図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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利益

「また急ぎの誘いだね。まあいいけど」

 

管理局に出勤すると、長髪の商者の息がかかっている局員から声がかかった。今日の夕方、ある商談に顔を出してほしいそうだ。

 

「……個人的には、無茶だとは思うのですが」

 

申し訳無さそうに言う局員。

 

「時間なら問題ないよ、暇とまでは言わないが」

 

「いえ、あの人が『鋼売り』と取引しようとしていることについてです」

 

私は相手の表情を見る。不信と呆れ、それと不安か。難しいところだ。まあ私の表情認識能力はいい加減なのでこの印象を信用するべきではないが。

 

「……理由を聞かせてもらっていい?もちろん答えられる範囲でいいけど」

 

「構いません。この取引のために、長髪の商者はかなり無茶を重ねています。本来であればしっかりとした相手と行うべき取引を、素性不確かな人物を経由して行っています。鋼の生産においても、彼等と組まずに自分たちでやってしまえばいいのに」

 

「詳しくは知らないけど、こちらだけで生産を完結させてしまえば鋼売りと敵対することになるのでは?」

 

「あそこも一枚岩ではありません。手を組むよりも、切り崩すようにしていくべきかと」

 

「……私は専門外で、手持ちの情報も少ない。それを前提に話をしてもいい?」

 

「もちろんです」

 

私は呼吸を整える。

 

「冶金はどうしても多くの専門家が必要になる。私たちの方で必要な人材を育てるだけの時間がある?そして、直接商業的に勝てなくなった相手が自分たちの利益を守るために別の方法を取ってきたら?」

 

「切り捨てればいい」

 

「簡単に言うね……。まあ、それも答えの一つとして考慮すべきだということは間違いない」

 

「自分の意見が過激に過ぎているというのであれば認めましょう」

 

「いや、君の考えはむしろ当然に近いな」

 

というより私のような利益を優先しないやり方のほうがおかしいと言えばそうである。おい長髪の商者。なんで私と同じ側に立っているんだよ。

 

「過激なのはこちらのほうだよ。確かに一定の需要しかない状態では、こちらが安く作る技術を独占してしまうのがいい。ただ、安い鋼が手に入るなら、鋼が求められる量自体は増大しないか?」

 

「するでしょうね。そうすれば互いに利益を得ることはできます」

 

「ではなぜ反対を?」

 

「早急な取引は、こちらの弱みを示すようなものです」

 

「ああ、確かにそう受け取られてもおかしくはない。ただ、同時にこちらの余裕を示すものでもある」

 

「……相手がどう認識するか、ですか」

 

よし。問題が特定できた。ここの部分の食い違いが原因だな。

 

「商慣習の問題かもしれない。鋼鉄の尾根において、こういう行動は拙速だと捉えられそう?」

 

「わかりません。強いて言うなら相手が強く出る隙を与えるように思います」

 

「……少し待って」

 

ゲーム理論で言うシグナリングゲームに当たるか。こういう時に有効な戦略の一つはコストの掛かるシグナルの送信だよな。

 

「向こうが名誉と実利、どちらを求めるように思う?」

 

「……名誉、というより信用かと。あくまで彼等は名代であって、鋼売り全体に対する名誉を守る必要があります」

 

点数配分が変わるな。まあ私の思考は結構いいかげんだが。

 

「なら、双方にとってある程度得になって、向こうが断りにくいような形に持っていけない?」

 

「……だとすれば、こちら側が礼を尽くしているということをきちんと相手に伝えるべきでしょう。……報告したほうがいいですね、これは」

 

「そうだね。私を出すこと自体が相手に対してどう受け取られるかを調整できるようにした方がいい」

 

「わかりました。今日はもう退勤させて貰いますね」

 

「どうぞ。あの人によろしく」

 

局員が去ったのを確認してから横を見ると、ケトが難しそうな顔をしていた。

 

「どうしたの?」

 

「難しいことをしているなと思いまして」

 

「そう?」

 

利益を与えることを相手からの誠意と見るか譲歩と見るかは文化的背景に影響されるなんて話をどこかで聞いた気がする。これが食い違うと「いきなり敵対した」であったり「誠意を裏切った」となるので恐ろしい。もちろん長髪の商者は専門家ではあるだろうが、複数の意見があるに越したことはない。

 

「まあ、仕事を奪ったと恨まれるのも嫌だからね……」

 

「そういう経験があるんですか?」

 

「知識だよ」

 

デトロイトの治安悪化とそこからの回復は確かに特筆すべきだが、そもそも日本車がなければ治安は悪化しなかった。もちろん資本主義社会におけるコラテラル・ダメージなのかもしれないが、そもそもこの世界には資本主義なんてものはまだはっきりとは存在していないし存在させねばならない理由もない。避けることのできる面倒は避けるべきだ。

 

「これは私の考えだけど、人間はそれなりに幸せになるべきなんだよ」

 

「だから、譲歩するべきだと?」

 

「こちらに余裕があるならね」

 

お人好しと言われてもまあ仕方のない判断である。しかしながら、知識を持っている側としては別に舐められたところで何かが変わるわけではないのだし、きちんと誠意を持って対応してくれるのであればこちらとしては持っているものを見せるだけだ。私がそういうルールで動いていることを相手に伝えるのは道義的責任だとしても、それで向こうがどういう選択をするかまで決める権利はこちらにはないのだ。

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