図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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無限和

私が床から拾い上げた生産量が増えたとは言え決して安くはない紙には、ぎっしりと小さい文字が書き込まれていた。机からはみ出して落ちたのだろう。目を上げると紙に埋もれながら一心不乱に計算する3人がいた。

 

「必要な反復回数が多すぎますよね、なかなか落ち着きません」

 

グラフを見ながら呟くケト。

 

「0.434に近い値だとはわかったけど、これ以上計算したくはない」

 

諦めたような声を出す若い学徒。

 

「……どうしても、桁が足りないか」

 

計算を確認しながら言う局員。

 

「見せてもらえる?」

 

私がそう言うと三人揃って驚いているようだ。集中のし過ぎだ。ま、私もたまにこういう状態になるからな。とはいえ彼らもかなり独自に色々試しているようだ。

 

$\lg e$を導き出す方法自体はすぐに見つけ出せていたようだ。前に出した式はこう。

 

$$\lg \frac{1+x}{1-x} = 2 \lg e \cdot \sum_{n=1}^{\infty} \frac{x^{2n-1}}{2n-1}$$

 

これに $ x = 9/11$ を代入すると

 

$$\lg \dfrac{1+\frac{9}{11}}{1-\frac{9}{11}} = 2 \lg e \cdot \sum_{n=1}^{\infty} \dfrac{\left( \frac{9}{11}^{2n-1} \right)}{2n-1}$$

 

となる。左辺の $\lg$ の中は計算すれば10になるので、左辺は1だ。つまり

 

$$2 \lg e = \left( \displaystyle \sum_{n=1}^{\infty} \dfrac{\left( \frac{9}{11} \right)^{2n-1}}{2n-1} \right)^{-1}$$

 

が成り立つ。ではこの計算していく項の数を大きくしていけばいいか、というとそうでもない。$x$ が1に近いせいで収束が遅いのだ。

 

若い学徒が編み出した方法は別のものだ。$\lg e$ の部分がわからないのであれば、それ以外の場所を求めてしまえばいい。例えば $\lg 10^{(1/1024)}$ は$1/1024$ になる。$\lg$ の中の値は10のルートを10回取れば得られるので、頑張って開平法で計算すればいい。見たところ誤差の推定が怪しいので多め多めに桁を出したらしい、と。なるほど。それで求めた値が0.434か。たしかそんなものだったかな。

 

「この手法は面白いね」

 

「けれども手間がかかる」

 

不満そうに言う若い学徒。

 

「まあ私のこれがいい方法かは知らないけど、一応の手がかりになってくれればいいな」

 

そう言って、私は適当な紙を取った。

 


 

$A = \dfrac{1+a}{1-a}$ 、$B = \dfrac{1+b}{1-b}$ とする。このとき、例えば $A$ と $a$ で常用対数を求める式を考えれば

 

$$\lg A = 2 \lg e \cdot \sum_{n=1}^{\infty} \frac{a^{2n-1}}{2n-1}$$

 

となる。ここで $\lg AB$ を考えよう。これは $\lg A + \lg B$ だから

 

$$\begin{eqnarray} \lg AB &=& \left( 2 \lg e \cdot \sum_{n=1}^{\infty} \frac{a^{2n-1}}{2n-1} \right) + \left( 2 \lg e \cdot \sum_{n=1}^{\infty} \frac{b^{2n-1}}{2n-1} \right)\\ &=& 2 \lg e \left( \sum_{n=1}^{\infty} \frac{a^{2n-1}}{2n-1} + \sum_{n=1}^{\infty} \frac{b^{2n-1}}{2n-1} \right) \end{eqnarray}$$

 

となる。これを変形すれば、$\lg e =$ の式にすることはそう難しくない。

 

ではこれの何がいいかを説明しよう。$A$ や $B$ が大きくなると、$a$ や $b$ も1に近づいていく。そうすると計算が面倒になる。例えば $A$ が10なら $a$ は $9/11$、 $A$ が5なら $a$ は$2/3$ 、$A$ が2なら $a$ は $1/3$ だ。そして $a$ が小さくなるほど、$\Sigma$ の後ろの方の項が急速に小さくなる。

 

$10 = \frac{5}{4} \cdot 2^3$のように分解すれば、個別の数字は比較的小さくできる。計算量は増えるけれども、収束は速くなるのでたぶんこっちのほうが効率的、だと思う。

 

「まあ、こういうものでよければ」

 

私が説明を終えても、彼はまだ不満そうだった。

 

「……何か違和感があるんですよ。$\lg e$ の形と $e$ の展開の式が似てますよね。そこからうまく似たようなことを示そうとしたんですが、これが行けるなら……」

 

若い学徒は何かに気がついたように硝子筆(ガラスペン)を走らせる。

 

「……そうか、 $e^x$ に対応するのが $\lg$ の定数倍……いや、係数がいらないのかな?だったら、これは10に対してのものではない、 $e$ に対する対数みたいなものが定義されるんじゃないか」

 

計算が進むのと、私が数学の知識を総動員して何をやっているのかを追うのはほぼ同時だった。やっていることはそう難しいことではない。結論を知っていたから、私はなんとか追いつけた。これは自然対数と、自然指数の発見だ。私の知っている数学史が逆転している。ああ、やっぱりこういうのを見るのは楽しいな。前にトゥー嬢が酸素を発見した時以来だ。

 

若い学徒が式を書き終え、一息ついたタイミングで私は指を鳴らす。

 

「少し落ち着いたら、私を含めた3人に説明できる?」

 

時間をおいて、ゆっくりと彼は頷いた。

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