図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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稟議

いつものように目を覚まし、髪が跳ねていないか確認してから雑に櫛で()く。洗髪が定期的にできないのでこうするのだ。幸いにもまだシラミは確認できていない。お湯に浸かりたくはあるが、あんなエネルギーの塊があればもっといろいろ有効活用するべきだ。排熱利用ならいいかもしれないが、まだそんな熱を出すものはない。

 

そうしてケトが部屋にいないことに気がついて、今日は管理局を休みにさせられていたのだと思い出す。ため息を一つ。まったく、自分の管理もできないとは私も酷いものだな。そりゃあまあ全てを一人でするのは無理だし、隣にいてくれる人は大切だけどさ。

 

「……帰ってくるまで、どうしよう」

 

ひとまず身体全体を動かしておく。バキバキと鳴る指と首。ケトが出ていったのが日の出直後だとすると、だいたい1時間、15刻ぐらい前か?24時間定時法でまだ考えてしまうので日時計ベースのこの世界の生活リズムは難しい。まあ、いっぱい寝ることができる冬も近づいているからいいとしよう。

 

そうだ。ケトがいないなら作業机を見てやろう。私の紙が乱雑に積まれた机とは違って、ケトの卓上は綺麗に整理されていた。衙堂の書字長が監修した事務文書作成の手引、厚紙のフォルダ、予備のペン先も入っている革製の硝子筆(ガラスペン)入れとインク壺。さて、と。フォルダの中を見てしまおう。権限的には全く問題はないはずだ。ケトのことだから、もし私に見られたくないものがあればここには持ち込まないだろう。秘密というのは自分を守るために大切なのだ。そこに突っ込むのはいい大人のすることではない。

 

実験の報告。図書納入の報告。予算利用の申請。あ、私ではなく代理としてケトのサインがある。稟議制の亜種みたいな承認フローだ。上の方に書類を回していくというやり方は確かに時間はかかるし、責任の所在はいいかげんになる。しかし誰でも意見を出せるようになるし、システム的に合意形成を組み込めるというのは大きい。私の場合、部下の権限を大きくしつつそこで判断できない案件であれば私かケトの承認があればいいことになっている。少人数ならいいが、これ以上大きくなると難しいところだ。まあ稟議はちゃんと階層を形成すれば人数に対して $O(\log n)$ の時間で済むのだが。

 

っと、そんなことをしていると扉が動く音がする。

 

「起きましたか?」

 

「うん。ちょっと見せてもらったよ」

 

私はファイルと丁寧に戻す。順番と向きは変えないように。ケトがそれで覚えているかは知らないが、私は机の上のものを三次元的に捉えて記憶しているので。だから少し誰かに物を動かされると探し直すのに手間がかかるんですね。

 

「ええ。基本的に今日のうちに手続きが必要な案件はなかったので、今日は一日ゆっくりして問題ありません」

 

「問題発生時は?」

 

我々の活動はマーフィー則に従う系であるので、大抵予期していないことが起こる。それも準備していない時に。

 

「その場の班長の合議で。どうしようもなければ城邦内を探せと言ってあります」

 

「ならいいか」

 

私は背中を伸ばす。

 

「で、何をする?」

 

「何をしましょうかね。キイさんを仕事というか作業から引き離すのが目的だったので」

 

前にもこういう事があったな。まあ、私は別にいいけど。誰かに誘われるのは正直あまり得意ではない。誰かを誘うのはもっと苦手である。

 

「寝台の上でだらだらとしてもいいけど」

 

「……ええ、けれどもご飯を食べに行きませんか?」

 

「そういえば、そうか」

 

「もう昼も近いですし、多めに食べてもいいかもしれませんが」

 

「お腹、空いているの?」

 

「……はい」

 

「なら、いっぱい食べようか」

 

そんな話をしながら私は手早く身支度をする。靴もそろそろ鉄板を仕込んだほうがいいかな。工作機械を触るようになってくると足元の安全確保は重要になってくる。ああ、確かにケトが言うように仕事から離れると視野が広がるな。結局考えていることは仕事になるのだが。

 

扉を閉め、閂をかける。慣れていないと扉の裏側を見ずに開けられないので、ちょっとした防犯になっているというわけだ。ここらへんで何かが盗まれた噂はないのでたぶん問題はないが、ある程度以上のセキュリティが必要なら警備員が常にいる場所が必要だ。まあ、確か商会の倉庫とかには不寝番がいるはずなのでそういうところがいいのかな。

 

「別にキイさんの作ったものが日常をすぐに変えるわけではありませんけどね」

 

屋台への通りに向かいながら、ケトが言う。

 

「案外、見えるところでも変化はあるんですよ」

 

「と言うと?」

 

「ほら」

 

ケトは視線を路地の本売りに向ける。同じ装丁の巻物が何冊か山になって売られている。そもそも本はそれなりに高価でこんな売り方をされているのは図書庫の城邦ぐらいのものらしいが、それでも今までは同じ本をこうやって売る事は稀だったはずだ。たしかこれは算学の教本だったかな。最近は刷られる本も多くなってきたのでちゃんと読むのも難しくなってきている。

 

「……そういえば、市場流通書籍数の報告があったな」

 

「あまり仕事の話はしないようにしましょう」

 

「ケトくんが始めたんだよね?」

 

そう私が言うと、逃げるようにケトは目をそらした。

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