ぐにゃりと歪む。女の感情の変化を表しているように、滑らかな絹のようであった表面が毒花のように刺々しくなる。
ぐちゃぐちゃと蠢き、鋭く宙を差していた無数の棘は、次第に縮み元の滑らかな表面に戻る。それでも礼服の表面は蠢き、生物の体表のような印象を抱かせていた。
そうして、女が自らの異様さを辺りに見せつけながら夜の街を歩いていた時だった。
女の前に、左右の建物の影から複数の男達が姿を現し、女の元へぞろぞろと近づいて来たのだ。
「へ、へへへへ……ね、姉ちゃん、だ、だめだよ…こ、こんな所に、ひ、一人で来ちゃ」
汚れた襤褸を纏った、がたがたに歪んだ歯が目立つ男がどもりながら話しかけてくる。
女が立ち止まると、周囲を他の男達が……異様に大きな鼻を持っていたり、爛れた肌をしていたり、四肢が異様に膨張している男が囲み出す。
全員がにたにたと不気味な笑みを浮かべていて、女に対して下卑た欲望を抱いている事を悟らせた。
「そぉんな綺麗なおべべを着て、襲ってください~って言ってるようなもんだよぉ?」
「ぐ、ぐふ、ぶふふふ…!」
「そ、それに、も、もも、ものすごくい、いい女だ。あ、あああっちでおれ、おれ達と遊ばな、ないか?」
異様に大きな鼻を持つ男が女の後ろに回り、女の豊かな胸元を無遠慮に覗き込む。
そうすると歪んだ歯を持つ男が女の腕を掴み、身動きが取れないように抑え込もうとする。皮膚が爛れた男と四肢が膨張した男もそれに続き、腰や肩を掴んで女を捕らえる。
風呂になど何十年入っていないであろうか、垢に塗れた手が異臭を放っていたが、女は一切表情を変える事なく男達を見やっていた。
「俺達、随分うまい飯を食ってなくってなぁ……あんたが恵んでくれると、とっても助かるんだぁ」
「れ、礼ならいくらでもすっぞ。き、きき、気持ちよくしてやるからよぉ……あ、あんたもそんなかっこでうろつくくらいだ、う、うえてんだろ? そうだろ?」
「ふ―っ……ふーっ…!」
無言のまま、抵抗らしい抵抗を全くしない女の態度に、男達は観念した、または自ら望んでいると解釈し、女の身体を好き勝手に弄り始める。
白磁の肌は触れるだけで心地よく、柔らかい肉を指で押すとそれだけで幸福感を得られる。それでいてそうそう見る事のない美貌を間近で見る事ができて、男達の気分はかつてないほどに昂っていた。
身包みを剥ぐ事が主な目的であったのに、途中から女の肉体を愉しむ事を望み始めた彼らは、身動ぎ一つしない獲物を前に涎を垂らし出す。
「あぁ~…我慢できねぇ! この場で喰って―――」
どうせ、辺りに全く人気のない廃墟街。そしていたとしても咎める勇気などない、むしろ進んで仲間に加わりそうな碌でなししかいないと、男達の動きがより活発になる。
この場で押し倒し、邪魔な布を全て取り払って存分に味わおう。
獣欲が暴走し、正気を失った目で女を凝視しながら、歪んだ歯の男が舌なめずりをしながら女の礼装の胸元に触れた。
その瞬間、歪んだ歯の男の手に、かっ、と凄まじい熱が襲い掛かってきた。
「―――いでぇっ⁉ な、何っ……いってぇなこの女!」
思わぬ痛みに、思考を肉欲に支配されていた男は我に返り、顔を顰めて女から離れる。
胸に何か凶器でも仕込まれていたのだろうか。誘う、というか受け入れる素振りを見せながら反撃する機会を探っていたのか、と未だ表情の変わらない女を睨みつける。
「こいつ…! こっちが下手に出てりゃ付け上がりやがって! 痛い目に遭わなきゃわからないようだ…な……」
こうなれば容赦なく殴りつけ、痛みと苦しみで大人しくさせてやろう。綺麗な顔が多少歪んでも仕方がないと、男が目を吊り上げて痛みが走る腕で拳を構える。
しかし、男はやがて気付く。
女に振るうはずの自身の腕が、妙に軽くなっている事に―――肘から先が、綺麗さっぱり無くなっている事に。
「あぇ…? ―――ひっ、ぎゃああああああああ‼」
そう気づくや否や、襲い掛かってきた凄まじい痛みに悶え、男は背中から倒れ込んでのたうち回る。異変に気付いた他の男達が目を剥く前で、歪んだ歯の男は顔中から体液を垂れ流し、獣のような悲鳴をあげた。
消えた腕からは煙が上がり、なおも肘から上が消えて、いや、溶かされていた。肉がみるみる焼け爛れ、ぼろぼろと崩れて地面に落ちているのだ。
