図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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組版

「珍しいですね、局長から呼んでくるなんて」

 

手についたインクを拭いながら、若い女性の局員が言う。

 

「すまないね。特別な印刷がしたくて、手伝ってほしい」

 

「それは仕事ですか?」

 

「違うよ。だから報酬は出すし、断ってくれてもいい」

 

局員の目の色が変わる。

 

「面白そうですね、いいですよ。……ところで、どれくらい出るんです?」

 

声をひそめて聞く声。

 

「銀片10枚でどう?」

 

「もうちょっと」

 

「印刷の枚数は20枚弱だよ」

 

「……なら四半月といったところですか。その額でいいですよ。急いだほうがいいですか?」

 

「いや、ゆっくりでいいよ。何なら一月かけてもいい」

 

「なら簡単ですね。一日に一枚作ります。どこの印刷機を使いましょう」

 

「印刷物管理局として一台手に入れてある」

 

印刷機は決して安いものではないが、かつて使っていた各種分析機材に比べれば多少お手頃価格と言ってもいい。何なら個人でもローンを組めば買えなくもないレベルだ。今のところのボトルネックは印刷機を作ることのできる職人の不足だが、制作に慣れてきたのととある商会が裏で手を回したのがあって、ある程度のペースで生産され城邦内の各所に置かれるようになり、輸出の手続きも進んでいるらしい。長髪の商者とツィラさんのネットワークが裏に見えるのは気にしないことにしよう。こういう作業は下手に知識や経験がない私よりもプロに任せた方がいい。一応新しく作られた印刷機は印刷物管理局規格にそって設計されているらしい。まだ職人技だが、今後もっと生産するなら許容範囲やゲージを整備した体制を作らねばならない。……こんなことができる機関はないのでこれも印刷物管理局案件か?できるだけ早く各分野に信頼できる専門家が欲しい。今のところ、トゥー嬢ぐらいしかそういう人がいないからな。

 


 

「衙堂のやつよりも綺麗ですね」

 

「あれはかなり荒っぽかったからな……」

 

図書庫の一室に納入された、私が見ても洗練されたのだなとわかる印刷機を前に私と局員は言う。

 

「文字版、運んできましたよ」

 

ケトが箱を持ってきて言う。

 

「そういえばですけど、局長」

 

「何?」

 

「炉入れみたいなこと、しないんですかね?」

 

「なにそれ」

 

「神事の一つですよ。工房などで炉を新しく入れる時、神を招くんです」

 

ケトの説明からするに、あれだな。神道における清祓(きよはらえ)だ。確かに職人技というのは結構心理的側面もあるので宗教の力を使うみたいな話は聞いたことがある。

 

「必要ならやりますが」

 

「必要だと思う?」

 

「僕はいらないと思います」

 

「私も。最近は信心が足りない司士や司女の見習いが多くて困るね」

 

そう言って局員は笑う。そう考えると彼女はケトと立場が比較的似ているのか。

 


 

局員の彼女は箱の中に手早く活字を並べていく。この手のマルチタスクは私は苦手だが、それを苦もなくこなすのが怖い。そう言えば衙堂にいた時に有能な新人だと評されていたっけ。

 

「読みましたよ。これは他の人には頼めませんね」

 

「内容を口外したら、あなたも面倒事に巻き込まれるから黙っていていいからね」

 

「脅しですか?」

 

「いや、何かあったら私が責任取ることになるからむしろ懇願?」

 

「わかりました」

 

そんな会話をしている間に一行分の活字が組み上がる。

 

「これを印刷するということは、作者を秘密にしたいということですよね」

 

「あとは何部も作りたいっていうのもある」

 

「それならあの蝋紙版を使えばいいんじゃないですか?」

 

「それも考えたんだけどね、やっぱり揃った文字が見たくて」

 

「ふぅん、やっぱり局長は変わり者だ……」

 

一種の郷愁かもしれないな、と私は考える。ぎっしりと並んだ活字の文字は、論文やら学術書やらを思い出させるので嫌いじゃない。

 

「さて、これで終わりです」

 

活字が詰まった木の枠を印刷機に置きながら彼女は言う。

 

「刷りますか?」

 

「そこまで頼んでしまっていいの?」

 

「いっぱい貰いましたからね、これくらいはおまけです」

 

「すまないね」

 

「いいんですよ。臨時収入で親にちょっといい飯を食べさせられるので」

 

彼女はまだ未婚で、親と同居しているのか。この世界の家庭の概念とかは難しいな。フィリップ・アリエスの見解はあまり正しくないし、一地域のある区間の時代の見解を欧州全体の一つの時代区分に拡張するのはあまりよくない、みたいな話をどこかで見たな。まあそれを加味しても子供をどう扱うかは人それぞれだし、時代によっても変わる。まあ一般論ではあるが、子供は親に余裕があれば人間として扱われ、そうでなければそれなりの扱いを受けるのだ。辛いところである。この問題の解決のためには下手すれば公権力による家庭への介入が必要になるが、それをこの世界の人々が許容するかどうか。

 

「ご両親は何を?」

 

「どっちも衙堂務めでした。今は二人とも辞めて、法律学や統治学の講師をしています」

 

「なるほど」

 

だから彼女が司女見習いとして積極的に働くことを止めなかったのだろう。親の理解というのは子供が進路を選ぶ際に欠かせないものだ。少し過去の嫌な記憶を思い出してしまう。私のではない。どうせ女性がやるなら役に立たない史学でも構わないと親に言われていた大学での知人とか、あるいは研究者の親のプレッシャーを受けて院に行ったはいいものの一般企業でそれなりの幸せをつかんだ人とか。私は不幸な人間がそれなりに嫌いなので、きっと今後も色々なことに首を突っ込んでしまうのだろうな、と考える。

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