アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜 作:春風駘蕩
「寄っといで寄っといで! 異国の織物が揃ってるよ! 見なきゃ損だよ!」
「隣国で作られた風変わりな発明だ! 冷やかしでもいいから見ていかないかい⁉」
「あま~い果実はどうだい! 安くしとくよ!」
大通りのあちらこちらから、威勢のいい掛け声が響いてくる。
普段は静かな、他人の通りも疎らである通りなのだが、月に一度、時刻やよその国からやってくる商人達が集まって市を開き、単純に売るだけでなく商品の知名度を上げようと奔走するのである。
遠くから、自身を持って持って来る分商品の質は高く、次々に客はやって来て飛ぶように売れていく。
品物は異国でしか手に入らない果物や野菜、肉や魚もあれば、異国の技術で生み出された発明品や民芸品も出される。作った本人が自ら店頭に立ち、声高々に品物の利点と作るまでの苦労を語り、道行く人の関心を惹いて薦めているのだ。
月に一度の催しに、人々の財布のひもは緩み、そして商人達の懐はあっという間に潤っていく。
そんな彼らを……通りの影に潜んだ三人の小さな盗人達が、じっと息を殺して見つめ、標的を見定め向かう時機を見計らっていた。
「……あの男はどうかな。たくさん持ってそうだよ」
「だめだ、となりにごえいがいる。かえりうちにあっておわりだ」
「そのとなりの女はあんまりもってなさそうだな。ありゃはずれだ」
目の前を通り過ぎていく客や屋台や茣蓙を広げた商人達を一人ひとり眺め、狙うべきか否かを判断する。
最初に通り過ぎた男は裕福層だが、すぐ傍で屈強な大男がぴったりと張り付いていて、全く隙を見せない。稼いだ金で自分を守る事を重点的に考えているようだ。
次に見つけた女はごく普通の格好で、肩に担いだ鞄の中身も食べ物ばかりが入っている。ちょっとした贅沢をするために市に出て来たのだろう。
その次も、その次の前を通り過ぎる者も、狙うには危険を伴う、或いは狙ってもさして実入りのないあ相手ばかりで、盗人達は中々仕事をできずにいた。
「……きのうの森人のお姉ちゃんみたいなやつはいないね」
「あんな狙い易い鴨なんてそうそう居るわけないだろ、馬鹿」
この仕事を初めて何年と何ヶ月が経ったか。その中でもあそこまで簡単に盗める相手はいなかった、と三人の中で一番年上の少年は呆れた表情で鼻を鳴らす。
あんな獲物が今後現れてくれるとも限らない。あんな獲物に頼らなくてもいいように、己の技量を高めて稼ぎを確実にできるようにしなければならない。
最年長の姉貴分が別の場所にいる今、自分がしっかり弟分たちの面倒を見なければ、と少年は鋭く獲物を捜し、息を潜める。
「ライアンはだめって言ってたけど、こういうときアサルティがいたらすごくやくにたちそうだよね」
「うん、ぬすんだらすぐに、かげにもぐってにげちゃえばいいんだもん」
「……あんな奴に頼ろうと思うな。あんな世間知らずのお人好し共なんか……」
諦めた様子のなさそうな弟分達に、少年達はやや鬱陶しそうに返す。
弟分達の言う通り、害になる輩ではないのはわかっている。同情し好意的に接してくれる雰囲気もあり、味方になってくれればさぞ安心できるだろうと思える。
森人の女は頼りないが、何よりも魅力的な黒竜の能力は逃しがたい。あの力を自在に使う事ができれば、この先の人生はどれだけ楽になるだろうか、と。
だが、だからこそ少年にとっては傍にいてほしくなかった。
力を持つ者に同情され、助けられる事に対し、見下されている気がして不快な気分に陥ってしまうからだ。
「もういいから、今日の獲物を探せ。目標分稼がないとライアンにどやされるぞ」
「はーい…」
意識を切り替えねばと少年が告げると、弟分達は渋々といった顔で視線を市に集まった客達に戻す。
狙い易く、盗みに気付かれにくい、それでいて実入りの多そうな相手。数少ない標的を見つけ出す為、三人は目を皿のようにして人々を観察し続けた。
そんな時、一を横切る一つの人影に気付いた。
護衛もおらず、服装もそこまで豊かではなく貧しくもない、白いひげを蓄えた初老の男性である。
「……あのおっさんがいいんじゃない?」
「ん? …ああ、そうだな。あれは丁度いいかもしれない。後を追ってみよう」
慣れた足取りで歩いていく男に意識を集中させ、少年と弟分達は動き出す。
姉貴分よりは巧くはないが、街の人間に殆ど気付かれる事のない無音の足運びと息の殺し方を用い、獲物の後ろにぴったりと張り付く。
―――男が持つ、年齢に似合わぬ鋭い目つきに気付く事なく、小さな盗人達は進むのだった。
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「……鬱陶しい野鼠が、数匹かいるな」
