図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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暗箱

「……かなり奇妙な薬品を使うな」

 

私が書いたメモを見ながら薬学師のトゥー嬢は言う。

 

「日に焼ける薬を使うことで、光の形を写し取る……と考えればいいか?」

 

「そうです。問題は今の硝子(ガラス)加工ではあまりいい光学的特性を出せないことで」

 

私は簡易的に作った暗箱を見せて言う。箱の側面にレンズを取り付け、外の光を取り込めるようにしたものだ。内面に外側の景色が反転して映るのだが、どうしても中心部以外はボケてしまう。

 

「……詳しくはないが、どういう理屈か聞いてもいいか?」

 

「構いませんよ。今日は色々持ってきたので」

 

久しぶりにトゥー嬢と話せるのでワクワクして準備はちゃんとしてきた。最近互いに忙しかったから会えなかったのだが、トゥー嬢が忙しいのは私のせいだという気がしてならない。

 

硝子(ガラス)を通る光が歪む……というか曲がるのはいいですか?」

 

「ああ」

 

「その曲がり具合は色によって異なります」

 

磨いた硝子(ガラス)の三角柱を細く日の差し込む場所に差し入れると、内部で起こった屈折によって分光が起こる。そうして床に赤から紫までのグラデーションが現れるのだ。

 

「なるほど。虹も同様の原理で現れるのだろうな」

 

「おや。その分野は知りませんが誰かが書いています?」

 

「どこで聞いたか思い出せないが、虹は常に太陽を背にして霧の中に現れるということから霧が作る『色の影』であるということを言っている人がいたな」

 

なかなかしっかりした理論だ。確かイブン・アル=ハイサムもこの手の研究をしていたはずだが、詳しくは覚えていない。

 

「本来行けない場所へと通じる橋だ、という話もありますね」

 

ケトが床のスペクトルを奇妙そうに撫でながら言う。猫っぽいな。まあわかるよ。気になりますよね。

 

「神話?」

 

「の、ようなものです。信じると人生は楽しくなるでしょうが」

 

この世界では迷信はある種肯定的に捉えられている。まあもちろん盲信であるとか固執とかの域になる例も多いが、それは私がいた世界だって普通にあったことだ。いやむしろ無害な物語がなくなったぶん厄介になっていたかもしれない。迷信が根拠がない架空のものであるとわかった上で、その価値を認めるというのは合理的なのかなんなのかわからないが、嫌いではない。実際、ケトも地域によって異なる聖典をいくつか諳んじられるほどの知識があるが、日常的に口にする祈りの文言であるとかある種のタブーを避ける行動だとか以外は特に熱心に祈りを捧げているみたいな宗教的要素が見られない。まあ、神宮寺とか鎮守社という海外に対する説明に困る文化が基盤に混じっているかつての世界の平均的日本人ぐらいには敬虔なのだろう。別に他人にそこまで迷惑をかけず、地域共同体でやっていける程度のものであれば確かに宗教はいいものである。少なくとも博士課程よりは心の平穏が多少は得られる分マシだ。

 

「まあ、それでここに使われている円盤状の硝子(ガラス)……透玉(レンズ)と呼んでいる部品の形状が問題になってくるのです」

 

「単純に磨いただけに見えるが……、いやここまで綺麗に磨くのはかなり大変か」

 

「球面ではないんですよ。もし幾何学的に整った形状であればある種の機構を使って磨けるのですが」

 

「光が通る場所によって曲がり具合を変え、それらが適切な方向を向くように設計する必要がある……と考えればいいか?」

 

「その通りです」

 

理解が早くて助かる。本来これは物理学とか光学の範囲なので、専門外のはずなのだが恐ろしい速度で把握してくるな。怖い。やっぱりこういう人と話すのは楽しいが、それは相手にコミュニケーションのコストを支払わせているということの裏返しでもあるので注意しないと。

 

「で、ここで問題が起きます。全ての光を一点に集めることはできないのです」

 

「……そうか?各部分の形状をうまく一点に収束するように調整すれば……」

 

「色ごとに曲がる角度が違うんですよ」

 

「……なるほど。それは無理だ」

 

「本当ですか?」

 

私たちの会話を聞いていたケトが横から口を挟む。

 

「なにか面白い解決策が?」

 

「一つではなく、複数の透玉(レンズ)を組み合わせては?」

 

「うん。それである程度は解決できる。更に異なる硝子(ガラス)で作った透玉(レンズ)を使えば、ほとんどの色を一点に集めることができる。ただ作るのは大変だし設計は手間だしで、そこまでしてやる意味があるかどうかはちゃんと考えないといけない」

 

なお例外になりそうなのは札束をぽんと出すカメラ業界であるとか縮小投影型露光装置(ステッパー)とか。一応精密測定とかが噛むので専門書に目を通したことがあるが、やばい業界だなと思った。

 

「……ただ、別に単純な透玉(レンズ)でもなかなかいいじゃないか」

 

そう言いながらトゥー嬢は暗箱を覗き込む。

 

「ここに光に焼ける薬品を塗った板を()めればいいのだろう?」

 

「そうなります。一応私の覚えている限りでの調薬は先程渡した通りです」

 

「……後でゆっくり試そう」

 

「ありがとうございます」

 

試行錯誤が必要になりそうな案件だ。トゥー嬢の根気についてはよく知っているので、なんとかなるといいが。

 

「ところで、なぜ今これを?」

 

「少し遠くに行くので、その時に近況を手紙以外でも知ることができればと」

 

「一つ作るのに相当な手間がかかるだろ、絵でいいのでは?」

 

「……手段が多い分に越したことはないですよ」

 

「そうかもしれないな。ただ、これはもし実現すればかなり色々と変わるんじゃないか?」

 

「たぶんそうですね」

 

具体的な発展例が多すぎて、写真の実現による影響をちゃんと評価することはできそうにない。問題はこれが印刷カウントされて管理局の案件になることだが、もしそうなってもその頃には海の向こうだ。まあしばらくしたら返ってくるので先送りにしかならないか。

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