図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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定量化

「鋼についてはわかった。他には?」

 

机の上に散らばった転炉の構造図から目を上げ、長髪の商者が言う。

 

硝子(ガラス)が必要です。透明で、硬く、加工が容易という便利な材料は他にありませんから」

 

「具体的に、どのような用途を?」

 

「まず一つは、そこのケト君が顕微鏡と命名した装置です。ご存知で?」

 

「商会で一つ、手に入れている」

 

おや。私は自分で使う分も含めて五個も作っていなかった気がするが、そのうちの一つだろうか。

 

「複製はできそうですか?」

 

「嵌める硝子(ガラス)の磨きが難しいと聞いた」

 

「そういうことは早く聞いて下さい。磨き粉に使っているものの製法を伝えるので」

 

そう言って私は紙にさらさらとメモを書く。

 

「迷惑をかけてはいけないと考えたのだがね。それと、自らやろうとする職人たちの努力を無駄にするのも気が引ける」

 

「……それは難しい問題ですね」

 

「それは、どういう?」

 

「どう言ったらいいでしょうかね。例えば新人を育てる時に、その行動一つ一つを見張って少しでも間違えたら横から注意するような方法によって成長は得られますか?」

 

「難しいだろうな。つまり、試行錯誤こそが重要だと?」

 

「ええ。私が答えを教えてしまえるならいいのですが、全てがそうとは限りません。それに私は一人しかいませんが、職人は増やすことができます」

 

「効率を考えても、キイ嬢が影響を与えるのは少ない方がいい、と……」

 

私は頷く。理解がすごいな。やはりどいつもこいつも有能である。これと比べると私の愚鈍さというか無能さが際立って辛い。私がこの世界の人間に対して持つアドバンテージは異世界の知識とちょっとした技術、それに過ごしてきた経験によって培われた思考パターンぐらいしかない。それは緊急避難的に使っているものであって、私がそこから報酬を受け取る権利があるかは結構怪しい。

 

「そうなります。っと、硝子(ガラス)の話でしたね。あとは熱を測定する機構にも使えますし、薬学においても重要です。硝子(ガラス)は酸にも塩基にも強く、水を沸騰させる程度の熱に耐え、反応を外側から観察できるので」

 

「……硝子(ガラス)と言えば、窓に使うような組硝子(ガラス)がまず思いつくが、なるほど。そういう特性に着目することもできるのか」

 

「あ、大きいサイズの板状硝子(ガラス)を作ることもできますよ」

 

「それは興味があるが……どれだけ大変だ?」

 

「ええと、溶かした錫の上に流す方法であれば錫が錆びないように大気から煆灰質を抜いておく必要があります。あとは塊を二つの円筒で伸ばしたり、溶かした硝子(ガラス)から引き上げることで板を作ったり、あるいは円筒形に吹いてから切り取るかですね。いずれにせよ特殊な炉が必要で、そのための煉瓦を揃えることなどを考えると大変ではあるでしょう」

 

なんでこんなに詳しいかって?国立産業技術史博物館産業技術史資料情報センターの出していた技術の系統化調査報告を読んでいたからだよ。第一線にいた人物の回顧録という側面はあるが、それはそれで重要なものだ。

 

「ああとなると炉の中の熱も測定する必要が……これは二種類の金属を接合してそこに熱を加えることで流れる電流を……ああいや、増幅が必要だから先に硝子(ガラス)と水銀で機構を……」

 

「落ち着いて下さい」

 

ケトが私の肩をぺちぺちと叩く。おっと、危ない。というかアウトだな。

 

「……申し訳ありません」

 

「構わない。……ただ、思っていたよりも至難な試みになりそうだと考えただけだ」

 

「間違いないでしょう。それを補助する方法も用意しますが」

 

「……例えば、どのような?」

 

「そうですね。釉薬などは特定の配合でないと色が出ないということはわかりますか?」

 

「ああ。単純に分量を決めておけば良いというものではなく、炉の様子やその日の空気の味によって変えるとも聞く*1

 

「その配合や条件を効率的に探し出す方法です。まずはそれぞれの条件を数字にします」

 

「天候のようなものもか?」

 

「ええ。例えば一般的に物体は寒においては縮み、暖においては膨らみます」

 

「つまり寒と暖においては、寒は重くなることで沈み、暖は軽くなることで浮かぶ、と言えばいいか?」

 

「その通りです。ご経験が?」

 

「調理をしたことがあればわかるさ」

 

おや、少し意外だ。この世界での男性がどのくらい料理をするのかのきちんとしたデータはないが、肌感覚では城壁内の住人はそれなりに外食で済ませてしまうらしいとは聞いている。

 

「その縮みと膨らみは構成物に依存します。例えば基本的に液体の容積は固体に比べて熱に対する変化が大きい。そこでこういう硝子(ガラス)細工を作るわけです」

 

私が描くのは温度計だ。

 

「ここで使うのは色をつけた酒精か、あるいは水銀ですね。これである程度の範囲で数字として暑さ寒さを表すことができます」

 

「……空気の味には乾と湿もあるが、それも数字にできるのか?」

 

「ええ。雨の日に髪が跳ねる人がいるでしょう?人の髪は空気の中の水の量によって伸び縮みするので、それを使います」

 

「そこまではいい。数字にしたとしよう。そうして何になる?」

 

純粋な疑問の言葉だ。数学における抽象化の概念が不十分な以上、ここから先はかなり難しくなるだろうが彼はついてこれるだろうか。

*1
「空気の味」とは東方通商語の言い回しで、温度や湿度を含む大気の状態を指す言葉。

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