アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
「ゴルルルルルル…!」
「きゃー!」
雷のように轟く咆哮を上げ、影の中を突き進む黒竜が、鋭い牙を剥いて迫る。
恐ろしい形相で近付いてくる怪物の姿に、小さな子供達は悲鳴をあげて逃げ惑う……の、だが。
誰一人、本気で恐がる者はおらず、むしろ楽しげに笑い声まで上げて、廃墟の中を走り回る。
黒竜も捕食しようという雰囲気はなく、子供達との間に付かず離れずの距離を保ち、態とらしい唸り声をあげている。
「サァ、逃ゲロ逃ゲロ、追イツイタ奴カラ喰ッチマウゾ~」
「わぁー!」
「逃げろー!」
どことなく面倒臭そうに、しかしほんの少し楽しそうに、黒竜は子供達を追いかける。
つい数十分前までは本気で恐がって逃げていた子供達だが、最早何の恐れも抱いていない様子で、けらけら笑って廃墟の中を走り回っている。
そんなやり取りを―――追いかけっこに興じるアサルティと子供達を眺め、エイダはくすりと微笑みをこぼした。
「……よかった、皆さんアサルティさんの事はもうそんなに怖くなくなったみたいですね」
背中を露出し、膝を抱えた体勢のままエイダは呟く。
自分が汗水たらして手に入れた金銭を狙ってきた盗人達だが、ああしているのを見るとただの子供なのだなと、怒りがどこかに行ってしまうのを感じる。
アサルティも彼等の相手をする事は不快ではないようで、走り回る子供達に律儀に付き合っている。よく見れば知らない間に背中によじ登っている者もいるのだが、振り落とさないよう注意して泳いでいるようだ。
その面倒見の良さをどうして自分には見せてくれないのだろうか、とエイダが内心で不満を抱いていると、彼女の背後に腰を下ろしていた少女が深い溜息をこぼした。
「……あいつら全員、気を許し過ぎだ」
「もう……大丈夫ですよ、アサルティさんは良い人……竜? ですから。ああやって遊んであげてるんですから、ライアンちゃんももう少し肩の力を抜きましょうよ」
「……気安く俺の名を呼ぶな」
ちっ、と舌打ちをこぼし、エイダから視線を逸らすライアン。
手には何処かで手に入れた火傷用の薬の瓶があり、中身をエイダの背中に塗り付けている。子供達が怪物と遊ぶ事に夢中になっている為に、仕方なく手当てを担っているのだ。
獲物として、そして敵として扱う事はやめても、慣れ合う事は矜持が許さないらしい。エイダとは一定の距離を保ったまま、頬杖をついて詰まらなそうにそっぽを向いていた。
「……まぁ、あの化け物がそこまで危険な存在じゃない事はわかった。
「むぅ…何でしょうか、まだ疑われている気がします―――あだだだだ!?」
ライアンの物言いに引っかかるものを覚えたエイダが不満をこぼすと、途端に背中に激痛が走る。
じとりと恨みがましげな目で、くすりをつけた指先で傷口をぐりぐりと突いているライアンを睨み、やがて目を逸らして深い溜息を吐く。
何か気に障る事を言った自分への感情を、地味な嫌がらせで済ませてくれているだけましなのだと、そう考える事にした。
「だが、このままここに居させてやる気はないぞ。この手当てが終わったらさっさと出て行け」
「えっ⁉ 休ませてくれないんですか⁉」
「…当たり前だ。ルラを助けてくれた事には礼を言うが、その借りはこの手当で全部返す。第一、本気でお前らの全部を信用したわけじゃない」
じとり、と疑わしげに目を細め、エイダに、そしてアサルティを鋭く睨むライアン。
弟分や妹分達がどんなに懐いても、恐るべき力を持った謎の怪物である事に変わりはない。むしろ、日頃廃墟街を騒がせている別の怪物を屠るほどの力があるのだから、距離を取るのが当たり前だ。
その選択で弟分達に責められようとも、家族を守るという最大の目的の為があるライアンは、その意志を貫き通すつもりであった。
呆けるエイダの見つめる前で、明るい声を上げて燥ぐ弟分と妹分達を眺め、ライアンは小さく微笑みを見せた。
