図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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切断

多少歪な丸形をした、それでも指の半分ほどの均等な厚みを持った硝子(ガラス)板が手に入った。あとはこれを規格通りの大きさに切るだけである。

 

「これでいいはずだが」

 

注文していた品を見せながら、馴染みの工師は言う。今まで細々とした道具を頼んできたのもあって、これぐらいなら問題なく頼れるようになった。

 

「ありがとうございます」

 

使うのは浸炭処理をした炭素濃度の高い鋼だ。ある程度この世界でもノウハウのある材料なので安心だ。

 

「それにしても、こんな鈍い刃で切れるもんなのかね」

 

工師はそう言って工具の先端を光にかざす。普通の刃というのは先端が(くさび)形、鋭角となっているがこの工具ではそれがかなり広がっている。目見当で135°にしておいた。まあなんとかなるやろの精神は重要である。

 

硝子(ガラス)板を切るというより、これで傷をつけて割るとか割くとかとでも言うべきように二つに分けるんです」

 

楽しい破壊力学のお時間である。20世紀前半に固体内の結合エネルギーの研究が進むと、理論的に予想される強度が実際の強度よりも桁違いに高いことが明らかになってきた。逆に言えば、私たちが日常的に触れる物質はかなりもろいのである。この理論と現実の間をどうにかしようとしてアラン・アーノルド・グリフィスを始めとする研究者が色々とやった結果、どうやら傷がある時にそこに力がかかるのだということが見出されたのである。

 

逆に言えば、表面に傷をつけておけばそこから亀裂を生じさせることができるということでもある。これを利用したのが硝子切(ガラスカッター)だ。

 

「さて、と」

 

私は少し薄めの革で作った手袋をはめる。一応角が割れたら危険だしね。革細工のいい店を知っていてよかった。ちゃんとぴったりはまるし、指を動かしても引っかからない。そうして一定の角度になるように補助具をつけた硝子切(ガラスカッター)硝子(ガラス)に当てる。

 

「うぇ……」

 

一定の力ですーっと工具を動かすと、それを見ていたケトが嫌そうな顔をした。

 

「どうしたの?」

 

「嫌な音で……」

 

ああ、確かにこの音は嫌いな人が多そうだよな。というより本来物と物とが擦れる音を察知できるようにその周波数帯を聴き取れるように内耳が発達して、その範囲の鳴き声を警戒音として使っていた時代の名残、とかあったな。まあ進化とかの話をあまり目的論的に解釈するべきではないというのはともかくとして。

 

「耳をふさいでいたほうがいいよ。私は慣れているからいいけど」

 

傷を入れたのと逆の方から工具の柄で硝子(ガラス)板を軽く叩く。少し割れ目が広がってきたな。

 

「で、これで割れる」

 

折るように力を入れると、あっさりと板は2つに分かれた。後はこれを繰り返して長方形の板状に切り分けていくだけだ。

 

「キイさんはどうにも変なところで鈍感ですよね……」

 

「そんなに耳が悪いように思える?」

 

「いえ、そういう意味ではないですが」

 

「そう」

 

「言い方を変えるなら、あまりそういう感覚に頓着しない……?」

 

色即是空を理解するほど執着(しゅうじゃく)を捨てたつもりもないのだが。

 

「まあでも、何かを不快に感じるのは面白くないから」

 

「かといって悪食なのは……いえ、食べれるのならいいですか」

 

そういえば私は昔からあまり好き嫌いはなかったな。栄養補給の際の味わいはQOLを上げるので感覚がないわけでは無いが。

 

「それで、この板を何に使うんですか?」

 

「風景を写し撮るために使う」

 

「ああ、前にトゥー嬢に見せていたあの箱の」

 

「そうそう」

 

コロジオンを使う湿板でもゼラチンを使う乾板でも、どっちにしろ硝子(ガラス)は必要だ。フィルムはまだ少し先。セルロイドに使う可塑剤の樟脳がないのだ。とはいえ独特の匂いがする木材はあったし、香油らしいものが売っているのも見たことがあるのでピネン誘導体の加工とかで作れなくはないはず。これはまあ別に私がやる必要はないな。

 

「……そういうものが生まれたら、画家はいなくなるのでしょうか」

 

「うーん、私のいた場所の話ならできるけど」

 

そう言って私は周囲を確認する。誰もいない。さすがに盗聴器は仕掛けられていないだろう。念を入れるのであれば移動しながら話すべきであるが、まあ別に聞かれたところで追加の情報を向こうに渡すわけではない。

 

「鏡に映るように景色を、人を、街を写し撮ることができたおかげで例えば肖像を書く人は減った。けれども、それは裏返しとして人をわざわざ使って描かせられるほどの地位を象徴するものになった。それに絵でしか表現できないものに目を向けた人たちもいた」

 

「面白いですね」

 

まあ印象派の発展にはジョン・ゴフ・ランドのチューブ入り絵の具の発明とかも関わってくるだろうが、あくまで流れの一つとして。

 

「技術がどう受け入れられて、どう活用されていくかは私にもわからない」

 

「かつていた場所で例を知っていても、ですか?」

 

「地域によっても、時代によっても、同じ技術を異なる方法で受け入れるのはよくあることだよ」

 

「……確かにそうでしょうね。拒絶する人も、溺れる人もいるでしょう」

 

「実際はほどほどのところに落ち着くけどね」

 

とはいえ、その平衡解に到達するまではどうしても不安定だ。それを大惨事にならないように多少横からちょっかいを出すぐらいであれば許容範囲だろう。

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