一方の端を焼いて閉じた私の身長の半分ほどある
「あっ」
「どうしました?」
「空気の泡が入った」
落ち着いて、軽く
「それにしても、今日は寒いですね」
「だからこの実験をするんだけれどもね」
液体の蒸気圧は温度が下がれば下がるほど小さくなる。そしてこの関係は確か狭い範囲では温度変化に対して指数関数的だったはずだ。詳しいデータは覚えていないが、まあ寒い日であれば水銀の蒸発を抑えられるということでいい。
「暑い日には水たまりがすぐ消えるようなものだと考えればいいですか?」
そういう事を雑に話すとケトは比較的すぐ理解してくれたようだ。
「だいたいそう。空気が湿っているか乾いているかも関係してくるけど、普通の空気は水銀で湿っていない……と言えばいいかな、そういう状態にあるから考えなくちゃいけないのは温度だけ」
そして水銀に直接触れないように木製のちょっとした道具で
さてさて、楽しい実験の時間だ。銀色に光る
「いくよ。管の上部をよく見ておいて」
ケトが頷いたのを確認して、私は水銀溜まりと管内の水銀を遮る木片を取る。すると、
私たちは直感的に原因と結果を近づけようとする。例えばストローで水を吸うと管内の水が持ち上がるのは、口の中の空気が「薄くなった」ので、「水に対する引力が生まれた」と考えるのだ。実際は違う。物理学はなんとも非直感的なのだ。
Horror vacuiというラテン語の言葉がある。アリストテレスの系譜が持つ自然観の一つで、日本語では「自然は真空を嫌う」という言葉で知られている。自然という語がどこから来たかって?確か「ガルガンチュワ物語」で巨人ガルガンチュワを描いたフランソワ・ラブレーが足した。まあこれは本題ではない。自然は真空を嫌うので、真空が生まれないようにポンプで空気を吸い出すと水が上昇する、とガリレオ・ガリレイは考えた。しかし水を汲み上げるポンプは、10 m程度水を吸い上げるだけで限界を迎えた。
1643年、エヴァンジェリスタ・トリチェリとヴィンチェンツォ・ヴィヴィアーニによって私がやっているのと同様の実験が行われた。二人ともガリレオ・ガリレイの弟子で、科学における実験の先駆者と呼んでもいい時代の人だ。目的の一つは、アリストテレスのモデルの否定。あるいは水を吸い上げることで上昇する時の力が吸い上げる側ではなくその外側にあることを示すため、と言い換えてもいい。
日頃私たちは意識しないが、上を見上げれば大気の層が存在する。空気の密度は小さいが、その厚みが数十キロメートルあるおかげでかなりの圧力が生まれる。この圧力こそがストローで水を吸う時に私たちの口の中に水を運び込む力の源なのだ。ではその力よりも液体にかかる重力のほうが大きければどうなるだろうか?水柱は大気圧が支えられる高さまで落ちる。水であれば10メートル、密度の大きい水銀であればおよそ760ミリメートル。だから長い
「ここで管を傾けていくと……」
徐々に上の部分の空間が小さくなり、最終的に上の部分まで水銀が埋まった。
「触ってみていいですか?」
ケトが言う。
「いいよ。ただ、割らないようにね?念のため私が補助で持っておく」
「ありがとうございます」
興味深そうに
「水銀の上面の高さは変わらないんですね」
「正しくは、水銀溜まりの上面と
「確かにそうですね。この水銀溜まりごと上に持ち上げても水銀が低くなるわけではないでしょうし」
「一応、少しは変わるよ」
「ああそうか、上に乗っている空気の厚みが変わるのか……」
ケトはなんとか目の前の現象を理解しようとしている。まあ、色々やってみるといい。そういう真理への探究心というのは大切なのだ。しかし私は実務派なので、求めるものが異なる。この上部にできている真空が、つまりは熱電子を阻害しないほどの密度でしか気体分子が存在しない空間が真空管には必要なのである。