市から離れ、しばらく歩いた先に広がる、料理を提供する店が多く集まる場所。
その一角にある、こじんまりとした洒落た店に入った初老の男―――表向きには温厚な、裏では冷徹な思考で多くの民から金を巻き上げる大商人である人物が、近頃街で流行っている珈琲を口に運びつつぽつりと呟いた。
派手な装いを嫌い、然して裕福ではないように偽り、目立つ位置に護衛を置かずに街往く者達の需要を確かめていた時、彼はふと物陰から向けられている視線を感じた。
一箇所だけではなく、少なくとも三か所から同時に向けられる、時機を見計らう視線。
男は珈琲を入れた器で口元を隠しつつ、老人とは思えないほどに鋭く殺気の籠った視線で視線を感じる方を睨み、思考する。
「一つは、只の餓鬼共……一つは記者、もう一つは金に目が眩んだ女か。他にも何人かいるが、大体皆同じような相手だな……儂の金を狙う犬共が」
ふん、と鼻を鳴らし、男は吐き捨てる。
幼少期から苦労を重ね、数々の裏切りを経てなお成功への執念を抱き、齢六十となった今や他に並ぶ者のいないほどの富豪へと成り上がった人物。
多くの店を持ち、配下を従え、国を裏側から牛耳り王よりも力を持っているとさえ言われる、敵に回せば命はない恐ろしい男が彼であった。
だがそれでも、彼を狙う者は大勢いた。
純粋に金銭を奪おうと目論む者、配下に下り甘い蜜を啜りたがる者、毎日豪勢に暮らせるであろう愛人の座を狙う者、ありとあらゆる種類の人間が彼の隙を伺っていた。
地味な恰好で普通の人間を装って尚、狙う者は減らない。闇の世界に身を潜め、多くの別の顔を使って自らを隠していても、執念で顔を暴いて近付いてきていた。
「……誰にも渡さんぞ。全て儂のもの、儂の財産じゃ……鐚一文奪わせたりはせんぞ」
自身が一度命じれば、一般人を装って姿を偽っている護衛達が一斉に動き出す。
自身を狙っただけではない、自身を不快にさせた者も、通行の邪魔をしたというだけでも、多額の報酬を払って雇った護衛達は命令通りに障害物を排除する。
それだけの事ができるという自負を抱き、男は敢えて周囲に蔓延る盗人達を泳がせ、動きを待っていた。
「……まずいな。あれは多分、西のゴドウィンだ。人身売買までやってるっていう恐ろしい奴だ」
店先の椅子に腰かける初老の男を凝視し、盗人の少年が悪態交じりに呟く。
目の前にいる男が腰を下ろした瞬間、雰囲気が別人のように豹変し、三人は戸惑いと恐怖でその場に立ち尽くす。
狙い易そうな獲物として追ってきた相手が、実は同業者も避けるような大物であった事に気付き、冷や汗を垂らしながら舌打ちをこぼす。
老いてなお凄まじい威圧感を放つ男から、本能的な恐怖を感じた少年は離れられなくなっていた。
「下手に近付いたら、どこかに隠れてる手下に捕まってそのまま奴隷堕ちだ。しくじったな……今離れたら絶対に追って来るぞ」
「そんなこわいやつ、なんできづかなかったんだよ…!」
「奴の顔を知ってる奴は少ない……この国の金の動きを裏で操ってるって言われてるくらいの男だ。近くで雰囲気を感じてやっとわかったんだよ」
狙っていた男の雰囲気が急に変貌した所為か、すっかり怯えて逃げ腰になっている弟分達を横目に、少年は自分の失態だと歯を食い縛る。
相手が悪いとわかった今、長居は無用。
なのに、逃げようと隙を見せた瞬間後ろから狩られそうな威圧感があり、誰一人その場から動く事ができない。一触即発の、破裂寸前の風船のような雰囲気となっていた。
「ど……どうする? ぬすみにいってもにげてもつかまるんだろ?」
「何か、何か騒ぎでも起こればその隙に逃げられそうなんだが……そんな都合よく起こらないか」
頬を引きつらせ、少年は小さく唸る。都合のいい偶然に頼りたくなるほどに、状況は不利で激しい後悔に苛まれる。
あの男を狙わなければ、途中で諦めていれば……弟分達の言い分を真面目に聞いて、あの黒竜の力を借りていれば、ここから逃げるどころか獲物を奪う事もできたかもしれない。
最早、真面に思考もできなくなるほどに少年達は焦り、男の一挙一動に一々身を震わせながら、機を窺う事しかできない。
先程から全く動きがない、自分を狙う不届き者達に焦れ、初老の男が近くに控える肺かに合図を送ろうとした―――その時だった。
「―――相席、よろしいですか?」
そんな、場の雰囲気に全く似合わない呑気な声が響き、男は動きを止め、ぎろりと鋭い視線を向ける。
そして、そこにいた一人の女……藤色の髪に、白磁のような艶やかな肌をした美しい女を前に、胸中で酷く荒ぶっていた初老の男は一瞬苛立ちを忘れて魅入ってしまう。
女は男の注目の全てが自分に向いている事を察すると、にこりと……どこか作り物染みた笑みを浮かべ、許しも得ぬまま静かに向かいの席に腰を下ろした。