岸辺露伴は漫画家である。〈ピンクダークの少年〉を連載中の大人気作家だ。
保母じゃあない。
「もっかい! もっかいだけ勝負する!」
「駄々をこねないで下さいターボさん。一度付き合っていただいたのですから、もう十分でしょう」
「しかも盛大に負けてたし!」
「ちっがーう、ターボは負けてない! 勝つまでやるんだもん!」
「勝つまで挑めば負けはない……ふむ。ある意味では真理ですね」
「え、納得しちゃうの⁉」
ツインターボ。イクノディクタス。マチカネタンホイザ。
三者三様に特徴のあるウマ娘たちにまとわりつかれながら、中心に男が一人。
露伴はまたしてもトレセン学園を訪れていた。
今回は誘拐されたのではなく、手紙で呼び出されたのでもない。
露伴には心残りがあった。
「…………」
「ねぇ~~~~~岸辺露伴~~~勝負してよ~~~~~~!」
ツインターボが露伴の服を掴み、前後に揺さぶる。青のツインテールが印象的なウマ娘だ。
「何度やっても同じだ。ファンを大切にするぼくだが、勝負となれば話は別だ。負けるつもりは毛頭ない」
「ケチ~~~~~~!」
喚き散らす姿は、まるで小学生。
レース映像の中の彼女とはかけ離れていた。
「というかだな。仮にぼくがわざと負けてやったとして、君はぼくに勝ったと納得できるのか?」
「いや! そこはちゃんと真剣にやって、それでターボが勝たなきゃヤダ!」
「やれやれ……」
先ほどまでツインターボと岸辺露伴が行っていたのは真剣勝負だ。ただしレースではない。走りを比べては、人間である露伴に勝ち目はない。
走りでウマ娘と競うこと自体がナンセンスだ。
露伴とツインターボは絵の勝負をしていた。
……漫画家と素人が絵を競う、というのもまたおかしな話ではあるが。
「仕方ないなァ。もう一度だけ相手をしてやる」
「うおおおお! やったあ! 次は絶対勝つ!」
「やったねターボ、奇跡だよ! 今度こそババーンって勝っちゃいなよ!」
「そうですねターボさん。これが最後の機会かと。次はないと思われます、全力で」
再挑戦と決まれば応援に戻る後方二人。仲が良い。
スケッチブックに適当な絵を描き上げる。
グラウンドの隅から見えるウマ娘たちの練習の様子を、漫画の一幕のように仕上げていく。
「できた!」
露伴より先にツインターボが挙手した。
「早!」
「本当に大丈夫ですかターボさん」
「今度こそ完璧だからだいじょーぶ! お船に乗ったつもりでいろ!」
「大船ね」
三人の様子を見計らい、話しかける。
「今度はそちらから見せてもらおうか。ぼくは後から絵を出す。審判は同じくターボ君以外の二人だ。どちらの絵が上手いと感じたか、判断してもらう」
「分かりました。自身の感性に従います」
「贔屓はしないからね、ターボ!」
「よし、じゃあはい!」
ツインターボは手元のスケッチブックを返し、完璧だと主張する絵を露伴たちに見せつけた。鼻息荒く胸を張る様子から、どうやらよほどの自信作らしいと推察される。
「どうだ!」
…………。
言葉が出ない。
「……なるほどぉ」
「勝負は、決しましたか……」
やっとのことでマチカネタンホイザとイクノディクタスが声を絞りだした。「ターボの勝ちってこと⁉」という無邪気な見解が虚空に空しく響き渡る。
「では、ぼくの番だ」
「確認する必要がありますか?」
「あ~確かに……?」
「えっ見るまでもなく! やっぱりターボは無敵だったな! 岸辺露伴に勝った~!」
唯一誤解しているツインターボの様子に「タンマ」を掛けると、マチカネタンホイザとイクノディクタスは距離を置いて小声で相談を始めた。しばらく後、ヤッパリ露伴先生ノ絵ト比ベマショーと片言の提案があった。
演技下手クソか。
だがまァ、何はともあれ露伴の絵を見てくれるならば問題ない。
「これがぼくの描いた絵――」
露伴は三人に対してスケッチブックの絵を見せつけ、
「だッ!」
瞬間、ウマ娘たちが意識を失い、身体の一部がめくれ始める。
記憶と印象、本人が無意識に抱える情報の記されたページ。
それに触れ、読む。
「漸く、だな」
