図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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第11章
星表


印刷物管理局の業務に、厄介なものがやってきた。

 

「管理局、頒布の制限も一応できなくはないんだがあまりやりたくないんだよな」

 

丁寧に作られた依頼書を閉じて私は言う。内容に少し議論の余地があるものが含まれているので、きちんとした知識を持った人以外には流通させたくないとのことである。その議論の余地のある内容とはなにかは書いていない。一応出版者からのちゃんとした文面であることは確認済み。

 

「どうします?特別扱いはできないと断りますか?」

 

依頼書を持ってきた局員が私に言う。

 

「そもそもこの本を買う人、あまりいないのでは?」

 

タイトルは「星々について」。図書庫の城邦から船で半月ほど行った場所にある大きな天文台での測定データをまとめたものらしい。ケトが言うにはそこには世界最大とも言われる青銅と石灰岩の観測装置があるそうだ。古帝国時代から数百年、信仰を極めたある種の世捨て人たちが夜通しで観測をしているらしい。占星術もあるにはあるがそれ以上に信仰上の理由、具体的には人の小ささを知るためには大いなるものを知るべきだという思想によって彼らは動かされているのだとか。ちなみにこの数百年分の観測データの写しは大図書庫にもある。

 

「……いえ、これは局長なら知っていて問題ない内容なのですが、この報告の内容が信仰の問題を生むのではないかと衙堂の一部が危惧しているようで」

 

「そんなもんかね。別に大地が太陽の周りを廻っていたとて自然の偉大さが消えるわけではなかろうし」

 

一応この世界では天動説も地動説も仮説にすぎない。どっちも観測誤差を超える謎の現象をうまく説明できないから、ということらしい。こういうところに合理性が見えると嬉しくなる。別にカトリックがそこまで地動説を敵視していたわけではないという科学史の知識はあるけどさ。

 

「まあともかく普通の手続きは進めるよ。図書庫にも納めるけど、図書庫のほうで閲覧の制限をかける分には関知しないということで」

 

「まあ、落とし所はそのへんですね。伝えてきます」

 

そう言って立ち上がる局員を見送って、私は簡素な装丁の仮刷りされた巻物を開いた。

 


 

「うーん」

 

私は数字の羅列を見ながらペンを走らせる。これは一種の星表だ。この世界の天文学はというと、思った以上に進んでいる。とはいえ対数はないが。

 

「ええと、1刻は全周の360分の1で、1拍はそのさらに360分の1……」

 

天文学の角度では360進法が使われてる。これは私がいた世界よりも素晴らしい。例えば度-分-秒システムは360-60-60進法である。つまりは一周が360度、60分で1度、60秒で1分。そして地球は時間にして1秒の間に角度にして15秒廻る。ふざけるなよ。一致させろ。それに比べればこちらの方法はいい。まず全周を360分割して単位にするのは理にかなっている。なぜならこの世界でも365日強で一年が廻るので。それに360は約数が多い。少なくとも角度に10進数を使おうとしたグラードより明らかにいい。

 

この世界の角度表記は、天文学における時間の表記と対応している。なので特に断る時は「時間の刻」、「角度の拍」と表現するのだ。時間換算で言うと1刻は4分。この分はSI併用単位における時間の単位。1拍は0.67秒。この秒もSI併用単位における時間の単位。確かに少し動けば脈拍は1分間に90回、つまりは1回につき0.67秒に届くので脈拍に由来するこの単位の名前も適切だ。

 

おっと、本題に戻ろう。この表では主要な明るい恒星同士の位置関係を天球上の角度で示している。一種の三角法だ。ただこれは測量分野で使われていない。たぶん球面三角法に限ってこの分野が進んでいたからだろう。もったいない。まあ非ユークリッド幾何学がないとこの2つを「同じもの」とみなすのは難しいからな。この測定は多くとも誤差100刻程度で行われている。ざっと20分だ。月の直径の3分の1。場合によってはそれ以上の精密さを出している。別にこの数字自体は肉眼観察においてはそう驚くような数字ではない。ティコ・ブラーエの叩き出した肉眼観察での精度はこの20倍である。まあ多くの助手と整備された観測器具、バーニヤ目盛りの先駆けのような特殊な目盛り、あとはスポンサーからの資金が必要であったが。あれ、そう考えるとなかなかのものだな?そもそもティコ・ブラーエは同時代人のデータの中でも群を抜いていいものを出していたのでそれを加味する必要もある。

 

「……目が痛くなりそうですね」

 

気がつくと正面には私の顔を覗き込むケトがいた。

 

「まあね。数字の羅列は面白くはないけど」

 

私が使っているよりは洗練されていないが、独特の略記法が使われている。この解読に時間を取られて本題に入れなかった。

 

「……で、問題はここからか」

 

私は呟く。過去、古帝国がまだあったころの測定情報との比較だ。当時の測定データが色々な幾何学的方法で補正され、そして最終的な結論として、星々の位置関係が変化していることが示唆されている。

 

「というか最終章だけ読めばよかったな……」

 

昔からの悪い癖だ。参考資料にする本があると該当箇所だけではなく頭から読んでしまう。まあ巻物なので開かないと最後まで読めないのだが。

 

「どういう内容でした?」

 

ケトが聞いてきたので、私は結論を示す該当場所を指で指し示した。

 

「……ああ、これは確かに問題ですね。信仰会議が開かれるかもしれません」

 

「なにそれ」

 

「各所の衙堂の代表者が集まって、聖典についての解釈であったり新しい聖典の編纂について議論するんですよ。今、聖典の新しい版が作られようとしているのは知っていますか?」

 

「どこかで聞いたな……」

 

そう言えば活版印刷のために書字生を駆り出した時に聞いた気もする。大量印刷ができるというので取引がされたらしいが、その時の私の立場はここまで高くなかったので詳しい話は聞けなかった。

 

「というより、星々が動くことに問題はあるの?」

 

「人々が世界をどう捉えるかが変わってしまうのが問題なんです。衙堂はそれに対応する必要がありますから」

 

なるほど。宗教組織のくせにどうにも柔軟だな、と思い私は凝った首を回した。

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