図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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計算尺

「で、あの二人はどうしてるの?」

 

最後の授業から四半月ほど経って、その間にじりじりと溜まっていた業務をまとめてこなしながら隣のケトに聞く。彼のほうは手際よくちゃんと終わらせていたようで。えらい。

 

「対数の表を作っているようですよ」

 

「大変だね。完成したら印刷代とか出したほうがいいかな」

 

「いえ、あの長髪の商者がそこらへんは全部やってくれているそうです」

 

「人の役割を奪うなよ……」

 

私の知っている科学史では、技術で社会を変えようとした人間は否応なく政治的あれこれやら面倒な色々をやることになっていたのだが。いや、確かに今の私の仕事は決して楽なわけではないけれども。

 

「追加の人も集めて、今は確か3桁の対数表を完成させようとしているそうですね」

 

「1000個の値を求めるとなると、まあ一月あれば行けるかな?」

 

「もっと短くなると思いますよ。暇な学徒を銀片で使っているらしいので」

 

「怖いな……」

 

まあ計算が楽になるのはいいことだ。

 

「となると、アレも作れるか」

 

「それは何ですか?」

 

「うーん、ちょっと待ってね」

 

私は紙を二枚用意し、適当に目見当で線を引いていく。

 

「こんな感じで目盛りを刻んだ何かを二つ用意する」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「……間隔がバラバラですね」

 

「対数の目盛りになっているんだ。で、これを例えばこうくっつけるとする」

 

 

【挿絵表示】

 

 

「上の3、6、9と下の1、2、3が対応しているのは?」

 

「わかります」

 

「これは比が等しい」

 

「……なるほど。普通の等間隔の目盛りであれば、ここは差が等しいとなるところですよね」

 

「対数の差は元の数の商……つまりは比になるというのをつかっているわけ」

 

「今までやってきたものがこうなるんですか」

 

「面白いよね。これで積や商の計算ができる」

 

「例えば1と3の比と、2と6の比が等しいので2と3の積は6で、6と3の商は2みたいな形で、ですか」

 

「その通り」

 

私が雑に作ったものだが、ケトは少し弄って使い方を理解したようだった。

 

「5を2で割る事はできますか?」

 

「2と3の間にあるということはわかるよ。それにもっと目盛りを細かくしていけばいい」

 

「そんな便利なものがあるなら、対数表を作る意味はあるんですか?」

 

ケトの言葉に、私は思わず笑ってしまう。

 

「……どうしたんですか?」

 

「いや、確かにそう思っても仕方ないなと」

 

ケトは不思議そうというか不満そうだ。

 

「正確に目盛りを作るためには、どれだけの長さか必要かをちゃんと事前に求めておく必要があるから」

 

「けれども、そこまで正確にできますか?最終的には人の手に頼ることになるでしょう。ちゃんとした表がなくとも、それくらいであればできるのではないでしょうか」

 

「……そうだ。確かに、一つ二つ作るのであればそれでいい。表は助けになるけれども、必須ではない」

 

ああまったく、これは私が悪いな。笑うべきではない。そういう行動は純粋に他人に不満を抱かせるだけだ。意味がない。コミュニケーションのコストはきちんと払うべきだ。

 

「そう、ですよね」

 

「酷い対応をして悪かった。けれども、これをもっと多く作るとすれば?あるいはこの目盛りを刻むもの自体を巨大にしてより精密にやりたいとしたら?」

 

「表は必要になる、と。納得しました」

 

「その通り。そして次の課題は加工精度だ」

 

「どのくらいが必要なんですか?」

 

「細い毛ってわかる?目には見えないけれども、触るとわかるぐらいの」

 

「……ええ」

 

「その太さぐらい」

 

具体的には10マイクロメートル。人間には見分けがつかないほどだ。

 

「そもそも見えないのにどうやって計測を?」

 

「まず見えないというのは間違っているよ。あくまで人の目には小さすぎるだけ。拡大する方法はもう手に入れている」

 

「顕微鏡……。あれおもちゃじゃなかったんですか」

 

「ちゃんと有用だよ?」

 

まあ、確かに今まであまり実用的には使っていなかったけれども。そういや商会はあれの複製を成功させたのだろうか。今度聞いておこう。弁柄のレシピは渡しておいたが。

 

「それと、たとえ区別できたとしてもその通りに加工できるわけではないですよね?」

 

「小さな調整を重ねていけばいい。差を見分けられないほどに加工できれば、それは問題がないということになるんだ」

 

「もし問題が起こるようであれば、それを新しい差の確認方法にしてもいいですよね」

 

「その通り」

 

精密加工、というより精密測定のための技術は一応私の父の専門であった。その蔵書を読み漁って、現場の職人から可愛がられていた時期があるのでここらへんは比較的専門に近い分野だ。一応修士や博士でそこらへんの歴史も触って色々発表もしたしね。

 

「それで、必要なものは何ですか?」

 

螺子(ねじ)……といってわかる?」

 

「螺旋状の溝を彫った棒、ですよね。印刷機とかに使われている」

 

「そうそれ。あれは回転を直線の運動に変換するよね」

 

「ええ」

 

「あれを使えば、運動の大きさを変えられる。大きな動きを小さな動きに変換できるし、小さな差を大きな差として拡大することもできる」

 

「……確かにそうです。となると、螺子(ねじ)を一つ精巧に作れば、そこから精密なものを作ることができるわけですね」

 

「あくまで理論上は、ね。実際はそう優しくはないけれども」

 

この世界では材料の選定から始めなければならないのだ。良質の鋼があるといいのだけれども。

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