岸辺露伴は漫画家である。〈ピンクダークの少年〉を連載中の作家だ。
保母じゃあない――そして。
スタンド使いだ。
露伴には心残りがあった。
トレセン学園への取材時に、ウマ娘の記憶を読めなかったことだ。
人間を超越した身体能力。
危機を回避する獣じみた本能。
意思疎通こそできる人間とウマ娘だが、両者にはカタログスペックからして明らかな差異がある。知識として知ってはいたが、トレセン学園への訪問を経て肌で感じることができた。
ならば〈ヘブンズ・ドアー〉で彼女らを本にし、覗き見れば、違いの本質をより深く知ることができるはずだ。
人ならぬ存在のリアルをいっそう感じることができる。
露伴はウマ娘への興味を強くしていた。
だが、彼女らの警戒心は並ではない。
春の陽気が如き麗らかなウマ娘でさえ、露伴が能力を発動させようと意識した瞬間に距離を置いた。
なので今回。
露伴は理由を与えることにした。
幸いにも彼女らはスタンド能力の存在を知らず、無論見えてもいない。あくまで本能的に目に見えない脅威を察し、離れているだけだ。
危機回避に明確な根拠がない以上、正当な理由さえあれば自己判断を優先するはずと考えたのだった。
練習場を見学していた際、ツインターボから勝負を挑まれた。
露伴は絵の勝負を行い、審判を依頼した。
初回の勝負で絵を見ることへの抵抗感をなくし、二度目でスタンド能力を発動する。
見事、ウマ娘の生の記録を三人分手に入れることができたのだ――。
「内容はあまり変わらないか」
ウマ娘と人間。
種族が違うのだから、世界の捉え方の差異が分かりやすく内容に表れるのではないかと考えていた。
しかし、目を通した範囲では、記述内容に明らかな種族差は見出せない。
「完全に別種の生命というわけでもないからな……」
ウマ娘同士で子を育むわけでもないのだ。
基本的な〈つくり〉は人間と同じと見るべきなのだろう。
「…………」
だが、内容に表れなかっただけで、
めくったページを指で挟み、擦り合わせる。
「
種の違いは、
人間を本にして読んだ時と比べ、ほんの僅かだけ、紙が厚かった。コンマ数ミリ以下の差異。
常に本や漫画用紙に触れている露伴だから気付けた、ほんの小さな開き。
紙のふちに指の腹を当てる。押す。
ページが〈ぐにゃり〉と曲線を描く。
「重なっているわけでもない、のか?」
数秒だけ思案し、それから露伴はページめくりを再開した。厚みが意味するところを考えるのも良いが、それは後からでも良い。今は優先してやっておくべきことはある。
せっかく手に入れた〈人でないもの〉の生き様だ。
詳しく読み込んでおかなければ。
「面白そうな記述は、と」
調査の視点を変え、改めて本にしたイクノディクタスを読み進める。
本の記述には対象者の性質が表出する。
たとえばマチカネタンホイザ。
目を惹くのはポップな字体のオノマトペだ。
レース前の記述であれば〈むん〉、食事の記述であれば〈ほくほくもちもち〉、風呂の記述であれば〈ばばんばー〉といったように、癖のある言葉が色鮮やかに添えられている。
たとえばツインターボ。
勢い任せの太字で殴り書きされた心情では、ところどころに誤字が確認できる。曖昧な認識で、確認を怠りながらも目的に向かってまっすぐ爆走する気質が表れている。
そしてイクノディクタスの場合は、記録が日付、種類ごと丁寧に分類され、理路整然と並べられていた。彼女の真面目さと几帳面さゆえだろう。
読みやすさの観点でいえば、今まで見た記憶の中でも五指に入るほどだった。
「ふむ」
記憶を追っているうち、露伴はある一単語で目を止めた。
「……〈三着〉」
それは〈ナイスネイチャ〉というウマ娘に紐づいた単語だった。
イクノディクタス、マチカネタンホイザ、ツインターボらと同じチームに所属するウマ娘。格式高いレースであっても安定して結果を残す実力者。
そんな彼女は、三着という言葉とイコールで結ばれている。
実力が高く結果が安定しているだけならば、三着であることが強調されている説明が付かない。
露伴はマチカネタンホイザとツインターボの記憶にも手を伸ばす。
