アビス・プレデター 〜深淵に凄む終末の獣、無自覚な異世界転生者につき〜   作:春風駘蕩

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7.Journey

 バサバサバサ…ッ!と草木が掻き分けられる音が響き、同時に漆黒の影が森の中を疾走する。

 いや、正確に言えば黒い影―――黒竜は森の中を泳ぎ、あらゆる障害物をものともせずに、一切減速することなく突き進んでいた。

 大きな木や岩があろうと、ぬるりとすり抜けてひたすらに進む。

 

 そんな不思議な光景を、黒竜の背に乗る女騎士と令嬢が驚きの表情で凝視していた。

 

「……これは、本当に異様ですね」

「ええ、本当に……すごい力です」

 

 物体が光を受けて生じる影、それは地面にだけではなく、物体そのものにも生じる。

 黒竜は自他問わず生まれる影の中を泳ぎ、まるで障害など一つも存在していないように泳ぎ続けていた。

 

 木や岩を避けているのは、背中に乗る二人に当たらないようにするためだろうか。

 

「影の中を泳ぐ……まったくもって奇妙です。このような力、魔導士にも使える者がいるかどうか…」

「では、この方が唯一の使い手ということなのかしら?」

「そうかも知れません……最近話題に上がる〝二つ名付き(ネームド)〟なる獣は、そういった特殊な能力を持っていると聞きますが、ここまでなのでしょうか」

 

 黒竜の背に並んで腰かけるアイシアとセリアは、命を救ってくれた恩のある黒竜をまじまじと見つめ、感嘆の声を上げる。

 能力もだが、人間を助けるという野生の生物らしからぬ行動を起こす怪物など聞いたことがなく、興味が尽きない。今の道中も、二人に危害がないよう気遣われているため、人に害をなす存在とはまるで思えない。

 

「竜は総じて知能の高い存在とされていますが……気位が高く、人を格下と見ている可能性があると聞きます。やはり()が特殊なのでしょう」

「そうなのかしらね……ところで、アイシア?」

「はい、何でしょうか?」

 

 真剣な表情で、黒竜の後頭部を見つめるアイシアに、彼女の前に座るセリアが振り向く。

 訝しげに首を傾げる自身の忠臣に、セリアは不思議そうに尋ねた。

 

「あなた、どうしてこの方が男性と思うの? もし女性だったら、酷く失礼よ?」

「え? あ、いや…」

 

 セリアに指摘を受け、アイシアは思わず顔を赤らめて目を逸らす。

 セリアにアイシアを責めているつもりはない。ただ単に、確かめたわけでもないのに普通にそう呼んでいることが気になっただけであった。

 が、なぜか恥ずかしそうにしているアイシアを見て、俄然興味がわき始めたようだ。

 

「…その、何と言いますか、あのような場で他者の命を救い、そして見返りも求める様子もない者は、その……実に、紳士らしいなと、そう思いまして…」

「ああ、なるほど…アイシアの好みの男性のタイプだったから、それに重ねてしまったのね?」

「そ、そういうわけでは…!」

「冗談よ。私も、この方を人のように呼んでいるから、お互い様ね」

 

 くすくす笑うセリアに、アイシアはますます顔を赤らめて唇を尖らせる。

 人外に自分の理想の男性像と重ねて見るなど、おかしい事はわかっている。無論この竜が獣とかけ離れた存在に見えるからこその弊害だとわかっているが、それでも指摘されると恥ずかしい。

 

「い、言っておきますが、本当に彼にそういう感情を抱いているわけではありませんからね? 人と竜でそのような関係が成立するわけありません。ええ、絶対に違いますから」

「フフ……そこまで否定してほしかったわけではないのだけど」

 

 何やら必死な様子のアイシアに苦笑しつつ、セリアは前に向き直る。

 その際、黒竜の鱗を掴む力が少し強くなっていることに気付き、アイシアはスッと真顔に戻った。

 

「……ご心配ですか、御父上や領民の事が」

「ええ…一刻も早く、ガーランド伯爵の元に辿り着かなければ、民が、お父様が…」

 

 沈痛な表情で俯く主に、アイシアもきつく歯を食い縛り、ギリギリと握りしめた拳を軋ませた。

 

 

 それは、突然の事だった。

 類稀な裁量と、温厚な性格によって領民からの信頼の厚かったツーベルク公爵―――つまりはセリアの父である彼は、現在重い病に侵されていた。

 彼だけではない、ツーベルク領民の間でも広くこの病は広がり、豊かだった領地はここ最近で酷く落魄れ始めていた。

 

 原因はいまだ不明。唯一の特効薬も、材料の薬草はツーベルク領内では育ちにくいものであるため、治療はなかなか進められずにいた。

 薬を必要分手に入れる為には、他の領地に行くほかにない。しかし、貴重な薬でもあるため、どの領地でもそうやすやすと渡すわけにもいかない。

 何より自領地の民への感染を防ぐために、交流そのものを断絶する事態となっていたのである。

 

