図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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夜話

非公式な会合は、しばしば夜に行われる。これは純粋に日中が忙しいからだ。

 

「これはこれはケト君。……そちらの方は?」

 

少し訝しげに私を見るのは今回行われるある種の情報交換会の主催者。図書庫の講官の一人らしい。

 

「印刷物管理局で働いているキイと申します」

 

今日の主役はケトなので私はあくまで従者である。そうして奥へと招かれた。さてさて、と客間を覗き込むと相変わらず男性ばかり。ため息を一つ。ま、女子教育については私がいた時代でも色々と面倒な問題が残っていたのだ。歴史学者としてはあまり興味をそそられるテーマではないし、一学生としては男性も女性も関係なくやってきたし、社会活動をやるつもりにもなれなかったのでまああまりこの領域は趣味ではないのだが。

 

飛び交うのは聖典語。やばいここらへんのリスニングはあまり良くないんだ。あの論稿を書いた時にそれなりに単語を確認したので一部一部は聞こえるが、全体の流れをつかむにはそれなりに集中しないといけない。

 

『それでは皆さん、これはお読みいただけたでしょうか』

 

深い緑に染められた表紙の冊子を手に取りながら聖典語でケトが言う。私がいつも使っているような東方通商語では専門用語が整理されていないせいだ。

 

『ああ、実に面白かったよ』

 

そう言うのは禿頭の中年。

 

『ただまあ、皮肉なのはこの教育における苦労というものが文字版印刷だったか?で相当軽減されるということだな』

 

笑い声が聞こえる。うん。私のジョークセンスはこの世界でも無事通用するようだ。

 

『ただ結論自体には反対だ。たとえ不十分な教育であったとしても、それは成されねばならない』

 

『ただ、問題は誰がそれを保証するかだ』

 

また別の人が言う。

 

『もし貧者も富豪も同様に教育を受けられるようにするならば、税で講師の給与を払わねばならないわけだ。その銀片はどこから出る?』

 

『税しかないだろう』

 

『そうだ。しかしそのための税を払おうとする人はいるだろうか?富豪は今持つ金を奪われたくはないし、貧者はこれ以上払うことは困難だ』

 

『教育は全体に対して有益だ』

 

『しかしその影響が出るまでは長いだろう?』

 

思ったより建設的な議論がされている。もっと低レベルな言い争いになるかと思っていた。

 

『問題は人と金の不足だ。確かにそれらに余裕があれば、老いも若きも、男も女も、学ぶことができるようにすることは望ましい』

 

あ、ここは韻を踏んでいるのがわかった。聖典語は結構こういう言葉遊びのようなものができるのだが、これをすっとできる人はあまりいない。ケトは片手間にそれをやってのけるが。

 

『だがそれらが限られる以上、現状では今の体制を続けるしかないのでは?』

 

そう誰かが言った時、ケトが目配せで会話を受ける。

 

『その教え方が問題なのです。今の教え方は優を伸ばし、劣を放るものです』

 

リズムと歯切れのいい声が響く。ああ、これはすごい。こういう場所での彼の弁舌は初めて聞いたが、この年齢差を持った多くの人に囲まれた上で、印刷物管理局局長補佐という肩書に見合った、いやそれ以上の堂々たる振る舞いだ。

 

『例えば数十人を同時に教えることを前提に教本を編めば、一人の講師が村の子供の多くに聖典語の本を読ませる助けとなります』

 

『そんなに教本が作れるか……というのはかつてはともかく、今となっては愚かな問いだな』

 

ケトは発言者の持っている冊子を見て頷く。

 

『本の奥深い世界へと人々を誘うことが、ひとまずの目標とすればよいか?』

 

『しかし、それは生活には直接結びつくだろうか?日が昇れば汗を流し、暮れになれば疲れとともに床に倒れるような人々は本を読むだろうか?』

 

『農書はどうだろう。あるいは収穫物をいかに売るかであれば?』

 

『恥ずべきことであるが、我ら商者の中にも相手の無知をいいことに銅葉をくすねるやつがいる。それを避けられれば、次の取引ではより大きな益を生むとも知らずに』

 

おや、商会の人間も来ているのだろうか。というか本当に商業倫理が確立されているんだな。ここらへんは欲の概念とも関連があったはずだ。ここでも商業倫理では長期的な関係によって信頼を構築することが重要視される。まあそれは裏切り者に対して冷酷であるということにも繋がるので難しいところだが。

 

『そういった輩への戒めともなるだろう。もし誠実な商者であれば、よい交渉の基盤となる知恵には敬意を払うものだ』

 

『とはいえそれでは……言いたくはないが、我々は苦労しないか?』

 

『学べなかったものはそれ以上に苦労しているのだろう。我々はみな小さきものなのだぞ?』

 

うーんやはりここらへんの価値観はまだうまく自分の中で落とし込めていないな。というか私がかつてケトに献身的な介抱を受けたのもこのあたりの思想が根底にあったりするのだろうか。

 

『そこの方、貴女も話されたらどうかね?』

 

ふと気がつくとこちらに話が回ってきていた。ケトの方に視線を向けると彼の口角が少し上がった。好きに話せ、ということか。

 

『では僭越ながら。どうせ教えるならば、教本はあくまで補助とするべきではないでしょうか?我々は本以上のものを本を通して学べるのですから』

 

さて、では論稿に書ききれなかった内容の一つに触れていこう。この世界にはどこまでこういった思想があるのかな。

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