アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
「ふぁ~あ……あれ?」
エイダが目を覚ました時、小さな盗人達は一人もいなくなっていた。
相変わらず汚れた、今にも崩れそうな廃墟はがらんと静まり返り、住人がそれぞれで使用した毛布が散乱しているだけ。
眠気眼を擦り、辺りを見渡していたエイダは、部屋の中心に置かれた大きめの鍋と、それから漂ってくる何やら香しい匂いに気がつく。
「あの子達はどこに……というかこれは、ごはんですか? あとちょっとしか残ってないみたいですけど」
鍋の中を覗き込み、隅に残った薄い煮汁らしき液体を見下ろす。放置されていた匙を使って掬い上げ、嗅いでみると、殆ど冷めていたが食べる事に支障はなさそうに感じる。
しかし、勝手に口にしていいものかと、自覚し始めた空腹を我慢しながら作った者の姿を探していると。
「……ソレハオ前ノ分ダソウダ」
背後から聞き慣れた声を掛けられ、はっと振り向く。
いつの間にかすぐ近くに浮上していたアサルティの前で、一気に眠気が消えたエイダは今一度視線を鍋に戻す。
「僕の分、ですか?」
「ソレヲ喰ッタラサッサト出テ行ケ、ダソウダ。アイツ、随分前カラ用意シテイタゾ」
アサルティはそれだけ説明すると、ずぶずぶ影を泳いで廃墟の出口に向かってしまった。
告げられたエイダは目をぱちくりと瞬かせ、少しの間鍋の中を覗き込んで考え込む。自分の分、という事はこの中に残っている少量の煮汁は、自分の為に残されたという事か。
食べ残しにしては少し多いと疑問に思っていた所に答えを提示され、エイダは納得し何度も小さく頷いた。
「……ん? あの人達、もう行っちゃったんですか?」
「一稼ギシテクル、ダソウダ。次ノ獲物デモ探シニ行ッタンダロウ……オ前ノヨウナ安イ獲物ハ早々見ツカランダロウガナ」
適当な器を見つけ、鍋をひっくり返して中身を注ぐエイダに、アサルティは皮肉をぶつけてから、野良犬の死骸らしき肉を咥えてごくりと呑み込む。足りないと思い、予め狩っておいた分のようだ。
「そ、その話は勘弁してくださいよ……次はちゃんと死守したんですから。いいじゃないですか」
「最初カラ気ヲ配ッテイレバ、ソモソモアイツラニ狙ワレル事モナカッタダロウニ」
「……アサルティさん、もしかして僕の事嫌いですか?」
「鬱陶シイトハ思ッテイル。俺ガオ前ト共ニイルノモ、オ前ガ勝手ニツイテ来テイルダケダカラナ……俺ガ望ンダ覚エハ一度モナイ」
ばきぼきと骨を噛み砕くアサルティは、じとりと咎めるような視線をエイダに向けて鼻を鳴らす。醜態を何度も晒す半森人の少女に、心底呆れているようだ。
エイダは気まずそうに目を逸らし、次いでため息と共に大きく肩を落とす。
このような会話を以前もしたな、と以前の失態を思い出させられて憂鬱な気分になりながら、器の中の煮汁を口いっぱいに頬張る。
微妙な温さを自分が遅くに起きた所為だと我慢し、やがて全て呑み込んだエイダはふと、多くの塵が放置された廃墟の中を見渡し、眉間に皺を寄せた。
「……あの人達、この先も同じ暮らしを続けるんですかね…?」
「サァナ。ソレシカナイノナラバ、ソウスルノデハナイノカ」
「あんなちっちゃい子も沢山いるのに、本当に大丈夫なんでしょうかね。僕はもう気にしてませんけど、他の被害者とかが怒ったりして……こう、仕返しとか復讐とか」
自分だって盗まれた事に怒りを覚え、一時は後を追って捕えようと考えたのだ。
自分以上に被害の大きかった者、他者を傷つける事に何ら躊躇いを抱かない人間などがいたならば、小さな盗人達は只では済まされないだろう。自分が故郷の森で受けた仕打ちから考えるに、暴行は当然、殺されてもおかしくはない。
考えれば考えるほど心配になり、エイダは思わず神妙な表情で俯き、考え込む。
そんな彼女に、アサルティはじとりと険しい視線を向け、ぐるぐると苛立ちの唸り声を漏らした。
