図書庫の城邦と異哲の女史   作:小沼高希

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偏角

夜明け前ぐらいのタイミングで、雨音に目を覚ます。背嚢の中から蝋引きの外套を取って甲板に上がると、涼しいというより冷たい風とともに雨が降り込んできた。

 

「キイさん」

 

後ろからケトに声をかけられる。私と同じような防水の外套を着ていた。結構ごわごわするが、北の寒い地域に行くなら必要だとして手に入れたものである。

 

「どうした?」

 

「いえ、これでは星を見れそうにないですね、と」

 

「仕方ないよ。とはいえ、もう今夜か明日には着けるはずだよね」

 

「そのはずです。ただ、風がいいのでこのまま進んで夕方に入港するそうで」

 

「無茶するなぁ。とはいえこの天気だと……荷物は危ないな」

 

「本とかは油紙で包んであるとは言え、湿気でやられるかもしれません。それ以外は大丈夫ですかね」

 

「発電機が怖いかな。油を多めに塗ってあるとは言え、一部は錆びているかも。それと船の中に入った水は大丈夫?」

 

「よくできた船のようで中に水はあまり入っていません。それでも漏る場所には籠が置かれています」

 

「……籠だと水が漏れない?」

 

「当然きつく編まれた上で、なにか黒いもので防水されています」

 

「ああ、木脂(ヤニ)の類かな」

 

「だと思います」

 

一応この手の物質は防水性があるので船に使われたりもするのだが、見る限りこの船の船体には使われていない。植物繊維となにかの脂で防水をしてあるようだが。たぶん木脂(ヤニ)のコストが高いのだろう。石油加工とかで作ることもできるはずだが、アスファルトのようなものが産出しない地域であれば使わないこともあるだろう。しかし籠に使う分ぐらいの木脂(ヤニ)はある、と。少ない情報からの推測は歴史学者のよくやることであるが、少なくない割合で変な方向に進んでしまう。おかげでこの手の議論は思想だの学閥だののバトルにすり替わってしまうことがあるのだ。私?同じジャンルをやっている人があまりいないし、たいてい知り合いだったので懇親会とかでは逆張りをやっていたりした。まあ大抵私が負けるのだが。主流理論というのはやはりそれなりの蓄積があるから主流なのである。

 

「キイ嬢!船長が呼んでいる」

 

そんな話をしていると使節官が来た。

 

「私?」

 

「そうだ。船の針路について意見を聞きたいそうだ」

 

「私に?」

 

「そうだ。星見なんだろう?」

 

「専門家ではないですよ!日頃から波と風を読んでいる人には勝てません!」

 

なんか厄介ごとの予感がする!別に手を貸す事自体はやるし同じ船に乗っているのだからそれぐらいは当然なのだが。

 


 

硝子(ガラス)の覆いがついた灯りはたぶんそれなりに高価なものなのだろう。精巧な飾りがついている所を見るとそれなりの職人が作ったものに思える。ちょうど影になって詳しい構造が見えないのはもどかしいが。

 

『それで、昨日の日暮れではここだと』

 

「そうなります」

 

揺れる炎に照らされる私の雑な図と、紐で作られた船の民のある種の地図。行き交う船民語と私のための東方通商語。

 

「どれだけ正確だ?」

 

「航路にして四分日分でしょう。それと陸の正確な様子がわからない以上、あまり参考にしないでいただきたい」

 

「……そうか。ただ、この岬の場所は確実か?」

 

「距離は少し怪しいですが、方角であれば間違いは少ないかと」

 

六分儀を斜めに使うなんて変なことをしてまでなんとか測定した陸地の地点である。どうやら実際の航海でも参考にする点だったようで、私の地図を補正に使って今後の針路の決定が進んでいく。

 

『風向きは?』

 

『石はこの揺れじゃああまり使えないでしょう』

 

『石ってなんですか?』

 

船員たちの会話にケトが言う。

 

『ああ、南の方で使われている北を指す石があって……』

 

説明を聞くケト。

 

「キイさん、磁石では?」

 

「だとしても、星の廻る点と磁石の指す向きは異なるんだよ。特に北の方では……」

 

私はため息を吐く。磁気偏角の測定データなんてないだろ。測定しておくべきだったな。

 

「このあたりであれば磁石は星から西の方に傾くぞ」

 

「なら行けますね。荷物の中から探してきます」

 

私とケトは少し強くなってきた雨を浴びながら貨物室に向かう。

 

「場所はわかる?」

 

「ええと……」

 

ケトが箱に手を入れてごそごそとすると、電磁誘導の測定に使っていた磁石が出てきた。油を詰めた容器に針を入れた、揺れにそれなりに強いやつ。微小電流で針がなかなか安定しなかったのでちょっとした工作がわりに作ったものだ。エドモンド・ハレーの発案から実用までにはかなりの時間がかかったことからもわかるようにそれなりにいい加減な代物でしかないが、まあ無いよりはマシだろう。それに陸地の方角はわかっている。雨が止んだら天測もできる。なのでこれは別に必須なことでもなければ誰かの命がかかっているわけでもない。

 

「……キイさん?」

 

ケトの不安そうな視線が向く。

 

「……大丈夫。行こう。少し面倒なことを考えてしまっていた」

 

私の技術は、まだ直接的に人の生死に関わるものになっていない。ただ、それも時間の問題だ。そりゃまあ責任を追求できるかと言われれば無理だが、私の感情としてそこらへんをどうにかごまかす方法は用意しないといけない。医療分野に手を出してみるか。これで救える人数を考えれば、ちょっとやそっと間接的に死人が出てもそれ以上には助けたことになる。幸いにも、私はそういう計算なら飲み込めるタイプの人間だ。

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