「……何が███████ですか?*1」
悪い笑みを浮かべていた私はケトに意識を引き戻された。少年の手の中の蝋板には30程度の文字が間隔を開けて書かれている。ラテン文字の26文字より多く、ロシアで使われているキリル文字の33文字よりは少ない。まあこんなものだろう。音素文字だという予想はあたったようだ。
「a、aa、o、e、ee、i……」
少年が一文字ずつ指して発音していく。母音を先に並べた後、子音を並べるようだ。長母音と短母音を文字上で区別するものの、同じような字形なのはありがたい。
「kh-e-t、k-ii」
最初にケトが書いた文字を参考に、一文字ずつ指して単語を作る。反応からして問題はないようだ。
「あなたは文字を██████います」
「読む」か。もしかしたら一文字ずつ読むのとまとめて読むのでは違う動詞を使うのかもしれないが今そんなことを気にするのはよくない。そう考えていると、ケトは一行の文章を書き始めた。
文字数は35ほど。間の空白は単語の区切りだろう。意味は全くわからない。ただ、これが一種の言葉遊びなのはわかる。たぶん全ての文字がこの文章の中に入っている。
「████ ███ ███ ██████ ████ ████████ ██████*2」
書き終わると、ケトは私の方を向いた。
「あなたはこれが読█████か?*3」
日本語で言ういろは歌、英語の「The quick brown fox……」と同じようなものだろう。パングラムだ。さすがに30文字ぴったりを作るのは難しいのか、あるいは簡単な単語だけで作ったから長くなったのかはわからないが。
「████、███、███、██████……」
一旦聞いたものをそのまま繰り返すだけとはいえ、それを文字と頭の中でペアにしていきながらだと難しいな。
「██████」
うまく言えていなかったようでケトに指摘されてしまう。もう一度最初から。
「████ ███、███……██████、████ ████████ ██████」
「はい」
よし。今度はさっきよりもすんなり通った。響きが独特で面白いな。意味はわからないけど。まあパングラムに深い意味をもたせることは難しいので仕方がない。
「何をしているんですか?」
傷めた方の足に少しずつ体重をかけていた私に、少し遅めの朝食を持ってきたケトが聞く。
「えーと、私は足を……足の……を消す?ために……」
ああまったく単語が足りない!リハビリテーションという概念を説明しようにもまず「痛い」という言葉も採集できていないのである。
「……ゆっくり行きましょう。焦ることはありません」
これは聞き取れる。
「██████を食べましょう。その後は文字の██████を*4」
「はい」
素直にケトには従おう。脚を曲げられるようになり、ケトと同じ目線で座ってご飯を食べれるようになった。
日が暮れていく。昨日は途中で寝落ちてしまったが、今日はかなりしっかり学ぶことができた。
「今までは████るかった。今は█████い*5」
そう窓の外を指差して言った後、ケトは立ち上がった。部屋の外に行くようだ。
「何をするの?」
「██████を持ってきます」
「██████って何?」
「そこに置くものです」
そう言って壁の燭台らしきものを指差す。ランプか蝋燭か。
「私も歩いていい?」
私の言葉にケトは少し悩んだように見えたが、私の手を取って立ち上がらせる手伝いをしてくれた。今なら足を引きずりながらなら歩ける。
扉を抜けて、薄暗い廊下を進む。裸足に伝わる床の冷たさ。向かいの廊下の先にある大きな部屋を抜けて、少し進むと薄暗い中に様々なものがある部屋が見えた。腰より少し高い程度の台。吊り下げられたなにかの塊。壁にあるのは
「█████ ████████ ████████*6」
「何て言ったの?」
「……言葉です」
あまり答えになっていない答えを言いながら、ケトは灰の中を棒で探って熾火を出した。なるほど、ここで火を管理していて夜になったらここから取ってくるのか。そうしてケトは小さな手のひらサイズの器を取り出す。中には液体が入っているようで、棒状のものが出ているのを見るとこれはランプだろう。
竈に小さな火がおこり、ランプにも明かりがつく。
「ご飯を作ります」
そう言ってケトはランプを置き、積み上げられた籠の中から丸っこい球根にも見えるものを取り出した。
「見てもいい?」
「はい」
器用にナイフで切り込みを入れた後、皮を剥いていく。ケトの手慣れた手付きを見ると、どうやら今まで食べていた食事はケトが作ってくれていたものだったらしい。いや、他に人を見ていないからそうではないかとは思っていたのだが。
「これは████████、あれは██████*7」
そんな風に私に単語を説明しながら、ケトは鍋の上においた手の中でナイフを器用に振るって球根らしいものを一口大に分割していき、手を開く。すでにできていたスープに具が落ちていく。パンも薄く切って、竈の火の上に置いた金属製らしき板で焼く。トーストだと思えばいいのだろう。
「██████ ███████*8」
作業に見とれていた私にケトはそう言って椀を差し出す。香ばしい匂いのする焼き目のついたパンが入ったスープが、今日の夜ご飯のようだ。