「こちらでも〈三着〉……」
ポップなゆるふわ文字で、あるいは筆の殴り書きで。
ナイスネイチャを語る記述は、三人のいずれも変わらず〈三着〉で統一されていた。
「調べてみるか……。と、その前に」
〈岸辺露伴を警戒しない〉――ペンを取り出し、それぞれ文章を書き加えた。
書き込んだ内容は絶対だ。
以降、この三人には容易に〈ヘブンズ・ドアー〉を使えるようになった。彼女らを伴えば、他のウマ娘の警戒レベルも下がるはずだ。〈ヘブンズ・ドアー〉を発動するハードルも下がるだろう。
露伴は本を閉じ、三人が目覚めるのを待った。
「こちらが資料室です」
室内では大量の本棚が所狭しと並んでいる。色別に区分されたファイルには、各レースの順位とゴールタイム、コーナー通過順やハロンタイムまで詳細にまとめられている。
膨大な資料の数からトレセン学園の歴史が伝わってくるようだった。
「案内ありがとう。……いつも案内役を勤めているのか?」
「そういうわけではないのですが……」
露伴の隣には、丁寧な物腰の気品あふれる少女がいた。
メジロマックイーン――数々のGⅠレースで結果を残す名門、メジロ家に生まれたお嬢様ウマ娘だ。過去にも学園を案内してもらっていた。
イクノディクタスたちが目を覚ましたあと、道案内を頼もうとしていたところにマックイーンが通りかかった。
事情を聞いた彼女は案内を自ら買って出たのである。
「ゴールドシップさんが昨日から行方不明になっていまして、偶然予定が空きましたの」
「どうしてゴルシの名前が出てくる?」
「一緒に映画を観に行く予定でした」
「……そうか」
映画鑑賞……ゴルシと……。
メジロマックイーンは、ゴールドシップに弱みを握られているのかもしれない。
「レース記録を見たい、ということでしたが」
「気になる子がいてね」
手近なファイルを抜き取り、内容を確認する。直近一ヶ月のレースには出場していないようだ。
次々とファイルを交換しながら、目的のウマ娘が出ているレースを探す。
「あら……本当に、噂話の類を調べに来たのではないのですね。誰ですか?」
「ナイスネイチャだ」
「ネイチャさんですか」
「知り合いか?」
「ええ。努力家で、安定した実力もある……強い方ですわよ」
マックイーンは露伴の背後にある棚からファイルを引き抜き、開いたページを見せてきた。
「ここ半年ほどは中央のGⅠレースに出場せず、地方を巡っているようでした。彼女の出たレースの記録です」
「ああ、助かる」
「いえ。メジロ家のウマ娘として当然のことですわ」
渡されたのは、F県K市の競バ場で開催されたレースの資料だ。
一番人気、三着。
最終コーナーから先行していたウマ娘に追いすがったものの、脚が足りずの惜敗だったようだ。
資料をめくると、さらにナイスネイチャの出ているレースを発見した。
三番人気、三着。
最後の直線で最後方にいたウマ娘から追い込みを掛けられ、ハナ差で三着になったようだ。
他にも、彼女の出ているレースをチェックしていく。
一番人気、三着。
四番人気、三着。
一番人気、三着。
二番人気、三着。
遡るうちにGⅠに出場していた頃の記録も見つけた。十一番人気で三着入線という結果だった。
「…………」
〈三着〉がナイスネイチャと紐づいていた理由が窺える記録だ、が。
さらに過去の記録はないかと資料室を漁る。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着。
三着……。
「コイツは異常すぎやしないか……?」
一番人気だったレースも、二桁人気だったレースも、必ず三着。
相手がどれだけ強かろうと、弱かろうと、まるでそう決まっているかのようにナイスネイチャは三着だった。
「ですが、結果は結果です」
マックイーンは露伴から資料を奪い取り、元の場所に戻した。
「私が覚えている限りでは、ネイチャさんが三着以外になったレースはありません」
「すべて〈三着〉だって? 公式、非公式問わずにか?」
「模擬レースでも三着だったように思いますわ」
「興味深いな」
運命? 宿命?
或いは――呪い、か?