 この窮地を脱する唯一の方法は、西のガーランド伯爵に赴き助力を乞うことのみ。

 ガーランド伯爵領は高地が多く、作物を育てにくい地ではあったが、その分貴重な薬草が育つのに十分な環境が整っているため、薬学で財政を保っている国であった。

 

 だが、だからと言って話は簡単ではない。

 ツーベルク公爵とガーランド伯爵は、はっきり言って仲が非常に悪く、助力を乞うたところで応じてくれる可能性は非常に低いのである。

 

 その理由は、爵位を受け継ぐ前、学生時代に一人の女を巡って争ったためだとか、成績の上下関係でいがみ合っていたからだとか、様々な理由が語られているが、真相は明らかになっていない。

 とにかく会えば互いに皮肉をぶつけ、ギスギスと空気が荒むこと間違いなしの両者であるため、ガーランド伯爵がこれ幸いとツーベルク公爵を見殺しにする可能性もある。あるいは、足元を見て理不尽な要求をしてくることも有り得る。

 

 同じ国の領主同士と言えど、現在の国の情勢では協力も何もあったものではない。

 次の王座を巡る権謀術数だとか、その隙を狙った帝国による侵略行為だとか、その辺りの詳しい理由は今は割愛するが、他に頼れる者などいない危うい状況であることは間違いなかった。

 

 しかしセリアは、旅立った。

 敬愛する父を救うために、愛する領民達を病から守るために、()()()()()()事を決意したのだ。

 たとえ、自分がどうなろうとも。

 

 

 

「……あなたには、厄介な役目を負わせてしまいましたね」

「何の、セリア様の為であれば、私はどこまでもお伴致しまする。……たとえかの腹黒狸爺の元に、貴女を送る任務であろうとも」

「ありがとう…」

 

 心の底から自分を案じてくれる女騎士の優しさに、セリアの目尻に少し涙が滲む。

 それに見ない振りをし、アイシアは眉間にしわをよせ、肩を震わせるセリアから目を逸らす。気丈に振る舞っていても、恐ろしさで夜に啜り泣いている主を見ていられずに。

 逝った仲間達も案じていた主を、何が何でも守り抜くのだと、そう決意して。

 

 すると不意に、辺りの景色の動きが緩やかになっていく。

 気づけば、ずっと休まず影を泳いでいた黒竜が、ゆっくりと速度を落とし始めていた。

 

「どうした? 疲れたのか?」

「大丈夫ですか…?」

 

 急に動きを止めた黒竜に、アイシアとセリアは無理をさせてしまったかと心配になる。

 だが黒竜はまったく疲れた様子を見せず、代わりに小さな唸り声をあげ、西の空に目をやった。

 

「…ああ、そうか日の入りか。確かにこのまま夜の森を進むのは危険だな」

 

 黒竜の不思議さに、そしてセリアとの話に夢中で気がつかなかったと、アイシアはかなり気を抜いていた自分を恥じる。

 黒竜に指摘されなければ、このまま夜通し進み続け、主を危険に晒すだけでなく、恩義ある黒竜にも負担をかけさせるところであった、と自嘲する。

 

 アイシアは黒竜の首元を撫で、まず自分から黒竜の背を降り、続いてセリアの手を持って地面に下ろす。

 辺りを見渡すと、そこが野営に丁度良さそうな開けた場所であることに気付く。

 

「……今晩はここで休みましょう。彼のおかげでずいぶん早く進めたとはいえ、目的地までは油断ができません。帝国兵の狙いが何であれ、可能な限り万全な状態を保っておかなくては」

「ええ…そうね」

 

 忠臣の言葉に、セリアは神妙に頷く。

 自分のやろうとしていることが成功するかどうかは、まだわからない。門前払いされる可能性もある。

 しかし、やるのなら全力を持って臨むべきだと、セリアはきつく拳を握りしめる。

 

 その時、二人のすぐそばでドサドサッと大きな音が響き、慌ててアイシアがセリアを庇うように前に出る。

 だが、その音の正体を目にした瞬間、二人は思わずぽかんと目を大きく見開いて呆けてしまった。

 

「…グルル」

 

 音の正体は、何十本もの枯れ枝を口に咥えた黒竜だった。

 たき火にちょうど良さそうな太さと長さのそれを、ばらばらと足元に落とし積み上げる。少し大きい物があれば噛み砕き、アイシア達が使いやすいように形を整えていく。

 アイシアはますます黒竜のお人好しな人間臭さを気に入り、呆れた笑みをこぼした。

 

「貴殿はどれだけ紳士的なのだ。一体どれだけの恩を返せばいいのか全くわからんぞ?」

「グルルル…」

 

 肩を揺らし、困ったような顔で嗤うアイシアと、それを見て微笑ましそうに微笑むセリア。

 黒竜はそんな二人を見つめながら、集めた枯れ枝を山状に詰む作業に入っていた。

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