図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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誤差

「それじゃあ、本題に関係のないところは終わらせてしまおうか」

 

とはいえあまり雑な証明もできない。それが実際に使えると知っているのは私だけなのだ。もしそこに私が忘れているミスがあって、それを土台に数学の一分野が作られてしまったら?責任は重い。まあ実際はそう気負う必要もないのだろうが、実例を知ってしまっているとどうしてもね。

 

一応ここからの話は私もちゃんと理解していないものということであしからず。ウェダーバーンの小定理というものがある。有限の域は全て可換であるというものだ。何を言っているかわからないと思うが、私も正直わからない。ええと、0が入っていない有限個の数だけでできた数学の世界においては、掛け算の左右を入れ替えても答えは一緒だというものだ。当然だろうって?いや、掛け算っぽい性質を示すものの中でも左右を入れ替えられないものは色々あるのだ。ベクトルの外積、行列の積、あとは四元数というものもある。しかし有限の域という対象に絞れば、そこでは掛け算の左右が交換可能、つまりは可換なのだ。で、かつて非可換な積を持つような有限の域についての研究が行われていた時期があるのだ。そこでの努力はある意味では無駄になったわけである。まあここらへんの議論の親戚の子孫がフェルマーの最終定理の解決に一枚噛んでいるのでなかなか面白いらしいが、私は数学科の学部レベルすら怪しいので逃げさせてもらおう。

 

さて、本題。$x^n$ を微分しよう。まずは微分の定義の式に入れる。

 

$$\begin{eqnarray}(x^n)' &=& \lim_{\delta \to 0} \frac{(x + \delta)^n - x^n}{(x + \delta) - x}\\ &=& \lim_{\delta \to 0} \frac{1}{\delta} \cdot ((x + \delta)^n - x^n) \end{eqnarray}$$

 

さて、ここで二項定理を使おう。

 

$$\require{amsmath} \begin{eqnarray} &&\left(x +\delta \right)^{n} \\ &=& \binom{n}{0} x^n + \binom{n}{1} x^{n-1} \delta + \binom{n}{2} x^{n-2} \delta^2 + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta^3 + \cdots + \binom{n}{n} \delta^n \\ &=& x^n + n x^{n-1} \delta + \binom{n}{2} x^{n-2} \delta^2 + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta^3 + \cdots + \binom{n}{n} \delta^n \end{eqnarray}$$

 

だから、

 

$$\begin{eqnarray} &&\lim_{\delta \to 0} \frac{1}{\delta} \cdot ((x + \delta)^n - x^n) \\ &=& \lim_{\delta \to 0} \frac{1}{\delta} \cdot \left( n x^{n-1} \delta + \binom{n}{2} x^{n-2} \delta^2 + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta^3 + \cdots + \binom{n}{n} \delta^n \right)\\ &=& \lim_{\delta \to 0} \left( n x^{n-1} + \binom{n}{2} x^{n-2} \delta + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta^2 + \cdots + \binom{n}{n} \delta^{n-1} \right)\\&=& n x^{n-1} + \lim_{\delta \to 0} \left( \binom{n}{2} x^{n-2} \delta + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta^2 + \cdots + \binom{n}{n} \delta^{n-1} \right)\\ &=& n x^{n-1} + \lim_{\delta \to 0} \delta \left( \binom{n}{2} x^{n-2} + \binom{n}{3} x^{n-3} \delta + \cdots + \binom{n}{n} \delta^{n-2} \right) \\ &=& n x^{n-1} + \lim_{\delta \to 0} \delta \sum^{n}_{k=2} \binom{n}{k} x^{n-k} \delta^{k-2} \end{eqnarray}$$

 

となる。さて、ここで無茶苦茶なことをしよう。$\delta^{k-2}$ は、1よりも小さいとする。つまりはまず、$\delta$ の上限を1とおくのだ。これで

 

\begin{eqnarray} && \lim_{\delta \to 0} \delta \sum^{n}_{k=2} \binom{n}{k} x^{n-k} \delta^{k-2}\\ &<& \lim_{\delta \to 0} \delta \sum^{n}_{k=2} \binom{n}{k} x^{n-k}\\ \end{eqnarray}

 

となる。これで、$\Sigma$ の中から $\delta$ を消すことができたわけだ。これで、$\Sigma$ の中は計算できる値になる。それが100なのか、10000なのか、あるいは1億とか指数表記するしかない数だとしても、そこには実体があるのだ。「無限に小さい $\delta$ 」という妙にとらえどころのないものはここには出てこない。

 

さて、ここの部分はとても小さくなりそうだ。つまりはこれが誤差になる。誤差をこれ以下にしたいという数 $\varepsilon$ を用意しよう。これは0.001とか、まあともかく好きなだけ0に近い、小さい数を入れていい。つまりはさっきの式が $\varepsilon$ より小さくできることを示せればいいわけだ。言い換えれば

 

$$\varepsilon > \delta \sum^{n}_{k=2} \binom{n}{k} x^{n-k}$$

 

となるような $ \delta $ があればいいわけだ。まあ、単純な不等式の計算である。あーこれ正負も考えなくちゃいけないのか。面倒なのでどこかのタイミングで絶対値を取っていたことにしてほしい。あとはこの不等式を $ \delta $ について解けばいい。

 

$$\delta < \frac{\varepsilon}{\displaystyle \sum^{n}_{k=2} \binom{n}{k} x^{n-k}}$$

 

となる。$\varepsilon$ は小さい数だし、分母は大きくなりそうな気配がする。それでも、右辺はある一定の値にはなるのだ。例えば $\delta$ をその半分とでもおけば、どんなに誤差の許容量が少なくとも我々はその誤差を満たすような $\delta$ を与えることができる。

 

これが $\varepsilon \text{-} \delta$ 論法だ。世の理系大学生が必修の微積分学入門とか解析学概論とかで意味がわからなくなるというあれだ。一部のマニアックな数学屋は、これで示さなければ厳密な証明にはならないと主張している。まあ私はそういう話を聞くたびに半ば鼻で笑うのだが。カール・テオドル・ヴィルヘルム・ワイエルシュトラスがこの手法を完成させた頃にはもうプラニメータは使われていたのだ。厳密さは実用には勝てないというのが私の意見。え、足元を固めるのが大事だって?時には意欲的な飛躍も大事なんだよ。言ってることが支離滅裂だな。

 

……まあ、大切なのはバランスである。理論も実用も、ある程度は独立していてある程度は相互に関係しているのだ。だから私がこの世界での科学や技術の発展を助けたいのであれば、応用することによって様々な分野に繋がっていくが最初はある程度独立して進めることのできる分野を選ぶべきだ、ということになる。そんな都合のいいものがそうあるかって?例えば今やった数学の、特に微積分はそうだ。これを応用して初めて、私がいた世界では世界を数式で表すことができたのだ。直接私の手でそこまで進めるつもりはない。けれども、たぶんしばらくすればそういうアプローチをする人は出てくるだろう。

 

$$(x^n)' = n x^{n-1}$$

 

「ま、終わってしまえば簡単だね」

 

私はそう言いながら、気持ち強めに黒板を白墨(チョーク)でこつこつとやった。

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