「彼女のレースを見てみたい。どこにいるか分かるか?」
「この時間でしたら、確か……」
メジロマックイーンに連れられてグラウンドへ向かうと、体操服を着た何人かのウマ娘たちが地べたに座り込んで雑談中だった。身体からは湯気を立ち昇らせている。
トレーニングの直後、休憩中らしかった。
「ネイチャさん」
マックイーンが雑談している少女のうち一人に話しかける。
癖っ毛のツインテールが特徴的なウマ娘だ。
「あれ、マックイーンじゃん。おつ~。今日休みって言ってなかったっけ?」
「急に予定が空きましたの。代わりに、こちらの岸辺露伴先生を案内していますわ」
「岸辺露伴……って〈ピンクダークの少年〉の⁉ マジ⁉ ちょっと前に取材来てたって話、あれ本当だったんだ?」
露伴の名前に次々とウマ娘たちが集まる。
どこからか用意した色紙に次々とサインを描きながら、露伴はナイスネイチャに声を掛ける。
「君がナイスネイチャか」
「あ、はい。えと……何かご用です?」
「トレーニングをしていたようだが。レースはあったか?」
「あ、はい。一応ありましたよ」
「順位はどうだった?」
「……三着でしたけども」
「ムゥ。今回
ネイチャは男をねめつけた後で「ちょいちょい」とマックイーンを呼びつけた。
そのまま顔を突き合わせて話し込む。
「ねえこの人、本当に漫画家先生? 言い方アレだけど……だいぶ失礼でない?」
「まあ、確かに……」
ひそひそ話の声量が大きすぎる。
「ぼくの評価はさておき、」
「うわ聞こえてた」
「……さておき。体力の余裕があるなら、もう一度レースを頼めないか。君が走っているところを実際に見てみたい」
直接会いに来て、話を聞くだけでは勿体なさすぎる。〈必ず三位になる〉と記録が証明していても、実際に自分の目で確認しなければリアルは味わえない。
何かが起きて、三位になるのか。
あるいは、何も起きないまま、ただそうあるべきように、三位になるのか。
さらに言えば。
もしも、
確かめなければ気が済まない。
「体力は残ってますけども……う~ん……どうしましょうかね……」
ネイチャは露伴を訝しんでいる。
会ってすぐさま順位を聞いたことがそれほどに不審だったか。……不審だったかァ。
「ここのメンバーとはさっき走ったばっかりだし……露伴先生が別の相手を探してくるなら、まあ走ってもいい……かな?」
学内の知り合いがどれほどいるかで信頼度を計るつもりのようだ。
「いいだろう」
――十分後。
「ネイチャとレースだって! ターボ勝つからね!」
「ネイチャさんが相手なら、手加減の必要はありませんね」
「よ~し、頑張るぞ~! むむん!」
「競争相手のツインターボ、イクノディクタス、マチカネタンホイザだ。快く協力してくれた」
声を掛けたのは、お絵かき勝負で交流を深めた三人だ。
やる気満々で参加を表明してくれた。
「あんたらさぁ……」
ネイチャは呆れ顔で息を吐いた。
「用意……」
四人がスタートに並ぶ。脚に力を込めて、構える。
「スタート!」
マックイーンの声を合図に、一斉に飛び出した。
ツインターボが前に出る。
逃げスタイルを好む彼女は、最序盤から最後まで全力だ。ペース配分をまったく考えない全力疾走で逃げ続け、なんとかゴールまで順位を守り切る。
ほとんど自分との勝負と言っていい、至極シンプルな戦い方。
そんなツインターボをマチカネタンホイザが追いかける。逃げに続いて前目の位置を維持し、最後に抜き去る心づもりだ。
冷静さと勝負勘が重要になる順位。
二人を追う形のイクノディクタス、そしてナイスネイチャ。
終盤まで体力を温存しておく戦術を得意とする彼女らは、ゴール前の最終直線に入ってから一気に速度を上げていく。
全員が全力で力をぶつけ合い、ゴール前百メートル、横並びになった――
その瞬間。
ナイスネイチャが一歩、他の三人の前を行った。
「あ~もう、ちょっと! 今のなし! 皆どうした⁉」
ゴールラインを跨いだ直後、ナイスネイチャが声を張り上げる。
四人の様子を眺めていた露伴は驚愕していた。
先ほどの模擬レースで、露伴はとある仕込みを行った。〈ヘブンズ・ドアー〉を使い、ナイスネイチャ以外の三人に〈今日の模擬レースでは最終直線で力を抜く〉よう書き込んでおいた。
圧倒的なまでの実力差があるのならいざ知らず、僅差で決着する展開ならば間違いなくナイスネイチャが勝っていたはずだ。
しかし――〈三着〉。
周囲のほんの僅かな脱力をナイスネイチャは感じ取り、自ら力を緩めたのだ。
気まずそうに頬を掻きながら、ネイチャが近づいてきた。
「あ~……露伴先生。えっと、今のレースは……そのぅ……」
「よそ見をしていた。少し休憩してからでいい、今のメンバーでもう一度走ってくれ」
「え? いや……まぁ……それはいいんですけども……。てか、よそ見してたんかい!」
