図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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雑種

よく通る声で、炎の前に立つケトの言葉が響く。……全くわからない。周りの人の反応からするに、これはこういうものなのだろう。私だって葬式の時に読んだお経の意味がちゃんとわかっていたわけではないし、スワヒリ語の主の祈りの意味を意識して歌っているわけでもない。それでもなんとなく凄さが伝わればいいのだ。私のような宗教観がいい加減な世界の人間にとって、祭事とはそんなものである。

 

「それでは、続けて言ってください。█████ █████ ██████████*1

 

「「「█████ █████ ██████████」」」

 

少し油断していたら何やら全員が声を合わせてなにかを言った。キリスト教の祈りにおけるamen(然り)とかのようなものなのだろうか、と思ってケトを見る。

 

「███ ████████ ██████████ ██████*2

 

「「「███ ████████ ██████████ ██████」」」

 

ふむ。定型文のようだ。そうして、祭りが始まった。日は傾いていた。

 


 

人だかりから少し離れた場所で、焼かれた肉をかじる。硬い。昔どこかで食べたイノシシの味を思い出す。

 

品種改良の歴史は長い。地球における人類史では一万年以上前から始まっていると言える。ただ、それが何をしているのかに自覚的になったのはもっと後だろう。チャールズ・ダーウィンが「On the Origin of Species(種の起源)」を発表したのは1859年、グレゴール・ヨハン・メンデルの「Versuche über Pflanzen-Hybriden(植物雑種に関する実験)」が論文として投稿されたのが1866年。逆に言えば、それまでは品種改良はなんとなくで行われてきたのだ。動物における雑種はともかくとして、F1品種、雑種第一代が大規模に農業で使われるようになったのは確か20世紀初頭だったはずだ。そしてそれは百年ちょっとで様々な作物で活用されるようになっていた。私が食べていたような肉も、例えば豚肉ならまず間違いなく雑種だったはずだ。三元豚ということはF2になるのかな。

 

「そんなぼんやりと何を考えているんですか?」

 

ケトが私に声をかけてくる。

 

「ああ、少しおいしい食べ物についてね」

 

「……なるほど」

 

「ああ、別にここの食事が美味しくないわけではないよ」

 

「それは見ればわかります」

 

私の手元にある肋骨にケトが目を向けながら言う。うん。久しぶりのタンパク質をおいしく食べていたのだ。少し多かったかもしれない。

 

「……僕たちはあくまで部外者なので、程々にしてくださいね」

 

「そういう君も結構食べていない?」

 

「緊張したんですからいいじゃないですか」

 

そう言って笑って、私たちは座り込んだ。

 


 

「で、これは?」

 

私が蝋板にしていた落書きをケトは視線を向ける。

 

「んー、なんて言えばいいかな」

 

私は少し悩んで、説明に使う語彙を探し出す。

 

「親から子に、伝わるものについて」

 

「伝わる……」

 

私は目を上げて、人々を見る。ウェーブのかかった巻毛と直毛では、巻毛の方が多いだろうか。ケトは直毛だ。少し言葉を集めた後、私はケトに質問をする。

 

「質問だけど、直毛の両親から巻毛の子供が生まれることがあるかい?あるいは巻毛の両親から直毛の子供が生まれることはあるかい?」

 

「巻毛の親から直毛の子供が生まれるのは見たことがあります。さっき僕と話していた女の子を覚えていますか?」

 

「うん」

 

「あの子はそうだったはずです。ただ、その父の父と母の母は直毛でした」

 

「逆は?」

 

「……ぱっとは、思い出せませんね」

 

「直毛と巻毛が本当にそうかはわからないけど、私の知っている面白い話があってね」

 

蝋板にペンを走らせる。

 

「子供は両親から言葉を受ける。それは今回の例であればこうなるかな。『君は巻毛になれ』、あるいは『君は巻毛になるな』と」

 

「両方から巻毛になれと言われれば巻毛になり、両方からなるなと言われれば直毛になる……では、もし違うことを言われたら?」

 

「そのときには、『巻毛になれ』という命令のほうが顕れる。そして、『巻毛になるな』という命令は潜ってしまう」

 

ケトは私が書いた模式図を見て、しばらく黙っていた。

 

「……質問をします」

 

「どうぞ」

 

「もし違うことを言われた子供が親になったら、その更に子供にはどういう言葉が送られるんですか?」

 

「ここが大事なところ。その言葉のうち、どちらかが渡される」

 

「……ああ!」

 

ケトが少し大きな声を出した。

 

「つまりあの子の両親は、どちらも違うことを言われていた。そして潜った方の言葉を受け取った。それで、『君は巻毛になるな』と両方から言われたんだ。父親も母親も、『君は巻毛になれ』という命令を守っていたのに」

 

驚きたいのは私の方だ。メンデルの法則で示されたような遺伝子の粒子性をこんな簡単に理解できるものなのか?私の喩えはそこまで上手いとは思わないし、正直もっといい語彙はあったように思うのだが。

 

「……これは、僕たちだけの話ですか?」

 

考えているらしいケトが呟くように言う。

 

「と、いうと?」

 

「麦も、こういう草も、動物も、()えるものはある程度親に似ます。それは、言葉を受け取っているからですか?」

 

「うん。もちろん、本当の言葉ではないよ」

 

「……形が、ありますか?」

 

「うん」

 

「あー……そういうこと、ですか。ともかく、面白い考え方ですね」

 

「信じないのかい?」

 

「証拠がありません。実は僕が知らないだけで、本当は直毛の親から巻毛の子供が生まれる例もあるかもしれない。そうすればキイさんの話は間違っていることになる」

 

反証可能性だ。科学的理論は、何らかの実験結果によって否定できる必要がある。実際、メンデルの法則は多くの例外を持つ。ただ、メンデルの法則が素晴らしいのはその例外すらも取り込んで説明できる遺伝子モデルの母体となったことだ。

 

過去の研究を、新しいデータで否定すること、あるいは補強することは科学の本質だ。権威主義的過ぎては、先人の意見をそのまま鵜呑みにするしか無い。アリストテレスやヒポクラテスが科学史において大きく扱われていたのは、それ以降長い期間権威として祭り上げられてしまったからだ。もしその後も自然哲学への探求が進んでいれば、後世には彼らも一哲学者に過ぎないとして私が知っているよりも軽い扱いを受けていたかもしれない。

 

案外この世界には私の知っている科学を育める下地があるのかな、と思う私の顔をケトがのぞき込んでいた。

 

「気を悪くしたようなら、すみません」

 

「構わないよ。むしろ嬉しいぐらい。挑戦は大切だから」

 

「……よかった。ところで、キイさんは踊れますか?」

 

気がつくとかなり空は暗くなっていて、火が燃え上がっていた。歌いながら踊る人たちが見える。独特の節をつけて、楽器なしに歌う声が聞こえた。たまに知っている単語が交じる。

 

「あまり上手ではないんだ」

 

「もし僕が教えたら、踊ってくれますか?」

 

「……いいよ」

 

面倒なことを考えるのは少しやめよう。覚えていることを活用するのもいいけど、何かを学ぶことも同じぐらい大切だ。私はケトの手を取って、立ち上がった。

*1
神々よ、我らの収穫を汝に捧ぐ

*2
また次の年にも恵みをもたらし給え

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