「オ前、他人ノ心配ヲシテイル余裕ガアルノカ?」
「…アサルティさんに迷惑かけっぱなしってのはわかってます。ですけど、一度言葉を交わした相手が酷い目に遭ったりするのは……いやだな、と」
この黒竜に、小さな盗人達の事情は全く関係がない。それは自分も同じ事で、推しかけて無理矢理旅に同行しているだけの赤の他人なのである。
確かに、アサルティに不注意について忠告され、また新たに現れた怪物から救われたりと、他人を気遣っている暇は全くない。
だがそれでも、エイダが生まれつき持った厄介な性分が、出会った顔見知りを忘れる事を拒み、許さないのだった。
「……ソレハ、オ前ノ故郷ノアノ屑共ガ相手デモカ?」
「……あの人達が死んでしまった直後は、ちょっとくらいはざまぁみろって思ったりもしました。でも、時間が経った今は……」
毎日罵倒し、本気で殺そうとしてきた故郷の半森人の男達。
彼らに対する感情は暗いものばかりで、碌な思い出が無かったが、それでもエイダという少女を構成する記憶の中に、確かに入っている存在であったのだ。
どんなに嫌いでも、この世からいなくなった事に対しては思う所が多々あった。
「居なくなるのって、寂しいんですよ。どんなに嫌いな人でも、憎い人でも、それまで確かに存在していた人がいなくなるのって……なんか、こう、胸の中に穴が開いたみたいな感じがするんですよ」
「……ソウイウモノカ?」
「少なくとも僕は…そういう感じです」
エイダはそう言い切ると、不意に自らの懐を弄り出し、大事に奥底に隠して老いた金銭の入った袋を取り出す。
じゃらじゃらと音を立てる、二度と奪われてなるものかと死守するつもりでいた、今後の生活基盤。それをエイダは……空にした鍋の傍にそっと置く。
「……こんなものに振り回されるから、無駄に気を張る羽目になるんですよね」
手元にはもう一銭もない。あの串肉をもう食べられないのは残念だが、何故か清々しい気分になり、もうあまり気にならなくなってくる。
手ぶらとなったエイダは軽くなった懐を弄り、やがて満足げな笑みを携えて頷いたのだった。
そんな風に、大真面目な顔で相変わらず甘い行為をしたエイダに、アサルティは肉を齧りながら首を傾げる。
根本的に人に、命に対する価値観が異なるのだろうか。無言で地面を見つめるエイダに、全く理解ができないと言いたげに目を細め、額の辺りを顰めさせる。
「最初ニ会ッタ時ヨリハ遥カニマシナ馬鹿ニナッタガ……ヤハリ馬鹿ハ馬鹿ナノカ」
他人を気にする事ができる精神を、アサルティはどうしても理解できなかった。
お人好しと言われた事はあるが、そう言われるに至った行動の多くは己の為にやった事。己の思考に最初に上がるのは食欲で、次は大抵気分次第でころころと変わる。
気に入らなければ何もしないし、むしろ率先して喰い殺し。暇でやる事が無ければ、困っている様子の輩を手伝ってやる気にもなる。
自分は常に、自分の感情の赴くままに動いて来たつもりなのだ。他者の事は、根本的にどうでもいいのだ。
これは、
傲慢な捕食者の思考を自覚し、アサルティは微かに自分の中に嫌な感覚が芽生えた事に気付いた。
「……マァ、俺モ人ノ事ハ言エンガナ。本当ニ、俺ハ何ニナッテシマッタノダロウナァ……」
影の中に目から下を沈めつつ、アサルティは思う。
こんな迷惑な考えを持った者が、訳のわからない能力とやたらと空きまくる胃袋を持ってやって来て―――
「……ン? コノ世界…?」
▼△▼△▼△▼△▼
「―――よし、今日の仕事場はここだ」
建物の屋根の上から覗ける、眼下で騒ぐ大勢の人々。
自国にはない、珍しい品や優れた品を求めてやって来た他国の者達が、商人達を相手に交渉を行う様が見える。
ねちっこく、時に威圧的に話して値段を下げようと努める彼らの懐からは、じゃらじゃらと大量の金銭の音が聞こえてくる。
それらは商人達にとって自分の要求を通す為の武器だが、彼らにとってはご馳走であった。
