図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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交渉

「では、取引の話と行こう」

 

すっと目の前の商者の出す空気が変わる。やられた。こちらは結構息切れしてるんだぞ。

 

「……私の知識を活用するのであれば、そちらに相当の利益をもたらすはずですが」

 

「しかしそのためには様々な条件が必要だ。貴女のもたらすものがもし危険であった場合の備えも必要となる」

 

「私からすれば、単純に利益だけを求める姿勢は避けるべきだ、とは言っておきます」

 

「さすがに我々とて他に気を配らねばならないことがあるのは知っているよ。そこは信頼してほしい」

 

「こちらの備えですよ。……となると、あまり表で繋がりを強調することは避けるべきでしょうか」

 

「……確かに、どちらかが引き起こした問題にもう一方が絡め取られるのはあまり望ましいことではないな」

 

「私は舞台に上がるよりも、脚本を紡ぐ方が好きなんですよ」

 

「なら主演はやらせてもらうぞ」

 

「どうぞ。こちらからはあまり出せるものはありませんが」

 

「出すのはこちらだよ。……具体的に、銀片はどれだけ必要だ?」

 

「それは私への報酬のような形で?それとも何かを作るまでに?」

 

「前者だ。後者に比べれば微々たる額だからな」

 

相当な予算を突っ込むつもりらしい。まあ、動かす人数を考えれば私への報酬を十人扶持ぐらいにした所であまり問題ないわけか。

 

「資金は……いまどれぐらい?」

 

「もう少しあるとキイ嬢が多少無駄遣いしても問題なくなるのですが」

 

ケトが隣で言う。

 

「はい……」

 

「まあ、売り上げに応じて商会から印刷物管理局への出資を増やすという覚書でもするか?」

 

「そうですね。ただそれはうちの局員にやらせたい所です。私は専門ではないので」

 

「いいのか?」

 

「ええ。衙堂や図書庫からの人であればまあ中立性は担保できるでしょう。あるいはケト君にやらせてもいい」

 

「キイ嬢は僕を何だと思っているのですか?」

 

ケトの声を聞き流しながら私は思考を回す。

 

「というより、こちらがそちらの商品を買わせてもらう側ですかね」

 

「まあ、今手に入る範囲なら多少割り引いても売るが」

 

「おや、こちらとしては割高でも買いますが」

 

「重要な取引相手には多少損が出ても関係を作れということだよ」

 

「それを言ってしまっては意味がないのでは?」

 

「しかし、貴女なら大丈夫だろう?」

 

「まあ、騙されるよりは。……それに、あなたがたに揃えられないなら私が頼める範囲ではまず無理ですからね」

 

この図書庫の城邦はこの世界でも指折りの交易都市でもある。そこでかなりの勢力を持ち、様々なコネクションを持つ商会の一派の代表が直々に話をしてくれているのだ。これ以上の協力はさすがに無茶と言うものだろう。

 

「……引き換えにと言うべきではないですが、貴女の作ったものについては無制限に複製させてほしい」

 

「印刷物についてはその作成者の権利の問題があるので一概には言えませんが……例えばどのようなものを考えています?」

 

「このような硝子筆(ガラスペン)であるとか」

 

「作るのは結構大変ですよ?腕のいい職人であれば私の作業を見ればできるでしょうが」

 

「なら連れてこよう」

 

「強い……」

 

まあ彼のことだ、そう難しくはないのだろう。

 

「しかし呼ぶとなると数月はかかるな」

 

「片道で月単位ですか」

 

「早船であればもっと短くてすむが、な」

 

「……海を超えた遠くに、素早く手紙を送る方法があれば欲しいですか?」

 

「具体的にはどれぐらいの時間に縮まる?」

 

「そうですね、一文字送るのにかかるのは脈が一つ鳴るよりは短いかと」

 

「事前に符牒のようなものを決めておけば、十分すぎる。というよりその知識だけで銀片を万積んでもいいぐらいだ」

 

「安いものですね」

 

生涯年収と同程度のスケールだ、と私は頭の中で割り出す。

 

「キイ嬢、これはそういう単語です。文字通りの意味ではありません」

 

「あっすみません」

 

私は急いで頭を下げる。億万長者みたいな言葉なのか。

 

「……実際に値をつけるとなると、幾らほどになるか見当がつきませんね」

 

少し苦笑いをする商者。

 

「まあ、作るのは大変ですが」

 

「やはり、そういう機械が?」

 

「ええ。……必要なものは、まだ足りませんが」

 

トランジスタと真空管のどちらを作るほうが楽かは怪しいところだ。ヘルマン・スプレンゲルの水銀ポンプでは確か真空度が足りないとなるとクライオポンプか拡散ポンプかターボ分子ポンプあたりが欲しい。冷却用の液体窒素はジュール=トムソン効果を使えば……いや、容器とかの問題があったはずだ。国立産業技術史博物館の所蔵品だった空気液化装置を思い出す。構造はシンプルだが、細かい改善が必要だ。

 

一方でトランジスタはどうだろう。ゲルマニウムの結晶があれば作るのは不可能ではない。こっちのほうが作りやすいように思えてきたが、たぶん錯覚だ。そもそもこうやって作られる点接触型トランジスタはかなり不安定だったし。とはいえこういう方針は一度示してしまえば技術発展を加速するきっかけにできるかもしれない。

 

あとは磁気増幅器なんてマイナーなものもあるが、これは鉄心の問題があるからな。周波数特性の問題がついて回るし、そもそも私の知識が少ない。

 

「短距離でいいなら、作れはしますけどね」

 

火花送信機とコヒーラ検波器の組み合わせであれば、まあすぐにとは言わないが一年もあれば試せるだろう。

 

「よし。それを頼む」

 

「……そんなに重要ですか?」

 

「商品のやり取りにかかる時間が半分になるんだ、これは重要だぞ」

 

圧が強い。少し驚いて私は身を引いてしまう。

 

「……そうですか。では、それなりに色々なものを揃えてもらいますよ」

 

「構わない」

 

商者は自信満々に言う。ま、実はそこまで特別なものは必要ないんだけれどもね。

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