図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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困憊

「……すみません、私ばかり話してしまい」

 

目を揉む商者に、私は申し訳なくなって言う。悪い癖だ。話し出すと止まらない。普段ならケトが止めてくれるのだが、と横を見るとオーバーヒートしていたらしかった。目の焦点があっていない。

 

「キイ嬢、確認なのだがこのような算学を理解している人はこの城邦に……」

 

「いないと思いますよ?」

 

「そこから力を入れる必要があるのか。面白い」

 

「幾何学や天文学も実用においては無意味と言われることもありますが、決してそうではないですよ」

 

まあ、純粋数学はそれ自体に意味があるとゴッドフレイ・ハロルド・ハーディが弁明していた横でブレッチリー・パークやシカゴ大学の「冶金研究所」で行われていたことを考えれば軍事転用できない技術はあまりないのだ。もちろん民間にも使える。

 

「そういう人材にも追加で声をかけるべきか」

 

「それは僕の方からもやっているので、必要によっては情報を共有しましょう」

 

ケトが言う。おや、裏で色々やっているのは知っていたがそこまで手を伸ばしていたとは。

 

「……構わないかね、局長」

 

こういう言い方をするということは、まあケトとのパイプを作ってもいいかという意味だろう。

 

「ええ。彼は有能なのであまりちょっかいをかけられると私が忙しすぎて倒れてしまいますが」

 

「はは、程々にするよ」

 

彼は小さく笑う。まったく、異世界の知識を山ほど吸い込んでこの顔ができるというのには勝てないな。

 


 

「偶然ではないと思われる現象が起これば、それが結果にどれだけ寄与するかを考えます。例えば多少釉薬の配合を変えたところで、炉の温度が一定であれば出来にはそう影響が無いのであれば正確な釉薬の調合よりも炉を見張る術を考えるべきだとなるのですよ」

 

これ以上は数学を使わずに定性論で誤魔化そう。ああ、ここでの定性は理工学分野で言う定性。社会科学から見れば十分定量的と言われそうなレベルだ。

 

「……ところで、それは物を作る以外の分野にも使えるのか?」

 

「ええ」

 

「例えば、農業であるとか」

 

私は驚いて目をぱちくりさせる。

 

「なぜ、そう思ったのです?」

 

「ある種の植物は風通しと水はけの良い場所でよく育つと言われていたが、実際は重要なのは水はけの方だけであったという例を最近聞いたからな、そこから連想しただけだよ」

 

よかった。ただの偶然か。実際、実験計画法は農業実験のために開発された手法なのでこの読みは合っている。

 

「その通り。……収穫量の増大も、考えなければなりませんか」

 

「農村部は重要な市場だからな、より多くの作物が得られればより多くの商品を手に入れることができ、より多くの商者が働き先を作れる」

 

「そういう場合には、農村で余った人が出ませんか?」

 

「……そうか。なかなか難しい問題だな」

 

疲れた様子の商者が言う。農村から都市への人口流出は色々と問題を生むのだが、田舎で満足しろと言うのも難しい。食料生産はまだしばらくは基盤産業だろうから、どうにかしてインセンティブを発生させねばならない。

 

「本当はあくせく働かなくとも誰もが暮らせればいいんですがね」

 

「とはいえ、そうすれば勤勉な人が優位に立ち、結果として怠惰な人は食うに困るようになる……」

 

「難しいところです」

 

完全に生産と流通を管理することができればまだなんとかなるかもしれないが、それが非常に難しいことは私の知る歴史から明らかだ。配給をすれば闇市が生まれ、計画経済は大抵不十分な情報伝達で破綻する。サイバーシン計画のようなものであればまだ可能性はあるが、CIAが潰してくれやがったからな。

 

「とはいえ鋼の農具の普及ができれば、多少は……」

 

「印刷機で農書を作るようにすれば、衙堂頼りの改革も多少は上手くいくかも知れません」

 

「あくまで可能性だ。貴女に賭けはするが……」

 

ありがたい。というか一体どれだけの額が用意されているんだ。

 

「一度に多方面の行動を取るのも難しいでしょう。まずはある程度範囲を絞るべきではないでしょうか」

 

「確かにそうかもしれんな。……キイ嬢、例えば貴女には何が必要だ?」

 

「有能な人材……についてはもう図書庫の城邦の外から得るしかないでしょう。どうにかして人を呼びたいですね。あとは硝子(ガラス)と鋼……、そうだ、水銀はありますか?」

 

「水銀?ああ、鍍金(メッキ)に使うな」

 

「それが欲しいですね。あとは各地の鉱石を調べる方法を……いや、これはその場所で薬学師ができるように本を作ればいいか」

 

いくつか欲しい資源があるのだ。金属であれば亜鉛、ニッケル、クロム、ゲルマニウム、バナジウム、白金あたりか?かつての世界では産地が偏っていたし、この世界でも地殻変動のメカニズムが大きく違わないならば鉱床の場所が狭い範囲に集中していると考えていいだろう。

 

「装置であれば?」

 

「私一人では作るのに限界がありますからね、横轆轤(ろくろ)があればまだ楽にはなるのですが、これはそう簡単には作れないかと」

 

「……となると、例の発電機を複製するところから始めるべきか」

 

「ああ、見たことがあるのですか?」

 

「水車に取り付けられているあれだろう?」

 

なるほど、トゥー嬢経由で見せてもらったりでもしたのかな。あれが複製できるようであれば、この世界の技術者に色々任せられるのだが。

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