「南東区は目立ち過ぎちまったからな、ほとぼりが冷めるまでしばらく離れておこう……それまで他の狩場でも目立たないようにしろよ」
「う、うん」
「わかった…!」
狙う獲物の質が高ければ、その分危険性も高くなる。
多くの金を持つ者ほど用心深く、奪われないように屈強な護衛を雇い、自分の周囲を固めているもの。挑むのは覚悟が必要となる。
失敗して捕らえられるのは勿論、足がついて住処を特定されては堪ったものではない。
「……ねぇ、ライアン」
「何だ」
「……きのうたすけてくれたかいじゅうさんのことなんだけど」
思考するライアンの元に、襤褸布で顔まで隠したルラが話しかけてくる。
辿々しく、もじもじと躊躇いがちに口にした言葉に、ライアンは反射的に顔をしかめて妹分から目を逸らした。
「あいつらは他人だ。もう関わる事もないんだから、忘れろ。あの遊びも危ないから駄目だ、禁止する」
「えー?」
「そりゃないよ、ライアン姉」
ライアンがそう告げると、他の弟分や妹分達から抗議の声が上がり出した。
昨晩一緒に遊んでもらった事が相当気に入ったのだろうか、いつもは従順な少年少女達が口々に不満をぶつけてくる。
経験のない事態に、ライアンはぎょっと目を剥いて彼らに振り向いた。
「お、お前ら……」
「あ、あのね? あのかいじゅうさんのちからをみてておもったの。かいじゅうさんにもてつだってもらったら、しごとがもっとらくになるよ!」
呆れるライアンに、リラが懸命に訴えかけてくる。
ライアンに反対される事を承知で、それでも自分の命の恩人であるという思いと、楽しかった記憶に突き動かされ、いつにない積極性を見せてくる。
それは他の者達も同じで、目を輝かせながら今が好機とばかりにライアンの周りに集まってくる。
「ライアン、あいつらさそわないのか?」
「かおはこわいけど、ぜったいいいやつだぞ」
「なかまにいれてやろうよ」
わいわいと、仕事前である事も忘れて騒ぐ少年少女達に、ライアンは思わず頭を抱える。
どれだけあの怪物の事が気に入ったのやら、全員が期待に目を輝かせている。特に男子が強く反応を示しているのがわかった。
「……あいつらは俺達とは違う世界に生きてんだ。それを態々こっちの世界に引き摺り込むなんて、面倒事の臭いしかしねぇだろ」
ライアンがきっぱりと拒否すると、全員が落胆した様子で肩を落とす。そしてライアンに恨みがましげな視線を送り出す。
弟分と妹分達の気分が一気に降下した事で、ライアンは深い溜息をついて項垂れる。こんな事で仕事前のやる気が落ち込むなど、情けなくて悪態がこぼれそうになった。
「でも、わたしをスナッフからたすけてくれたよ」
「それは……」
純然たる事実に、ライアンも多少は悩む。
廃墟街に出没する不定形の怪物。普段は山のような巨体で、時に無数に分裂し襲い掛かってくる、何もかもを捕食し溶かしてしまう危険な存在。
何度も狙われた事のある怪物と、それを逆に捕食してしまえる怪物……それを味方にする事は、確かに魅力的であった。
(あいつが味方になってくれたら……いや、そんなのはただの妄想だ、考えるだけ無駄だ。だが、化け物を味方にするなんて、連中の度肝は抜けそうだな)
街を見下ろし、人々を睥睨してライアンは思う。
何一つ不自由なく暮らしているように見える男、他人を顎で使って買い物に興じる女、生まれてからこれまで何もかもを与えてこられた子供、老い先短い人生で金を溜め込んでいる老人達、そして自分達を追い出した屑共。
あの怪物が味方であればーーー自分達を見下し虐げる連中に目に物を見せてやれるのではないか。
そんなくらい考えを抱いたライアンは、やがてはっと我に返るとぶんぶんと首を横に振った。
「さぁ、無駄話はこれくらいにして…―――行くぞ」
自分自身に言い聞かせるようにして、弟分達にそう告げたライアンは腰を上げ、今日の獲物を見定める為に街へと降りていく。
その後を他の者もついていき、小さな盗人達は街へと散らばっていった。