鋭いツッコミを受けていると、遅れて他の連中が集まってくる。
「力抜いてないから! ターボエンジン全開だったし!」
「ネイチャさんが指摘したような事実はありません。私も全力を出しました」
「もちろん、私も~。イクノに負けちゃったけどね~」
「えぇ~……。アタシの気のせいってこと?」
わいわいと会話が繰り広げられる。
手を触れられるほどの至近距離。
「…………」
ナイスネイチャはツインターボを抱え、ぐるぐると振り回している。
「嘘だろ~ターボぉ~」
「うおお~~~目が回るう~~~~~~嘘じゃない~~~~~~~~~~!」
露伴は〈ヘブンズ・ドアー〉を発動し、ナイスネイチャのページでペンを走らせた。
書き込んだ内容は〈今日のレースで周囲を気にしない〉こと。
故に、もう敗北は生じ得ない。
休憩明けのレースでは確実にナイスネイチャが勝利する。
露伴は興味を抱いている。
三着しか取れていないナイスネイチャが、他者の干渉によって、無理やりにでも一着を取らされたとき――何が起きるのか。
何かが起きることを、根拠もなく、露伴は確信している。
――――。
……数時間後。四人が再び横並びで揃う。
きっと展開は変わらないだろう。序盤、中盤の先頭はツインターボ。最終コーナーからマチカネタンホイザが並びかけ、最終直線でイクノディクタスとナイスネイチャが追いついてくる。
実力は拮抗しているのだから、勝敗は時の運。
ネイチャが必ず三着になるなんてことも、本来はあり得ない事象だ。
だが、事実として起きている。
チームメイトの三人に〈ヘブンズ・ドアー〉で命令し、結果を変えようとしたが、それでもナイスネイチャは三着に収まった。
グラウンドの外から様子を見守る。
今度はナイスネイチャ自身にも命令を書き込んだ。
これで負ける理由はない。
「――お? なんか面白いことしてんなァ?」
模擬レース開始の合図を待っていると、背後から聞き覚えのある声が聞こえた。
露伴に気配を悟らせず、接近する強者……否、強ウマ娘……。
ハチャメチャな言動で先を予測させない、トレセン学園一(おそらく)の変バ……。
「ゴールドシップ……!」
「応! よく覚えてたな露伴ちゃん! アタシの名をよ!」
ボディービルダー顔負けの決めポーズを披露する、長身のウマ娘。
ナイスネイチャが敗北する外的要因になり得る存在が、どうしてここで……!
「いいかゴールドシップ。今からナイスネイチャたちが模擬レースを始める。今すぐ始まるから、お前が参加する時間の余裕はない。分かったな?」
「あ? ゴルシちゃんが光より速いと仮定すればお前の提示した情報は時間を超越するアタシにとって無意味な条件にしかならないんだが?」
「仮定がおかしいだろう……! クソッ、言うだけ言って走っていきやがったッ!」
ゴルシが混ざってしまうと何が起きるか分からない。
止めなければ、と後を追う。
「……うん?」
が、暴走特急はスタート地点手前で急にUターン、露伴の方に引き返してきた。
「急用を思い出したぜェ~、銀河救わなくちゃいけなかったんだわ! じゃな!」
「なんだアイツ……?」
首を傾げていると、レースのスタート地点から怒鳴り声が届いた。
「戻ってきなさいゴールドシップさん! あなたどこ行ってたんです! いったい私がどれだけ心配したと思っているんですか‼」
らしくない怒声に、マックイーンがスターターをしてくれている根本原因を思い出す。
一緒に映画観に行くとか言っていたなァそういえば……。
怒り心頭の令嬢を宥めるのに、しばらく時間を要した。
露伴はグラウンド外へ。マックイーンはスタート地点でネイチャたちに頭を下げ、仕切り直し。
真剣な空気が戻ってくる。
「コホン……。ではいきますわよ。用意!」
ようやくレースが始まる。
「スタート!」
合図と同時に走り出す。
どの子も出遅れはなく、スタート直後は横一線。だが、前回の模擬レースと同じく、すぐにツインターボが先導する形に変わっていく。
マチカネタンホイザ、イクノディクタス、ナイスネイチャの順でツインターボを追いかける。
終盤まで隊列は変わらない。最終コーナーを曲がり、直線に入る。
最終直線。
〈ヘブンズ・ドアー〉の命令が作用し、ナイスネイチャ以外の三人が少しだけ失速する。
だが、ナイスネイチャは速度を落とさない。〈ヘブンズ・ドアー〉で書き込んだ命令に従い、彼女はレース中に周囲の様子を気に掛けない。
勝つ、はずだ。
間違いない。
ゴールまで残り五十メートルを切った。
先頭はナイスネイチャ。
勝つ。
ナイスネイチャが、勝つ――
しか、
ない、
のに。
「――――え?」
まばたきをした瞬間に、ネイチャの隣に現れた。
まるで、最初からそこにいたかのように。
レースを共に走っているかのように。
知らない
そこにいた。
あれは――誰だ?