溶けた跡からは強烈な異臭が漂ってきて、他の男達は思わず後退る。咄嗟に捕らえた女からも手を離し、地面を転げ回る歪んだ歯の男から距離を取ろうとする。
「お…おい! 助けてくれ! い、い、いてぇ! いてぇよ! 死んじまう!」
溶けていく腕を押さえて、歪んだ歯の男は泣きながら叫ぶ。悲痛な声を上げて、痛みを誤魔化そうとしているのか地面に自らの頭を叩きつけ、両足を振り回している。
次第に、溶解は痕を押さえていたもう片方の腕にまで達し、最初と全く同じ速度で爛れ、崩れていく。初めに溶けだした方もとうとう肩にまで達し、筋肉が溶け、骨と内臓が露出しそれらも崩れ出していく。
それを、女は無言で見下ろしていた。
自らを捕らえていた他の男達には目もくれず、道端の塵でも見るかのようなどうでもよさそうな眼差しを向け、気だるげに佇んでいた。
「あ……ぁ、あ……あ…―――」
そして歪んだ歯の男を襲った溶解は首にまで達し、頸椎を溶かして、ごろりと頭部が転がり落ちる。恐怖に染まった男の顔が地面を転がり、身体から外れてなお襲う激痛が男の精神を侵し続ける。
やがて、頭蓋と脳が露出しそれらも溶け、とうとうそこには何も無くなってしまったのだった。
「ひ、ひぃ、ひひっ…ひぃっ!」
「な、何だこりゃあ……!」
「……⁉」
仲間を襲った悲劇を前に、他の男達は全員、恐怖で顔を引き攣らせへたり込む。嗅覚に突き刺さる刺激臭も忘れるほどに硬直し、がたがたと震えてまったく動けなくなる。
「……ねぇ、あんた達」
怯える男達に、ずっと黙っていた女が口を開く。
ひっ、と声を漏らし、一斉に振り向く男達に向けて、女は溜息を吐きながらじっと、面倒くさそうな視線を向ける。
「何、私の体に触ってんの。ごみくずの分際で、私の身体を汚してくれてるの」
「ひっ、ひぃい…!」
「答えなさいよ。誰の許可を得て、私の美しい体を穢してんのって聞いてんのよ……返事をしろ、くそがぁ‼」
震えたまま答える事もできないでいる男達を見下ろし、突如女は豹変し声を荒げる。
ますます怯える男達に向けて、女の纏う礼服が蠢き、一部が触手のように伸びる。伸びた触手は男達の首に突き刺さり、体内に何かを入れる。
小さな痛みが走り、困惑し慌てふためく男達に―――その直後、強烈な痛みが襲い掛かった。
「ぎゃああああ‼」
「いやだぁああああ‼」
「……‼」
泣き叫ぶ男達の首が、どろりと溶けて崩れ出す。見る見るうちに皮膚が穴だらけになり、筋肉が溶解して骨まで露出する。
凄まじい激痛が走り、悶え苦しむ男達は本能的に体内に入れられた何かを取り除こうと、自らの首筋を掻き毟る。一切の躊躇をせず、爪を立てて皮膚を引っ掻き肉を裂く。
しかし、爪の先が触れるだけで溶解は広がり、男達の両手が煙を上げて溶け始める。その間も首の溶解は止まらず、あっという間に頭蓋が体から離れてしまう。
「あんた達なんて、何にも持ってないどうしようもない屑じゃない……私の手を煩わせて、本当に鬱陶しいったらありゃしないわ。あー、気持ち悪い」
呻き声が木霊のように残り、か細く消え去っていく。既に男達は全員、跡形もなく消え去っているのに、恐怖の断末魔が今も続いているように聞こえる。
それを見下ろしながら、女はふんと鼻を鳴らし、触れられた肌を擦っていた。
自らが襲われそうになったという事実を全て掻き消そうとするように、男達が消えた跡を靴で蹴り、ふみつける。
そうして痕跡を完全に抹消してから、女は恍惚とした笑みを浮かべて深い息を吐いた。
「ふふふふふ……またごみを、それも四つも片付けたわ。私って本当にいい女よね、世の中のごみを綺麗にしてあげてるんだから……あのごみにも感謝して欲しいくらいだわ。まぁ、我が家の掃除をするのも、主の役目だけど」
達成感に満ちた表情で虚空を見やり、軽い足取りで歩き出す女。
女が身に纏う礼服がぐにゃぐにゃと歪み、花や葉の形となって本人の満足感を表す。
人の気配が今度こそ完全になくなった廃墟街を独り、舞台上で踊るように歩きながら、女は心底楽しそうに語った。
「汚いものも醜いものもいらない―――この世の美しいもの全て、私のものよ」