図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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舞台裏

「何やってるんですか」

 

「ひいぃ!」

 

いきなり後ろから声をかけられて、思わず大きな声を出してしまった。

 

「静かにして下さい。今は夜中ですよ」

 

ばくばくとする心臓を落ち着けながら後ろを振り向くと、竈の揺れる火で照らされるケトが見えた。視線に胸が痛む。いやこの胸の痛みは感情的なものではなくアドレナリンの過剰分泌によるものかもしれない。まあそれはどうでもいい。

 

「……何かと思えば」

 

私の手元にあった少し端の焦げた紙の束を取って、ケトは言う。

 

「隠しているつもりだったんですか?」

 

並ぶのは、私の世界で使っていた数式たち。授業のためにいろいろと準備していた計算だ。

 

「……怒っている?」

 

恐る恐る、私は声を出す。

 

「そうですね。確かにキイさんがここしばらく夜に起きてなにか作業をしていたこととか、燈油をこっそり買っていたこととか、それに印刷物管理局から紙をまとめて持って帰ってきていたということは知っていましたが、どうして黙っていたのかぐらいは聞きたいです」

 

「……あまり、私がもといた場所の情報を残したくなくて」

 

もちろん良識のある歴史家なら、そんな空想に逃げることはないとは知っている。信じられないようなアイデアを生み出した人がいても、その背後や思想的な連環を辿ろうとするのだ。

 

「どうしてですか?」

 

「どうしてって……、誰も信じないだろうし」

 

「誰も信じないなら、好きに言えばいいじゃないですか。僕は信じますよ」

 

「頭がおかしいって思われたら」

 

「今更ですか?」

 

「そうか……」

 

「そもそも、この地域の一番叡智が集まった場所でさえ誰も知らないようなことを、懐から銅葉でも出すかのように見せてくるのは異常ですよ」

 

「……わかっているよ」

 

「なら、どうして隠すんですか。もし、キイさんがいた場所がキイさんにとって思い出したくないような場所だったというのであればわかります。けれども、そうじゃないでしょう?」

 

「知ってるの?」

 

「きちんとは知りませんが、そこはきっとキイさんが知りたいような不思議と特別なことで溢れていたんでしょう?僕にとって、ここがそうであるように」

 

「……うん」

 

「そこにあったものは、決してキイさんの生み出したものと同一視できるものではないことぐらい誰だってわかってますよ。まさか周りの人が、取り出されたものが全てあなたが何もない所から作ったものだと思っているんですか?」

 

「……本当?なら、どうして私にこんなに」

 

「職人としての腕。人を引き付ける魅力。話し合いを通して、新しい考え方を伝えられること。あとは綺麗で、惹かれるような人物ですから」

 

すらすらと言うケト。まあ、確かにこれらは私のものと言えば私のものだ。

 

「その裏に、ここにはない知識をあらかじめ知っていたというのがあったとしても?」

 

「それがどうしたと言うんですか。読める人の少ない古い本を読んでその知恵を手にしたら、その知恵は本を読んだ人のものになるんですよ?」

 

「……そうかも、しれないけどさ」

 

異世界から来たと公言すれば、まあ少しは騒ぎになるかもしれないが、多くの人はケトと同じ扱いをするだろう。精神がどこか危ない研究者や発明家はざらにいるのだ。

 

「ああ、僕との誓いでも気にしているんですか?」

 

「……そう言えば、あったね」

 

私がこの世界に来て最初の頃。もう二年も前。あの時の血の味を思い出す。

 

「あれは僕を縛るものです。確かに僕はあなたの秘密を守ると誓いました。それでも、何を秘密とするかは言っていないんですよ」

 

「そりゃまあ、私が告白をしたのはその後だったから……」

 

「ええ。秘密でなくなったことは、別に僕は自由に喋れるんですよ」

 

私の中のどこかやましいところが、目の前の相手を縛るために秘密を持っておけと囁く。改めて彼を見上げると、案外背丈がある。まあまだ私のほうが高いけれども。身体に筋肉がしっかりとついているし、会った時の可愛らしさは残しながらも青年らしい顔つきになってきている。いや、別にそういう目でケトを見る必要もないな。私は軽く目を閉じて首を振り、深く息を吐く。

 

「ここにいるべきではない私が、ここを追われる可能性は?」

 

「この城邦は、海を超えて人々がやってくる所ですよ?価値あるものを生み出せるのであれば、受け入れるだけの覚悟と余裕はほとんどの人が持っているでしょう」

 

「いい所だな……」

 

私が客人として扱われなくなってそれなりに経つ気がするが、同僚であったり、信頼できる取引相手であったり、まあそういう目で見られているのはわかる。差別と迫害の歴史を知っている身からすれば、それが特別なことは知っている。奇異の目で見られることもあまりない。確かにケトと肌の色の調子や顔つきは微妙に違うが、それ以上の差異はこの城邦では普通に見られるものだ。

 

「……まあ、別に言いたくないなら特に言う必要はないです。けれども、いつでも言える相手がいることは忘れないでくださいね」

 

ケトは私に手を伸ばす。それを握って、私は立ち上がった。

 

「なら、これは燃やしてしまおうか」

 

私はケトから取り戻した紙の束を竈に放り込む。

 

「あぁ……」

 

悲しそうな声を出すケト。

 

「後で読もうと思ったのに」

 

「大半は失敗した計算だよ」

 

「……もしかして、失敗を隠したかったりします?僕たちの前で格好の良いところを見せたかったとかではないですよね?」

 

「あー……」

 

改めて考えると、その割合は大きかったかもしれない。確かにそれならケトにも計算式を見せたくないわけだ。自分の行動を、第三者から合理的に見られるのはなんとも恥ずかしいというか辛いところがあるが、まあこれも受け入れなければならない痛みだとわかるぐらいには私は自分が大人だと思っている。本当かな。

 

「そうかも」

 

「なら、いいんですけれども。まあ僕はキイさんがどんな人かたぶん一番知っているので頼って下さい」

 

「ならちょっと複雑な算学の理論について話していいかな。規格からずれた製品の数を推定する式の話なんだけれども……」

 

「……努力するので、ゆっくりお願いできますか?」

 

「冗談だよ。そこまでは求めない」

 

「……そうですか」

 

少し悲しそうにケトは言う。ああ、なるほど。私はなんとなく、ケトがここまで数学の授業に付き合ってくれていたのかの理由がわかった気がした。

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