アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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19.Run away

「うわあああああああああああああああああ―――‼」

 

 少年達の悲痛な叫び声が響き渡る街の中、彼等の後をずるずるぐちゃぐちゃと気味の悪い粘ついた音が追いかける。

 

 様々な毒々しい色に変わる、決まった形のない生き物にはまず見えない何か。骨も筋肉もない液体のような体で、それらは街中を蠢き進んでいた。

 ある個体は蛞蝓のように地を這い、ある個体は飛び跳ね、ある個体は転がり、逃走する少年達の後方から迫っていく。徐々に彼らとそれらの距離は縮まり、四方八方から少年達を追い詰めていった。

 

「に、兄ちゃん! どうしよう!」

「追いつかれちゃうよ!」

「喋ってないで走れ! 死ぬぞ‼」

 

 手を伸ばせば触れられそうなほどの距離にまで近づかれ、恐怖で顔を歪めた弟分達が少年に乞う。

 ただ逃げるだけで精一杯で会った少年も、それ以外に何も思い付けず弟分達に怒鳴り返す事しかできない。大きな声で怒号をぶつけられ、弟分達は涙を溜めた目元を拭って走り続ける他にない。

 

 嗚咽を漏らして黙り込む彼らを見やり、少年は悔しさで歯を食い縛る。偉そうに命じておいて、何もしてやれない自分自身の情けなさに腸が煮えたぎっていた。

 

「……あの女が、貪食者(スナッフ)だったってのか―――⁉」

 

 きっ、と背後を睨みつけ、向かってくる不定形の怪物の姿を視界に映す。

 

 近づくだけでも危険な影の支配者に媚びを売る只の馬鹿な女だと思っていたのに、突如態度どころか姿までもを豹変させ、相手を呑み込んでしまった。

 かと思えば、不定形の身体が変質し、呑み込んだ男そっくりの姿に化けて満足げに笑い始めた。

 

 何が起こったのか、未だに少しも理解していないが、とにかく逃げなければと本能的に体が動いていた。

 

「走れ! とにかく走れ! あいつから離れるんだ! 姿を隠せるところまで走れ!」

 

 全力疾走を続け、とっくに意気は上がり全身の筋肉が悲鳴をあげているが、耐える他にない。

 体勢を崩しかけている弟分達の襟首を掴み、喝を入れながら、少年は何度も後ろを振り返り、迫り来る怪物達との距離を測る。

 

 不定形の怪物達は何処かから姿を現し、少年達を追いながら時に纏まり、時に分かれ、毒々しい色の粘液で街を汚して向かってくる。

 まるで雨期に起こる川の氾濫のように、巨大な影となって獲物を覆い尽くさんとする。駆ける少年達の足元に、怪物の生み出した影が徐々に近づきつつあった。

 

 その光景を振り返り、少年はちっ、と舌打ちをこぼす。

 何処か身を隠す場所か振り切る為の小道などないものかと辺りを見渡しているのに、そんな都合のいいものどころか……道行く人の影すら見つけられずにいたのだ。

 

「何で……何で誰もいないんだ⁉ こんな化け物が暴れてるってのに、何で誰もいないんだよ⁉」

 

 そこらの家の中にも、店の中にも、視界に入るあらゆる建物の中にも外にも、一切の人の気配が感じられない。繁盛していた市の方へと急いでも、やはり人の姿は見つける事ができない。

 自分達以外の街の住人全員が、街の中から消え去ってしまったかのようだ。

 

 何故、先ほどまで確かに大勢の人々で賑わっていた筈なのに、いざ探そうとした瞬間にいなくなっているのか。異様としか思えない状況に、少年は背中にびっしりと冷や汗を噴き出させて焦る。

 

「こうなったら…無理矢理にでも押し入って―――!」

 

 一度何処かの建物の中に入り、体勢を整える必要がある。既に体力は限界で、走り続けたとしても追いつかれるのが関の山だ。

 孤児の盗人である自分達を入れてくれる家などある筈もなく、ならば無理矢理にでも押し入ってやるしかないと、少年は覚悟を決めて開いていそうな建物の入り口を探す。

 

「…! 兄ちゃん! あそこに人がいるよ!」

「たすけてもらおう!」

「……わかった。あの女のいる建物に一旦立て籠もるぞ…!」

 

 その時、ふらふらと覚束ない足取りで駆けていた弟分達が、ぱっと目を輝かせて騒ぎ出す。

 彼らが指さす先に、道端に佇む礼装を纏った女性が立っている事に気付くと、少年はきっと覚悟を決めた目を向けて速度を上げる。

 

 高級そうな装いに日傘を差した、金持ちそうな女だ。助けを求めても、拒まれる可能性が高い。

 もしそうなった場合でも、懐に入れた刃物で脅して中に入れさせてやればいいと、懐に手を伸ばして少年は女性の元を目指して走る。

 

「おい、お前! 死にたくなかったら俺達を中に入れ…―――⁉」

 

