図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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電磁波

商談はその後、それなりに和やかに終わった。

 

「……疲れましたね」

 

「まあね」

 

帰り道。ケトの言葉に私は背中を伸ばしながら返す。

 

「まあ、でも目標が一つ上がったからいいよ」

 

「その、素早くやり取りをする方法ですか?」

 

「そうだね。……これは印刷物管理局で扱っていいのか?」

 

「文字のやり取りがあれば印刷物だと思いますが」

 

「うーん、今私が作れるような単純な機構だと文字は送れないんだよね」

 

「何が送れるんです?」

 

「こう、手を叩いた時の音みたいな感じ」

 

ぱんぱんぱん、と私は手を鳴らす。火花式の送信機で作られる電磁波のアナロジーとしては悪くないだろう。

 

「なら、伝える原理は█████のようなものですか」

 

「なにそれ」

 

「ええと、煙を使って遠くの敵の居場所を教える戦法の一つです。古帝国時代に使われていたと読んだことが」

 

狼煙か。確かに近いものはある。

 

「そうだね。基本的にはそれと変わりはないよ」

 

「具体的に、どうやるんですか?」

 

「わずかに間を空けた金属の間に電圧をかけると、小さな雷が生まれるのは?」

 

「何回か見ました」

 

「似たようなものをもう一個用意すると、電池を繋いでいなくとももう一方にも小さな雷が飛ぶ……って言えばいいかな」

 

「……そんな事が起こるんですか?」

 

「起こるんだよ」

 

面白いことに、私の知る科学史でこれは実験前に予想されていた内容だったのだ。ジェームズ・クラーク・マクスウェルが電磁場の理論を定式化したが、そこの式によれば電界が磁界を生み、磁界が電界を生むことで一種の波が生まれるということが示唆された。当時測定されたいくつかの物理定数を代入すると、その波の速度は可視光の速度として知られていた値とだいたい一致した。

 

「面白い現象ですね」

 

「まあね。けれども、私がいたところでそれを最初に発見した人はそれがなにかに使えるとは考えなかったらしい」

 

1887年、ハインリヒ・ルドルフ・ヘルツが実験を行ったのはあくまで電磁場の理論から導かれる「電磁波」の証明が目的だった。電磁誘導を用いた無線通信はそれ以前からあったものの、この方式の送信機と受信機に改良を加えたものがグリエルモ・マルコーニによって実用化され、そして無線通信の時代がやってくる。

 

「……仕方のないことでしょう。雷が飛ぶのを見て、狼煙のように使うという発想はなかなか出ません」

 

「それと、特別な電気装置を使うか条件が揃わないと千歩程度の距離までしかやり取りができないんだ」

 

同調回路は作れるが、問題は増幅素子だ。整流作用だけであれば亜酸化銅、もとい酸化銅(I)や黄鉄鉱で問題ないが、もっと高出力となると難しい。

 

「なら、実用は難しいのでしょうか?」

 

「城壁の中とかであればまだ……いや、導線を繋ぐのとどちらがいいのかな」

 

「そういうのを、他の人に任せるというのが今日の話ですよね」

 

「……そうだね。まあ人に何か言うだけというのは誰でもできるから」

 

「けれども、正しい助言をできる人はまずいませんよ」

 

「ケトくんは良い助言をよくくれるけど?」

 

「……ありがとうございます。けれども、それはあくまでキイさんもわかっていることですよね?」

 

「あれ、私は今理解しているのに実行できていない人間扱いされてる?」

 

「少なくとも生活面においてはそうだと思います」

 

「はい……反省します……」

 

夜更かしであるとか寝坊であるとか運動不足であるとかが最近多くなってきている。今度休暇を取るのもありかもしれない。印刷物管理局の業務はかなり私がいなくても回せるようになっているし。

 


 

「……あ、おかえりなさい局長」

 

印刷物管理局の事務室に戻ると、何人かの局員が印刷機を囲んで何かをしていた。

 

「なんでまだいるんだ?」

 

日没の少し前であるが、普通ならケトが私を含む局員を追い出している時間帯だ。

 

「すぐ帰りますよ」

 

「へえ」

 

まあ、何かを印刷していたことぐらいは見えるのだが。

 

「それは?」

 

「……まあ、局長になら見せてもいいですか。頼まれものですよ」

 

「どれどれ」

 

内容は数式だった。私が使い始めた略記方法を使った一種の筆算だ。

 

「おや、ここまで解読ができていたのか。というか頼んだのは衙堂の会計員やっている彼か?」

 

「ええ。講義で使うので刷ってくれと」

 

「……一応印刷物管理局の備品だから、こういう用途はあまり感心しないが問題ない」

 

「おや、そこは厳しいんですね」

 

ああ、業務と日常の切り離しが甘いのか。これは純粋に価値観の差異であって、善悪の問題ではないと私は意識を切り替える。

 

「ケト君、これを見て私の計算方法を真似できる?」

 

「というより僕が手伝ったものですから」

 

「あれ、そうだっけ?知らないんだけれども」

 

「前にこの人から算学を学んでいたのを覚えていませんか?」

 

そういえばそうだったな。その時に私の計算した紙も渡していたが、ここまで体系的なものにできていたとは。

 

「なるほどね。……あとで彼に言って、少し直させないと」

 

「間違いでもありました?」

 

「というより、全体の構成をもう少し直したほうがいいかな。紙の上で数字を操るのには練習が必要だから」

 

数学はどうせやらないといけなかったのでちょうどいい。少し手を貸してあげよう。

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