図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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旅行

慣れない寝台で目を覚ます。ケトはまだ意識を戻していない。寝ぼけた頭で、今後の方針を考える。

 

大抵のものはそうだが、工作機械の歴史も積み重ねられた改良によって支えられている。もちろん名前が残るような人物も多い。ジャン・マリッツ、ジョン・スミートン、ジョン・ウィルキンソンといった中ぐり盤開発の流れ。ジョセフ・ブラマー、ヘンリー・モーズリー、ジョセフ・クレメント、ジョセフ・ホイットワースによる規格化生産の系譜。けれども、それ以上の多くの私の知らない人々によって加工技術が培われてきた。

 

問題はここだ。私一人が見てくれだけはそれらしい工作機械を持ち込んでも、それを使いこなす事はできない。経営的にはあまり専門的な技術が必要となるのはよろしくないが、それでも一定の技術は要求される。一応これでもそれなりに加工の経験はあるので、一台作るだけであればどうにかなるだろう。それらをある程度の台数用意し、かつ十分な精度をもたせ、それぞれで互換性のある部品を作るとなると話は別だが。

 

最初から規格化を考えている分、職人の反発などは少なく抑えられるだろう。開発のスパンが長いとその作業方法に慣れてしまった人が生まれ、新しい技術導入の弊害となることは珍しくない。これについては異世界知識でリードしている分労働者への還元率を多くできるというメリットで多少は相殺できそうではある。とはいえ労働者と経営者という安易な二項対立を構築すると、結局鉄鎖の他に失うものがなくなったプロレタリアが世界をめちゃくちゃにしてしまう。労働組合を用意するか、あるいはレールム・ノヴァールムのように宗教に訴えるか。まあこういう問題は生活水準を向上させようとすれば不可避だし、他者の不幸を見過ごすべきではないという私の倫理的規範に従うと立ち向かわねばならない問題だ。

 

本題に戻ろう。一度力をつけたものはさらなる力を手にできる。富めるものは更に富み、貧しいものは持っているものまで奪われる。私という力を巡って、面倒な駆け引きが行われるのは正直なところ、嫌だ。対立は情報の共有を妨げて、新しい知識が生まれることを阻害する。とはいえ相手と協調するためには信頼が必要だ。何を使って相手からの信頼を勝ち取るべきだ?私にはすぐに公開できる手札はあまりない。冶金学のレベルが掴めていないから、具体的なアイデアを出すのも難しい。

 

「……ケトくん、起きてる?」

 

「ええ」

 

呟きに返事が帰ってきて驚いてしまう。

 

「起きてたんだ」

 

「質問したのはキイさんでしょう?」

 

そう言いながらケトは身体を起こす。

 

「もし私が鋼鉄の尾根に行くとしたら、ついてきてくれる?」

 

「いいですよ」

 

「少しは悩んだら?」

 

「キイさんが一人でどこかに行くの、危なっかしいので……」

 

「失礼な。これでも色々旅はしてきたんだよ」

 

まあグランドツアー代わりにヨーロッパの産業博物館を巡ったり、アメリカで開催された国際学会に出たり、大学時代の同級生に誘われて南米に行ったりしたぐらいだが。いやちょっと危ないことも多かったな。うん。ケトは連れて行こう。

 

「金属加工は今後重要になる。半年かそこら、旅行も兼ねて色々見てみるのはどう?」

 

「悪くないと思いますが、安全ですか?」

 

「私を人質にする」

 

「……何か本末転倒な気はしますが」

 

「まあね。向こうで働き口があればいいんだけどな」

 

「一応、暮らすぐらいなら貯金がありますよ」

 

「……そんなに溜まってる?」

 

「ええ」

 

まあある程度の高給取りで、二年ほど働き詰めだったのだ。散財する余裕もなかったし。普通はもっと接待とかをするらしいのだが、私の場合はまだここに来て日が経っていないとかあくまでしがない中間管理職だとかいう名目でごまかしているからな。まあそれを許してもらっているのはありがたいと思おう。

 

「よし。向こう側に話をしてみよう」

 

やり取りの往復で数月はかかるだろう。準備には十分だ。

 

「印刷物管理局の仕事は?」

 

「優秀な局員は育っているでしょ?」

 

「確かにそうですね」

 

本当は出向ではない、ちゃんとした固定の職員が欲しかったがこの図書庫の城邦における流動的な職業制度とは噛み合わない。まあ、組織への忠誠を過度に求め過ぎるのもあれか。プロフェッショナルとしての仕事を期待しよう。

 

「ただ、行くかどうかは今後向こうがどう動いてくるかによるね」

 

「表向きは貿易に来た、でしたっけ」

 

「……待って。剣を売るって言っていたよね」

 

「ええ。兵の話でしょう」

 

「あー……、比喩表現?」

 

「忘れていましたが、そうです」

 

なるほど、説明の歯切れが微妙に悪いわけだ。私の知る歴史でも、戦争において傭兵が大きな割合を占めていた時期は長かった。この世界の技術水準と政治状況を鑑みると、やはり傭兵が国際情勢に与える力は大きいのだろう。

 

「図書庫の城邦が、どこかの戦争に関与する?」

 

「可能性はあります。ただ、取引相手は誰になるのか……」

 

ケトが考え込む。そういえば、確かに商談があるはずだ。まあツィラさんが知っているだろう。

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