 刃物を抜き、引っ掴んで首元に突き付けてやろうとしたその瞬間、少年の動きが止まる。

 

 少年達の声に気付き、ゆっくりと振り向いた金持ちそうな女が顔を―――見覚えのあり過ぎる、先程例の男を襲った何かと全く同じ顔をした女が、少年達に視線を移す。

 少年達が唖然とする前で、女はにやりと不気味に嗤い……ずるりと、人形のように整った顔を粘土のように歪め、ばしゃっと大量のどす黒い液体となって襲い掛かってくる。

 

「うわぁあああ‼」

 

 目前に広がった極彩色に、逃げ場を失った少年達は悲鳴をあげて立ち尽くす。

 前も後ろも、いつの間にか左右も上も、全てが怪物の壁に阻まれ逃げ道などどこにもなくなってしまってる。触れれば即、死が訪れる相手に追いつめられ、少年達は互いに抱き合って頭を抱える。

 

 これが……こんなものが自分達の最期なのか。こんな訳の分からない怪物に喰われて死ぬのが、突如変わってしまった親に捨てられ、不幸に堕ちた自分達の結末なのかと、自分達の不幸を嘆き絶望した。

 

 

 

「―――グルァアアアアアアア‼」

 

 

 

 その瞬間、凄まじい音量で轟く咆哮が辺り一帯に響き渡り、少年達ははっと我に返る。

 咄嗟に顔を上げた直後、巨大な黒く艶やかな何かが視界を横切り、少年の目前に迫っていた怪物の一部が消え失せる。

 

「……⁉」

「ああああああ⁉」

「ガルルルルル‼」

 

 唖然とする少年達の周囲を、黒い影―――アサルティは凄まじい速度で泳ぎ回り、不定形の怪物に襲い掛かる。

 がちがちと牙を打ち鳴らし、両腕の爪を振り回し、鋭い眼光で射抜き、地まで震える強烈な咆哮を放ち、周囲を取り囲む無数の怪物を威嚇する。近付くな、と全身で誇示しながら怪物達を威圧する。

 

 ……己の背の上で、鰭にしがみついたエイダが涙目で振り回されているのも構う事なく。

 

「あ、あ……アサルティさん~⁉ もう少し背中に乗ってる僕に気を配って~‼」

「グォルルルルルル‼」

 

 悲鳴をあげるエイダだが、アサルティは返事もせず怪物達に吠えるだけ。縦横無尽に泳ぎ回る巨体に翻弄され、今にも吹っ飛ばされそうだったが、半森人の少女は必死に鰭を掴み、耐えていた。

 

 怪物は突然の事に驚いているのか、ぶるぶると全身を震わせて後退り出す。食い千切られた己の体の一部に恐怖を抱いたのか、その個体は特に俊敏に黒竜の牙から逃れようとする素振りを見せた。

 

「あいつ……よ、よし! そのままやっちまえ! 喰い殺せ‼」

「たすかった…! やっちゃえ!」

「そいつをやっつけろ~!」

「ガルルルルルル…!」

 

 少年と弟分達は呆然と、自分達を囲んで咆哮を上げるアサルティを凝視し、やがて我に返り出すとアサルティに期待と希望を抱き、囃し立て始める。

 

 しかし、アサルティはそんな彼らに視線をやると、不機嫌そうに眉間にしわを寄せて低く唸る。

 そのまま怪物達に背を向けると、今度は少年達に向かって鎌首をもたげ、鋭い牙の並んだ大顎を開いて飛び掛かった。

 

「…え、は⁉ ちょ、ちょっと待っ―――うわぁああ⁉」

 

 少年達が逃げる暇も与えず、アサルティはがぶりと彼らを口の中に収め、すぐさま影の中に潜り込む。

 

 巨大な竜の周りを囲み、様子を窺うように震えていた不定形の怪物達は、竜の巨体が沈が沈むとその影の元へと殺到していく。

 そして影が縮み、薄れ、完全に消え去ると互いに顔を見合わせるように蠢き、やがて再び一つに纏まる。一つの巨大な塊になった怪物は、ずるずると一直線に街中を進み出した。

 

 

 

 音もなく、光もない、完全なる闇の世界を黒竜は泳ぐ。

 鰭に半森人の少女をしがみつかせ、口の中に三人の子供を含み、巨大な身体をしならせて真っ直ぐに突き進む。

 

 何も見えない空間の中をただ真っ直ぐに、己の有する感覚に従って泳いでいた黒竜だったが、不意に彼の眼がぎろりと背後に向けられる。

 自分にしがみつき、悶絶しながら白目を剥いている少女……その後ろで動く何かに気付いた黒竜は、ぎりっと牙を軋ませる。

 

 黒竜は突如背を逸らせ、地上に向かって急速に浮上し始める。

 地上に感じる気配に構う事なく、大急ぎで影の外を目指し、光の中に向かって一気に飛び出した。

 

「―――うおぉわ⁉」

「何だあの化け物はぁ…⁉」

 

