図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

106 / 365
板書

図を描くということは様々なメリットがある。それは外部記憶の役割を持たせられるし、数字や文字の羅列を一目でわかるように表現できる。では多人数に対してできるだけ容易に図を示す方法はあるだろうか?

 

答えを言ってしまおうか。それは黒板である。

 

実際にはある種の樹液と粘板岩の粉末、そして炭を混ぜたものを塗った木の板と、石灰石と穀粉を練って焼いた筆記具である。まあ黒板とチョークだ。かつての世界にあったものに比べれば使い勝手は悪いが、まあ何もないよりはいい。

 

教育関連のことをやるために準備はしていたのだが、さすがに手が足りなくなっていたのでこれはかなり外注した。いやあ銀片を積めば色々なものが手に入るのはいい。これを作ってくれた工房や仲介の商会に一体何に使うんだと聞かれたので工程管理表(ガントチャート)の基礎を教えたらすぐに実用していた。この黒板の開発工程自体が工程管理表を利用していたというので、なんというかこの世界は色々なものの受け入れが速い。

 

「つまり、我々は大目標を決める必要がある。ここであれば、例えば印刷物の管理と統制を通した知識の共有と生活の向上といったところだろう」

 

文字を黒板に書きながら私は言う。聴衆が椅子ではなく床に座っているせいで高さの問題から膝立ちで書かねばならないのが少し難しい。

 

「ここから業務を具体的に挙げていく。印刷物の記録と収集、印刷技術の開発と普及がぱっと出てくるところだろう。そして印刷物に関する事務業務の中継地点としての役割もある」

 

今までこの世界にあった組織の多くは強いリーダーシップや高度の協調性によって成り立っていた。有能な人材ばかりであればそれでもいいのだろう。しかし、私が作りたい世界にはもっと多くの労働者が必要なのだ。ならどうするか。言葉を選ばないのであれば、方法は二つ。馬鹿をどうにかするか、馬鹿でもできる仕事にしてしまうか。私は両方を選ぶ。前者は教育によって、後者は技術によって。

 

「つまり、やるべきこととその必要がないことを目標によって判断するのですか?」

 

局員が質問をくれる。ありがたいな。基本的に良い発表というものは多く質問が来るものだ、という理念の下で私は学会とかで演台を前に立っていた。質問が来ないということは発表内容が自明だったか、あるいは聴衆に理解されなかったか。前者なら発表の意味がないし、後者ならなおさらだ。実際には数学の分野とかでは世界に数人しか理解できる人がいなくて理解ではなくむしろ解読と呼ぶべき作業が必要なんてのもあったらしいが、幸いにも私はもう少し人間らしい業界にいた。

 

「その通り。そして、全体で方針の共有ができていれば命令や上下間の伝達が少なくてすむ」

 

ここらへんの知識は並列コンピューティングの分野から引っ張ってきている。情報のやり取りというのは少ない方がいい。レスポンスタイムを減らすためにはそれぞれが自分の責任でできる範囲を適切に設定する必要がある。

 

「私が衙堂にいた時のように臨機応変に業務に応じて人員を組み替える方式は確かに最適かもしれないが、それは無駄を省くことを重視して場合によってはより多くの負担が必要となっている場合がある」

 

あの方式は衙堂でも煩務官しか実行できていなかった。情報整理の技術をもう少し発展させれば何人かのチームで似たような事ができるようになるかもしれないが、それは人事に関する専門の部署が必要なレベルにまで人数が増えてからでいい。今はそういう仕事には私とケトが責任を持っている。

 

「とはいえ、この目標設定方式にも問題はある。それはいきなり新しい人材を組織に馴染ませることができないという点だ」

 

ろくに研修も受けていない、つい数日前まで大学生だった人間をいきなり最前線に出す業界はろくでもない。それが個人の将来を左右するほど重要な立場であればなおさらだ。人材育成のコストが高くなっているのはわかるが、それを安易によそに押し付けないで欲しいものだ。

 

「だから、体系的な教育を行う計画が必要になるわけだ。それは仕事に必要な専門知識を身に着けさせるというだけではない。同じ目標を持った集団の中で行動ができるよう、悪く言えばその個人の特性の一部を曲げてしまうわけだ。この欠点は常に認識しておく必要がある」

 

少し嫌そうな顔をする局員がいる。うん。その感情は間違ってはいない。事実、ここにいる局員の多くはルーチンワークをさせるよりもある程度自由裁量を与えて放置しておいたほうがいい仕事をしてくれるだろう。それでも、今後そうでない人を組み入れられるようにするためには初期投資としてこういった有能な人材を枠にはめて能力を制限する必要がある。まあこれも行き過ぎると均質化した人間の製造みたいになってしまうので本当にバランスなんだよ。それが簡単に取れればいいのだが、残念ながら極端に振れるのに比べて不安定な系で中庸を保つというのは常にフィードバックループを回さなくてはいけない分大変なのだ。ああそうか、制御工学という概念も用意しないと。背後の数学的概念にラプラス変換とかあったが、あれの理解は結構いい加減なんだよな。まあ数学はどうしてもある程度の天才に任せなくてはいけない分野なので仕方がないが、天才が生まれる可能性を上げたり母集団を大きくしたりはできる。ま、これはかなり時間がかかるのでゆっくりやるしかない。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。