何だ?
疑問に思っているうち、レースは決着した。
ナイスネイチャは三着。
レースを終え、ネイチャが露伴に寄ってきた。「やっぱり勝てなかったか~。今回はもしかして、って途中思ったんですけどねぇ」
ネイチャは寂しそうな笑みを浮かべている。
イクノディクタスやマチカネタンホイザ、力尽きたツインターボを支えてメジロマックイーンもやってきた。
「今回は負けましたね。悔しいです」
「ぬぬ~、皆さん強いですなぁ~。私も頑張ったけど、届かなかった!」
「もう……無理……」
「ターボさん、自分の力で立つ努力をして下さい」
彼女らの傍に影がいる。
影がすぐ近くにいる。
彼女らは、普段通りに会話をしている。
露伴以外の目では
指摘していいものか。確認していいものか。
必ず三位になる。
呪い。
「――ターボさん、いい加減――」
「だって――――」
「――――――メニューを――――」
「――なら、合わせ――――――――――――」
「――――――――」
「――――――――――――――――」
声が、耳に、入ってこない。
「よー、戻ってきたぜ! なんだよマックイーン、そんな怒るなよぉ……。何してたって……だーかーらー! 時空救ってたんだって! 今度埋め合わせはすっからさぁ!
で……露伴センセはなんでそんなに脂汗びっしょりなんだ? 角煮でも食った?
あぁ? なんだ人のこと指差して。あいつ等がどうした? 影? 途中から急に? おいおい~漫画家ってのは意外とつまんねえギャグ言うんだな! 描けない分、口頭で吐き出してんのか?
アタシは隠れて見てたぜ……。
最初っから最後まで、レースを闘い抜いた友の雄姿をな!」
――――――――――――――――
以下は後日談となる。
ゴールドシップの言葉を最後に、以降の会話を露伴は一切記憶していなかった。影について再確認してみると、露伴の把握していないウマ娘の名前を挙げられ、そしてそのウマ娘は事実
岸辺露伴だけが、あの日、影を見た。
「あ、岸辺露伴! また絵の勝負しろ!」
「ターボさん、勝てない勝負を挑むのは止めましょう」
「そうだよ、ターボが勝つのはレースでしょ! トレーニングしよ!」
「た、確かに! うおお~~~~~!」
「やれやれ……お子様だな……。あ、露伴先生、ど~もです」
頭を下げて挨拶するナイスネイチャに、手を振って応える。
「調子はどうだ? また三着か?」
「雰囲気で察して下さいっての。いつも通りでしょ?」
「確かにな」
「それはそれで微妙にムッとくるわ。……なんてね」
軽口を返される。
一度顔見知りになってしまえば、会話に軽い冗談も織り交ぜてくるらしい。
「なァ、君」
「なんです?」
あの日見た影。
あれがもし本当にナイスネイチャに掛けられた呪いのようなナニカであったとすれば、おそらく第三者の介入でどうにかなるものではないし、どうにかしていいものでも、すべきものでもない。
いつから、どうして、そうなったのかも定かじゃあない。
彼女が一着になりたいと願い続ける限り――克服するまで、永遠に襲い来る怪異。
「三着で充分だと思うことはないのか? 毎回三着になる、というのは安定した実力の証ではある。……まァ、ぼくは思わないが」
「自分で言ってるじゃないの、露伴先生」
ナイスネイチャは小さく、けれど力強い声で呟く。
「勝ちますよ。……アタシだって、いつかね」
だから、もしナイスネイチャが一着になったそのときは――
改めて取材に来てやってもいいだろう。