 どばっ、と音もなく飛び出してきた巨大な竜。

 地上にいた人間達、裏町に住む浮浪者や宿無しの男達が慄く様を横目に、アサルティは己が巨体を引き摺り上げると、がぱっと口を開いて三つの人影を吐き出す。

 

 ついでに己の鰭にしがみつく少女を片手で掴み、ぺいっと塵のように放り捨てた。

 

「うぐっ…⁉」「あだっ!」「うあっ⁉」「へぶっ⁉」

 

 べたべたとした粘液塗れになった少年達が地面を転がり、放り捨てられたエイダが顔面から落下する。

 少年達は呻き声をあげ、揺れで狂った三半規管を宥める為に横たわったままに。ついでに少しの間とはいえ暗闇に囚われていた所為で、目を開けられなくなっていた。

 

 そして顔面から地面に叩きつけられたエイダは、暫くの間顔を押さえて蹲り、熱した地に置かれた蚯蚓のように地面をのた打ち回っていた。

 

「……ちょ、ちょっと何するんですかアサルティさん⁉ 痛ったぁ…僕が何をしたっていうんですか! いきなり泳ぎ出すわ、いきなり影に潜るわ、いきなり放り捨てるわ‼ 何の恨みがあるっていうんですか⁉」

 

 痛みに呻いた少女はすぐさま起き上がり、ぞんざいな扱いをする旅の同行者に抗議の声を上げる。痛みで開かない眼を擦り、涙を溜めながら、いつになく乱暴な黒竜に対して不満をあらわにする。

 

 だが、どんなに声を荒げても返事が返って来ず、訝しんだエイダは開けづらい瞼を無理矢理抉じ開け、音が聞こえる方を見上げる。

 三人の小さな盗人達もやがて体を起こし、騒がしい音が聞こえる方へと視線を向ける。

 

 

 そして、全員が呆然と、目の前に広がっている光景に目を瞠った。

 

 

「グルルル……ガァァァァ‼ グルァァァァァァ‼︎」

「~~~~~‼」

 

 咆哮をあげ、体を振り回す黒竜。その巨体の胸部分には極彩色の液体のような何かが貼り付き、ずるずると無数の触手を伸ばして鱗に突き立てている。

 触手が触れた箇所からは煙が上がり、しゅうしゅうと音を立てているのが聞こえる。そして、煙が上がる箇所では黒竜の鱗が変色し、ぼろぼろと溶けて剥がれ落ちているのが見えた。

 

 

 その光景に、エイダは呆然と立ち尽くしていた。

 共に旅をし、遭遇してきた猛獣や怪物を難なく倒し、捕食してきた彼がーーー無敵の怪物だと思っていた竜が、たった一体の小さな何かに襲われ、悶え苦しんでいる。

 

 見た事のない、これから先も見る事はないと思っていた光景に遭遇し、エイダの思考が凍り付いてしまっていた。

 

「……ア、アサルティ、さん?」

「グルァァァァァァ‼︎」

 

 エイダの戸惑いの声に応える事なく、アサルティは異物に貼り付かれた自分の胸を掻き毟り、苦悶の咆哮をあげて身を捩る。

 だが、掻いても掻いても液体の体は毛程も動じず、爪で引き裂いても一度切れてまたくっつくだけ。挙句自分の爪で自分の体を傷つける羽目になり、アサルティはより一層の苦痛の声をあげ続けた。

 

「〜〜〜〜〜〜‼︎」

「ギャオオオオオオオ‼︎」

 

 胸だけでなく肩や腹にまで貼り付かれ、鱗がじゅうじゅうと異臭を撒き散らして灼かれ溶けていく。

 次第にその下の筋肉と神経まであらわになり始め、不定形の怪物の触手はそこにまで伸び、アサルティを激痛で苛み、苦しめる。

 

 絶叫したアサルティはついに体勢を崩し、廃墟街の真上にゆっくりと倒れ込む。

 エイダと少年達、廃墟街の浮浪者達が呆然と見上げる前で、黒竜の巨体は多くの建物の屋根と壁を破り、破壊していった。

 

「アサルティさん⁉︎」

「ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼︎」

 

 耳を塞ぎたくなるような悲鳴が響き渡り、さらに多くの建物が崩され、無数の瓦礫が雨霰となって降り注ぐ。

 廃墟街の人々は突如現れた怪物の暴走に怯え、降り注ぐ瓦礫に恐怖し、我先にと遠く離れた何処か安全な場所を目指して逃げ惑った。

 

「……だ、だめだ」

「逃げろ! 早く‼︎」

 

 放心するエイダを放置し、我に返った小さな盗人達も弾かれたように走り出す。

 

 彼ならもしや、と期待していた怪物が苦戦する姿に即座に見切りをつけ、脇目も振らずに只管に走る。

 怪物の同行者たる少女を置き去りにしても、少年は振り向く事なく弟分達に手を引き、逃走を再開したのだった。

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