「ここに住んでいいのは俺の仲間……家族だけだ。新しく入っていいのは行く所が無くて、死にそうになった子供だけ……お前には、あの化け物がいるだろう。だから、手は貸さない」
「家族……」
ライアンの呟きを、エイダはぽつりと繰り返す。
血の繋がりはない、ただ同じ境遇にあるというだけで、深い繋がりはそれほどない。
なのに、それ以外に気を許す事はないと言いたげなライアンの呟きに、エイダは自身の胸の中がきゅっと締め付けられるような感覚に陥る。
家族が笑い、生きている姿を見つめる、年齢よりずっと大人びて見える少女の横顔を見つめ、エイダはいつしか目を潤ませていた。
「……あの、すみませんでした」
「……何がだ」
「今日、私がライアンちゃんを待ち伏せした時……ライアンちゃん、物凄く怒って、本気で私の事殺そうとしたじゃないですか」
もじもじと指先を擦り合わせ、申し訳なさそうにエイダが語り出すと、火傷後を苛んでいたライアンがぴたりと動きを止める。
様子の変わったライアンに横目を向けながら、エイダは膝に顎を乗せ、瞼を伏せながら重いため息をこぼす。自分の中にも嫌な思い出が蘇り、気分が恐ろしく下降し始めていた。
「多分あの時……きっと言われたくない事を言ったんですよね。何処が嫌だったのかはわかりませんけど、御免なさい、謝ります」
「……別に、どうでもいいし」
「はは……それでもですよ。言っとかないと僕の気が済みませんので……ただの自己満足です、ほんとにすみません」
ぺこりと頭を下げるエイダに、ライアンもばつが悪そうに目を逸らす。
窃盗という罪を犯したのは自分で、向こうは真っ当な文句を口にしただけなのに、逆に頭を下げられるという状況は居心地が悪いのだろう。
手当の手を止めたライアンの態度に、苛立っていると勘違いしたエイダはまた深い溜息をこぼした。
「駄目だなぁ、僕ってば。自分だって碌な人生を送ってないくせに、他人の事言えないくせに……ほんと馬鹿」
がっくりと肩を落とし、項垂れるエイダ。好奇心に負けて村を出て、悪い男に騙されて捕まって、挙句無責任に混じり者の子供を生んで早くに他界し。
忌まわしき人間の血が混ざった子として過ごしてきた肩身の狭い日々を思い出してしまい、凄まじく気分が落ち込んでくる。ライアンに向けて、自分が言われて来た事と似たような言葉を吐いた事に激しい後悔を抱き、身体の中に大きな鉛の塊が入り込んだ気分に陥る。
瞼を伏せ、嘆く様を見せるエイダの後姿を見つめていたライアンは、やがてふっと鼻を鳴らすと、エイダの背中の火傷後にばしっと布を叩きつけた。
「……お前の事情なんか知るか。くだらない」
「うっ…⁉ そ、そんな事言わなくてもいいじゃないですか!」
びくっ、と痛みで全身を震わせるエイダをまるで気にせず、薬を塗り終えた背中が空気に触れないように、包帯を巻きつけていく。盗んできた
すると、半森人の少女の白い肌の所々に刻まれた、大小さまざまな傷痕に気がつく。
爪で引っ掻かれたような痕、殴打された痕、事故でついたものではまずない、他人につけられた傷痕が幾つも見つかり、ライアンの手が無意識のうちに止まる。
胸中に浮かんだ感情に、ライアンはぐっと唇を噛む。しかしそれを言葉にして放つ事はせず、包帯を巻く作業を再開するとエイダの肩を押して背を向けた。
「今晩の詫びに、ここを寝床に貸してやる……朝になったらさっさと出て行けよ」
「え? …は、はい、そりゃどうも。じゃあ、使わせていただきます」
ほんの少しだが、声に優しさが混じって聞こえた気がして、エイダは困惑しながら頷きを返す。
振り向いて、どこかに立ち去ろうとするライアンを見つめるが、背を向けた小さな盗人達の姉貴分は全く顔を見せず、廃墟の奥に姿を消してしまう。
彼女の後姿に、エイダは自分でも気づかないうちに、羨望の眼差しを向けていた。
そして、そんな眼差しを向けられているライアンもまた。
誰にも見えない暗い部屋の中で、憂いに満ちた表情で座り込み、膝を抱えて項垂れたのであった。
「……お父様、お母様、どうして……!」